団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

再会①

2008年02月12日 | Weblog
 ハワイでミセス・ツジとの再会を終え、10日の夜帰宅した。

 以前、オーストリアのウイーンに住む日本人の友人夫婦が、日本に住む癌の最終ステージに入った友人を招き、車で10日間ヨーロッパ旅行をした話を聞いた。スイス、イタリア、オーストリアを中心に回ったそうだ。「きれいだね」「美味しいね」「楽しいね」が会話のほとんどだったと言う。死に直面している友を憐憫しても何も始まらない。友人夫婦は今まで通り、普通に彼に接した。病院へ短時間お見舞いに行くのとは違う。友人夫婦は、10日間寝食を共にし、車中でもずっと一緒の行動をとった。とても素晴らしい話しだった。その友人は日本に帰国してまもなく他界されたそうだ。友人夫婦は、生涯で最高の旅だったと言う。私は感動した。いつか私にそんな機会があったらそうしたいと、その時は簡単に考えた。私が癌の方の立場ならそういう機会を与えてくれる友を持ちたいとも願った。私は私の友人夫婦を尊敬した。とうとう私にもその機会がおとづれた。

 今回、ミセス・ツジがハワイで私たち夫婦と会いたいといってきたとき、オーストリアに住む友人夫婦の話を思い出した。6泊7日をともに過ごす。車で旅行することもない。時間のほとんどを家の中で過ごす。ミセス・ツジが好きなゴルフなどできるわけがない。そうすると「美味しいね」を多発することが残された道である。私は7日間17回の食事の献立を立て、できるだけ日本でしか調達できない材料を入念に用意した。野菜や魚、肉は現地で購入できる。調味料を中心に吟味しこだわりを持って準備した。東京都の町田市にある『富沢商店』や東京・築地の場外市場を駆け回った。携行荷物のほとんどは食料品だった。

 7時間のフライトでハワイ島のコナ国際空港に到着した。日本からいつも着ている極寒地仕様の下着を着替える暇もなく、気温23度の明るいハワイの陽にさらされた。

 抗癌剤による化学療法と放射線治療で頭髪の多くを失ってはいたが、やさしいおだやかな笑顔でミセス・ツジは彼女の三女のケアレンと3人の孫と、屋根のない到着ロビーに立っていた。言葉もなく抱き合った。私は6年ぶり。妻は8年ぶりの再会である。そのままホノルルの自宅に帰るケアレンを国内線の出発カウンターまで行って見送った。3人でレンタカーに乗り込み、私が運転して、飛行場から40分のワイコアラの彼女の滞在コンドミニアム(年間2週間滞在する権利を持てる会員制のクラブが運営するホテル式別荘)へ向かった。(続)

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