南無煩悩大菩薩

今日是好日也

岩椿。

2006-03-30 | 日日是好日。

岩に咲く椿。

椿に咲かれた岩。

岩椿か。椿岩か。

コペルニクスさんとプトレマイオスさん。

優秀さに甲乙は無い。

天が動くのか。地が動くのか。


神はこのような不細工なものをつくるはずがない。

完全なる神がサイコロ博打のような事をするはずが無い。

という先入観との戦い。パラダイムシフト。



椿はたぶん。誰かが慰みに岩の穴に入れたのだろうなぁ。

しかしだ。岩の上には椿が咲いている限りは。もしや。

もしやもしやの。

3回転半捻り降りのウルトラDをやってのけたのかもしれませんぞ。

椿氏。

着地。ぴたりと決まりました。9.999999.

ぐらいの確率。


またまたはたまた。

この岩には穴が開いているのだ。

一枝一輪。渾身の開花ではあるまいか。

根性椿氏。


実証してみる根性があたしには無い。


ばかなやつだとお思いでしょうが。

ばかなやつほど新しい事を欲しがるものでございやす。


理由なぞつけずに、そのまんま楽しむのがよいこともまま。

あるのであります。
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念。

2006-03-28 | 日日是好日。

記すれば。記念。

祈れば。祈念。

信ずれば。信念。

歳重。起念。

何を持って瞑するか?

何を持って念ずるか?

水の一念。岩をも通す。


再生を期するのであれば。

イノベーションを欲するのならば。

念。新。意。


朽ちることが無いもの。それが魂というものであるならばだ。

幾らでも何時までもゼロベースで可能だろう。

化膿させてはなるまいなぁ。



なるほど歳は踏んでみるものでござんす。
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南天。

2006-03-27 | 日日是好日。

春一番の東風(こち)が吹く。

冬を越した南天の実がなんてんも残っている。

実だけではない葉までが色づいている。

色気が出てきましたか。

揺れている。あち東風に。

鶫(つぐみ)につぐまれることなく越冬をしたのだ。

殺風景な冬の景色に色気を与えた南天も。

そろそろ。春の爛漫の絢爛の沸々たる草木にその色香を譲るか。


真上から見る南天。見上げるも南天か。

ありゃ靴が。なんてん。

なんてね。


霞の向こうでお天道様も俄かに春色。


佳き哉。善き哉。
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日和。

2006-03-24 | 日日是好日。

干し芋がムシロに並べられている。

干し柿の粉が陽光に輝いている。

生垣の影の用土の上の満ち足りた膨らみに光が筋をつける。

かまどで燃えるパチパチの木が、くゆらせたなびかせる層雲。

まるまった暖かい相貌を崩して、ばっさまが静かに笑っている。

木綿の縞が幾重にも重なって深い情愛の風景を纏っている。


そんな日和が確かにあった。

お袋にも、親父にも、じいさんにもない。

ばあさんの日和が。

近づくと、手に取ると、するりと零れるような日和。


なんでだろうか。

ばっさまが笑う。

どうやら心が弱っているらしい。

こんな日和に。



浮きことも。浮かざることも。過ぎざれば。ただ夢の如くある。


佳き哉。善き哉。

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誉。

2006-03-22 | 日日是好日。

ほまれ。

もしも。
信用や信頼というものを本当に得たいのであれば。

守らなければなりませぬ。


誉れ高き彼らが。

約束を果たそうとし。

期限を忘れず。

決まりを尊重し。

隠蔽を潔しとしない。

のは、何も義務からやっているのではない。



誉れを守ろうとする人こそが誉れの意味を知る。

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良寛さん。

2006-03-18 | なんとなく落書。

花は 無心に 蝶を招く。

蝶は 無心に 花をたずねる。

花が 開くときに 蝶は来る。

蝶が 来るときに 花は開く。

われもまた 人を知らず。

人もまた われを知らず。

知らず知らず 従う。 

大きなものはあるなぁ。

-帝則-


よきかな。よきかな。

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逃。

2006-03-16 | 日日是好日。
殿!積年の敵を追い詰めてござりまする。
にっくきあ奴。存分に成敗してやりましょうぞ。

・・・まてまて。逃げ道を一箇所作っておいたか?

は!お申し付けどおり北の方角に。

・・・ん。敵がそこを見つけて逃げるなら好し。
決して追うでないぞ!必死の敵は鬼門じゃ。


・・・・・。


殿。逃げ口を知りながら、敵の大将が一人でやって参ってございまする。
斬りまするか?

・・・お。来たか。北から。
好し。通せ。斬ってはならぬぞ。


・・・・・。


殿!とのような話でござりましたか?

・・・ん!あやつめ。こう言いおったわ。
-わしの想い、しかと見届けた。拙者も武勇優れるは古今に比類なき者と申してのう。かくなるうえは、旗下に入りますゆえ天下をお取りなされ。とな。-


・・・・・。


窮鼠猫を噛む。

窮鳥も懐に入れば殺せまい。

逃げるものは追わず。来るものは拒まず。


・・・敵もさるものよのう。

・・・・・。



逃げてはなりませぬ。
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習作。

2006-03-14 | なんとなく落書。
少し前の。エチュード。

何故に綺譚菩薩としたのかも定かではない。

変わった由緒の菩薩を見たかったのだろうか。

感情などというものは検証し得るものではない。


心誘われるまま。

何かを真似て作ってみる。

そのことによって。作ってみたい自分を確かめる。

それは。

知ろうとすればするほど、膨大な量と質が立ちはだかり、自分の力の無さを思い知らされる。

ことになる。

ユニークなアイディアや、人よりもましな才能を持ち合わせているとも思えない。

ただ。

私の中の何かがピチピチするのはなぜか?

と。再び確かめる。


ないことがあることを習う。


写仏や写経は、それだけでご利益があるという。

習作している本人が生み出すご利益だ。

人には見えない。


練習。習得。習熟。習うステップ。

段階は逆さに踏んで階段となるだろう。

習練。得習。熟練。

それは習おうとしたこととは全く違う事であってもだ。


何を習ってしまうのか。

有屋無屋。



・・・有無。
ふくよかで、やわらかくうねる稜線は、やはり女性的なのである。
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互。

2006-03-13 | 日日是好日。

たがいがいるのさ。

かくかくしかじかとさ。

うまい具合でもさ。まずい具合でもさ。

片方だけがさ。どうのこうのちゅうことはさ。

ないさねぇ。


因果はよ。お互い様よ。

成功もよ。失敗もよ。結縁離縁だってよ。

互いが成せるわざよ。

車はよ。両輪無いとよ。走れねえべ。

安全運転か。暴走か。はよ。

片輪じゃあ。決めれねえものよ。さ。

さ。よ。か?

うめえ塩梅にいきゃあよし。

まずけりゃ。食いなおしだわね。

食ったほうも食われたほうもなや。

互に選らんだもんだべや。



「天国と地獄双方とも美味しい料理が並んでいました。箸はそれは長~い箸です。地獄では自分の口に入れられなくて、料理はこぼすしイライラがつのります。
一方天国では、長~いお箸を使ってテーブルの向こう側にいる人同士が食べさせてあげました。みんなニコニコ。ご馳走をおなかいっぱい食べました。と。さ。」
-イソップ物語-



ほんなら。もいっちょう絡んでみっぺ?



互いあっての出来事であります。
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不惑。

2006-03-11 | なんとなく落書。

「ラフカディオ・ハーン」と「チンギス・ハン」は別人だ。

「ダライラマ」とバカボンの親父のいう「タダイマナノラ」は全く持って違う。

「ガンジー」と「ゼンジー北京」は兄弟でもなんでもない。

しかしだ。

私は惑う。

小泉八雲さんの見た日本と襲来した蒙古人の見た日本。

どちらも日本というものを「見出した」点において違いはない。


であろう?

でがんしょ?

でかんしょ。でかんしょ。で半年暮らす。ほいのほい。


一体全体。惑わずとは何を持って瞑するか。


人の思惑と。人の世の思惑。

惑う思惑。おもわく惑う。


ロマン4割にリアリズム6割。

この現実というものへの思惑。惑わずにいられようか。


「学ぶが考えない人は惑う。考えるが学ばない人は大きな危険に遭遇する」
と孔子さんは言ったらしい。

さすれば。正しい答えを探して惑わない為には、正しい問題をはじき出せるかどうかが生死の境。

せやさかい。

問題が間違っている時の、正しい答えほど厄介なものはないのでありやす。


まどろみの中に惑うか。

とまどい。に。惑うのであります。

あきらめる。ことに惑うのであります。


不惑とは。

惑わずにあらず。惑うことを見出すに似たり。と見つけたり。



ミステリアスな微笑みに惑うてござりまする。


ふわく。ふわく。と人馬は進む。
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老。

2006-03-08 | 日日是好日。
さぞかしの人。

老いる。とは。

間違いなく。追い越せない。

時間を越えて追い越すには、閉じた時間的世界線がなくてはできない。

そんなものはないのだ。

どないもこないも。ありゃせん。


追い抜けない。という一点こそが、敬うに値する。


誰であろうと。先人は先人。

実際の歳。だけの話でもないのよ。

年長さんは。


敬わなければなりませぬ。


敬える人こそが。敬われる土壌を持つ。


与えて得る。の理。
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幼。

2006-03-08 | 日日是好日。
おさなきもの。

どのような個人においても。相対的優位性に立つ場合がある。

自らよりも幼きものに対する場合がある。

「知りながら害をなすべからず」
とは。ヒポクラテスさんの言葉。
医者であった彼の箴言。


自らよりも不利の位にいるものを利用してはいけませぬ。


できる限りで。助け合い。


助けられる人こそが。助けられる土壌を持つ。

与えて得る。の理。


損して得取れ。ほいほいほい。なのだ。
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二人。

2006-03-05 | なんとなく落書。

姿に影の添うごとく。


男と女。

夫に妻。

兄と弟。

姉に妹。


貴方と私。

君と僕。

俺とお前。に。貴殿に我輩。


めおと。

朋輩。

戦友に同僚。


犬猿。

猿蟹。


立て板に水。

糠に釘。


安楽葛藤。

期待に不安。

怒号に静謐。


形に影の添うごとく。



その。二人。

人生の一齣。



混じらぬとはあらねども。

月に添う影のごとく。


相せしむかな。

幸多かれと。



双鶴一声。山月は清涼なり。

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無覚。

2006-03-04 | なんとなく落書。
・・・・それから 彼女は

ろうそくの炎が 風に吹き消された時

ろうそくの炎が どんな様子か想像しようとしました

彼女はこれまで 一度もそんなものを見たことを

思い出せなかったからです。

-不思議の国のアリスより-




「この世のあらゆるものは集団的無意識を共有している。
それこそ古代人が‘万象の共感’と呼んだものの基礎である」
-カール・グスタフ・ユング-思い出、夢、思想より-




そうでアルか?

ここでアルか?

ここにアルか?


私たちは常に理解するものを好み、心で知るものを見る。それは快い安心をもたらし、教養を固める。

しかしだ。

ブレイクスルーの為の現状突破を試みようとするならばだ。

そこのところを「見る」よりも
そこのところを「物語として‘聞く’」姿勢の体現にだ。
ほんとう。といわれるものを感じ取れるのではアルまいか。だ。っちゅうの。
だ。だ。だ。。ったら?


どうなんだ。

無覚の思い。とも呼べるようなものを置き忘れ過ぎてはいないだろうか。


・・でアルか?
・・である。


外在的なものとお付き合いをしすぎるあまりに内在的なるものを眠らせてはいないか?

とどのつまり・・外の傷を癒す為の内的薬効が機能不全。

アルか?
ありえなさそうだがアル。

そうであらねば・・・

140億といわれる脳細胞の数パーセントしか我々は使っていない。ともいわれる。


この奇妙な現実は、どういうことでアルか?

必要でもないものが、使いもしないものが、何故にアルのだ?

確かに自身では、使っているのかいないのかさえも藪の中。


あたっ! 藪が刺さった。

・・・・。



まばゆいばかりの天気の中で、2度寝すると奇妙な夢をも見るものであります。

よだれをたらして寝ていたようであります。

確かに私は寝いていた。という証拠が「よだれ」。

ここにアル。のでありましょうか。光るものが。
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演劇。

2006-03-01 | なんとなく落書。

俺は。なにをしに生まれてきたのだ?

俺は。何のために生まれてきたのだ?


市川海老蔵さんの。「信長」のプロローグとエピローグ。

全編を通して語られる「存在」というものの相克と葛藤。

敦盛。の幸若舞もうならされる絶品であります。


歴史は人が作る。演劇も人が作る。


我々はどこから来て。どこにいこうとしているのだ?
有名な哲学者の言葉。

人生の思春期。ものごとの黎明期。
事象の本質を語るときに必ずや頭をよぎるであろう「存在」というものへの渇望感。


フィクションに投影するノンフィクションの狼狽。

あったかどうかは定かではないが。さもありなんと感涙する心。


史跡の信憑に関らず、次代が時代に求めたものを表現し共感を得る。
そのシンパシーが、新たな解釈を生みスタンダードを形成する。


人生は自分を演ずる舞台だ。といった人もいた。

どのように演ずることができましょうか?
どのような役回りになりましょうか?

果たしてそれは、どのように次代に解釈されるのでありましょうや。



俺は。・・なにをしに生まれてきたのか・・・

・・・

本能寺の変。
・・信長様。敵に取り囲まれておりまする!
・・わかっておる。桔梗の紋所であろう。

・・・・・・。

納得。の妙。
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