団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

桜見る人、それ見る私

2015年03月31日 | Weblog

  我が家の前の市道は普段ウォーキングかジョギングか犬を散歩させる人以外ほとんど人通りのない道である。ところが30日の朝から、坂の上からも下からもたくさんの人が桜を見ようと歩いている。みな、それぞれの楽しみ方で桜に夢中になっている。陽ざしに負けないくらい明るい表情だ。私はその光景を道路から約7,8メートル上の我が家の窓から眺めている。とても良い光景である。家族連れ、恋人同士、学生のグループ、デイケアからか車椅子に乗った人それを押す人、オートバイに乗った人、自転車に乗った人、車を「路肩駐車禁止」の看板の前に止めて写真を撮る人。人ばかりではない。小鳥たちも嬉しそうに桜の花の蜜を求めて活発に飛び交う。今年はまだ見ていないが去年は猿の群れが桜の花を食べていた。

 今年は天気予報がよく外れている。それほど異常気象なのであろう。予報が外れて天気が良いのは大歓迎である。反対に晴れると言われて雨だとがっかりする。晴れて青空があり陽ざしが温かいと気分も良い。まさに30日は花見に絶好な一日だった。私は子どもの頃から人間観察が好きだった。人混みに憧れた。お祭り、花見、花火大会、野球観戦、市民会館での公演、大勢の人が集まる所では気分が高揚する。今の家に住むようになって、毎年家の窓から桜の花見ができ、その桜をみに来る人々を窓から見られる。

 午後も自転車で郵便局へ行った。途中小さな公園の前を通った。明るい太陽の光のもと、20台くらいの車椅子が公園の東側に満開の桜に向かって並んでいた。壮観だった。どこかのデイサービスの施設から花見に来たらしい。陽に照らされて老女たちの髪の毛が目を引いた。金髪、銀髪、白髪、黒髪。女性が圧倒的で男性は数人しかいなかった。介護師さんが4人いた。若くてキビキビと老人たちを世話していた。桜の木全体が写真に納まるよう、車椅子を移動させ並べ始めた。あっという間に10台くらいの車椅子のお年寄りが桜の前に整列した。男性職員がカメラを構えた。車椅子の間に介護師の女性たちも立った。「ハイ チーズ」と合唱のように声を合わせていた。他の10台と交代した。まるで体育大学のマスゲームのように整然とスピーディだった。

 桜も綺麗だったがこの光景にも心奪われた。快晴、公園、桜、それぞれがそれぞれの人生を生きその喜怒哀楽を封じ込めた車椅子に座る老人たち。自分の力では歩くこともできないほど老衰しているけれど、若い時から毎年桜をそれぞれの見方で楽しみ生きてきたに違いない。それぞれが桜の花はぱっと咲いてぱっと散る潔さを尊んでいる。しかし自分の方から生死をコントロールできる人はいない。人は運命、寿命に従わなければならない。その時が来るまで生きなければならない。ある意味過酷なことだと思った。桜の木の近くのベンチにひとり座って、車椅子で花見をする老人たちをじっと見ていた男性がいた。彼も私と同じように桜だけでなく人間ウォッチングをしているようだった。いつか老化が進んで介護を受けなければならない日の自分を私と同じ考えでみているようだった。

 桜は日本中、沖縄から北海道までどこでも誰でもが楽しめるよう植えられている。春が近づくとテレビの天気予報は桜の開花予想を出す。自分が住むところではいつ桜が満開になって見頃はいつか、天気はどうかと気をもむ。“桜前線”は南から北へと日本全土を順次移動する。それは結氷した川が氷を下流へ流し出すように勢いを増すのに似ている。氷という冬が水に戻り春となる。時期が異なることで桜の花が次々に日本各地を被いつくし春に変えてゆく。

 私が海外で「できればもう一度日本で見たい」と偲んだ風景、それは古城の堀の周りの満開の桜、見渡す限り水田に田植えが終わり水を張られ、夜に月の光に照らされカエルの合唱が聴ける光景だった。今は毎年、心行くまでその光景が見られる。幸せである。


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