さて、波動測定についての続き。
ややセンチメンタルな記事になると思います。
周波数は、感情にも共鳴するようです。
私の場合は、「喜び」や「感謝」などの陽性の感情に共鳴し、「不安」や「怒り」などの陰性の感情には共鳴しなかった。
しかし、
「悲しみ」には、かなり共鳴した・・・
これもかなり図星な結果であります。
私には、まだ癒えぬ「悲しみ」があるのです。
それは、このキンモクセイの香る季節は、どうしても離婚届を出したあの秋の日を思い出してしまうのです。
「悲しみ」は過去の喪失体験に抱く感情。
正直に開示すれば、喪失したことというよりも、長年、元夫と全く良好な関係を築けなかったことが、いつまでも「悲しみ」の傷となっているのです。
どんなに浄化しようとしても、この体験は正直パワフルで、完全にクリアすることなんてないように思います。
長年、成仏したと思いたがっていましたが、完全な成仏などないことを思い知ります。
意識の中では、成仏しているつもりでいても、深いところの自分はこの悲しみをいつまでも忘れようとしない。
そして、それを善悪で裁くことに意味などない。
今の自分の仕事や学びは、少なからず、この悲しみが原動力になっていると思います。
多くの人に、私と同じ苦しみが訪れないように。
そして自分自身があの時どうしていればよかったのか、まだ答えを探し続けている。
正解なんてないのに。
そして、人生の牧場を牛のように徘徊しているのです。
交流分析を学んでいる方は、私が何を言いたいか、お察しがつくかと思うのです。
人生態度とそのゆらぎについて。
私は、いまだ、悲しみを悲しみとして味わっておらず、自己否定、他者否定のラケット感情(ニセモノの感情)に浸っているのです。
もしも、成仏しているのであれば、自分も相手も否定しないで、ただ純粋に悲しみだけを味わってい浸っているのだろうと思うのです。
そして、本当にI'm OK.You're OK,with me.の第1の立場にいる時間を増やして、勝利者の脚本を生きるには、本当の意味での親密・親交の時間を持つこと。
悲しみは「完全」に癒されることなどない。
癒し切る必要もない。
ただ、静かに一緒にたたずんで、「悲しみ」の気が済んだら手放してあげよう。
過去の悲しみに正直になる一方で、本物の感情としての喜びの時間を増やすこと。
こうして、書き換える前の古い人生脚本を生きる自分に気づくのです。
波動測定が教えてくれたことです。
プチっとお願いします。
↓
ややセンチメンタルな記事になると思います。
周波数は、感情にも共鳴するようです。
私の場合は、「喜び」や「感謝」などの陽性の感情に共鳴し、「不安」や「怒り」などの陰性の感情には共鳴しなかった。
しかし、
「悲しみ」には、かなり共鳴した・・・
これもかなり図星な結果であります。
私には、まだ癒えぬ「悲しみ」があるのです。
それは、このキンモクセイの香る季節は、どうしても離婚届を出したあの秋の日を思い出してしまうのです。
「悲しみ」は過去の喪失体験に抱く感情。
正直に開示すれば、喪失したことというよりも、長年、元夫と全く良好な関係を築けなかったことが、いつまでも「悲しみ」の傷となっているのです。
どんなに浄化しようとしても、この体験は正直パワフルで、完全にクリアすることなんてないように思います。
長年、成仏したと思いたがっていましたが、完全な成仏などないことを思い知ります。
意識の中では、成仏しているつもりでいても、深いところの自分はこの悲しみをいつまでも忘れようとしない。
そして、それを善悪で裁くことに意味などない。
今の自分の仕事や学びは、少なからず、この悲しみが原動力になっていると思います。
多くの人に、私と同じ苦しみが訪れないように。
そして自分自身があの時どうしていればよかったのか、まだ答えを探し続けている。
正解なんてないのに。
そして、人生の牧場を牛のように徘徊しているのです。
交流分析を学んでいる方は、私が何を言いたいか、お察しがつくかと思うのです。
人生態度とそのゆらぎについて。
私は、いまだ、悲しみを悲しみとして味わっておらず、自己否定、他者否定のラケット感情(ニセモノの感情)に浸っているのです。
もしも、成仏しているのであれば、自分も相手も否定しないで、ただ純粋に悲しみだけを味わってい浸っているのだろうと思うのです。
そして、本当にI'm OK.You're OK,with me.の第1の立場にいる時間を増やして、勝利者の脚本を生きるには、本当の意味での親密・親交の時間を持つこと。
悲しみは「完全」に癒されることなどない。
癒し切る必要もない。
ただ、静かに一緒にたたずんで、「悲しみ」の気が済んだら手放してあげよう。
過去の悲しみに正直になる一方で、本物の感情としての喜びの時間を増やすこと。
こうして、書き換える前の古い人生脚本を生きる自分に気づくのです。
波動測定が教えてくれたことです。
プチっとお願いします。
↓
今回の記事にはとても胸を打たれました。
私もまた「ある出来事」について長年ずっと苦しんでいたのですが、はるさんの記事を読んで、その苦しみは、つまりは、やはり「悲しみ」であったのだと振返ることができました。
今は、その「悲しみ」は、多くの「喜び」や「恵み」に支えられていたからこそ、「悲しみ」として存在することができたのだと思うのです。
あの時の「悲しみ」は、今は遠い空の向こうに見えるボンヤリした山の影のようです。今の私はそういう絵を描いている気がします。
はるさんが、その悲しみを原動力に実際多くの人にエネルギーを与えていらっしゃる様子を思うと、何か、うまく言葉に表現できないんですが、勇気をもらえます。
自己開示されているはるさんから、大きな力をいただいた気持ちです。
優しい力に満ちた記事をありがとうございます!
コメントありがとうございます。
ホント、おひさしぶりですね。
といっても私もころんさんのブログを楽しく読ませていただいていますよ。
さて今回の記事。
私たちが出会ったあの夏と比較すると、自分自身つくづく変わったなあと思います。
自分が何を感じているかもわからなかったあの頃。
悲しみなんてあってはいけないくらいに思っていたし、
自分が悲しみに暮れるなんてナンセンスぐらいにも思っていたんです。
自己否定・他者否定ですね。
しかし、今回の記事を書いたことでかなりスッキリしています。
過去指向の心理療法は最近では敬遠されがちですが、
私は、セルフカウンセリングによって「自分のことを理解できている自分」への
信頼感を高めているそんな感じがしています。
もう大きく崩れない自信はありますが、
自分で決めた幸せに向かっているかはまた別問題(笑)
>優しい力に満ちた記事
ありがとうございます。
人間的にもそうありたいと思います。
辛口コメントをすることが増えてきましたが、
人の心の痛みは感じられる人間でありたいと思いますネ。
出会った夏は、あれはもう5年前のことなんですよね。
生き方・考え方が大きく変わる5年でした。
エニアグラムの知恵は豊かに実ってくれていますよね。ありがたいなぁ。
これからも記事を楽しみにしています。はるさんからたくさんのインスピレーションもらって、多くの知恵をもらってます☆
紹介されてる本とかアレコレは常に参考にさせてもらってるんです。
5年ですもんね。
ころんさんの息子たんも早いもので5歳でしょ?早いねーー。
たしかに、生き方・考え方が大きく変わりましたね。いろいろあったし。
私は、これでもいい意味で力が抜けたと思います。
恥ずかしい自己開示ができるのも、転んでもただでは立ち上がらないタイプ3の気質。
年長の方から見ると、タイプ4のように見えるんですって。
それも最近よくわかり、自己理解という点では
本当にエニアグラムのお世話になりました。
最近、これでもあんまり頑張らなくなったなぁって思います。
ころんさんへのインスピレーション・・・
やはり似たものに反応するのでしょうかねっ。
これからもよろしくお願いしますっ!
>も、深いところの自分はこの悲しみをいつ
>までも忘れようとしない。
>そして、それを善悪で裁くことに意味など
>ない。
>自分自身があの時どうしていればよかったの
>か、まだ答えを探し続けている。
>正解なんてないのに。
一人の自立した女性の感性として共感を憶えます。
はるさん自身の、またコメントを寄せられている周りの人たちとの関係性にも、
とても強いエネルギー(信頼といってもいい)を感じますし、読ませて頂いて何か論評することは到底出来そうにありません。
既にご自分の立場やあり方を十分に理解し、分析されていると感じます。
忘れることはきっと出来ないでしょう。
「卒業」ということではないでしょうか。
とだけ。
開きっぱなしで机に置いてある小説を、
閉じて人生の本棚に置くようなもの。
悲しみと向き合うことは、
手放すことへの序章ですね^^
日本橋に引っ越しました。
お時間あるときにお立ち寄りください。
ご無沙汰しています。コメントありがとうございます。
hiro1さんに肯定されるのは私にとってかなりの
ごちそうストロークです。
今も昔もあいかわらずです。
脚本分析については、下平先生の先日の講義が振り返りの
よいタイミングになりました。
福岡大会にご一緒できないのが残念ですが、
近々対談しましょう!
コメントありがとう。
手放してもいつかまた寄せては戻る
そんなことがさざ波ベースで繰り返されるのは
むしろ健全なことのように思えます。
個人的には、今は好調です。
いかなる感情も味方につけながら上げたい成果に
向かっている実感があります。
随分ご無沙汰していますね。
10・11月はめちゃくちゃ繁忙期なので、
少し寒くなった頃に、うかがいますね。
ありがとう。