南無煩悩大菩薩

今日是好日也

食いつないでほしい人々が居る。

2013-06-28 | 古今北東西南の切抜
(切抜/国連WFP)

シリア内戦で、レバノン国境の要衝クサイルに立てこもる反体制派は、政府軍などに包囲され窮地に陥った。
現地の活動家は取材に対し「医薬品や電気、水もない。一万人の住民が砲撃で死ぬのを待つ状態だ」と語った。
政権側は奪還作戦を着々と進め、街中に残る多数の住民が戦闘に巻き込まれる恐れがあり、国際社会の懸念が強まっている。

クサイルは首都ダマスカスと地中海沿岸を結び、レバノンとシリアをつなぐ交差点。攻防の行方は戦況や双方の士気に与える影響が大きい。
政権側はレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラの支援を得て進攻に着手した。
クサイルの反体制派の活動家は「あらゆる方角から囲まれた。政府軍は昼夜を問わずミサイルを撃ち込む戦術だ」と指摘。
軍用機が常に上空を飛行し、電気、水は数日前から遮断。食料も外から運び込めなくなった。
政府軍などは、兵糧攻めで反体制派の消耗を狙っているとみられ、「住民は街に閉じ込められ、パニックになっている」と話す。
負傷者を脱出させようとしたが、待ち伏せ攻撃を受け死亡したという。

AFP通信などによると、五月末には反体制派の応援部隊が現地に到着。だが圧倒的な装備を持つ政府軍、ヒズボラの前に、劣勢を覆すには至っていない模様だ。
国連や国際赤十字は、住民の避難のための停戦を要請。しかし、ムアレム外相は、政府軍などの軍事作戦が終了するまで、赤十字などの支援は認めない、と突っぱねた。街の完全掌握に向け、攻撃のタイミングを計っているとみられる。
(記事/中日新聞2013.6.4)

報道というものは、取材を行う側で景色は変わる。
しかしだ、だからといってそれらの人々が「居ない」ことにはならない。

非人称的 無時制的

2013-06-26 | 古今北東西南の切抜
(Raffaello Santi/Plato and Aristotels)

アリストテレスが前提と結論を展開する際

-「すべての人は馬ではないと断じることが可能なら、すべての馬は人ではないと断じてもよい。またすべての衣が白ではないと言えるなら、すべての白いものは衣ではないと言ってもよい。なぜなら、白くてなおかつ衣と呼べるものがもしあるとすれば、衣のいくばくかは白でなくてはならないからである」-

には、馬もしくは衣もしくは色に関するいかなる個人体験も必要としていないし、意に含めてもいない。
その領域を、すでに脱しているのだ。それでいながら、言葉を操ることで知識を創り出している。それも実体験より格上の知識を。
-ジェイムズ・グリック「the information」より-

それがマナー。

2013-06-25 | 世界の写窓から
(original unknown)

西洋のテーブルマナーはよく知らないのでこれが本当かどうかはわかりません。

知らない流儀というものも世の中には掃いて捨てるほどあります。

例えば京都の老舗の女将に「おあいそ」について聞いたことがあります。勘定の時客側から「おあいそ」というのは本来間違いで、店側が符牒として使っていたのを聞いた客が粋がって使い始めたのが広がったのではないかというようなことでした。

聞きかじって知ったかぶりをしてヘンテコなことにならないよう、流儀には敬意を払って慎重に対処するのがマナーです。

聞きっぱなし、知りっぱなし、放りっぱなし、食べっぱなし、には気を付けましょう。

ワイルド・ライフ

2013-06-21 | 世界の写窓から
(photo/unknown)

自然とはこういうものだ。

刺激的な生活にあこがれる人は特と心得ていなければいけない。

条理的な管理体制、法治国家の煩わしさ、組織に織り込まれる窮屈さ、民主主義の冗長性、それらに反抗するには、それなりの覚悟がいる。

危険な目に遭遇したことのない人ほど、覚悟のない反抗をする。

おとこまえ。

2013-06-20 | 意匠芸術美術音楽
source)

「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のためのマンガ映画にしたい」

そう監督は記している。

その主人公の彼は豚である。

彼は「反国家非協力罪、密出入国、退廃思想、ハレンチで怠惰な豚である罪、猥褻物陳列」の罪を犯したことになっている。

低く響く苦く甘い声で彼はあまりにも有名なせりふをはく。

「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ。」

正規の貧乏。

2013-06-19 | 古今北東西南の切抜
(source)

まず、貧乏な人は、重要な情報を持っていないことが多く、間違ったことを信じています。
抱いている確信が実は間違っていると、間違った決断を下して、それが時にとんでもない結果をもたらします。

第2に、貧乏な人は自分の人生のあまりに多くの側面について責任を背負い込んでいます。金持ちになればなるほど、誰かが「正しい」判断を代わりにしてくれます。

第3に一部の市場が貧乏人に提供されていなかったり、そこで貧乏人がかなり不利な価格に直面したりするのは、やむを得ない理由があります。例えば補助付き市場には規制をかけて、うまく機能するよう見張る仕組みがないと、目端の利く人々にもっと多くの優位性を与える手段になってしまいかねません。

第4に貧乏な国は貧乏だからと言って失敗が運命づけられているわけではありませんし、また不幸な過去を持つから失敗確実などということもありません。失敗の多くは、十分回避可能な欠陥のせいであり、そして普遍的な三つのI-無知ignorance、イデオロギーideology、惰性inertia、のせいなのです。

最後に、ひとに何ができて何ができないかという期待は、あまりにもしばしば自己成就的な予言に早変わりしてしまいます。君は賢くないよ、というシグナルを先生や両親から受け取った子供は、学校をあきらめてしまいます。
どうせ借金漬けだと予想する商人はあまり返済努力をしません。
成果を上げるとは誰も期待していない政治家には、人々の生活を改善しようなどとがんばるインセンティブがありません。
(切抜/五つの教訓)-「貧乏人の経済学」A.V.バナジー&E.デュフロより-

軽い気持ち。

2013-06-18 | 意匠芸術美術音楽
(Johannes Brahms/Victor Tilgner)

音楽家ヨハネス・ブラームスにはこんな逸話がある。
ある人が軽い気もちでピアノを弾いていたのだが、途中で演奏を止めると、ピアノの前から離れてしまった。すると、ブラームスが席を立ち、曲を最後まで弾き終え、こう言った。「さっきの和音を解決しないまま、いつまでも放っておくわけにはいかない。」

どうしても軽い気持ちではいられない、だが軽い気持ちでそれを正すことができる。そこに才能は潜んでいる。

それは空耳ではないのか。

2013-06-17 | 世界の写窓から
(original unknown)

耳元でささやくのは悪魔か天使か。

そもそもなぜささやくのでしょう。

なにかを聞くということで私たちはそれに対して「思う」よりも先に極めて個人的な想像や連想を「想い」やすい。いわゆる「想念」というものが生まれます。

しかし想念を流し続けることは思考を麻痺させてしまうかも知れません。「らしさ」を「それ」と特定してしまうようなおそれです。例えば「もっともらしさ」を「もっとも」としてみたり、「馬鹿らしさ」を「馬鹿」とするようなこと、つまり「ほとんどの馬鹿が共通に持っているものを指しているだけで、特定の馬鹿を指しているわけではない」といった分別思考は想念によって押し流されてしまうのです。

悪魔の正体は案外「そのような」ものではないかと思ったりします。

だとすれば、天使は「そこ」には導かないものということになります。

非人称的かつ無時制的。

特定された人物の観点でもなく、個別化された出来事でもないささやき、そのような思考を促すささやきです。

どちらにしても自分の内にないものは、空耳にもならないでしょう。

その言葉を全く知らない、若しくは見たことも聞いたこともない人間や全く信じない人間にとって、幽霊は存在しようがないのです。

もしかして、そうなら。

2013-06-15 | 世界の写窓から
(original unknown)

-我ときて遊べや親のないひよこ-

このアヒルの雛には親がなく、風船のスワンを親と思い込んでいる。もしそうであるならキュートが一転「もののあはれ」を感じるようになる。
むじゃきでいじらしくおさないがゆえに、余計である。

もしかしなければいいが、もしかしていたらとつい思いがちになってきた。
もしかして、歳なのだろうか。

よくカンガエル。

2013-06-13 | 世界の写窓から
(original unknown)

走るな!ではなくゆっくり歩こうね。

泣くな!よりも笑おうか。

痴漢の多発するある地域では、「痴漢に注意!」から、「地域の皆様のおかげで痴漢を逮捕することができました。」と看板を置き換えたところ、被害がなくなったという。

「あの言葉」はあれでよかったのか、ゆっくりふりカエル。そんな時間が必要だ。

そういえば、あの時「胸が熱くなった」のは感動や愛の芽生えだと思っていたら、逆流性胃腸炎だったりもする。