Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

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研修講師がマインドフルネスを実践して変わったこと(2)

2019-04-21 09:12:12 | マインドフルな日々
前回はこんなことを書いたわけですが、「今、ここ」に、とどまれるようになるというのは、頭ではわかっていても、

自分の脳で実感できるまでには、私は多少なりとも時間がかかったのだと思う。



初期の頃は、色々本も読みました。

今は、本を読んでも効果があまり実感できないという方から相談を受けることは多々あるのですが、

自分の頭と身体で実感できるようになるには、私の場合は、2年〜3年ぐらいはかかっていたのかなと思う。

主に私が傾きがちだった「脳の習慣」を変化させるのに、それくらいかかったと言えるのかも。

もちろん、まだ克服できていないこともあるけど、「そのまま、そのうち、それはそれとして」3Sをモットーに。

強引に変えようともしない。

しばらくは、注意を向けておくだけで、本質的な変化は、来たるべき時に必ず来ると思っている。

脳神経システムが学ぶにはちょっと時間がかかるっぽい(汗)

まだいくつか効果を感じていることとして、

2)修正力の向上

私たちの外部環境や他者は、常に変化し、そこから受ける影響は必然で避けようがない。

だけど、自分の外側にある観察可能な「対象」に気を取られ過ぎてしまうと、自分を見失う状態になる訳で

行動時自己洞察を訓練していると、対象を意識する「自分の中に働く作用」主には思考、感情、感覚、行動といった自分に働く作用側を観察するので、そう簡単には振り回されない。

自分に気づきやすくなり、修正することがごく当たり前になる。

自分を振り返ると、もともと修正力が低い訳ではないのだけど、以前よりもうまくいっていないことに気づいたら修正するということがすんなりできているのかもしれない。

しかも、そのことが静観でき、少なくとも他者を責めることはない。

もちろん自分を責めることも少ない。

「自分にダメ出ししている時間があったら、さっさと次の行動をとれよ」ってことで、あくまで自虐的な反省はくどくど続けない。

こういう瞬間がいちいちコマ送りで見えている。

心(頭)は比較的静かなことが増えてきたのだろうと思う。

3)呼吸の安定

上記の理由から、

全体的に、登壇時に、そんなに慌てることがなくなったため、交感神経が過剰に興奮している実感はなく、ほとんど自分が早口になっている実感もない。

バカでかい声を出す必要もないので、その時の会場の環境にあった声で話す。

比較的大きな声を出す必要がある時も、腹式の呼吸を意識できる時というのは、自然と豊かな声量を保つこともできているんだなと静観することができ、

自律神経が失調しやすかった数年前とは大きく変わったなあと感じるこの頃。

これまでは、自分の戦いグセの中で、定着した呼吸のパターンがあったのだと思うが、それを自分で観察をできるようにもなり、

このパターンを崩すことができているのは、フェルデンクライス・メソッドをやってきたということも大きい。

以前に比べると、身体が余計な力を使わないような、考えや動きができるだけでずっとずっと登壇が楽になることを知った次第。

上記を徒然なるままに書いてみて、

より早く、より多くのことができるようになりたいという「効率」に重きを置いていた時、私にはできなかったことばかりだなと思う。

まだ十分できているとは言えないけど、

この数年でできるようになったことは、より少ない力で今までやってきたことができるようになったんだろうと思う。

そして、今までは、時間的がないと「衝動的」「無意識」に諦めていたことができるようになってもいると思う。

結局「できている」と思えるし、「できてない」と思ってもその状態に浸らないから、不全感を感じることも少なくなった。

それだけで、自分の自己肯定感はある程度維持できている感触がある。

不全感は、交流分析でもその他のアセスメントにおいても浮かび上がってくる私の「ラケット感情(偽物の感情)」

こうして、不全感を感じがちな自分にとっては、人生の後半戦に入ってこの習慣を身につけることができてどれだけ幸運だったと思えることか。

私自身はこの「不全感」を産まない習慣を身につけたことで、幸・不幸でもどちらでもない(あるいはどちらでもある)コンディションにいられることが、意外と幸せなのかもしれない。

そういう自分の中にそういう静かな場所があることを知ったこと、これは大きかった。

で、何かをゲットしていなくても幸せだと感じることができる。

マインドフルネスを実践すると幸福度が上がるというけど、どういう経緯でそうなるのかというのは、人それぞれだろうなと思う。

続く

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研修講師がマインドフルネスを実践して変わったこと(1)

2019-04-21 01:51:49 | マインドフルな日々
2014年から始めた日々のマインドフルネスの実践(トレーニング)も5年目に入っている。

静坐瞑想と行動時の自己洞察も習慣になってきた。

やっているのは、「自己洞察瞑想法」

心理療法として、教えている内容を自分も日々実践している。



私の場合は、うつでも不安障害でもないけど、

じゃ、罹患した人と何が違うか?

もう、それは身心に現れる問題の「程度」の違いの問題であって、精神的に「しんどい」「きつい」などと不快な感情や思考に苛まれている時、

自分の内部に起きている仕組みは、運悪く罹患してしまった人と全く別物ではない。

誰もが陥る可能性があり、全く人ごとではないと感じている。

それでもなお、

自分を快適な状態にするには、マインドフルネスの実践は、本当に実践する価値があったように振り返る。

基本的には、日常生活の中で、自分が価値を置いている活動において、マインドフルネスを実践することで行動をマネジメントしているというのが現状。

昨年の春から、抑制していた研修の仕事を戻してみて、実践する前と比べると、登壇前後、登壇中の自分のは、明らかに変わったという実感がある。

たった1つ言えることは「以前よりずっと登壇が楽になった」ということ。

このことについての変化を徒然に・・・

1)後先を考えなくなった

つまりは「今、ここ」のことしか考えなくなった。

厳密に言うと、「今、ここ」を基本として、研修開始から終了時間までのことぐらいに考えをとどめている。

先日、そのことを同行した協業先の方に話したら「先もですか?」と聞き返され、「そう」としか言えなかった。

先方は、「先のことは考えてくれよ・・・」って感じだったと思いますが(汗)

基本的には、先、つまりは後工程にご迷惑をおかけしないようにする姿勢は忘れないようにしていますが、

過去のトラウマとか後悔やリベンジの類のものに取られる時間は短くなっているんだろうと思う。

登壇で「んー、もうひとつだったなぁ」と思うことは、研修終了後の報告書で「全力」で振り返って、その日のうちに仕事に決着をつける。

で、忘れる。

もうこれに尽きる。

そして、よかったことも、よくなかったことも対等に忘れる。

よかったこと(そうでないことも)は、自分1人で起きたことではないので、その仕事に関わる全ての方の「おかげさま」でな訳で、「ありがとうございました」で終了し、

忌まわしい「慢心」や「過信」のようなものを育てない。

私の脳は、特に粘着質で、そう簡単に忘れることができないデフォルトで「困ったちゃん」だから、思い切って忘れる。

それくらいできてちょうどいいんです(汗)

そして、次の仕事でも「今、ここ」で観察できることを当たり前に観察し、次の瞬間に必要に応じ修正することを連続させるだけ。

そうやって、先のことについて、自分以外の人が担う責任について必要以上に負わない。

もう、これだけでも、まだ講師として蒼かった頃と比べると無駄なエネルギーを使わないため、楽になっているはず。

そうそう、楽になっていいんだよーーーって。

だって、苦労と研修の品質って正比例の関係じゃないと思うし、しかも、評価はみんな違うんだ。

しかも、数値で表せる評価って本当に一部なんだし、良い評価を鵜呑みにしたり、たとえよくない評価であったとしても、もう今となってはどうすることもできないんだし、

それこそ、過去にタイムマシーンで逆戻りするのは、建設的な振り返りが終わったら、もうそれはそれで終わっていいと自分を許す。

登壇中に苦労しそうなことは、ある程度準備の段階で済ませておくこと(リスク管理)であって、登壇期間中はもっと楽じゃないとプロセスが見えない。

うまくまとまらないけど、こういった一連の考え方や行動の変化ということが

マインドフルネスの実践によって、獲得できたマインドフルネスの実践効果としては「王道」的なことの1つなのかもしれません。

続く


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フェルデンクライスメソッドのプラクティショナーになって思うこと

2018-08-28 15:29:12 | マインドフルな日々
5月に、2014年12月からトレーニングを受けていたフェルデンクライスメソッドのトレーニングコースが終わり、無事にプラクティショナーになりました。



思えば、2013年の春から、背中の痛みがひどくなり、いろいろ対処してみて、最後は心と身体は切り離せないものと素直に認め、

ロルフィングのセッションを経て、フェルデンクライス・メソッドに出会ったのでした。

ロルフィングでは、いろいろ発見はあったけど、多分、ロルファーの方にもずいぶん頑固な体癖があると思われていたと思います。

フェルデンクライスでも、最初の2年は、本当に苦労しました。

1つどこかがよくなると、1つどこかの違和感が強くなるみたいな、調和の取れなさがずっとあって、思うような変化がありませんでした。

後半の始まりで、背骨の動きに大きな気づきがあり、そこから少しづつ自分の身体になにが起きているかわかるようになり、

卒業した今、またさらに理解が深まっているというそんな感じです。

フェルデンクライス・メソッドは、アレクサンダー・テクニーク、ロルフィングと並んで、身体と心は本来1つであるという前提での身体教育法です。

長い間、腰痛で悩みました。

筋肉を鍛えたり、背骨をバキッとか、ゴキっとかやっていただくような整体にも行きましたが、翌日には効果はないものになっていました。

だって、戻るんですもん・・・

でも、これは、フェルデンクライスで、なるほどなぁーと学んだのは、脳が痛みを引き起こす身体の使い方を覚えてしまっているのだから、

それを再学習させなあかんよね・・・ってことなんです。

痛みを引き起こす身体の使い方をやめて、新しい動きを見つけていくのです。

それがもうなんというか、まどろっこしいというか、ちっとも効率よくいかないのです。

そうです、所詮、人間は機械じゃないんですから、手っ取り早く、ちゃっちゃっちゃー、なんていかないわけです。

ゆっくり、少ない力で、1回1回の動きが新鮮なものになるように、何か少しでも変えてみる。

そんな地道なプロセスの中での「気づき」を手がかりにして、動きを探していくわけです。

拙速な私には、そんなことが最初の2年ぐらい本当にできなかったんです(汗)

今は、まだまだ自分の身体がよくなっていくという希望があります。

何年間も、力が入りすぎて、決して楽に動いていたと思えませんが、新感覚を味わっていくことになると思います。

指導の方も、レッスン数をもっと増やして行きたいと思います。



フェルデンクライス・ジャパンのホームページにも、プロフィールを掲載していただきました。

レッスンがより良いものとなるように、経験を重ねていきたいと思います。
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不注意で、衝動的で、暴力的で、破壊的で

2017-10-10 10:28:59 | マインドフルな日々
すっかり秋になりました。私は秋がいちばん好きです。

涼しくなったので、家の中の開かずの間を、姉と一緒に断捨離したり、庭の草むしりや木の剪定をしたりして、夏の間の横着な生活を修正しています。

ふとこの夏の出来事を反芻していました。

自宅の前は、駐車禁止なのですが、隣のマンションに出入りする方が路上駐車をされます。

ある朝、出かける準備をしていると、ライトをつけっ放しにしている車が停まっており、中で男性が爆睡の様子でした。
車の窓から頭が外に垂れて出ていました。

そして、お目覚めになって、エンジンをかけようとすると、かかりません。
バッテリーが上がってしまったのですね。

私は、あたふたと出かける準備をしており、また充電の装備もなく、なんのお手伝いもできなかったのですが、

何度も何度もエンジンをかけようとする音が続き、そのうち暴言とともに、車を蹴る音が聞こえてきました。

「車は何も悪くないのに。昨夜あなたを守ってくれたのに。」

この光景は、私にはとても衝撃的でした。

きっと、昨夜、とてもとても疲れて、彼は車の中で寝てしまったのだと思うのです。

それでも、このようなことが、世の中から少しでも減って欲しいと思いました。

それは、彼に限らず、私にだって起きうること(いや、過去には起きていた)だから、余計そう思うのだと思います。

この方に「マインドフルネス」という言葉は届かないかもしれない。

それでも、このようなことが世の中から少しでも減って欲しいと思いました。

慎重すぎたり、考えすぎて苦しくなる場合もあるけど、注意や思慮が足りないことで、自分や他者を苦しめたり、痛めてしまうことがないように。


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うつを治すという明確な意図を背景に持ったマインドフルネス:自己洞察瞑想療法(SIMT)での回復を支援して

2017-07-26 09:14:02 | マインドフルな日々
ものすごく久しぶりに更新します。

いろいろ発信する媒体が増えると、ついついこのブログの更新がおろそかになってしまいます。

更新しなくても、過去の記事を閲覧していただいているようで、さすが10年以上継続していると
それなりにアクセスがあって自分でも驚きます。

さて、このブログを更新していない間に、金沢の方で昨年立ち上げた「北陸マインドフルネスセンター」では、
回復者の方が、少しづつ体験談を書き進めてくださっています。

10ヶ月の自己洞察瞑想療法のセッションは、本当に、クライアントさんもサポートする私も地道な取り組みです。

うつ・不安障害を治すマインドフルネス―ひとりでできる「自己洞察瞑想療法」
クリエーター情報なし
佼成出版社


そんな中、終了者の方のうちお2人が、体験談を寄せてくださいました。

随時追加予定→回復者の皆様からの体験談

開始時は、藁をもすがる思いで、お出向きいただいたかと思うのですが、
終了時には「同じ境遇の方に、自分の体験を生かしてほしい」という自分を手放し
「世のため人のためモード」の心境になるのですから、もう見た目も別人の風貌と言えるかもしれません。

私には最近気になることがあります。

それは、

マインドフルネスは少しづつ認知され、ブームになりつつあるようです(金沢ではそんな感じはしないのです)が、
書籍を読んで自己流でやっている、付属のCDのガイドでマインドフルネス瞑想をやっているのに、

一向によくならない、それどころか、

どんどん悪化しているように感じられるというお知らせを当センターだけではなく、別の方からも伝え聞くのです。

このようなことが起きうることは、マインドフルネス瞑想療法士の養成講座でも
大田健次郎先生からうかがっていて当時はピンときていませんでしたが、
今は「そりゃそうだよね」と思えます。

それはなぜか?

私が思うに、呼吸に注意を向ける「マインドフルネス瞑想」だけでは、症状を減らすには不十分だからです。

支援してみて、

症状の程度にもよりますが、めまい、吐き気、動悸、鉛のように体が重いほかの身体症状に
深刻な不調がある場合、その他の実践を組み合わせることが、さらに回復の可能性、
スピードを高めていると確信します。

例えば、自己洞察瞑想療法は、マインドフルネス心理療法ですが、
マインドフルネス瞑想(呼吸法)以外に運動や日常生活でのこれまでやってこなかったような活動を通して、
行動を活性化したり、

行動時に自己洞察を入れ、自分の「今ここ」に気づく訓練を何度も筋トレのように行ったりします。
気づけば、不快な症状を生む、思考や行動、感情、感覚の織り成すパターンを変えることができる糸口を
見つけることができます。

マインドフルネス瞑想(呼吸法)はうつ・不安障害を治すごく1部のソリューションでしかありません。

ですから、

瞑想してるけど、よくならない、むしろひどくなっているということは、やり方の精度はもとより

悪化のスピードが、改善のスピードがより早いということが考えられます。

ですから、クリニックに行かなくてはならないと思いつつも、瞑想で何とかなるかもと踏みとどまっている方、
薬を飲みながらも自己流で回復を試みながらも、半年続けてよくなっている実感がない方は、

瞑想のやり方が、あってる間違っているという以前に、「治す」ためには、呼吸に注意を向ける
マインドフルネス瞑想だけでは不十分なのだという点を理解する必要があるのではないかと思うのです。

本当に症状を減らして元気を取り戻したいという願いがあるなら、
自己流でやっている人のマインドフルネス瞑想が、果たして大脳辺縁系(扁桃体、帯状回、海馬など)の亢進の抑制や、
背外側前頭前野を中心にしたワーキングメモリの活性にどれだけ影響しているのかという視点がないと

ただ、テレビで紹介されているからやっているうちになんとかなるだろうというのは、

人によってはちょっと楽観的すぎて注意が必要だと思えるのです。

テレビや書籍、雑誌で紹介されているマインドフルネス瞑想は、深刻な心身の症状を減らすことにコミットしていません。

ですから、治したい人は治すマインドフルネスを実践する必要があります。

マインドフルネスが広く紹介されるのはいいことですが、「治す」ことを目指している訳ではないということを
周知しなければいけないのではないかと真剣に思ってしまいます。

症状は十人十色であり、回復プロセスもまた十人十色なのだと思います。

この記事が「そんなことはないよ、ちゃんと効果出ていますよ」という方は、読み流していただければと思うのですが、

開始した後も、一向によくならない心身症状を抱えながらも「これでいいのかな」と迷いながらやっている方には、
少しこの記事が立ち止まるきっかけになることを願っています。


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立ち瞑想でよりマインドフルに:全身の観察からの気づきとともにあること

2017-02-17 10:38:12 | マインドフルな日々
2月に入って、左右の前腕が痙攣するという日が何度かありました。

パソコン仕事が多かったこともあり、同じ姿勢でいることも多く、前腕を酷使しました。

そんな中で、腕のフェルデンクライスメソッドのレッスンを思い出してやってみたりしてきたのですが、

肘を中心に、回内や回外の動きをゆっくりやってみると、肩関節、鎖骨、肩甲骨への自然な動きの流れから、
首へと骨盤へとさらに動きが連動していくのを観察するのが、なかなか面白いです。


もともとケガをきっかけにでうまく使うことができない左の股関節、そこが生じさせる様々な歪みやひずみ。

そのことを、嫌うのではなく、見なかったことにするのでもなく、逃げずにいとおしむことができるようになったのは、
昨年の春の激痛からの大きな気づきからです→こちら


そこで、

これまで行ってきた「静坐瞑想」を、「立ち瞑想」にする時間を増やしてみました。
ボディスキャン瞑想的ではなく、純粋に静坐瞑想でやっていることを立ってやっています。



僧侶の方の「托鉢」ってさらにこれに念仏が加わってるんですね。すごいなぁ。


個人的には、2週間経過し、ものすごくいい感触です。

フェルデンクライスメソッドのプロフェッショナルトレーニングコースで、前回、足をテーマにしたセグメントの時に、
いかに日頃使えていない足の裏の部分に気づいて、その部分をより頼りにしていくか、静的・動的な場面でどう力を預けて行くか
劇的な気づきがありました。

それ以来、「足の裏」の感覚をより頼りにするようになりました。
研修講師は立ち仕事でもあるのですが、今は足の疲れをほとんど感じていません。

足の裏にはたくさんのツボや神経がたくさんあって、「第2の心臓」と言われるけど、
注意を向けるということをやってこなかったもんなぁ。。。
もんだり、ツボを押してもらってってことはあったけど。

そんなプロセスを経て、

日頃のマインドフルネス瞑想の際に、全身を観察できることが増えました。
もともとは中央線や丸の内線の中が瞑想の場だった私にとっては、すんなりやれることではありましたし。


以前に比べれば、

フェルデンクライス・メソッドをやってきたことで、身体の内部感覚についての観察が劇的にできるようになっている
そんな自分が新鮮です。

この感覚ばかりを貪るのは、マインドフルネス瞑想としては本末転倒なのですが、結構好き。
他の作用の観察が嫌いかというとそうでもないし、全体として立ち瞑想がただ好きになっているのだと思うのです。


身体感覚に注意を向けることからこそ顕在化する潜在的な意識があります。

体の感覚に注意を向けることの効用って大きいです。
やはり「心身一如」です。

私の場合は、

向き合うのは、ケガのトラウマや諦め、こんなことしていても良くならないかもしれないという悲観などの雑念だったりします。
その雑念にも、最近は楽天的で愛情を持てるようになったのか、軽やかに流れ去っていくことを観察しながら同時に呼吸の観察。

ずれた体軸を、足のうらの感覚と骨盤の感覚を頼りに下から順に穏やかに整えていく。
衝動的に修正せず、ゆっくり整えていく。

自分を矯正しない、自分の体をコントロールしない、自分の体を人任せにしすぎない、まずは自分の体の声を聞く。

まだまだ道半ばですが、3年くらいやってるとさすがに何かが起きている感じがします。

マインドフルネスやソマティクスの実践がやっていることは本当に地味で地道なことです。

だから

こんなこと、ブームになんてなるのかしら?と、マインドフルネストレーナーとしては時代を斜めに読んでます。
困ってない人って、瞑想なんてするより違うことに時間使った方がいいかもって思ってるくらいですし。(爆)


私は、自分の体の異変を放置できなくなるというきっかけがなければできませんでした。

「目標」「達成」ということに囚われやすい私にとって、マインドフルネス瞑想は「達成」という価値観を緩やかに手放すよう
気づかせてくれるものです。

よくなるゴールイメージは必要かと思うけど、それに固執しなければ、それ以上の幸せな体験もできる。

引き続き大事にしていきたい習慣です。

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自分にとって「順調と思える時」と「決して順調ではないむしろ試練で不遇だったと思える時期」と

2017-01-14 06:48:51 | マインドフルな日々
出張で横浜です。



横浜は、幼い頃から父の仕事で縁のある馴染みのある街。
20代の終わりに2年住みました。

その時は、
自分の人生に於いて前代未聞のことが多く起きた時期、
私の人生の試練の始まりでもありました。

まだ若かったこともあり、
どう対処していいかわからずに
強行突破や自暴自棄な行動も多くあり、
自分の蒼さを振り返ります。

そこから8年で住まいを3度変え、
2人だった生活が1人になり、組織を離れ独立をし、
自分の人生を生きることができるようになりました。

1人だけど、寂しさはなく、
恐怖はあったけど、仕事に追われて麻痺していた時期
でもありました。

若い頃は思うように働けない時期が続きましたが、
決して腐ることなく、方向性だけは見失うことなく
地道な準備が基盤になり独立をしたように思います。

不安は色々ありましたが、
その後、研修講師の仕事をすることになり、
大切な仕事をいくつも横浜でいただいてまいりました。

この街で、鍛えられたと感じます。

当時は「なんでまたこんな難儀な案件ばっかり来るかなぁ」
と感じていたのですが、

今、振り返ると、この仕事での自分の提案力は、
ずいぶんと磨かれたと思うし、瑣末な対処方法の伝授ではなく

クライアントの組織の「使命」から、
一緒になって徹底的に「応対方法」を考え、実践し、
修正するということに「熱中」できた

そんな時期でもあったように思うのです。

講師としては、クライアントに、
厳しいことも言えるようになり、疑問を呈し、
クリティカルになることもでき、

評価を気にせず、
自由にやらせていただいた仕事ができた時期であり、
講師やコンサルを仕事としていく上で、
かけがえのない時期だったように思います。



今でも、この界隈を通るたびに、
真剣勝負の仕事の後の開放感を思い出し、
懐かしい気持ちになります。

クライアントとの間に、
営業力の強い研修会社を挟んではいたものの、
私の場合は、大きなトラブルは少なく、

本当に、仕事を通して成長できたことを
あらためて感謝しております。

今思えば、孤独な「戦い」となっていたこともあった。
でも、多くの縁に支えられていたなぁと。

横浜に来ると、

不遇だった時期と充実していた時期と
両方が想起されるのですが、
後者は鋭気を喚起します。
(だいたいそういう時は、ちょっと弱っていたりもする)

「今、ここ」だけではなく、
自分にとって元気になるそういう時間の想起は、
自分の棚卸しにもつながり時々は必要だなと思います。

金沢に戻り、
思うように仕事ができなかった時に、
久しぶりの仕事で仕事勘が鈍ったなと痛感し、
愕然としたのも横浜だったけど、
リベンジできて、また自信をつけたのも横浜でした。



この観覧車は、そんな感情が動く時に私の視野にあり、
そして私のいろんな感情を乗せてきたのかもしれません。
(そういえば、私自身は一度も乗ってないな。。。)

順調な時もあれば、どん底を見ることもある。
底を徘徊し続けると、光のある方を見たくなる時が来る。

誰かが支えてくれていて、私も誰かの役に立っていることを知る。

若い頃の私は、野心に満ち、
いかに早く、いかに遠くに、いかに効率的にたどり着こうか
ということが関心ごと。

それゆえ、壁にぶつかることが多かったなあと。

今も、基本的な性格傾向は変わらないと思うけれど、
「目標」とか「ゴール」という言葉に
さほど価値をおかなくなり、

最近は、多少なりとも「プロセス」に辛抱強くなった
と振り返って思います。

それは、自分にとって
「決して順調ではない、むしろ試練で不遇だった時期」を
いささか乱暴に過ごしてしまったという経験を経て、

何度も訪れる、
「決して順調ではなく、むしろ試練で不遇と思える時期」を
ゆっくり丁寧に過ごすことを覚えたのだと思うのです。

「決して順調ではなく、むしろ試練で不遇と思える時期」

そのじれったく、悶々とする時期を、
安易に認知を変えたり、小細工してやり過ごそうとか、
誰かの成功体験を当てにしたりなんかしなくて、
どっぷり浸って、浸って、浸りきって、
そうやって環境を受け入れながら、

自分の中から
「どうしても諦められないこと」として立ち上がってくる、
そういうことが、自分のまぎれもない原動力だったと
振り返って思います。

小細工だけでは乗り越えられなかったなぁ、私の場合は。。。

今は、北陸マインドフルネスセンターにて

「決して順調ではなく、むしろ試練で不遇と思える時期」

を生きるクライアントをサポートしているわけですが、
皆さん、身体症状を伴うがゆえに苦しい時期です。

でも、この苦しい時期は、
まさに新しい自分を産み出す「産みの苦しみ」
でもあると思うのです。

(だから、私は「産婆」みたいだ)

苦しいと感じる渦中にいると、なかなか気づかないのですが、
順調だとか、そうでないとかということも、
自分が決めていることであり、

振り返ってみて言えることは
そこには自分が日々成長することができて「経験」があった。

過ぎてしまえば、順調な時にも、そうでない時にも
等しく成長の機会があると感じます。

だから、順調かそうでないかという二択の味方に陥らず、
どんな時も「成長が続くプロセスにあるんだ」

そう思っていたいと思います。

こんなざっくりした感じではあるけども、
支援者としてのあり方も
磨かれ確かになっていくのを感じています。

過ぎてしまえば、万事OKだと思えるということは、
そのプロセスにおいても万事OKなんだろう、

今はそう言える感じがします。
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禅語:本来無一物:多様な人々が集う場所になっていく

2017-01-11 11:29:52 | マインドフルな日々
昨日、北陸マインドフルネスセンターの「第4回マインドフルネス瞑想実践会」を終えることができました。

オフィス街に近い金沢市武蔵が辻にある「ITビジネスプラザ武蔵」にて「椅子瞑想」を行いました。
後援をお願いした北國新聞社様には翌日記事にもしていただきました。

いつもやっている畳の上での瞑想会では会場都合で、人数が限られてしまうので、
今回は椅子の使える広めのセミナールームで行いました。

ホワイトボードのあるセミナールームだったので、ところどころ板書をしたりしながら進めました。

実践会が終了した後、皆さんがホワイトボードの内容をスマホで撮影されていて、やはり程よく情報を提供していくことも
必要なんだろうなぁと感じました。

瞑想の動機はそれぞれあると思うのですが、最初は女性の参加者の方が多いと予想していたのですが、
開けてみると各回、参加者のうち3割〜5割をビジネスマンが占めています。

多様な方々が、集まってくださることをうれしく思います。

人財教育の分野にいると、何か研修・講座・セミナーをやっていくと自ずと対象者を絞り、
集客を効率化するということが多々あります。

ですから、どうしても特定の事柄に興味を持った人とのつながりはできても、広く出会えるかというと
意外とそうでもなかったりします。

それゆえ、人それぞれ動機が異なるけれども、特定の動作に注意を向けるというただそれだけの
瞑想を通して、場に見えないつながりが「感じられる」というそういうひとときは

私にとって、とてもうれしいことです。

先日、我が家の座敷で「本来無一物」の色紙を見つけました。



私自身、この言葉から、日々の自分の言動を振り返ることがあります。

特に、私の場合は、

何らかの苦しみや痛みを感じる時、それは「分断」が引き起こしていることが多いと。

自分にとらわれ、特定の何かにとらわれ、調和を損ねている時。
そして、さらに調和にとらわれすぎている時(汗)

あー、もー、あれこれ考えててもしんどいので、

とにかく本来の目的を確認し直して、やってみながら振り返る、やってみてから振り返る
そうやって修正しながらやってみよっ的な、地道な積み重ねを楽しむことにしようと。

それが、自分以外の誰かの喜び、楽しみ、幸せのために少しでも役立っていればうれしいことです。

そこに、とらわれすぎてもなんなんですんが(汗)

無論、とらわれとか執着が、「こだわり」「美学」「ポリシー」「モットー」みたいに自分を突き動かすエネルギーに
なってイキイキと活動できていれば、それに越したことはないですよね。

そんな感じでありたいなぁ。

とらわれるとか執着してそれ以外ないみたいな「マインドレス」になってしまうことに早めに気づくこと。

昨日の実践会でも日々の自分の行動の中で「洞察を入れること」「Satiを入れること」の意義をお話しました。

静坐瞑想だけが瞑想ではありません。

日々の暮らしの中で、瞑想的になり、
暮らしの質感が変わっていくことに、皆さんと喜びや楽しみを見出し、共有できればと思います。

ずっと続けていきたいです。


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マインドフルネスの実践で増えた「人のために願う」こと

2017-01-08 22:10:03 | マインドフルな日々
うつや不安障害やその他の精神症状で悩んでいる方に「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で支援して1年になりました。
私は幸い1年目から予想以上に多くのクライアントさんを担当させていただいているのだと思います。

そして、皆さまが苦労しながらも本当に熱心に課題に取り組まれる姿から、私もマインドフルネス瞑想療法士として
学び、成長しているという自覚があります。

自己洞察瞑想療法は、積極的に助言するというスタイルを持った心理療法ですが、
だいたいクライアントに助言する言葉が、少なからず自分に跳ね返ってきて苦笑します。

それゆえ、クライアントとともに成長していくという構造ができあがっていきます。

何らかの症状にお悩みになっている方は、笑顔になることは少ないかもしれません。
でもセッションが進むたびに、症状が減って、薬が減った、朝までぐっすり寝れたという日を重ねていくと笑顔を見る機会が増え、
私も嬉しくなります。

この時期は、新年のお年賀のお菓子をお手渡ししています。

金沢から南に行ったところにある小松市の「御朱印」という会社は、チョコレートコーティングされたお饅頭で知られています。
そこで「Littleりとる」という小さな御朱印を3個詰め合わせで数箱購入してまいりました。




で、自分用に、ホワイト・加賀棒茶・キャラメルというニューウェーブな感じでセレクト。

小さい頃は、このハイカロリーなスイーツも喜びまくって食べていたのですが、
最近は小さいのでも、あー、すごい甘いもの食べてる実感がある。。。

でも、まあ、ほっこりしますなぁ。。。

たとえ、数ヶ月前までは「こんなことをしてもらって申し訳ない」「気を使ってもらってすみません」「お返ししなきゃ」みたく
なってしまっていたクライアントであったとしても、

「かわいい」とか「きれい」とか「おいしい」っていう気持ちになったり、
たとえ少しの時間であっても、ゆっくりする、家族と一緒に食べる、そんな時間が増えていかれることを願っています。

最近、人のために「願う」という機会が増えたなと気づきます。
というか、クライアントさんが熱心なので、私は教えることだけ教えたら「願うだけでいい」というのが実情なのかと。

人はみな自分でよくなる力を持っている。本当にその通り。
それを私は弱くて小さな力で助けるだけでいいんだと、確信する日々です。

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高野山真言宗倶利伽羅不動寺にて「忍耐を養う」ことを再考する

2017-01-05 19:36:34 | マインドフルな日々
初詣は、元旦に、地元の神社に「今年もよろしくお願いいたします」とご挨拶を済ませていました。

今年は、酉年ということで、年女であることもあり守護尊の「不動明王」にお参りするために
石川県津幡町にある高野山真言宗別格本山「倶利伽羅不動寺」の鳳凰殿にも、併せてお参りに行ってまいりました。

御摩法にてお参りすることができました。
薪が赤々と燃える中での読経による祈祷は密教ならではのスタイルだそうです。

しかも、このお正月の間の初御摩法は1時間刻みで夕方まで行われており、僧侶の方々の祈りのエネルギーが
ひしひしと感じられ「ジーン」としました。

お正月にお寺に参るということが初めてだったこともあり、ちょっと緊張しましたが、
僧侶の方が経典をお唱えになる中で、テロのような報復がなくなることを願い、悲しい出来事が少なくなることを願いました。



御朱印をいただいた時に添えていただいた教法や運勢についてとても参考になりました。

神社仏閣で手渡されるこの種の資料から思わぬひらめきを得ることがこれまでにあったので、ありがたく拝読。
おみくじはひかない主義なので、さらにありがたく拝読。

教法の1月号のテーマが「忍耐を養う」というテーマに「うう、これ以上耐えたくない。。。」という思いを掻き立てます(汗)



内容は、仏教の教えに基づくものでした。

あくまで自分のためのメモとして残しておきます。

ーーーーーーー

1)忍耐は修行の最高の形、それを通して悟りに達するが、実践するのは困難でもある。

2)実践のための4か条として
 ・乱暴に扱われても寛容であれ。
 ・怒りに対して怒りでもって答えてはならない。
 ・打たれても打ち返してはならない。
 ・辱められても侮辱して返してはならない。

3)これらの修行は自分と他人を平等にみなすことを養う基礎となり、自分の態度を変えていくということを意味し、
 見返りなくこれを行うことができれば、多くの実りを得ることができる。

4)苦労が人を育てる。苦しみや悲しみを知れば他人の気持ちを推し量れるようになり、思いやりの心も養われる。

ーーーーーーー

積極的に苦労を選ぶ必要はないけど、やはり状況は刻々と変わるので、避けようのない出来事もあるし、
渦中にいると認知・解釈を変えるまでに時間がかかることもあり、やっぱり葛藤してしまいそうだなぁと思ったりもしますが、

「知恵のあるものにとっては、苦しみは重荷ではなく絶好の修行機会」と書かれているように、
時代を超えて、やっぱり「ピンチはチャンス」ってことか。。。

逆らわずに甘んじて受け取ること「も」、今後の避けようもない困難を乗り越える力につながるように感じ入りました。

「実践のための4か条」は、ちょっと自分なりの解釈を交えてしまって恐縮なのですが、
「反応的になってしまうことは少ないに越したことはない」としたいと思います。

「報復」ほど幸せと縁遠い感情はないと思っていますが、決して、黙って歯を食いしばって耐えろというわけではなく、
表現・行動に配慮・工夫した上で、「対処」することは日々必要かなと思っています。

反射的に反応するのではなく、対処する・対応すること。

しかし、苦しみは少ない方がいいなぁ。。。

でも、その都度、その都度、苦しみから学習していくことで、苦しみを減らすことはできると思うので、
苦しみも楽しみを「分別」しない、あるいは同等に自分を豊かにするものと思って日々過ごしていきたいなと思いました。

倶利伽羅不動時の鳳凰殿は23年間、金沢を離れている間に、鳳凰殿ができたため、これが初めてのお参りでした。



山頂本山には、幼い頃1度行ったきりで、ずいぶん風情が変わっておりとても新鮮な気分でした。
門前には、門前町があるわけではありませんが、道の駅が整備されていました。

思うことがあり、また近々参りたいと思いました。

そんなことに思いを巡らせた「小寒」の寒い日でした。
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2017年の始まりに寄せて:「どれだけ役に立てているだろうか」という問い

2017-01-02 16:34:05 | マインドフルな日々
2017年が始まります。

今年は年女なんです。伊藤若冲の鶏の絵を拝借しました。



前回の年女の時にブログを始めていますからブログを開設し、12年目です。

個人的には、昨年とは何か違う感じの幕開けになっています。

今年は、昨年のうちに、今年の大まかなDoingが決まっていたので、スタートから何か具体的に動きたい気持ちで満ちています。

今年はUターンして3年目になります。
丸2年を終えてみて、いろんなことがわかってきていて、自分のエネルギーを向ける先が明確になってきました。

このブログも今年13年目に入るのですが、この数年はあまり熱心に更新してきませんでした。

Facebookを多用しており、東京在住の頃からの知り合いや出張先での出会った方々との交流を楽しんでいましたが、
どことなくその使い方に自分なりの違和感を抱えていて、少しSNSとの距離を見直そうと思い始めています。

そのきっかけとなったのは、やはり仕事との関係でした。

というのも、2年目は「北陸マインドフルネスセンター」の活動を軌道に乗せていくために試行錯誤をしてきましたが、
実際に、新しく関係構築できるお客様の多くとは、facebook以外の媒体でご縁を得ています。
事業の対象者がFacebookの利用者ではないことが大半です。

だからこそ、

より自分が役に立ちたいと思うならそのコミュニティの外にどんどん目を向けていくことに切り替えていく必要があるんじゃなかろうか?

ということなんです。

それは、リアルな出会いかもしれませんし、ホームページの充実による出会いかもしれません。

でも、少なくとも北陸マンドフルネスセンターの目指していることは、クライアントの問題解決に何らかの形で役に立つということです。

だからこそ

事業の基本である「誰の何のために役立ちたいのか?」さらには「どれだけ役に立てているか?」という視点を、
クリアにしておきたい。

実際に、今のクライアントさん(個人も法人も)は、何らかの理由で困っていながら、良くなることにコミットしている方ばかりなので、
こういう方々への情報発信をより強化していくことをもっと大事に考えていきたいと思っているのです。

実は、ニフティサーブに始まり、私のインターネット歴は22年になり、いろんな媒体を使ってみてきて、
一時はブログってもう過去のツールなのかなって思った時もあったのですが、

このブログのアクセス数を見ていても、記事を更新しなくても連日こんなにもページビュー(PV)があるんだってびっくりします。

そして、

「なぜ12年もブログを続けているのだろう?」
「このブログは私にとってどんな価値があるのか?」

そんな問いが脳裏をよぎった時に、思ったのは、「このブログは公開成長記録みたいなもんなんだ」ってこと。

そして、あんまりどう思われているかとか気にしないで、自分の言葉で、書きながら

自分なりの考えを「ああでもない」「こうでもない」「こういうことなのか」「これってすごい」みたいな感じで
揉んでみたり、仮縫いのように繋いでみたり、確信を得てみたりという「作業場」でもあったということ。

ああ、そういう理由があって閉鎖しようと思わずここまで続けているんだなと、改めて感じ入っています。

きっと今年は、もう少し質感の違う仕事を創り、関係が生まれていくのではないかと思っています。

今年のメインとなる問い「誰の何のために役立ちたいのか?」「どれだけ役に立てているか?」を忘れずにいたいと思います。

定期的にご覧になっている方も、中にはいらっしゃるようですね。
いつも気まぐれな更新の中、読んでいただきありがとうございます。

引き続きよろしくお願いいたします。
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1年を振り返る:ダイナミックな学びは不意打ち、そして直感に従うことから

2016-12-29 21:48:32 | マインドフルな日々
今年も残り2日になりました。

このブログは、書き始めた頃に比べれば、本当にペースは緩やかになりましたが、12年目に入りながらも
まだ続いているのが、本当に不思議なことです。

以前の私は「ねばならない」が強かったので、月に記事の本数を決めて「達成」しなければならないと思って、
仕事で疲れている時も頑張って書いてました。

ああ、若かったんだ、今は無理です、
というか、そういう気持ちもどこへ行ってしまったのか。。。

さて、今年を少し振り返ってみます。

今年は金沢に戻って2年目でした。
前半は思うようにいかないことや、地元で仕事をするのが初めてだったこともあり、戸惑いや葛藤の時期が続いていましたし、

3月には、自分がどんな領域で仕事をしていくのかが、かなり明確になる事件があり、割り切ることもできたのですが、
ブチ切れたり、マジで腑に落ちないこともあって若干イライラした時期もありました。

それでも、マインドフルネスのトレーナーとして活動しているわけですから、この不快感情の出どころもわかっていたし、
それなりに鎮まっていったのだと思います。

で、

そのままでもやれる感もあったのですが、大胆にも、

6ヶ月間、自分の直感に従い、この段階ではまだ折り合いをつけることができない

不本意な仕事をやめてみる

と、いう決断をしました。

お金にはなるけど、下請けがゆえに、充実していると感じられる時間(実稼働時間)をどうにも増やせない仕事をやめて、
この半年間は、継続している仕事の中でもうまくいっていることだけに焦点を絞ろうと決意しました。

1番の理由は、

実は、年明けから、ずっと肩の前あたりに鈍痛があり、4月にはぎっくり腰になり、
フェルデンクライスをやっていながら、ありえないコンディションが続いていたのでした。

それが、1年目に不本意ながらやり続けた仕事の中での葛藤が追い打ちをかけたかのように、
からだと調和がとれない日々を3ヶ月送っていて、日々のマインドフルネスの実践だけでは、この状態は抜け出せないだろう

と、いう直感がありました。

「えっ、今年の売上はどうすんだい?」「本当にいいのか?」というエゴの声を振るい落としながらも、

「求められる仕事をする」「自分で新しく作る仕事をする」と決め、これまでは売上のためと思って受けていた仕事を
一旦、切り離すことを決めたのです。

「古い習慣」に戻ることを可能な限り絶とうと思ったのです。

これは、私には、かなり勇気がいることでした。

6ヶ月間はと決めたものの、もしかしたら長引くことも考えられるし、易きに流れれば、短くすることもできる。
その期間は自分で決めることもできたのですが、結果的には5ヶ月弱で終わりました。

というのは、夏ぐらいから「マインドフルネス」が本格的に広がっていく兆候が見られ、企業からの問い合わせと個人セッションの
クライアントが増えたからなのです。

初めての研修が重なり、内容をプレテストしたり、スライドを作り込むこと、パンフレット作りに思い存分
エネルギーを向けることができました。

もともと「ツキ」はある方なのですが、またもや時期に助けられたのだと思います。

それともう1つは、

加賀一の宮「白山比咩神社」に参った時にいただいた言葉が、とても支えになりました。



今月の言葉『鎡基(じき)ありといえども時を待つに如かず』

どんな道具でも季節の到来に合わせて農作業しなければ良い収穫はできない。
ことを成す時は、実力と共に、我慢強く、時が来るのを待つべきである、という孟子の言葉です。



しかし、この我慢強くというところに、どれだけ未来への恐れが口出しをしてくるか、そしてそれを忘れることができるかは
日頃、マインドフルネスのトレーニングをしていてもそう簡単にはいかなかったです。

で、

そのトレーニングの中で、大きく役立つであろう部分を集中強化するキャンペーンとすることにしました。

そこで実践をしたのは「結果が出にくい時ほど人に貢献する・奉仕する」ということです。

それは、「自分を滅する」とか「利他の実践」ということなのだと思います。

機も熟しておらず、正直、行く手ふさがりの中で、自分ばかりを見ていても、自分の馬力を自分のために使っても疲れるんですもん。

だから、チャンスがあるのにうまくいっていない人に、

自分の貢献できることで貢献することの方が「力の腐敗臭」が充満しなくていいんだって
その方が、すごく気持ちいいんだってということが、身をもってわかったということです。

まだまだ、恐れが動機だから、自分ありきのコメントですが(汗)

で、

どんな環境を選んでいくかというと、

それは「自然と関わること」

自然の中で、その有機性の中で、自分の有機性を取り戻し、自分の存在の小ささ、あらためて畏敬と謙虚であることの意味を知り、
宇宙や大自然の中の一要素に過ぎない自分の身勝手な万能感を手放していくそんな瞬間を、

何度か写真のひとコマのように切り取ることができたように思うのです。

そして、この期間に2回・4週間にわたるフェルデンクライス・メソッドのトレーニングがあり、
体からも大きな変化を引き出すことができ、さらに、そのプロセスから、本業につながる素晴らしい経験、
さらには新しいプログラムに反映させることができるパワフルな学びがありました。

この5ヶ月に、自分に起きたことは、想定以上、想定外のことの体感でした。

そして、見る角度を変えれば、様々な学びがあったのですが、それは、この期間のために用意されていたものではなく、
これまでの経験という点と点がつながり、模様のように浮上してきたようなものでした。

これらの体験と結びついた知識が、新しい研修コンテンツになって動き出しています。

年明けからは、幾つかの独自性を発揮できそうな仕事が決まっており、楽しみにしています。
そのうち1つは、自分の中で切りはなさざるを得なかった仕事が、形を変えて戻ってきます。

手放せば入ってくるという経験をまた積み重ねました。

後半は、驚きと喜びが多かったなぁと振り返ります。
来年に連れて行きます。


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岡本太郎記念館にて、命がその命を投影して描くこと

2016-09-15 23:07:33 | マインドフルな日々
東京への出張から戻りました。

マインドフルネスに関して、いくつかの企業様と協業の可能性の模索やお打ち合わせで。

この3日間、ずっとそんな日々を送っており、本当にたくさんの時間を、お客様の思いや疑問を聞いたり、
私の考え方をお話しさせていただいておりました。

企業研修のためのマインドフルネスは、
昨今、テレビや雑誌で扱われているマインドフルネスとどう違っていることが望ましいのかをよく考える機会になりました。

自分なりにはとてもクリアになりました。

ご訪問の途中、駅の出口を間違えて、その流れでたどり着いた「岡本太郎記念館」。

ご自宅ですね。アトリエが生き生きと保存されていました。



この日は、朝からずっとご訪問先でマインドフルネスについて対話を重ねてきたけど、
言語でマインドフルネスの事を話せば話すほど、何のためのマインドフルネスなのかからかけ離れるように思えて、
自分では「どよよん」としていたのです。

だから「芸術は爆発だ!」から何かを掴みたかったのです。

そして「岡本太郎が見た沖縄」という企画展だったのですが、何かを感じ取るまでには少し時間がかかった私。

でも、映像を繰り返し見ていく中で、語りかけられるのは、

アメリカから返還される前の沖縄のアメリカナイズされながらも
森羅万象とのつながりを謳歌する人々の命の叫びや表情だったのだと。

調べてみるとノロというのでしょうか、
巫女のような人たちの動画に言葉にならない衝撃を受けておりました。

白装束で、息を合わせ、声をあげ、走り回り回る祈祷の場面。



わからない、これは何を意味しているのか?と左脳が騒ぎ出す・・・。

ま、それはそれとして

もう何度も何度も見続けているうちに、彼女たちが、大地や背景の景色と溶けていくような一体感を感じるようになりました。

ん?そういうことなのか、神職というのは。

そこから、あの圧倒的なエネルギーを感じる作品の数々は、今ここの直接経験をを積み重ねながら、
万物に宿る命を、岡本さんが命が自らの命を投影しながら表現していたんだと思い、

そっか、アートってそういうものなのか。。。。と今さらながらにしみじみしてみたり。

そういう内奥の自己のエネルギーで生きて行くこと。
自分の可能性を開くというよりも、ただただ「自分である」こと。

マインドフルネスってそういうところのあくまで入り口にすぎないんだろうって。

当面、マインドフルネスという言葉は瞑想ならぬ迷走が続くような予感がします。
自分は、「社会人教育」「学習」という観点から、クリアな答えを持っていたいなと思いました。

それがはっきりした1日でした。
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マインドフルネストレーナーがマインドフルネスの実践で体重を減らすことができるか?に取り組む日々

2016-09-09 20:44:15 | マインドフルな日々
8月1日から「マインドフルネスの実践で体重を減らすことができるか?」を試行錯誤している私です。

最近、NHK・Eテレの「サイエンスZERO」でマインドフルネスが特集されてから
北陸マインドフルネスセンターのホームページはアクセスや問い合わせが倍増しています。

が、しかし

マインドフルネスの実践とは座って瞑想するみたいなイメージを持たれている方も多いようなんですが、
マインドフルネスの実践機会は生活のあらゆるシーンにあります。

自分にとってストレスになる場所から離れて、呼吸や五感、自分の心に
向き合う非日常空間を持つことはリラクゼーションやストレス軽減のためには役に立つと思います。

ただ、

日頃の行動、生き方をマインドフルな方向へとシフトしていきたいという「柔らかな」願望を持っているなら、
もっと日常での洞察も大事にできるんじゃないかなと思っています。

そんなこんなで、トレーナーとしての新たな実験

テーママインドフルネストレナー、高止まりしている体重に向き合いマインドフルな食事を実践する」

を開始しております(汗)

あんまり躍起になったつもりはないのですが、
数字は実践結果を共有するにはわかりやすいデータなので公開すると1ヶ月で、1.6kg減です。

この間にやってきたことは、減らそうという意志の力を極力減らす方向での取り組みです。

従来からある「緻密すぎるダイエット情報」はほとんど気にかけていません。
(無意識で応用している知識はもちろんあります)

大きなスローガンは「少なく、大切に、美味しく食べる」です。



つまりは「知足」です。

やはり、あらためて

食べ過ぎています。
量多いです。
ゆえにカロリーも過剰です。

とはいえ

自分に禁止することはなく、むしろ好きなものを食べています。
疲れているのに無理して運動もしません。
もう少し体が軽くなって涼しくなったら始める予定です。

巷で話題になっている「マインドフルネス」は、静坐瞑想が中心でかつ
宗教性を排除したものとして脳科学に比重を置いて紹介がされている印象を受けます。

しかし、

私は、脳は変わることと問題を引き起こしている習慣やパターンが変わることの間には大きな壁があって、
別途質感の異なるな取り組みが必要だと自他の実践を通して痛感しています。

「害になっている習慣」を、幸福感を感じる「新しい習慣」に変える「実践」が必要だと。
習慣を振り返る「経験学習」が必要だと感じているのです。

そして、私の食生活を振り返って思うことなのですが、

忙しい生活の中で取り組みづらいカロリー計算や期間限定の禁止事項の多いダイエットは、
本来の私たちの「生命」の流れに反するような気がして、どうにも違和感があるのです。

少なくとも

私が支援しているマインドフルネス心理療法の自己洞察瞑想療法の中にも「食事の瞑想」があります。

このことをもう少し掘り下げてみたいんです。

1日の摂取カロリーを決める、何回噛むとか何キロ減らす といった「達成感」に縛られない
毎回メニューを評価して自罰・自責思考に溺れたり(偏りや過剰は複数回でバランスをとる)、
自分の食事態度にマインドレスになって「まいっか」といつまでも逃避してしまうというパターンを放置し

全ては便利な言葉「ストレスだから」で終わらないように、本当に自分が喜ぶような創意工夫を
楽しんでいけば、

「食べること」にまつわる「苦の解放」につながっていくのではないかと思います。




その際に、近年取り組んでいる禅の思想に根拠があるマインドフルネスの実践は大きなヒントをくれると思っています。

5年後も10年後も続けられる「食事が愛おしくなる」そんな実験を重ねていきます。
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顎骨骨髄炎をフェルデンクライスでマインドフルに乗り切る日々

2016-06-23 09:22:56 | マインドフルな日々
どうやら顎骨骨髄炎になったらしく、リンパ節が腫れて、発熱し、口が1cmしか開かなくなってしまいました。

日々のマインドフルネスの実践で、扁桃体の過剰な興奮を抑え、痛みには振り回されにくくなってきたのは成果ですが、
お医者さんから、「朝一番に、無理にでもいいから強制的に口をこじ開ける練習をしてください」
「固まらないように、無理やりにでも開けてくださいね」という荒療治的な宿題が(泡)

これをマインドフルに行うことが当面の練習課題です。

とはいえ、科学が進歩した時代に、こじ開ける練習って・・・

個人的には「野蛮」だと感じてしまうことをもう少し「エレガント」にやるかは「フェルデンクライスメソッド」にヒントがあると思っています。

フェルデンクライスの脳と体のエクササイズ―健康とリラックス、フィットネスのためのらくらくエクササイズ
クリエーター情報なし
晩成書房


朝から、「顔と顎のレッスン」をボイスメモに録音して、なるべく簡単に(優しく強制的に)できるようにしました。



頭の方向を変えたりしながら、上下だけではなく左右の動きを通して、もっと気持ち良く動かす方法がないのかを探索します。
少ない動きでゆっくりと動き、マインドフルになれば、私の場合は、日頃いかに首、肩、胸を固めてしまっているかに気づきます。
骨盤へと動きが伝わり、顎の動きを通して、体が緩んでいきます。

そして、私の今の状況が「痛いからといって動かない」のではないことに気づきます。

古い脳で「できない」と自動的に判断するのではなく、人間ならではの新しい脳の部分で、非習慣的な動きの中から、
自分にとって楽に動ける可能性を見出していく。

そういう「知的な動き作り」をしていきたいなと思っている1人朝活でございます。

痛みのある時の自分に好奇心・開放性・受容・愛を持って。
心身の痛みは学びの宝庫です。
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一人で抱えているお悩みをアクションラーニングで解決!

2012年の6月からアクションラーニングのコーチとして活動しています。アクションラーニングとは⇒コチラ
月に1度、アクションラーニングによって、個人が抱える問題を対話で解決する会を開催しています。
アクションラーニングでは、問題を持つ方が問題解決できるのはもちろんですが、グループメンバーも提示された問題を自分のことのように考えながら、チームビルディングや自らのコミュニケーション力向上やリーダーシップなどについて振り返り、学ぶことができます。
◆最新のスケジュール◆
確認・お申込みは、告知サイト「こくちーず」より⇒コチラ