干し芋がムシロに並べられている。
干し柿の粉が陽光に輝いている。
生垣の影の用土の上の満ち足りた膨らみに光が筋をつける。
かまどで燃えるパチパチの木が、くゆらせたなびかせる層雲。
まるまった暖かい相貌を崩して、ばっさまが静かに笑っている。
木綿の縞が幾重にも重なって深い情愛の風景を纏っている。
そんな日和が確かにあった。
お袋にも、親父にも、じいさんにもない。
ばあさんの日和が。
近づくと、手に取ると、するりと零れるような日和。
なんでだろうか。
ばっさまが笑う。
どうやら心が弱っているらしい。
こんな日和に。
浮きことも。浮かざることも。過ぎざれば。ただ夢の如くある。
佳き哉。善き哉。
ねえちゃん!かぁちゃ!、ばぁちゃん!・・なんて
温もりの有る優しい響きでしょう
「わしはよぉ、8歳で子守女中に出されて
よその子ォばっか100人くりゃぁ手ェかけたけんど、自分の子ォだけ手ェかけたれなんで、はよぉ死んで
まった。それから、わしは生涯一人だわな」
わたくしが小学校3年生までお世話になりました
『うすいのおばぁ」は、104歳で往生しました。
最後まで頭もしっかりとして、100歳過ぎから
毎年お正月に市長さんが施設へお出で下さり
市報の表紙に飾って頂けることが、唯一の
喜びのようでした。
一周忌の夜、わたくしは「うすいのおばぁ」が
お腹を空かして悲しんでいる夢を見ました。すぐに
市役所へ連絡し、市報の表紙のお写真を戴くことに
しました。
以来、息子と同じようにおやつを食べたり、
ジュースを飲んだりしてくれてます。
先生の画のおばぁさまにどこか似ている不思議。
岸の向こうで、こんな笑顔をきっとしておられる
ことと、思えてなりません。
本日も、ありがとうございました
ありがとうございます。