団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

口蹄疫

2010年05月20日 | Weblog
 まだ薄暗い牛舎の重いサガリ戸をかじかむ手で開ける。『サユリ』が私の入って来たのをいち早く嗅ぎ分け「ゥモォーォーオー」と声をあげる。私は『サユリ』に駆け寄り、顔を愛撫する。目ヤニのついた大きな瞳を潤ませる。顎の下のたるみをゆっくり揉み解すように揺する。顔を上にあげ、歓喜のため息を白く吐き出す。同時によだれもたっぷり流れ出て、顔振るので私の作業着にもべっとりふりかかる。『サユリ』が落ち着くと、私は床で湯気をあげる牛糞をスコップで専用一輪車にすくってはのせる。よくまあこんなに大量にと感心する。牛糞を集積場に運び、一輪車を傾けて、下に滑べらせ落とす。一輪車を戻す。

 次に牛舎の入り口にある湯沸し器から頑丈なバケツに熱いお湯を入れ、洗浄布を干し場のヒモからはずし取る。重いバケツを湯をこぼしながら、『サユリ』の区画に運ぶ。洗浄布を熱い湯に浸し、素早く絞る。そして牛乳でパンパンにふくれている『サユリ』の乳房を優しく温湿布とマッサージと洗拭を兼ねて拭き揉み撫でる。『サユリ』は、嬉しい時、尾を私に巻きつけるように水平に振る。振るのはかまわない。しかし尾は洗浄してない。洗浄してないから、たっぷり牛糞がついている。顔を乳房の高さに置いているので、時にはまともに口に尾があたる。口にしまりがあればいいのだが、私の口はどちらかというと少し緩みがちだった。「バシッ」と後頭部を一周した尾の先が口を直撃。朝食前に口にたっぷり牛糞が入る。ポケットのタオルを出し、拭く仕草。急がねば朝食の時間に間に合わない。乳搾り用の小さな椅子に座り、乳絞りを始める。こうして毎朝私は、担当の『サユリ』の乳をバケツ一杯搾った。

 『サユリ』のお産も手伝った。逆子で脚が出てきた。獣医と責任者が「このままだと子も親も危険だ」と言い、ヌルヌルの子の脚を獣医の掛け声で引いた。最後に信じられないくらい簡単にポンと産まれた。子牛が立って鳴いた。皆で手を取り合ってジャンプし抱き合い泣いた。

 豚の世話もした。担当した豚はメスの『ブランケット』だった。『ブランケット』のお産で夜中の12時に8頭子豚が産まれた。皆が引き上げ、私は一人で産後の処理をして『ブランケット』の横のワラの中で寝てしまった。朝、目を醒ますと8頭が12頭になっていた。私が寝てから4頭『ブランケット』は自分だけで産んだ。

 上記の話は、私が10代後半に在籍したカナダの学校で経験したことである。学校の食堂で牛舎や豚舎で働く者は「臭い、臭い」と敬遠された。動物の世話をする私の仲間の学生は、優しい人が多かった。

 今回の宮崎県の口蹄疫の蔓延で後手後手だった政府が非常事態宣言を出した。テレビ画面に地面に掘られた大きな穴に数えられない『サユリ』や『ブランケット』が横たわる。私は切なかった。まるでアウシュビッツである。

 緊急対策本部と名前ばかりの会議に、政府の重鎮が並ぶ。会議が対策のフリをする常套手段。記者会見において、農林水産大臣の「私に反省する点はない」発言を聞いて、私はテレビを消した。現在の大臣でまともな口をきける大臣はいないのか。少なくとも牛や豚を飼う人々が、手塩にかけて面倒をみている家畜を穴に埋める気持ちを理解しているとは思えない。私をカナダの学校で「お前は牛や豚と同じ臭いがする」と敬遠した人々と同じ類の人間としか思えない。目配り、気配り、手配りができない人が増えている。上に立つ人間の真価は、危機に瀕した時に表れる。そこを通過してこそ、尊敬という報酬と名誉が与えられる。熱情と行動力に欠け、言葉に心をこめられない、名前だけの首相と大臣を指導者にいただく日本が情けない。

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