団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

熱中症と火傷

2013年08月14日 | Weblog

 猛暑日と熱帯夜が続いている。普段、汗とは無縁の私でさえ、このところ朝目覚めると首の周り、胸、背中、腋の下がジットリしていて嫌な感じである。もともと寝起きがスッキリはっきりしないのにそれに輪をかけたような目覚めの連続である。ネパール、セネガル、チュニジアで熱帯、亜熱帯での8年間の経験はあまり役にたっていない。猛暑日判定の基準である気温35度などさして高温とは思わない。問題は湿度である。70%~90%が不快さを生み出す。日本の多くの場所はまさに金魚鉢の底状態になっている。かつてアメリカの新聞記者が日本の夏を「青く縁取りされたきれいなヒダヒダのついた金魚鉢の底に小石を敷き水をほんの少し入れ下から火を焚いている中で暮らすような」と喩えた。

  知人が次のような話を教えてくれた。最近の猛暑で61歳の男性が亡くなった。彼は母親の介護のために妻と長年住んだ都会からふるさとへ戻った。健康で病気とは縁のない人だった。母親の介護をするかたわら、市のシルバーセンターに登録していた。猛暑日それも記録的な暑さになった日に最初の仕事の依頼があった。おそらく初めてのシルバーセンターでの仕事に張り切っていたのだろう。依頼のあった室内での片付け仕事は、短時間で終ってしまった。優しい彼は、依頼主の老人にやってほしいことが他にありませんかと尋ねた。すると車庫内の片付けを頼まれた。車庫に行ったまま、彼は20分経っても30分経っても戻って来なかった。彼は車庫の前にとめておいた自分の車のすぐ脇に倒れていた。救急車で病院に運ばれたが、彼の心肺は停止したまま蘇生できなかった。病気上がりだった彼の妻は彼のやさしい助言で観光地へのツアーに参加していた。呼び戻されたが夫の臨終に間に合わなかった。

  彼の優しさが私の胸を締め付ける。奥さんの悲しみに言葉を失う。彼の年齢が61歳という私より若いことにも身につまされる。健康で親の介護ためにふるさとへ戻り、シルバーセンターへ登録して他人のために役立とうとする志し、病気が回復した妻に旅して来いと思い遣る。私にできないことばかりを飄々と日常としていた。

  私は、暑いからと家にこもり、来る日も来る日もソファに寝転がって2リットルの水を横に置き、本ばかり読んでいる。言い訳はいくらでもある。痛風の発作が再発し始めている。強い薬を服用している。大きな心臓の手術を受けている。情けない。情けないけれど私は自分の身の程を知らなければならない。おとなしくしていることが社会に迷惑かけないこととわきまえる。

  亡くなった男性はおそらく車庫での片づけ中、具合が悪くなって水を飲もうと自分の車の中にある水筒をとりに行ったのかもしれない。後になれば、ああしておけば、こうしておいたらと考える。残念である。彼が倒れていた車庫の前はアスファルトで舗装されていた。太陽の強い陽ざしで熱していたアスファルトは彼の接っしている彼の体に火傷をおわしていた。100度1000度という温度での火傷ではなく、35度~40度近辺の温度による火傷である。猛暑という現象の底知れない仮面で変装しているような不気味な猛々しさを知らされた。男性の貴い志しは熱中症に追い討ちをかけるように無惨に火傷まで負わされて事切れた。

  毎日、熱中症で多くの人々が救急車で病院へ搬送されている。熱中症に襲われたひとり一人にそれぞれの物語がある。ニュースでは熱中症で搬送された人の数字だけが報道される。生命と自然現象との闘いは今日も続く。小心者でオタクな私は、犠牲者の無念の物語に想いをはせ、教訓とさせていただき、今年の夏を何とか用心と忍耐と思い遣りをめぐらし乗り切りたい。


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