備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

Hotel Calfornia

2008-11-08 21:04:09 | Weblog
晩酌しながらつらつらと…【以下、長文】

某大物音楽プロデューサーの詐欺事件を考えていた。

その時、頭に浮かんだのが、イーグルスの『Hotel Calfornia』。歌詞がホラー調で、最後にエンドレスにギターのソロが続くあの名曲。イーグルスの曲は、カントリーやブルースをリミックスした聴き易いロックというのが特徴的だった。でも歌詞が難解。

『Hotel Calfornia』は1977年(小生が小学生)にリリースされている。当然、歌詞の意味がわかったのは、大学生になった頃だった。中学生の頃、キャッチーなメロディーラインにつられて、その歌詞を見るもサッパリ。その後、機会がある度に、その意味を徐々に知る。

そのまま聴けば、ハイウェイ沿いの怪しげなホテルに入ると、やはり怪しい人が沢山いて、宴会の準備が出来ているが酒は無く、最後には「ここからは逃れられない」と告げられるという歌詞。かなりシュール。


この曲には、多重の意味がある。『麻薬』『業界』『イーグルス自身』

1、【薬物中毒患者の話として】
  最初に出てくるColitas(コリタス)とは、マリファナの隠語。その風に揺られ辿り着いたホテル。
 「ここは天国か地獄か?」といいながらも、チェックアウトできないのは薬物中毒から逃れられないという意味。

2、【業界として】
  辿り着いたホテルは、『音楽業界』を指し、開かれているパーティーは欲望と快楽の象徴であり、
  そこの客は自ら囚われた人、つまり、イーグルス自身という意味。音楽で成功するも、その生活は、欲望と快楽にまみれた世界。


小生が、一番印象的なのは、
 
 So I called up the Captain, 'Please bring me my wine'
  He said, 'We haven't had that spirit here since 1969'
 
 キャプテンに注文した。「ワインを持ってきてくれ」
  彼は言った。「ここには、1969年以来、そんな酒(スピリッツ)はない」


『Spirit』の意味に、『酒』と『スピリット(精神)』が掛かっている。

1969年は、ウッドストックのロックフェスの年。小生は日本語もおぼつかない頃。後で知るところでは、ベトナム戦争が激化し、精神性、人間性、平和、希望、救いが求められていた時代。海外の戦場(ベトナム)の不条理と現実生活(アメリカ)の繁栄とのギャップを描いた映画は多い。その頃に開かれたウッドストックを契機として、芸術、演劇、音楽に『理想』を見出した頃と記憶している。
人類にとっての『芸術』が、その中心のヨーロッパで第二次世界大戦によって壊滅的ダメージを受け、その後、アメリカを新天地とする。戦争を経て、芸術が新しく花開こうとした象徴的な時代と認識している。

1969年以後のロックは『儲かる音楽』『消費される音楽』となり、『成功=金、欲望、快楽』の挙句に挫折というミュージシャンが少なくない。
その意味で、「今、ここ」には、「ウッドストックの頃の精神はない」と言わせているのが印象的。



実際にアメリカで『Hotel California』が1位になった年(1977年)に、イギリスで は『Sex Pistols』が『God Save the Queen』で一位になるものの、メジャーロックバンドの多くは下火となって、パンク、ヘビメタの時代へと移る。


イーグルスと同じ70年代に、日本ではマイナーだったけれど、プログレ("Progressive Rock"前衛的・進歩的ロック)があった。ビートルズが世界に広めたポップなロックを、芸術性・技巧性を追求して更に発展させようとしたムーヴメントを指す。クラシックの要素を入れて、変拍子や、また、ジャズったコードを取り入れて斬新さを加えたのが特徴だった。
ただその前衛は、流行るにつれてマンネリ化してしまう。要は、『転がる石=ロック』の限界の一形式だったのか。ロックの要素である単調なリズム(ノリの良さ)のビートに乗せるには、マニアックだったのか。その後、耽美的なビジュアル派も出たけれども終焉する。


日本では、フォーク、メジャーバンド、パンク、メタルを駆け抜けて、ユーロビートが日本に入ってきた80年代後半、Jポップも変わってきた。そして90年代に入り、ユーロビート、レイブなどのダンスビートをリミックスした某音楽プロデューサーが『業界』を築いた。


でも、やはりそこは『Hotel Calfornia』と同じ場所だったのか。

やがて『消費期限』が過ぎ、一人の人間の中で、ミュージシャンとして迫られた方向転換を、プロデューサーの豪奢な生活の『欲望と快楽』が阻んだのかも知れない。

この機会にリセットして、ミュージシャンとしてリスタートする時が来ると思っている。
その時には、どういう音楽がかかれるのだろうか。



……てな事を、思っていました。