南無煩悩大菩薩

今日是好日也

無題

2015-07-31 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/source)

師の跡を求めず 師の求めたるところを求めよ

-空海-
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作為と無為。

2015-07-30 | 有屋無屋の遍路。
(photo/untitled)

その男は今生の別れに尋ねる、それに応えるものは嘘をつく、

その嘘は誰を救ったのか、救わなかったのか。(パリは燃えているか

誤解を恐れずに言うと「為」については、だれもが「作」か「無」かで惑う、それはつまり人の琴線に触れる葛藤だからだ。

「為す」とはありのままに生きることである。ありのままに生きるためには作為ではなく無理なく育つ何かが必要である。

「無為」とは、何事も為さないということではなく、「作為を為さない」ということを意味している。

・・とはゆうものの、為すことに私は素直でいられるだろうか。


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蝉しぐれの日々また

2015-07-29 | 有屋無屋の遍路。
(版画/前川千帆)

昭和20年、人々には糖分が絶対的に不足していたその時の発刊である「偲糖帖」にはこう書かれています。

‘昔狐にだまされた男が 馬の糞を牡丹餅だとおもって食った という話がある 

たとえ一時の迷いでも とにかく牡丹餅を食った男の心境 むしろ羨んでしかるべし だとおもう・・’

そして、これでもかこれでもかと執念の如く、世の中の甘いものというものが書き綴られています。

戦時も戦後も当時の人々は生と死を常時身近に体感していたことでしょう。

歌人の岡野弘彦氏は「冬の家族」所収で、

‘辛くして我が生き得しは彼等より狡猾なりし故にあらじか’

と詠み、

同じく歌人の雨宮雅子氏は「雲の午後」所収で、

‘生き残る必死と死にてゆく必死そのはざまにも米を磨ぎゐつ’

と詠みました。

毎夏ながらそぞろ覚ゆる今日この頃であります。
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「生きている」と「生きる」

2015-07-28 | 古今北東西南の切抜
(Gif/source)

‘生物学では生きものの性質として、膜による区切り、代謝、世代の継続(複製)、進化、の四つをあげる。

これを行う単位である細胞にはその特性を決めるゲノム(DNA)が入っている。

生きものは生まれ、育ち、老い、死ぬという過程を繰り返しており。そのために外から体を作る物質とエネルギーとを取り込み代謝とする。

そこで、膜は「閉じながら開いている」必要がある。

「食べる」ことで代謝を支え、動的平衡にあるのが「生きている」状態である。食べ過ぎると太るなど日常と結びついた働きである。

一方、世代の継続(複製)と進化は、長い時間の中で考えるものである。単細胞生物では細胞の複製が世代の交代になるが、私たち性のある生きものでは、受精によって生じる新しい組み合わせの唯一無二のゲノムを持つ個体が生まれる。

この組み合わせがどうなるかはまさに天の采配、「私たちの意思」でどうなるものでもない。

DNAは二重らせんという自分と同じものをつくるみごとな構造で各個体がその性質を保ち続ける同一性を保証する一方、ある頻度で必ず変化をする。

この同一性の保持と変化との微妙なバランスが進化を支え、生きものを三十八億年も続けて来させたのである。なんともうまくできている。

こうしてみると、四つの性質のうち、継続(複製)と進化こそ、「生きている」を支える自然の力といえる。長い長い時間の流れの中にあり、本来私たちの意思が関わらない力である。

「生きている」は三十八億年という長い時間を見る視点であり、継続(複製)と進化が基本となる。

一方「生きる」は一生という時間であり、ここでは「代謝」が重要である。

「生きている」に学びながらいかに「生きる」かを考えるのが、

生きものとしての人間のありようと言えよう’

(切抜/中村桂子「生きているを見つめ、生きるを考える」より)


Talking to Satie (Alessandra Celletti)
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マンタ、空を飛ぶ。

2015-07-26 | 世界の写窓から
(photo/source)

(video/マドレデウス 海と旋律)




何を夢見ていたのか誰も覚えていない

遠く空想の舟がまだ燃え続けている

私の夢はなかなか終わらない、眠らない魂に見守られて



私の夢はなかなか終わらない

私は目覚めたくない
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「老人と海」と少年

2015-07-25 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

‘釣れないときは魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい’

‘今はないものについて考えるときではない、今あるものでなにができるかを考えるときだ’

‘人間の価値は絶望的な敗北に直面していかにふるまうかにかかっている’

‘この世は素晴らしい、戦う価値がある’

-アーネスト・ヘミングウェイ-

Ernest Hemingway - The Old Man & the Sea / BVSC: Chan Chan
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監督の迷言。

2015-07-24 | 世界の写窓から
(photo/source)

今朝のことである。

就寝中に私の部屋は寒くて何度も目を覚ましたので家内にこう声をかけた。

「タオルケットだしといてくれるか」

その返事はこうであった。

「いらんやろ」

私は少し頭が混乱した。

そして私は何故か、長嶋茂雄監督のこのコメントを思い出した。

「うーん、この試合は、一点でも多く取った方が勝ちでしょう」

ついでにもう一つ、確か大リーグのケーシー・ステンゲル監督はこんなコメントを残した。

「私は、こんなことは一度も経験した事が無かった、そのたびにひどい目に合ってきた」

・・そのように監督たちは明るく言い放つものであるらしい。
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連れ持って行こら。

2015-07-23 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(GIF/source)

‘物事てえものは、うれしい前にはきまって、心配事や悲しいことがあるんです。

心配事や悲しいことから、うれしいことが生れてくるもんですナ。

タナからボタモチみたいなうれしいことなんて、ザラにありゃアしませんよ’ -古今亭志ん生-
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低コストの品質管理

2015-07-21 | 世界の写窓から
(photo/source)

品管:社長、生産のおばちゃんたちが売り物を盗み喰いして困ってるんですけど。

社長:しゃあないなぁ、まあそんなに喰えるもんでもなかろうしええのちゃうか、それだけわが社の商品が安心安全で美味いということや。

それを作っている者がタダでもいらんようなものを売ってもあきませんのや。
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浮世を泳ぐ技能

2015-07-18 | 古今北東西南の切抜
(design/source)

‘誰もが有意義な仕事をし、円満な家庭を築き、地域社会と関わり、そして内面も満ち足りた生活を送ることを望むが、その実現には四苦八苦している。すべてを両立させようという考えをすでに諦めてしまっている人もいる。

「ワーク・ライフ・バランス」の改善に真剣に取り組んでも、問題は解決しない。それはバランスを取ろうとすること自体が無意味である。見当違いのメタファー(暗喩)なのだ。

というのもバランスと言う言葉は、人生の四つの主な領域、すなわち「職場または学校」「家庭または家族」(その定義は問わない)「コミュニティ」(友人、隣人、宗教あるいは社会的なグループ)「自分自身」(心、身体、精神)の間で常にトレードオフ(取捨選択)しなければならないことを前提としているからだ。

より現実的な満足感が得られるのは、この四つの領域を満たす「四正面の勝利(フォー・ウェイ・ウインズ)」を目標として、人生における仕事とそれ以外の面の統合(=インテグレーション)を強めることである。

この結果、すべての面でのパフォーマンスが改善されることにもなる。

・・・思い通りの人生を送ることは、一種の技能である。音楽、執筆活動、踊り、スポーツと同じように練習すれば必ず上手になる。

まず三つの基本原則、「現実的である」「総合的である」「革新的である」から取り組んでみよう。

-スチュワートD・フリードマン「H.B.R2015.7月号」より-

「思い通りの人生を送ることは、一種の技能である。音楽、執筆活動、踊り、スポーツと同じように練習すれば必ず上手になる」。
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ある意味の機会主義者(オポチュニスト)

2015-07-17 | 古今北東西南の切抜
(GIF/source)

運動の第3法則(うんどうのだいさんほうそく、英: Newton's third law)というのは、力は相互作用によって生じるものであり、一方が受ける力と他方が受ける力は向きが反対で大きさが等しいと主張する経験則のことで、作用・反作用の法則とも呼ばれる。(切抜/参照

・・たとえばニュートンがたまたまリンゴの落ちる場面に遭遇しなかったら、物理学の発展はかなり遅れていたかもしれません。
誰でも同様に遭遇する機会に恵まれてはいても、「誰が」遭遇するかによって「機会損失」にならずに済む場合だっていっぱいあるでしょう。
何かと批判もあるオポチュニストですが、その機会を「誰が」「どう」活かすのかによってはとっても役立つ発見を促してくれそうです。

‘飛び跳ねるとちんちんは逆方向に揺れる’

ニュートンも‘裸でジャンプ’という遊びのなかから‘作用・反作用’のとっかかりをつかんだ。

・・そんなはずはありませんが、たとえそうであったとしたらその‘機会’に関してはなかなか言いづらいでしょうねぇ。
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宜しきかなの二人。

2015-07-15 | 世界の写窓から
(photo/source)

奇妙な果実がぶらさがってると、歌姫の

Billie Holiday-Strange fruit- HD


我が人生に悔いはないと、おっちゃんの



そえぞえ二人なりし、時代を汲んだ同い年、、ただ、仕舞は四十幾つと八十幾つであったそうな。

言う相手は聞いちゃいないだろうけれどもだ、生誕100年‘おめでとうございます’
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街角にて

2015-07-14 | 世界の写窓から
(photo/Bruce Davidson / USA. NYC. 1957. Lower East Side)

時に 全く関係もない 時に 

おっと、せや忘れるところやった、というよいうなものを取り戻す、時がある。


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無題

2015-07-14 | 意匠芸術美術音楽
(画/小杉放菴「奥の細道画冊」より)

いちはやく枯るる草なればみをむすぶ  -野村 朱鱗洞-

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申込者の好きな花

2015-07-13 | 世界の写窓から
(photo/original unknown)

梅も桜も牡丹もいらぬ早く返事を菊の花
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