都合により12日投稿分を本日11日に変更します。
五月の連休3日目、ショウブをお風呂に入れて、ショウブ湯にしようと思いついた。さてどこでショウブが買えるかと考えた。私の住む町にスーパーが7軒ある。まず行きつけのA店に向かった。A店には、時々珍しいモノが店頭に並ぶ。勘を信じて、車をA店の駐車場に入れた。私は常に遠くに駐車する。そうすることによって万歩計に歩数を増やす。一番入り口から遠いところに車を止めて、妻と歩き始めた。
道路を挟んだこのスーパーの第二駐車場のほうから泣き声が聞こえてきた。私たちは立ち止まって、耳をすませた。駐車場の道路に面した場所に、箱型の軽自動車が止まっていた。その中から泣き声が聞こえた。自動車を密閉して太陽の陽射しの強いところに止めておくと、車内は50℃を超すという。多くの子どもが犠牲になっている。中が見えない。妻の目が心配そうに車内の様子を見ようとしていた。突然後部のスライドドアが開いた。大声で泣く4歳か5歳ぐらいの女の子がステップを降りようとしていた。あの身長では外から見えないはずだ。女の子はまず妻を見据えた。そして泣きじゃくりながら何か言った。ところが妻も私も何を言っているのか聞き取れない。見知らぬ私達に、まるで旧知のように全幅の信頼をおいた表情だった。妻に話しかけているのを見ると、きっとお母さんと一緒に来たのだろう。それかよほどのお母さんっ子なのだろう。寝てしまったのか、お母さんは、急いで買い物して戻ってくるつもりなのだろう。ところが子どもは、目覚めたばかりの時は、過度に不安になっている。目が覚めお母さんがいないので、パニックに陥ったのだろう。危険な状態である。道路に飛び出したら危ない。私にしても妻にしても、最近の世相から言って、小さな子にむやみやたらと声をかけられない。誘拐や変質者による犯罪が多発している。駆け寄ってあげることができない。できることは、ただひとつ。この子が無事、道路を渡れるようにしてあげることだ。私たちは、道路の左右を見て、車が来ないことを確認する。ただそうするしかなかった。
道路のむこうで、女の子は、妻に助けを求めるように叫んだ。「○○は、さみし~んだよ」 驚いた。この年齢で「さみしい」を使うとは。きっとお話がきちんとできるおませな子なのだろう。道路を安全に渡るのを見守った。駆け寄りはしなかった。一定を距離を置いた。女の子は、私たちの後を追う。店の前にも駐車場がある。私たちはゆっくり後ろの女の子に注意しながら店の入り口に向かった。女の子は、クリーニング店の出店の前でどこかのおばあさんに向かって泣きじゃくりながら何か訴える。おばあさんがそれをしっかり聞きとめる。私たちは、お互いの顔を見合わせた。「良かった。これで大丈夫」とお互いの心を読み取った。胸をなでおろした。きっとあのおばあさんが女の子をお母さんに渡してくれるだろう。まさに適任者だ。それにしても、子どもを育てるということは、本当に大変なことだ。油断ならない。
店に入ってすぐ、ショウブを見つけた。私の勘はまんざらでもない。店を出て、車に戻る。女の子が降りてきた軽自動車がすでにそこにはなかった。気が軽くなった。 家に戻り、明るいうちからショウブ湯に入り、風呂の中で、女の子の話で盛り上がった。
(写真:我が家のショウブ湯)
五月の連休3日目、ショウブをお風呂に入れて、ショウブ湯にしようと思いついた。さてどこでショウブが買えるかと考えた。私の住む町にスーパーが7軒ある。まず行きつけのA店に向かった。A店には、時々珍しいモノが店頭に並ぶ。勘を信じて、車をA店の駐車場に入れた。私は常に遠くに駐車する。そうすることによって万歩計に歩数を増やす。一番入り口から遠いところに車を止めて、妻と歩き始めた。
道路を挟んだこのスーパーの第二駐車場のほうから泣き声が聞こえてきた。私たちは立ち止まって、耳をすませた。駐車場の道路に面した場所に、箱型の軽自動車が止まっていた。その中から泣き声が聞こえた。自動車を密閉して太陽の陽射しの強いところに止めておくと、車内は50℃を超すという。多くの子どもが犠牲になっている。中が見えない。妻の目が心配そうに車内の様子を見ようとしていた。突然後部のスライドドアが開いた。大声で泣く4歳か5歳ぐらいの女の子がステップを降りようとしていた。あの身長では外から見えないはずだ。女の子はまず妻を見据えた。そして泣きじゃくりながら何か言った。ところが妻も私も何を言っているのか聞き取れない。見知らぬ私達に、まるで旧知のように全幅の信頼をおいた表情だった。妻に話しかけているのを見ると、きっとお母さんと一緒に来たのだろう。それかよほどのお母さんっ子なのだろう。寝てしまったのか、お母さんは、急いで買い物して戻ってくるつもりなのだろう。ところが子どもは、目覚めたばかりの時は、過度に不安になっている。目が覚めお母さんがいないので、パニックに陥ったのだろう。危険な状態である。道路に飛び出したら危ない。私にしても妻にしても、最近の世相から言って、小さな子にむやみやたらと声をかけられない。誘拐や変質者による犯罪が多発している。駆け寄ってあげることができない。できることは、ただひとつ。この子が無事、道路を渡れるようにしてあげることだ。私たちは、道路の左右を見て、車が来ないことを確認する。ただそうするしかなかった。
道路のむこうで、女の子は、妻に助けを求めるように叫んだ。「○○は、さみし~んだよ」 驚いた。この年齢で「さみしい」を使うとは。きっとお話がきちんとできるおませな子なのだろう。道路を安全に渡るのを見守った。駆け寄りはしなかった。一定を距離を置いた。女の子は、私たちの後を追う。店の前にも駐車場がある。私たちはゆっくり後ろの女の子に注意しながら店の入り口に向かった。女の子は、クリーニング店の出店の前でどこかのおばあさんに向かって泣きじゃくりながら何か訴える。おばあさんがそれをしっかり聞きとめる。私たちは、お互いの顔を見合わせた。「良かった。これで大丈夫」とお互いの心を読み取った。胸をなでおろした。きっとあのおばあさんが女の子をお母さんに渡してくれるだろう。まさに適任者だ。それにしても、子どもを育てるということは、本当に大変なことだ。油断ならない。
店に入ってすぐ、ショウブを見つけた。私の勘はまんざらでもない。店を出て、車に戻る。女の子が降りてきた軽自動車がすでにそこにはなかった。気が軽くなった。 家に戻り、明るいうちからショウブ湯に入り、風呂の中で、女の子の話で盛り上がった。
(写真:我が家のショウブ湯)