私は普段テレビでプロ野球観ることはない。しかし甲子園で全国高校野球選手権が始まると時間が許す限りテレビの前に陣取る。甲子園の高校野球に私が魅かれるのは、“真剣”にとことん出会えるからである。
このところ猛暑日が続いている。わが町でも10日に35度を超した。裏山からはオスの蝉が7日から10日だけの短い地上の生活の最終目的である交尾相手のメスを求める本能のこだまが音波になって押し流されてくる。それは、まるで何千何万の仏教徒が甲子園球場を埋め尽くして読経するかのように響き渡る。家の窓も戸も開け放たれ、網戸にされている。私の体につけるモノは最小最短に抑えられている。熱波が家の南北どちらかから入り込み、結局風力不足で部屋の真ん中あたりに停滞してしまう。扇風機の風が攪拌するのは、こもった熱のうっぷんと戸惑いでしかない。テレビの前のリクライニングチェアを最大限平らにしてだらしなく横たわっているだけなのに汗がしたたり落ちる。
32インチのテレビ画面の熱が気温より高いらしく勝ち誇ったように顔面に触れる。スピーカーからは熱を震わせて音声が耳に入る。以前長野県の出身高校が甲子園に出場した。急遽結成された卒業生の応援団に参加してバスで応援に出かけた。甲子園に入場して野球を観戦したのは、その1回だけである。その経験が臨場感を加える。泥だらけになった選手のユニホーム、太陽の陽ざし、入道雲、青い空、ブラスバンドの響き、応援団員の力み、応援団の期待、飲食物やグッツ販売の売り子、一般観客のざわめき、校旗、応援旗。
甲子園の応援席スタンドは4万7千757席を有す。応援スタンドの面積はグランドの2倍である。一方グランドにはたった9選手プラス攻撃側の出塁選手と打者と審判4人とコーチ2人しかいない。1万3千平方メートルの広大な野に散る登場人物は、2万2千平方メートルに陣取る何万人もの観客の視線にさらされる。
11日第一試合で長野県代表の上田西が千葉県代表の木更津総合と対決した。結果は5:7で惜しくも上田西が負けた。上田西の最後まで喰らいつき諦めずに戦い切った健闘を讃えたい。誰も上田西の甲子園出場を予想だにしていなかった。長野県でも私立高校の運動部は全国から優秀な甲子園出場を夢見る選手候補生を集める。上田西は全員長野県の生徒だけである。その上田西が5:7と大健闘した。創部52年以来、初めての出場だった。私が生まれた上田地方では、4,50年前誰もが県立高校への進学を願った。少子化なんていう社会問題は存在せず、高校入試による不合格者は予備校で1年浪人して翌年再受験を余儀なくされた。その対策のために私立高校が創立された。それが上田西であった。生徒の問題が多い学校だった。長い間、名門とか伝統とか強豪などと呼ばれたことはない。去年の長野県の甲子園出場校だった佐久長聖も私の高校生時代は上田西とさして変わらないレベルの高校だった。今世界で新興国が先進国を追い上げているように、日本の高校でも過去の名門、伝統校、強豪などという過去にすがっていられない。私の出身校の県立上田高校も私が在籍していた頃とはすっかり様変わりしている。私は上田西の躍進と変化が嬉しい。競争があってこそ何事も前進する。新生上田西の“真剣”勝負に明るい変化、改革、進化の兆しをしかと見た。上田西の健闘は、うだる暑さの中、清々しく私の心を吹き抜けた。「残念だった。でもありがとう」