南無煩悩大菩薩

今日是好日也

追憶。

2010-05-31 | つれづれの風景。

徘徊しては、写真を撮って、こうして載っけて、文章をつけている。

文章から先に入ることもある。

こういうことが出来るのは、記憶 という機能を僕が持っているからだ。


神は我々に 記憶 という素晴らしい能力を与えた。

そしてその整理方法は、個人に委ねる方策を採った。

記憶を圧縮し、その断片をそれと認め今に投影するのが、追憶 だ。

よい認識、よい思索、よい希望、追憶によって導き出されるのは、このようなものでないといけない。

たぶんそれを、神は我々に託したのではないだろうか。



こでまり、が咲いている。

僕は、小出真理さんという人のいることも知っている。

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秘仏。

2010-05-29 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

公益を目的とするのでない限り、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。

なぜならば、そうすることによって君は他の仕事をする機会を失うのだ。

すなわち、だれそれはなにをしているのだろうとか、なぜとか、何を考え、何を企んでいるとか、こんなことが君を呆然とさせ、自己の内なる指導理性を注意深く見守る妨げとなるのだ。

従って我々は思想の連鎖においてでたらめなことやむなしいことを避けなくてはならない。

またそれにもましておせっかいや意地の悪いことはことごとく避けなくてはならない。

-マルクス・アウレリウス-


他人のことをフガフガとのたまう前に、自身の秘めたる仏を育てなさい。

ということだろうか。
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世界は変えられる。

2010-05-28 | つれづれの風景。

「私にとって成功とは、世界にける有効性、すなわち自分の考えや価値を世界に持ち込めること-よい形で世界を変えられることである。」-マキシン・ホン・キングストン-


この路傍の草は、へらおおばこ というらしい。

外来の帰化種だという。

原産の地を離れて、新たな環境で新たな世界を創りだしているものはたくさんある。

ワシントンの桜だって素晴らしい景観を創っているという。


私にとっての成功とは、私の有効性、すなわち自分の考えや価値を、私を取り巻いている世界に持ち込めることで、新しいよりよい世界として、そこで共に過ごせることである。
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トップニュース。

2010-05-27 | つれづれの風景。

僕は、毎日マスメディアというものの伝えるニュースというものを目の当たりにしているけれど、

その中に、トップニュースというカテゴリーがあって、一番伝えたい大事な記事がここに来るらしい。

毎日毎日必ずなにかがトップニュースになる。


「今日はとてもいい日です。特に皆様にお出しするような記事になる嫌なニュースはございません」

たまには、こんなことがトップニュースになる日だってあっていいのではないかと思う。


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花一輪。

2010-05-26 | つれづれの風景。

なんらかの意思決定をするときは、

確率(これはわからない)よりも影響(これはわかるかもしれない)のほうに焦点を当てたほうがよさそうだ。


いつまでもあるとおもうな親と金
いつまでもないとおもうな運と災難。


いちりんそうが咲いている。


ふたつめも 咲こうとしている 一輪草


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男女の気風。

2010-05-25 | つれづれの風景。

破れ傘。

どうしても、「てめえら人間じゃねぇたたっ切ってやる」の破れ傘のヒーローを思い出す。

とうしゅうを とうしゅうしてまう やぶれがさ。



雪笹。

うってかわって、雪の結晶のようなゆきざさ。

破れ傘がバンカラな男気風なら、ゆきざさは繊細な女気風。


男と女、ゆきざさりじょう切っても切れないと人はいう。

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緑の川。

2010-05-24 | つれづれの風景。

川が緑である。

しかしそれは正確ではない。

現実には、自身の立ち居地と角度の関係上の色光が、輝度の差により、より鮮明な色として立ち現れている処の川面が偶然にもなだらかであるため、鏡面の役割を果たし、川が緑として視覚されているということになる。

僕はそこに緑の川を見たが、川自体が緑であるはずはないことを知っている。

しかしこのある種の小さな感動は、抑えがたく、緑の川としてそれをみる。

ただその出所が、その思うところに在るのか、その立ち居地に行き合わせた自らへの、その幸運を手に入れたことへの、なんとはなくの誇りのような、小さな優越感にあるのか、はたまたうたかたの情動の所為なのかはよくわからない。

そんなわけで、

実際僕は自分自身のことすらよくわからないということを体験的に知っているし、
また、当事者が自身を正確に捉えてはいないこともある、
ということも知っている。

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まことに咲く花。

2010-05-22 | 有屋無屋の遍路。

・・・長崎の岡政というデパートで僕の絵の展覧会があった。
食堂でめしを食べていると僕の目の前にいる人が、
「わしも山下清に毛が生えたような男です」とよその人に話していた。
僕はびっくりして僕に毛が生えるというのは、どういうわけですか?
どこに毛が生えるとあなたになるのですか?と聞いたら、みんながどっと笑った。

その人は僕の質問に答えてくれないで、にやにやしている。
僕は何でも知っているとおもう式場先生にそのわけを聞いた。
するとそれはちょっと説明しにくいが、似ているという言葉にいろをつけたのだと教えられた。
その「いろ」をつけるというのがまたわからないというと、いいまわしをかえるのだと聞かされた。

この前、鳥取の宿で近所で酒を飲んで夜遅くまで騒ぐ人があったので眠れなくて困るといったら先生は、それは災難というものだよと教えてくれた。
それから僕はちょっとつらいことがあると、すぐこの災難という言葉をつかうので、
君は京都で哲学という言葉を覚えて、むつかしいことになると「これは哲学ですか?」といったが、今度は災難をつかいだすのかと言われた。

すると、長崎で聞いた「清に毛が生えた」というのも、僕がこれから使うことになるのだろうか。

それにしても、清に毛が生えたというのは、どうもわけがわからない。
これは哲学よりもっとむつかしいようだ。
僕はもう三十四で毛はみんな生えているのに、このうえどこにどんな毛がはえるのだろうか。
僕は頭が悪いのでわからぬことが多いのです。
-山下清「日本ぶらりぶらり」より-


日本のゴッホ、放浪の天才画家といわれた、山下清さん。
その超然さは、なんだかとてもいいことを教えてくれるようです。
まことに咲く花のように。
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イエスかノーか。

2010-05-21 | 有屋無屋の遍路。

全てのクレタ人は嘘つきだ。とクレタ人が言った。

というパラドックスがある。

全てのクレタ人が嘘つきなら、この人もクレタ人だから嘘をついていることになり、いっていることは当たらないし、
もし本当のことなら、この人はクレタ人じゃない。

だから、この言い回しは信じられない。

そんななにゆうてるかわからん話を聞かされること、ありません?



ところで、夕日にクレタ太陽の塔の横顔を撮ってみた。

なかなかええ感じやないかと思っとりましたら、
クレタ部分じゃないところが、チューをせまるおっさんの顔に見えてきた。

岡本太郎さんはそこまで仕組んだんだろうかとも思ってみれば、

しょうもない嘘でない限り、

「ようわからん」ところを汲んでみるのもおもしろいなぁ。と思えてくるのでありました。

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競演共鳴。

2010-05-20 | つれづれの風景。

色が発するところ

風の向かうところ 

時の得失 場の揺堅

趣は共鳴を整える。


在所に一様なく、良否美醜確かなるもなし

一時の栄辱毀誉、懼(おそ)れるにあたわず

何誰問わず、必ずや一得あり。


己を競い、他と鳴らしめて、福と成す。

-無山人-

 
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無罫礙。

2010-05-19 | つれづれの風景。

道端の 槿(むくげ)は馬に 食われたり
-詠み人知らず-

馬が食ったのは、新芽の時だろうか、それとも秋の開花の時だったろうか。


無罣礙とは、般若心経に出てくるが、「むけげ」と発音する。

こだわりのない というような意味らしい。

馬の耳に念仏という諺もあるが、こだわらないほうが楽しいときもある。


馬がいつ食おうが、そんなことは知らなくても冒頭の句は、心に残る。

こだわってしまうことで、不毛を呼ぶことだってあるだろう。

槿、無罣礙、無毛々・・。

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つぎつぎにフィットネス。

2010-05-18 | 有屋無屋の遍路。

適応度地形(fitness landscape)という言葉があります。

進むにつれて新しい光景が現れるという、起伏のある地形上の動きとして、進化もおこるという考え方です。

ある革新的成長を成し遂げたとき、その成長が創発した地形自体に立てばまた新たな地平をみることになる。

直近の成功は、新しい挑戦を見通すための土台を築くこととなり、そのような見通しに立てる、つまり成長進化の適応度によって立ち現れる地形や景色も違ってくるということだと思われます。

そこに至ったなら、そこからまた違う地平と景色を見るための、そこを離れ越えて歩くという、次の革新的成長を欲するのです。



要するにその向こうに何があるかは、その向こうを見えるところまで行かなければ分からないのです。

それは花園であったりするかもしれないし、花園で無かったりするかもしれない。

そんなことは、おかまいなしです。
前後どっちが良かったとかも、詮無いことです。

フィットネス ランドスケープ。

なんとなくいってみたくなる言葉じゃありませんか。
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新緑共感。

2010-05-17 | つれづれの風景。

目に青葉、やま時鳥、初鰹。

女房を質に入れてでも食わなきゃいけない初鰹、

時を忘れるほど探しても聞きたいホトトギスの声。

これが先途と鮮度まぶしい新緑清。


旨味よりも、こってりよりも、初鰹かつ若鮎のようなこの季節。

以前僕も、君たちのような時はあったのだよ。

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ちょっとしたまのつぶやき。

2010-05-15 | 有屋無屋の遍路。

うりもんやのに、うらないとは、これいかに。
不足していても、たるというがごとし。

そういえば、先日昼飯に洋食屋へ行った。
トンカツにチキンカツにビフカツなど、若いときはガツガツ食ったものだが、この頃はたまにしか食べない。
今の若者たちはどうかと店主に問えば、彼らはもっぱらコンカツらしい。
ガツガツ食えば、どんな味がするのだろう。

そういえば、誰かの迷言にこんなのがあった。
「結婚とは、判断力の欠如であり、離婚とは忍耐力の欠如であり、再婚とは記憶力の欠如である。」

男女に限らず、判断と忍耐と記憶の力の低下は、考えものだ。


子供店長なるものも、いまどき流行っているようだ。
子供に店長をさせて、知識や責任感等において消費者利益を確保できるのかということと、市場社会での精神的な重圧を幼いものに与えて障害が残らないのかという問題を危惧していたら、
こんど予定されている国政選挙の立候補予定者をみていて、ああ、時代はこうゆうものか、流行をなめてはいけないなと妙に合点がいった。


世の中を見回すと、ギリシャは生きるか死ぬかギリギリシャとなっており、中国の万博は入場者の低迷で、ちゅうか人民今日は来い、になっておる。英国では二大政党が過半数に届かず連立でキャメロン首相が誕生する。ポリシーの違う連立で、どこぞの国のように政策がキャメレオンにならないか、危惧されているようだ。


先日大阪では、公園のチューリップが千本単位で、何者かに首から先を切り落とされるという事件が2件も続いた。
これはいかん。地元の人の丹精を辱め、市民の憩いの場を踏みにじるとんでもない行為。
もはや、アホやバカや腹黒さといったものを通り越して、悪意以外の何者でもない。
わしは、怒っておる。
このやるせなさは、柳川ブルースの比ではないのだ。


つぶやきといえば、ツイッターなるものも流行っているらしい。これで短文のやりとりをするようだ。
「昨日は三重県にいたんだって?」「うん。津行ったー」なんてやり取りをするのである。


ちょっとしたまのつもりがながいつぶやきになってしまった。

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おしえる。

2010-05-14 | つれづれの風景。

D51(ディーごじゅういち)型蒸気機関車、通称デコイチ。

かって、ナンダサカコンナサカと、にっぽんの高度成長を引っ張った。



役目を終えて動かないデコイチを見下ろして、静かにモノレールが走る。




ビックリ!

するような世代交代や移り変わりは、いつでも必ず起こるもんだ。

と、そのモニュメントはわたしにえすえる。

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