団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

再会③

2008年02月17日 | Weblog
 ミセス・ツジがゴルフの予約を月曜日から金曜日までの5日間取ってあると言う。私たちは、今回ハワイでゴルフをしないと決めてあった。あえてゴルフ道具は持ってこなかった。

 2月4日12時に宿を出て、私が運転してクラブハウスに向かった。私たちが滞在しているリゾートクラブが経営しているゴルフコースで料金は会員20ドル(2120円)ゲスト25ドル(2650円)である。カート(電池式2人乗り自動車)込みの値段。必ず4人で組をつくりスタートする。妻とミセス・ツジが一台のカートに乗り、チャックとボブがもう一台のカートに乗り、私は歩いて彼らについて行った。

 プレイしながらミセス・ツジは、今回私たちを招いてくれたのは、1999年まだミスターツジが元気な頃、私がユーゴスラビアからハワイで夫妻と合流してゴルフを楽しんだ時、私が妻と今度来たいと言っていたことを覚えていたからだと言う。それにしてもミセス・ツジの体のことを思うとハラハラ、ドキドキのスタートだった。 以前と違ってミセス・ツジは軽く打っている。肩をかばっている。距離は飛ばないが、正確にフェアウエイをキープする正攻法でスコアは出ないが、彼女なりに楽しんでプレイしていた。

 妻は気を遣い、スピーディなプレイをしようと駆け足。ボブもチャックも実にのんびりプレイする。問題は12番ホールで起きた。急にトイレに行きたいとミセス・ツジが言い出した。すでにトイレのあるホールは通過していて、近くにトイレはなかった。カートを運転して道路に出て、近くのガソリンスタンドのトイレに行くよう、ボブが進言した。私たちはそのまま進んだ。しばらくしてミセス・ツジは戻り、プレイを続けた。14番ホールで再びミセス・ツジはトイレに行きたいと言い、クラブハウスまで行くとカートでコースを外れた。私は妻と話してプレイをやめて宿舎に戻ろうことを決めた。ミセス・ツジは戻ると、頑として途中でプレイを放棄することを拒んだ。妻の話では放射線治療を受けるとよくある症状だという。放射線は患部だけに照射することは不可能で、まわりの健康な部所にまで影響を及ぼす。ボブはシカゴの病院の理事長だという。あの治療を受ければ当たり前のことと理解し、プレイが遅くなってもまったく気にしていない。チャックは自分のボールの飛距離とボブのボールとの差ばかり気にしている。こんなにゆっくりプレイしていたら日本のゴルフ場なら追い出されるだろう。

 このゴルフ場は退職した老人が多く、80代の人でものんびりプレイしている。私も妻もただただ驚いて、どうしてよいのか判断がつかなかった。私たちはすっかり日本というシステムの中で、日本時間によって振り回されている。このハワイのゴルフ場では、老人たちがマイ ペースでだれに憚ることもなく、自分たちのプレイを満喫している。老後どう過ごすかが、日本ではいろいろ議論されている。日本にもゴルフを夫婦で楽しみたいという人もたくさんいる。ミセス・ツジのように大病を患いながら、たった一人で余生を自分なりの計画に従って楽しんでいる人が日本にはいるだろうか。まず日本では、老人が公のゴルフ場で他のプレイヤーの邪魔になるようなことは許されず、ただ老人は家に引っ込んでいろ、で片付けられてしまうだろう。

 余生を送る方法としての老人対策を考えた。日本にこんなゴルフ場ができる日がくるのだろうか。私の母も妻の母もただ家に、こもる日が多い。ミセス・ツジの状態で公の場に出て、公も理解を持って受け入れる。同じゴルフ場で、午前中は全米大学対抗ゴルフ大会が40大学の参加で行われている。このゴルフ場は決して老人専用のゴルフ場ではない。ミセス・ツジの生き様に、アメリカの鷹揚さに圧倒された一日だった。(続) 
(写真:ゴルフ場)

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