団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

JICA海外移民資料館

2010年02月23日 | Weblog
 このところ横浜市中区新港2-3-1にあるJICA海外移民資料館(写真参照)へ資料集めのために通いつめている。そこでこんな話を『続・北米百年桜(四)』伊藤一男著 PMC出版』の中で見つけた。

 『1902年(明治35年)伊藤博文が世界一周の途中シアトルに来て日本人会で講演をした。大変な人気で会場は、超満員となった。伊藤博文は、そこで「日本国民である誇りを忘れぬように、米国のためにつくすのが、日本への忠義になる」と演説し、聴衆を感激させた。それより少し前、シアトルに春子夫人ともどもやってきた鳩山和夫氏(鳩山一郎元首相の父現鳩山由紀夫首相の曽祖父)が講演したおり、一世達にむかって「お前達、お前達」を連発、人をバカにしたような口調でしゃべったので、聴衆三十人ほどが、足音を高くして出て行ったことがある。翌日の旭新聞(注:シアトル邦人紙)では「鳩山和夫氏は、われわれを移民どもとバカにしている」と書いた。そんなこともあったので、伊藤公の温かい心に感動して、涙を流すものさえあった』

 そのとき伊藤博文は、『一視同仁天涯比隣』の書を揮毫しそれは今でもシアトルに現存している。辞書には「身分、出身、敵味方などにかかわらず、どんな人でも禽獣にも区別なく平等に慈しみ接し、遠く離れていてもすぐ近くにいるように親しく思い、すべて平等に慈しみ差別しないこと」とある。伊藤博文がシアトルを訪れたのは、日露戦争以前のまだ日本が世界にあまり認識されていない時代であった。日本からの移民は、ほとんどが貧しい家の長男以外の出稼ぎであった。多くのシアトル在住日本人の心の中には、ある種の劣等感もあって当然である。伊藤博文の演説は、外国であるアメリカで、黄色人種として白人に差別され、白人の嫌がる仕事を白人より安い賃金でこき使われ、苦労している同胞への思い遣りは、シアトルの日本人の心に深く染み入ったに違いない。10代後半でひとりカナダに渡った私の経験と重なる。

 同国人とは不思議なものである。異国で日本人に出会うと日本人というだけで相通ずる気がしてしまう。ロンドンへ行く途中、博物学者、菌類学者、民俗学者であり多くの外国語を修得したという南方熊楠が、かつてジャマイカでひとりの日本人に出会った。南方は、異境の地を放浪する老人を哀れみ、金を集めて日本へ帰国させようと奔走した。金を渡そうとすると、老人は、泣いて感謝したが、受けとらなかった。老人は「儂ゃ(わしゃ)、スペイン女(おなご)を女房にし、牛肉も食うたれば躰(からだ)も穢れておるで、もはや日本には帰れぬ」と南方に告げた。南方がジャマイカを訪れたのは、1892年である。鳩山和夫春子夫妻がシアトルへ行く10年前の話である。政治家の鳩山と学者の南方、はたしてどちらが普通の日本人なのであろう。私も鳩山和夫、南方熊楠よりずっと後年ではあるが、海外を渡り歩いた。外国で日本人が生き抜くことがどれほど困難なことか少しは理解できる。

 『一視同仁天涯比隣』と揮毫しシアトルを離れた伊藤博文に涙した日本人の気持ちが、私にはわかる気がする。鳩山和夫の演説途中に足音たてて会場を出たシアトルの日本人に拍手をおくりたい。そして鳩山現首相の母親が、息子に巨額の金を与える図式が見えた気がした。

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