団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

コーンフレイクス

2014年06月02日 | Weblog

  私は時々無性にコーンフレークスが食べたくなる。3種類を混ぜる。①玄米フレーク、②普通の砂糖抜きのコーンフレーク、③フルーツグラノーラ(オーツ麦、ライ麦、ココナッツ、パパイヤなど)に冷たい牛乳を並々とかける。すぐには口にしない。牛乳とコーンフレークスがある程度なじみ始める頃合いを待つ。早めに口に入ってしまったのは許せる。牛乳がコーンフレークスをヨタヨタ、フニャフニャになるまで染み込んでしまうと、財布を失くした時と同じくらい自分を責める。

 コーンフレークスを好きになった原因はカナダの全寮制の学校の食堂にある。朝食はオートミールと呼ばれる麦のお粥だった。そこに小さい2枚のトーストがつく。毎日同じだった。金曜日のお粥には干しブドウが入っていた。幼い頃から干しブドウが好きだった。牛乳は1リットルくらい入る大きなプラスチック製のグラスにたっぷり配られた。何もかも未体験な私は他の生徒がどうするかを観察し真似ていた。周りの生徒が「コーンフレークスなら少しは我慢できるが・・・」というのを聞いた。私はコーンフレークスを知らなかった。生徒たちの話しぶりからコーンフレークスが何か凄い食べ物らしいと想像した。私は口には出さなかったが、他の生徒に不評だったオートミールも嫌ではなかった。だから「いつかコーンフレークスを食べるぞ」と幻の食べ物に期待を込めて空想を膨らませていた。何箇月後かに初めてコーンフレークスを食べる機会があった。友人の家に招待され泊めてもらった翌朝、朝食に供された。いろいろな種類があった。みなそれぞれ好みの箱からボウルに入れた。イチゴやバナナを細かく切って入れ、蜂蜜を加え、牛乳を注ぐ。学校ではできない自由に選べることが新鮮な経験だった。学校の食堂では一切生の果物は出なかった。新鮮果物と一緒に食したせいもあったかもしれないが、それ以来、私はコーンフレークスが好きになった。私の期待は裏切られなかった。

 学校の食堂でコーンフレークスが出されなかったのは、学校でコーンフレークスを作ることができなかったからだと後で知った。自給自足を旨としてできるだけ経費を削減する学校だったので、わざわざ市販されているコーンフレークスを買うより、学校の農場で収穫する麦でお粥を作ったほうがずっと安上がりだったのである。

 年齢を重ねるにしたがって、人は幼かった頃に戻ると言われる。私もそうなのかもしれない。普段朝食は玄米と味噌汁、納豆が主で時々焼き鮭や海苔がつく。妻は和食を好む。コーンフレークスに手を出さない。海外で暮らしていれば、和食の食材は入手困難なものばかりである。日本に居れば、食べたいものは何でも手に入る。食生活は満たされている。自分では食べるものを選択することができなかった不自由な生活があったからこそ、私は現在の自由を感謝できる。コーンフレークスをご馳走と思えた時代があったのも事実である。コーンフレークスは私を遠い昔に連れ戻してくれる。今朝の3種混合は「パリパリ、カリ、クニャ、パリ」と絶妙に牛乳と馴染んでいた。「満足」


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