団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

デモクラシー

2010年02月26日 | Weblog
 地中海沿岸のチュニジアに3年間暮らした。首都チェニスから車で30分ほどのシディブサイドという古い町に家を借りた。さすが天候もよく食材も豊富で暮らしやすい国だった。 

 その町のはずれにガソリンスタンドがあった。フランス映画『シェバプールの雨傘』のラストシーンのガソリンスタンドのような小さなスタンドだった。近代的な明るくキレイなガソリンスタンドは、チュニスにもいくらでもあった。オヤジさんと話したくて、そこの古いスタンドでガソリンを入れた。

 オヤジさんは、なぜか英語がうまかった。英語をどうやってならったかと聞いたことはない。聞いてはならないとも思った。アラブ社会でコーヒーをごちそうされることは、名誉なことである。いつしか行くたびに、近所のコーヒー屋台からトルココーヒーを出前でとってくれ、狭い事務所でオシャベリを楽しんだ。

 このオヤジさんが「日本は世界で一番デモクラシーがある国だ」と言った。私はデモクラシーという言葉は知っていても、深くその意義を考えたことはなかった。オヤジさんと話すことによってとても良い勉強になった。

 チュニジアの現大統領は、前大統領が臨終の場に居合わせた警備隊長で、前大統領が彼を次期大統領に指名したとして公言して大統領になった。秘密警察を強化して町のいたるところに私服の警官を配備して、反乱反抗を警戒し、民衆を力で押さえ込んでいた。つい先日もインターネットを管理統制している国家として欧米の新聞に批判されていた。民主主義からほど遠い独裁体制の国家だった。失業率は50%を超え、石油資源もなく主なる産業もなかった。

 ガソリンスタンドのオヤジさんは、外国人の私に油断したのかもしれない。二人だけだとよく大統領の悪口や、大統領の動向や悪行の噂を話してくれた。チュニジアではフランス語を公用語としているが、英語を話せる人は、少ない。英語ならと気を許したのかもしれない。いろいろなことを面白おかしく話してくれた。私の海外生活での宝は、こうしてあちこちの国で、普通の市民とたっぷり会話を重ねたことだと思っている。オヤジさんは、日本のこともあれこれ質問した。健康保険や年金のことも仕組みや平均的な交付額など、普通の人の年収など熱心に尋ねた。ガソリンスタンドのオヤジさんも自分の年金や社会保障のことをきちんと正確に話してくれた。日本は福祉国家だとも言って羨ましがっていた。オヤジさんが話すと私の母国日本はまるで夢の国のようだった。

 私は2002年に帰国して、以来ずっと日本に住んでいる。ガソリンスタンドを見るとシディブサイドのガソリンスタンドのオヤジさんを思い出す。心臓手術の後、私は65歳まで生きられないかもしれないと勝手に思い込み、年金の給付を60歳から受けている。年金給付額が決定されるまで社会保険事務所で長くもめた。早期給付で減額されているが、それでもチュニジアのガソリンスタンドのオヤジさんよりずっと多い額が支給される。

 政治経済福祉、いろいろ言いたいことはある。しかし、私は、日本に生まれ育だって、今こうして暮らすことに感謝している。13年間貧しい国ばかりで暮らしてきた。今回大地震で大変な被害を受けたハイチもそうだが、私が住んだ国々は、国家とは名ばかりで、国民がまともな扱いを受けられない国だった。

 デモクラシーとは、権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態で、人間の自由や平等を尊重する考えである。不完全で未熟ではあるが、私は日本にチュニジアのガソリンスタンドのオヤジさんが羨ましがるデモクラシーがあると確信する。そのデモクラシーをどれだけの日本人が自覚しているかは疑問がある。先人たちがこのデモクラシー定着のために、いかに多くの犠牲的献身をしてきたかを思う時、身が引き締まる思いがする。
 
 勝手気ままワガママで自分本位の人が増えたのは事実である。何事も国民に深く浸透して定着普及し、安定するには、時間がかかる。だれも以前のあの忌まわしい身分封建制度に戻ることは願わないだろう。ならば私たちには、手に入れたデモクラシーを守り育てる義務と使命がある。それは選挙で自分の信念と希望を持って一票を投じ、税金をきちんと潔く支払い、その税金が正しき使われることを厳しく監視することだと思う。確定申告は3月15日までである。デモクラシーの快い響きを信じ、手続きを進めたい。

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