南無煩悩大菩薩

今日是好日也

本物。

2006-10-31 | 酔唄抄。

青空にぽっかり浮かぶパナマ帽。

持ち主は大竹さん。

60年続くバーSの2代目マスター。

偶然にも休日のある日。パタリと出合ったひとこま。

趣味の水彩画をほんわかと描いていはりました。



私は、人というものは人で育つものと思っております。

本物に出会ってこそ、本物の尊さがわかる。

人が人の中に入っていくことで、人は人になる。

さほどもない私が、まがりなりにも世の中を泳げていけるのは、酔い場での勉強のおかげであります。

先出の大竹さんのみならず、わたしがわたしらしく酔うことをお許しくださる本物どころがございます。

昨年創業50年を迎えられた、井畑さん。初代にあたる母君と共に創りあげたバーMの歴史そのものの2代目マスター。

大阪の高級料亭Y屋にはじまり、老舗Fを経て、独立26年目のバーFの初代マスター福永さん。

青きばか者の折より、怒られながらも、なついてしまったどうしようもない私に、今尚本物を見せ続けてくれるバー。

反省する。からはじまり、気付き学び、憂いを落とし、活力を頂く。

二流でも一流の中に入れてもらえることで、努めるべき「らしさ」を知る。

継続される店。継続される顧客。継続される文化。継続される味。

本物でしかありえない何かが詰まっている。それが私の好きな酔い場であります。

よい店には、必ずよい顧客がいる。

私に無いものが私を酔いに導く。

井畑さんと、3代目マー君。
福永さんと、2代目マサやん。
大竹さんと、3代目ジュンペイ君、御伴侶の照枝姉さん。

本物の伝承の姿がそこに垣間見られるのでございます。

がつんと一発やられるのであります。



「酔唄抄」というものを書き綴ってみようと考えたのは、マスターの坂尻さんが手塩にかけて育むSバーでのこと。

酔うほどに、わたしのわたしらしさは酔うことだとおもいつくまま、邪魔にならない程度に、酔うことを唄ってみたいとおもったのであります。



私は何故か、竹笛を今吹いている。

どちらさまにも迷惑をかけている。

よい人にめぐり逢え、よい思い出に吹いている。

本物のホトトギスには程遠いけれど、吹くことに私を動かすものは本当であります。


私の場合。本物を探すと言うことは。
本物の中で酔っ払ってみる。ということなのであります。

よい店とよい顧客の力を借りて、私が私の中に入っていくのであります。

本物の中に身をおくと、偽者はすばらしく偽者になるのです。

弱い私を見つけて叩き直すのであります。

私は幸せですが、皆様にはご迷惑をかけていることの感は禁じえないのであります。

お許しも兼ねて。酔唄抄。

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分配の法則。

2006-10-30 | 有屋無屋の遍路。

ゴットハンド。

見えざる神の手。と言う言葉が経済学にはたびたび登場する。

この地球上の全人口の内、最も豊かな5分の1が80%の資源を所有し、最も貧しい5分の1は、0.5%の資源しか所有できていない。らしい。

ブラジルにおいては、5%の人間が80%の資源を所有している。等とも言われる。

果たして「神の手」なるものは、いかがなるものか。

市場経済と銘打つのであれば、そこにある大事なものとは、均等に機会が与えられているかどうかが重要だろう。

日本国内の動向においても、所得格差云々は、笛吹けど踊りもせぬプリマドンナがぎょうさんたむろしているような状況にも思える。

誤解を恐れずに言えば、
そこには、果たして統計上の数字が、均等な機会の結果であるのか、むしろ与える者&施される者と言う構図の欺瞞ではないのか。という単純な疑問が払拭されていないからだといえまいか。

発展途上の国々や一部の過大格差社会に見られる、充分学習はおろか、絶対的学習レベルにおいてさえも、貧困のスパイラルに落ち込み抜け出せない多数の人間のいる国々と、動機・意欲の云々は別にしても、識字率、就学率、進学率、求人率、どれをとっても世界の最高水準にあるわが国の事情とは決定的に違う。

「健康で文化的な最低限の生活を有する為」の教育と援助は間違いなく受け取る権利があるが、それ以外は、市場経済をもし標榜するのであれば、「神の手」を無為にいじくりまわしてはなるまい。

もし、努力によって手に入れられた資源を、自分や自分の類系、意図する目的に使うことに制約が課せられたならば、何の為の努力だと言うのだろう。

統制経済は「人間を平等に貧乏にした」自由経済は「人間を不平等に金持ちにした」とはよく言われることである。

我々は、みえざる「神の手」である、ある種類の「分配の法則」下で生きている。

つまり、その法則を見破ったものが、「資源を得る」という一種の配分を手にする。そして新たでより整合性のあるルールを導き出すだろう。

そのために、努力をしている。

遊びでもゲームでもそうだが、約束された「均等なる分配」であれば面白くもなんともない。誰が努力をするのだ。そんなもん。

「均等なる機会」があり、「厳正なるルール」が会って初めて、すこぶる面白いゲームが出来る。

見合わないゲームに気付けば、自分に合った違うゲームをきっと選びだし取り組むだろう。
それこそが、適時適切、融通無碍、人材の多様化と、人生の納得を得るための、努力機会の発見だ。


先般、ノーベル平和賞を受賞された、バングラデシュはグラミン銀行の創設者、ムハマド・ユヌス氏。
私は、真の経済人を見たような気がした。

かの国の、分配の法則に、痛烈な一撃を与えた。快挙だと思う由縁であります。
経済人の枠さえも超越していると思う。

負のスパイラルに、差し伸べられた、神の手である。

私は思う。
機会の均等を一度経験したものは、分配を均等化しよとする権力との優秀なソルジャーになり得る。

何もしないで食おうとする人間を衰退させ、努力し前向きに生きながらも、機会に恵まれない人間を引き上げる。
分配の法則も世につれ人につれ。


もしかしたらドラッカーさんが予見した、NPO型自由社会の到来はすでに始っているのかもしれまへん。
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成就の秘訣。

2006-10-28 | 日日是好日。

勝負は下駄をはくまでわからない。

人は骨になるまで。


成功への道は、持った願いにためらうことなく精進を重ねることにあるだろうことは、察しがつく。が、果たせるかな秘訣と言うほどには無い。

勝ち達磨に託した意志が成就に帰するかは、運の関与する仕業も多いに違いない。


それぞれの意志が重なり合っている。

それぞれの願いが充満している。


耐え切れずに投げ出したくなるときもあるだろう。
うまくいかない至らなさに自己嫌悪に張り裂けそうになることもあるだろう。

グッと踏みとどまり、再びの聡明を取り戻さない限り、成功や成就は遠ざかる。


心を広く持ち。
勇気にあふれ。
意志と能力を兼ね備え。
相手の立場に立って物事を考える。
達磨さんに約束するのは、そのことを忘れないように止まれる心。
逆境にあっても、そのことを思い出せる自分でいられる心。

その心の持ちようが秘訣を産むものだと思いたい。



決してあきらめない。
いつか必ず成る。
運を引寄せられるほどにも成りうる意志と勇気の表明。
積み重ねられた思いの勝ち達磨。


彼らは決して秘訣を語ってはくれないが。
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草の実。

2006-10-27 | つれづれの風景。

草の実飛んだ。尾根まで飛んだ。

はじけて飛んで。開いて落ちた。

風風吹いて。はじけて飛んだ。

・・・。

さらば草の実よ。飛び立つ船は。

タイムカプセル。ヤマヘ。

群生かなた。いにしえの土地。運命背負い。いまはじけとぶ。

かならず土地で。根付いてみせる。これがわれらの。挑戦ならば。

はるばるのぞみ。今はじける。草の実よ。


・・・。

なんの脈絡もなく。あたまをよぎるメロディ。

わたしの頭の。ねじも飛んだ。

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陰陽。

2006-10-26 | つれづれの風景。

印象派の絵画の感銘は光によるところも多い。

モネさんの筆致をまじかにみたときは、まじかよ!と思わずうなった。

これぞ印象派。

道教であればインヤンの思想。

イヤヤン!なぞといってはいけない。
陰陽が、インパクトとなり奥深さとなり、鮮烈となる。

日向で咲くヒーローには、日陰で支える実質的栄養分なる人々が不可欠なのだ。

「光を写しとるより、印象としての日陰を産みだすほうが随分と手間と技量をようする。」
とモネさんが言ったかどうかは知らないけれども、言ってほしいなぁ。と僕は思う。

自然が現す印象。それを掴み取り違った形でビジュアルスキャンダルを産みだす芸術家。類まれなるその印象。

どちらも、どっちにでも還元可能なものは、本当の意味での真実であり、真理であるのではなかろうか。

陰陽だ。明るいほうばかりに目を向けてはなるまい。

きっと。眼をやられる。
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ほしょく。

2006-10-25 | つれづれの風景。

なにかを捕食しようとしているのか。

天敵の捕食から逃れようとしているのか。

うまいことに補色の関係が出来上がっている。


バッタと倒れているわけではあるまい。

緋繊の上で茶を一服。という感でもある。

自然の色彩というものは、色相環のなかで、回りながら落ち着くものに思える。

朱によもぎ。
花に虫。

正反対に位置するようなものが、残像として己に残る。

人の振り見て我が振りなおせ。

ということだろうか。
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多聞天。

2006-10-23 | 日日是好日。

又の名を、毘沙門天。

四天王の内、聞くことの大事を解く知恵者。

顔つきに似合わず聞き上手なのである。


「ゴールデンサイレンス」と言う言葉がある。

黄金の沈黙。
営業マンのテクニックとしても知られているが、日々の生活でも重要なファクターだろう。

つまりはこういうことらしい。
ちゃんと聞く耳を持って、それを己の知恵にするには、沈黙の大切さを知れ。と。

通常顧客にセールスを仕掛ける場合、喋り過ぎる人間は多い。
しゃべるしゃべるスコップのように。
これではまずい。「あなたのことなんか考えてませんよ」といっているようなもの。
自我、自己都合まるだし。

本当に相手のニーズやウォンツを聞き出す為には、聞かなければいけない。
8割は聞き方に徹して先方を汲む。これが「黄金の沈黙」だ。


小さきといえども。
幼いといえども。
格下目下糸目つけず。

本当の知恵をつけたいならば、全て一切を聞き漏らさぬ知恵者、「多聞天」にあやからなければなるまい。

屈辱であろうが、侮辱であろうが、消え入るほど悲しいことであっても、聞くことの大事さよ。

「いいことばかりよりも、辛いことを聞くほうが知恵者になれるんだ。」

そんなことを思わす、多聞天いやさ毘沙門天様でございまする。

おおきに。
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危険地帯。

2006-10-20 | 有屋無屋の遍路。

落ち込めば地獄のあり地獄。そのまま天国に直行。

なにもボーとしている「うす馬鹿野郎」の蟻だけが落ち込むのではございません。
「うすばかげろう」の巣だからといっても・・。

などと馬鹿なことをいってられるのは、小生だけでありまして、蟻にとっては危険な地帯なのであります。

・・・。


落ち込み捉えられ引きずりこまれるか、砂吹き攻撃にも負けず、這い上がり逃れきれるかの壮絶なるバトルが繰り広げられるのでございます。

巣の幼虫の鋭い牙に捕らえられた蟻は、体液を吸い取られ、カラカラの骸を外に放り出される痛ましさ。

勝負はサイズ。蟻の大きさと巣の大きさの比例関係で決まるようでございます。

嘘ではございません。
蟻をあり地獄に放り込んでの、実証研究を何回となく行っております。
もちろん。随分前の若気の至りの頃でございます。
さぞかし蟻にとっては悪魔。巣にとっては天使であったことでございましょう。

いや。言いえれば、餓えた鬼でございました。
いわゆる、くそガキ。

なんせ。蟻が逃げ出したら、捕まえてもう一回り大きな巣に投げ込む。
もし捕らえられたら、巣の中をほじくりまわし幼虫と蟻を引っ張り出す。
もうそれは。蟻も巣もぐちゃぐちゃ・・。

なにしろクソガキですから、あれこれ言わずお許し下さいませ。
大体こういう地帯は、森の中の神社仏閣の類の裏手の床下などに多うございます。
私にとってもその場所に長くうずくまるわけですから、やぶ蚊に刺されること尋常ではありません。至る所血だらけなわけです。いわゆる危険な地帯の共有者と言えなくもありませんでした。

研究や経験は、自己犠牲なくしてはままならないものと、思う由縁でございます。

ちなみに、子供の小さな小指の先で、すり鉢状の巣に軽く円を描いてぽろぽろと砂を落としてやると、蟻と間違えて攻撃して参ります。そのようなフェイクも覚えたことでした。

壊された巣もやがて何事もなかったように元通りになり、蟻も減ることはなかったものですから、私は思いつけばあり地獄に行きうっぷんを晴らし、研究を重ねたのでございます。


やがて大人になって想いますに、このような幾つもの事柄つまり、クソ餓鬼の頃の経験はクソ餓鬼の頃にしといたほうがよいと考えております。

転じて。

大人には許されないことは、子供の内に。
ええ歳になって恥ずかしいことは、若い内に。
死んでも死にきれないことは、生きている内に。

やらされるのではなく、素直にしたいことをしておくということの大事さを思わずにはいられないのであります。

蟻にとっての危険な地帯、あり地獄郡を見ておりますと、なぜかしらそのようなことを思い出しつつ、これから巡りくるであろう危険について考えてしまいます。

何かと物騒な世の中でございます。もちろん、はなから危険なことに近寄らないことは言うまでもありますまい。

ただ。
ついつい。危険な香に誘われる。ということは人生にもついて回るものと聞き及んでおります。

つまるところ危険地帯とはつゆにも思いよらないところで危機に遭遇してしまうことが、どうにもこうにも一番危険であり、逃れる術といえば、素直にしたいことをして得たなにがしかの成果より他、無いように思うのでございます。

話が飛んでしまいました。
そろそろ私の脳細胞も「危険地帯」に入ったようです。



最後に一つだけ。
ある日の事。一匹の蟻があり地獄に落ち込みました。
すり鉢状のあり地獄では、そのすり鉢を真っ直ぐに登ろうとすると足を取られます。しかしその蟻は円を描いて周りながら飽くことなく、ぐるぐると悪戦苦闘の登山を続け、ついには追っ手を振り切って危機を脱しました。
その蟻は足の片側だけ何本か千切れておりました。
そのおかげでもありましょうか、自然とそのような逃げ方になったようでございます。
私はその蟻に、クソ餓鬼なりの敬意を表し、そのまま見逃したような気がいたします。

今にして思うに、私もこうして何とか生きていると言うことは、何か千切れていて、悪魔か天使かクソ餓鬼かはわかりませんが、私の知らない何者かが、見逃してくれているようにも、思えてくるのです。

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献身。

2006-10-19 | つれづれの風景。

やられた。とみるか。

さもありなん。もういいかい。とみるか。


身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。


献身とは、理論で考えるものでは無いだろう。

やむにやまれぬその心持によってこそ成り立つ。

葉っぱにしてみれば、「食わしてやったぞ。こんな姿にしおって。」とは言わない。

マザーテレサさんが自らを捨つるようにて、子供達を慈しむのも同様。

親がひざをかじられるのも同様。

先輩が後輩にたかられるのもほぼ同様。

助けた亀に玉手箱をねだらないのも、まずもって同様。


この葉っぱを小生は美しいと思う。

それはしかし。受けた献身が、又与える献身になっているからだ。

お金も献身もそうであろうが。自分だけのところで溜め込んでは美しくない。

堤防を作ると、生態系は壊れ、水は腐るものよのう。


葉の献身の風景。
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燃え葉。

2006-10-18 | つれづれの風景。

赤銅色に日々刻々、燃えて深まる葉。

落葉のその日まで。

もえる。もえよ。もやせ。

春に芽夏萌え秋燃え冬待つ落ち葉。

忌憚の無いその姿か。

う~ん。深い。

おみそれいたしました。
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ラッパのマーク。

2006-10-17 | つれづれの風景。

ぱっぱらぱっぱぱっぱらぱっぱ。ぱっぱぱっぱぱー。

誰がぱっぱらぱーやねん。

・・ひとりつっこみはちと寂し。・・。


白地に赤く。やね。

進軍ラッパ。


なんというか。花芯がラッパに見えたのでございます。

しかしこの配色と、この突起と、花弁のありようにも、何かの意味があるんでございましょう。

なんだろうなぁ。


あんたわからん。わてもわからん。ほなさいなら。

ぱっぱらぱっぱぱっぱらぱっぱぱっぱぱぱぱー。

愚禿が行く。

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滝連撮ろう。1.

2006-10-16 | つれづれの風景。

一番行きまっせ。

「春高楼の花の宴 巡るさかづき 影さして
 千代の松が枝分け出でし 昔の光今いずこ」

荒城の月やおまへんか。
滝廉太郎さんですなぁ。

ええ詞ですわ。なんしか、連相しましたんや。
癒し効果抜群。フィトンチッドもぎょうさんあります。
上のほうは、春らしい風景で。こう、なんちゅうか勢いがあります。
下のほうはどないでっしゃろ。


荒城の月と、滝借景。
しかし。この無常観は案外癒しになるとおもうのでございます。
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滝連撮ろう。2.

2006-10-16 | つれづれの風景。

2番いきまっせ。

「秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
 植うる剣に照り沿いし 昔の光今いずこ」

だから。滝廉太郎さんの荒城の月でっしゃろ。

いやまぁ。滝があったもんですから、連続して撮ったろうおもいましてん。


苦しい題名つけてなんですのん。

まあまあ。下のほうは秋らしいやないですか。
漂ってくる、しぶきがよろしい。
スーパーでは売ってませんけど、イオン効果が高いのであります。



夏冬変わらず、落ちて流れて、箕面(みのう)の滝。

常盛必静輪廻のことわりの風景。
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抱清流雲。

2006-10-15 | つれづれの風景。

ゆったりと青さを抱いて。

流れる薄筋雲。

何処に流れる。はるかなるかその消え入る天上。

誘われて。浮き立つ心。

さて。わがみもかぜのふくまま。

握り飯と水筒の抱けるまま。


徘徊の浮浪のその先の楽園。
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アーユーOK?

2006-10-14 | つれづれの風景。

なんや。OKサインかいな。

ゼニには困ってますけど。サンクスアロット。

どうも草にまで心配されてます。

ピースサインにも似ている。

羊歯が僕にアプローチしているようだ。

・・・。

だいじょうぶ?と声をかけられることがある。

だいじょうぶじゃないから、困っているときに。

または、
頑張ってもどうにもならんで途方に暮れているのに、「大変やねぇ。頑張りや」と言われた日には、ぐれてやろうかと思ったりする。

ま。相手にもよりますがね。


何かのトラブルがあった時のアプローチは考えものだ。

受け取る人の気持ちが尊重されねばうまくない。

言葉よりも伝えやすい優しさもあろう。

無言劇。

アーユーOK?

・・・。


植物や動物に元気を貰ったりできるのはそういうこと。

言えばいい。というもんでもないところに、思いやりがあったりするなぁ。

見守ったり。見守られたり。
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