南無煩悩大菩薩

今日是好日也

気持ちはわかる。

2011-07-30 | 世界の写窓から
(source)

あ、さて、あ、はて、

さては 南京玉すだれ

ちょいとひねれば 福の神

こりゃこりゃどうじゃ こりゃどうじゃ


・・・

こんな囃子を思い出して書いている、身の上を思うと悲しくなってきましたが、

一つの偉大な本能の前に、なすもきゅうりもすべはない。


それでは、よい週末を。
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ジャンプモデル。

2011-07-29 | 古今北東西南の切抜
(photo unknown)

草創期は「はさみ跳び」一色だった、最高記録1.90メートル。

最初に発明されたのは「ウェスタン・ロール」同、1.97メートル。

次に発明されたのが「ベリー・ロール」2.18メートル。

最後に、1968年、ディック・フォスベリーが「奇想天外」な「背面跳び」-Fosbury flop-を披露した、2.39メートル(チャールズ・オースティン1996年レコード)

フォスベリーはこれを成功させる為に、それまでにコーチから教え込まれたスピード、助走角度、技術に関するすべてを頭から払拭しなければならなかった。

こうした新しい跳び方はいずれも走り高跳びという「業界」を変革した。(切抜 ビジネスモデル論)



アインシュタイン博士は、今までと同じ考えや行動を繰り返して、異なる結果を期待するのは狂気である。といって「意識のジャンプ」の重要性を説きました。

なるほど、走り高跳びモデルもビジネスモデルもファッションモデルも動的なダイナミズムを持つものがモデルだということです。

ついつい私たちは、モデルとマネキンとを同じに考えてしまっているのかも知れません。
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たぶんは槿。

2011-07-28 | つれづれの風景。

君は誰だ?

槿か芙蓉か?

もちろん応えるはずもなし

しからばよかろう 酔芙蓉とする


「我々は生きる為に、自らに物語を語り聞かせる。」-ジョーン・ディディオン-
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届いていても届かない。

2011-07-27 | 意匠芸術美術音楽
画/河鍋暁斎

かまびすしい程の蝉の声に包まれながら出勤する季節になった。

かくしてその蝉々の声々時々の風物詩。


「我々は10分の1秒以下の音の切れ目を聞き分けることはできないが、蝉類は100分の1秒の間隔を区別できる。彼らは鳴いているとき、一つ一つの音(クリック)の振動数を、例えば毎秒200から500まで一定のリズムで変化させる。我々にはまったく聞き分けることのできないこうした変化とリズムによって、各個体は自種の声を識別し、雄は鳴いている他の雄のテリトリーを避け、雌は雄のほうへ飛んでいくのである。(-Life on Earth-)」


音としては聞けども言葉としては何を言っているかわからない、こういう人を聞きわけのない人という。

話は変わるが、この画、布袋さんに蝉取りの図とはしゃれている。

つまり、いつも半裸の布袋さんやから、

セミヌード。


しかし、この蝉といい、網といい、線のみでこれほどの表現力には感服するのであります。
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シグナルとサイン。

2011-07-26 | 古今北東西南の切抜
(source)

ナミブ砂漠で、目に溜まった朝露をなめて水分補給をするヤモリの一種。(切抜 LIFE)

環境への生存適応が、このような生意気なような可愛らしいようなヤモリを産み出した。


信号signalと記号signとは、はっきりと区別する必要があります。

信号は一過性のもの、記号は持続的なものともいえます。

例えばこのような動物のしぐさは単なる信号といえるわけですが、

これを私たちは「小生意気な」とか「かわいらしい」という記号に変えています。


個々の出すその信号は、本人の思惑とは関係のないところでも、記号として受け取られたりします。

いい場合も悪い場合も含め「誤解される」とはそういうことであったりもするようです。

「おっとろしい顔」をしているからといっても「イナゴの佃煮」は苦手だったりもするわけです。
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コーチング。

2011-07-25 | 世界の写窓から
(source)

十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人。

ほとんどの人は、そんな一生を送る。


ただの人生が一番、という考え方もあるが、もし自分に天賦の才があるなら、その正しいトレーニング方法に巡り逢った人は、幸せだといえるのではございませんか。
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我輩は雄である。

2011-07-23 | 世界の写窓から
(写真/深瀬昌久)

男の嫉妬の本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。とは三島由紀夫さんの言葉。

ん。わしもそうおもう。

男の嫉妬は乾いていなければならん。

体面や自決という意味をあまり気にしないように見える由紀夫さん達もいるが、雄は雄らしくないとやっぱり世の中まわらんのじゃないか。
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通の間接話法。

2011-07-22 | なんとなく落書。

・・・どこの女郎衆だって、あんな甚助(やきもちやき)のうぬぼれをとりとめるものがあったら、かけざんす。
そして、ふだんのようすといやア、麻風呂敷に茄子(ぎすぎすする)で、
いうことが蜻蛉にサの字(キザ)でサ。
おれのあそびかたはどうだの、こうだのと、通(つう)がっているンざんすが、
田印(たじるし)の青竹(いなかもののなまぎき)は、
牛に花りん糖(モウモウコリゴリ)ざんすヨ。
-仮名垣魯文「安愚楽鍋」より-


物言いが 通 ですなぁ。

丸い卵も切りよで四角 ものも言いよで 角が立つ。
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助くも妨げるも人。

2011-07-21 | 古今北東西南の切抜

ヒーローはネズミ。

「アポポは、大型のガンビア・ネズミ(嗅覚に優れ、主にアフリカの紛争地域に生息している)に、地雷を見つける訓練をしている組織で、「ヒーローラット」というサイトを運営している。(Apopo)
アポポの技術開発ファンドのなかで、いちばん人気があるのが「アダプト・ア・ラット」プログラムである。このファンドには月5ユーロから参加できる。
くわえて、ネズミたちを訓練する様子やその成長ぶりをオンラインで観ることができる。
この寄付によって、「ヒーローラット」は、ネズミの餌、訓練や飼育所、移送などにかかるコストをまかなっている。(切抜 ハーバード・ビジネス・レビュー)」


体重が軽いので、地雷を踏んでもほとんど大丈夫だし、小さいので運搬も楽だし、生産はそれこそネズミ算式に増やすことができるなど、探知機よりもかなりの点で優れている。

どうしようもなくも卑怯で忌々しい無差別兵器ともいえる地雷は、世界で1億個以上も埋められているという。

ひとつ人の生き血をすすり、ふたつ不埒な悪行三昧、みっつ醜きこの世の鬼を、ではないが、そんな人間のしたことを、同じ人間が尻を拭く。

同じ哺乳類として、頼もしきパートナーを得て。

子供たちの遊び場所や、動物の生活圏を脅かしているこの、不条理極まりない現実を救うため、ガンバレ、ガンビア・ネズミ。

*ちなみに今現在で、250万平方メートルの土地の地雷を除去し、オマケにこのネズミ君、結核(TB)の陽性判定までできる。
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舞うも舞わずも舞なれば。

2011-07-20 | 意匠芸術美術音楽
(source)

「・・人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり 一度生を得て滅せぬ者のあるべきや・・」

信長公もこのんで舞ったといわれる、有名な幸若舞「敦盛」の一節です。

いみじくも、光秀公に討たれたのは、五十歳の一日前。

出典は失念しましたが、五十という生を次のように祝言した人がいます。

「わたしたちは、50年間の長きに渡る経験により、もっと大きな翼を賜るだろう。 
そして わたしたちは表層的な生から身を引き わたしたちが持つ すべての 感情 想像力 才能と、わたしたちに探求され 求められることを 待ち受けている 大きく広がる世界とが 調和しながら一つに溶け合うところへと むかう。」

儒教の祖師は、齢五十にして知命、すなわち天命を知ると申された。

同様に、「私は未だ生というものを知りません。しかるになぜ死ということを知りましょうや」とも申された。

もっと大きな翼を賜れるかどうかは分かりませんが、舞を舞う信長公の胸のうちが多少は理解できるかもしれないとも思う今日この頃です。
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大和撫子。

2011-07-19 | 意匠芸術美術音楽
(写真/汐見美枝子)


ひとめぼれ は おいしい。

この写真もそう。

僕はバリカンマルコメ、姉ちゃんはまさしくこれだった。

四の五のいわさずにギュッと掴む、動くと危ないからだ。

危険に際しては、否応も説明も無く力で抑え込む。

有無を言わせぬ仕打ちに、つたなきものはとまどいながらも、信を置く。
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ドロンケン。

2011-07-16 | 酔唄抄。
(source)

足をこうなるべく高く上げるようにして歩かなんだら、つまづいてこけまっせ、気ぃつけて帰りなはれや。

先日ある酒場で、アラエイ男二人の別れ際の会話。
アラエイとは今風に、アラウンド・エイティを略してみた。

「奴論建(どろんけん)」とは、オランダ語で酒に酔っ払った状態を言う言葉。

おぼつかない足元でも、前に進むものの後姿には、健気と哀愁と希望と可愛らしさが混在する。


歩こう 歩こう 私は元気  

の「隣のトトロ」の歌は、子供たちだけへの応援歌ではない。

隣のトロロへの賛美歌でもあるのだ。
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緒々に尽く。

2011-07-15 | 意匠芸術美術音楽
(妙 一字 千利休筆)

トメ ハネ オクリ 

筆致 リズムにバランス いずまいたたずまい の妙。


要するに人物の値打ちだけしか字は書けるものではないのです。
書けるというと語弊がありますが、字というものは人物価値以上に光らないものです。

とは、確か高名な叙述家の言葉。

字に限らず表現されるものにはそういう一面があるにはある。
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芸術的衝動。

2011-07-14 | 意匠芸術美術音楽
( 写真/細江英公 舞踏/土方巽 「鎌鼬」より)

感情などというものは、正確には伝えきれないものです。

惚れた晴れたの恋心でさえ、どこがどうと伝えきれるものではございません。

言葉で伝えきれないものを表現しようとすれば、どうしても芸術的手法をとることに衝き動かされる。


誰の言葉でしたか、こういうのがありました。

人は自分の言った事をすぐ忘れるし、したことも忘れっぽい。ですが、そのときの感情だけは決して忘れないのです。
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浮世の茶気。

2011-07-13 | 意匠芸術美術音楽
(画 河鍋暁斎)

ちょいとかわりもん という人に惹かれます。

お上を風刺したりして捕まっちゃったりしながらも、手を変え品を変えて反骨心を通すには、洒落や示唆や隠喩を表現する技術と、それを面白がるパトロンが欠かせません。

大上段に四面四角の旗本偏屈男と本流に合わせて生きるより、のびのびとおおらかに、ちょいとかわりのもんどのすけ で生きたりしたような人は、やっぱり面白いと思うのであります。
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