南無煩悩大菩薩

今日是好日也

頌春

2018-01-01 | なんとなく落書。

-過日、之に遭うも猶顧みず- 

平たく言うと、原節子さんの、「過ぎてしまったことですもの」というセリフのようなこと。

-来日、未だ知らず追尋なし-

平たく言うと、「未知をこえて不可知であることぐらいわかる」というようなこと。

差し障りは在るとしても、蟠(わだかま)りは無しでいきたい、というようなことの書初めを心の紙に書いて。

平成三〇年一月一日、あけましておめでとうございます。
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悩めるとき

2016-08-26 | なんとなく落書。

その問題を解決するのに

最も簡単な方法は、

その存在を否定することである。
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如何ともしがたき表層にて。

2014-07-14 | なんとなく落書。

「致知在格物(知を致すは物に格(いた)るに在り)と経文にある。その意味するところは、もし我々が己の知を完全無欠にしようと望むならば、経験界に存在する一々の物について、それぞれの理(本質)を窮め尽くそうとする努力が必要だ、という。思うに、人は誰でも、その霊妙な心のうちに必ず知(事物の本質認知の能力)を備えており、他方、天下に存在する事物、一つとして本来的に理を備えていないものはない。ただ(心の表層能力だけしか働いていない普通の状態においては)事物の理を窮めるということができない。つまり、せっかく人間の心に備わる知もその本来の機能を充分に果すことができないというわけだ。されば、儒教伝統における高等教育においては、必ずまず何よりも真っ先に、学人たちに、自分がすでに理解しているかぎりの事物の理を本として、およそ天下に存在するすべての事物の理を次々に窮め、ついにその至極に到達することを要求する。こうして努力を続けること久しきに及べば、ある時点に至って突如、豁然として貫通するものだ。そうなれば、一切の事物の表も裏も、精も粗も、あますところなく開示されるとともに、(あらゆる理を一に蔵めて内含する)己れの心の本体がそっくりそのまま開顕し、同時にその心の広大無辺の働きが残りなく明らかになる」。-朱子曰く、「大学章句」五章補伝-

つれづれに文字は読めても、その指し示す先は・・なんとも・・‘脱然貫通の雲遠く’・・物に格(いた)るの取り柄も別なし。

ただ、その文字を雑記帳になんとなく落書きするのみであった。
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観自在

2013-03-13 | なんとなく落書。

いまに在る、いまに至る、自分を素直に観てみることがちょっとだけ上手になってきているようだ。

お、今わしはけしからん事を考えたぞ!、と、けしからんことを想った自分をけしからん奴だと、意識できるようになった。

これは恐ろしいことである。煩悶の、矛盾の、自己嫌悪の、「種」を創ってしまう。

常にもっと包括的な定義を創らなければ追いつかないのである。

えらいこっちゃ。と思いながらもしかし、恐いもの見たさが勝つ。

南無観世音、腹を据えて、菩薩。
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しったらば。

2013-02-18 | なんとなく落書。

わしゃてっきり蟹と思うておったが、やどかりの仲間らしいタラバは、足の本数が足らば蟹になるらしい。

そうするとタラバガニというのも妖しい呼び方になりますねぇ。

そんなことも知らなんだとは、他にもぎょうさんわしゃてっきりと思い込んでおるのでしょうなぁ。

まっすぐにいってるつもりが横歩き。
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道行く前提が変わると知識は逆転する。

2012-10-05 | なんとなく落書。

目の見えない人は、視覚情報の不足、行動の不自由、知識習得手段の不備など、悩ましい問題にとらわれてしまいます。

確かに目明きの私たちは、いくらかよくものを見ることができ、情報もたくさん入ってきますが、

なんやかんやいって、実際のところたいした知識にはなっていないようです。

自分で思っているよりもはるかに無知なのはほぼ間違いありません。

-提燈が消えて座頭に手をひかれ-

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暑気払い。

2012-07-17 | なんとなく落書。

あつい!クラクラする。

今日は税金の支払いやら何やらで外を歩いて回った、これは初期払い。

日差しにクラクラ 酒場でクラクラ 帰って預金通帳を見てクラクラ。

そんな毎日である。
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通の間接話法。

2011-07-22 | なんとなく落書。

・・・どこの女郎衆だって、あんな甚助(やきもちやき)のうぬぼれをとりとめるものがあったら、かけざんす。
そして、ふだんのようすといやア、麻風呂敷に茄子(ぎすぎすする)で、
いうことが蜻蛉にサの字(キザ)でサ。
おれのあそびかたはどうだの、こうだのと、通(つう)がっているンざんすが、
田印(たじるし)の青竹(いなかもののなまぎき)は、
牛に花りん糖(モウモウコリゴリ)ざんすヨ。
-仮名垣魯文「安愚楽鍋」より-


物言いが 通 ですなぁ。

丸い卵も切りよで四角 ものも言いよで 角が立つ。
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して覚える。

2011-06-11 | なんとなく落書。

喧嘩の良いところは、仲直りができることね。
-映画「ジャイアンツ」より-
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ついてはなれて。

2011-04-09 | なんとなく落書。

先日、プレゼントで帽子(ハット)をある方々から頂きました。

キャップやハンチングと感じが違うので、どうなんだろうと少し照れながら被っておりましたら、「あ、やっぱりよくお似合いです」といわれました。

お世辞とはわかっていながらも、すこし安心する自分を感じ、声をかけられることの有難さを思いました。

そのときにふと、お世辞とソーセイジは発音が似ている、と思い笑みを浮かべたものです。

これを書いていてまたふと、ある小噺を思い出しました。

「隣の肉屋に双子が産まれたんだってねぇ、これがほんとのソーセイジ。」


はかなくもしょーもなくも少し楽しい、そんな日常を、生きています。
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聞見得。

2011-04-08 | なんとなく落書。

古人曰く、
聞くべし、見るべし、得るべし、
得らざれば見るべし、見ざれば聞くべし

体得、感得たがわず、「得る」ことを得ようとすれば、まず聞いて、それから自分で見て、得るように心がけましょう。
もし得ることを「得られない」場合は、しっかり見直しましょう、もし見ることも「得られない」場合は、もう一度聞き直してみましょう。

ということでしょうか。

30億のゲノムの内、人とチンパンジーの違いは、1.23%でしかない。ともいわれます。

大きな違いを生み出すのは、ほんのわずかな差ではありながらもその「会得」に関わっているようです。
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頭で考えず胸に聞く。

2011-03-08 | なんとなく落書。

知覚には、常に存在するものを背景のノイズとして処理し、弱めると言う傾向がある。
だから、自分の体臭は感じないし、衣服や眼鏡が肌に触れていることも忘れている。

考え直してみよう、というような感覚が起こるのは、それに値する知覚を呼び覚ますなんらかの事件が起こっている。

常に与えられていることで忘れていたものが、今までは何も感じなかったものが、急に存在感を持って迫ってくる時がある。

感じなくなっていることで、そのありがたみを忘れるという癖を我々は持っている。


今までやってこれたのは、わたしが ということではなく、その人たちがいてくれたおかげだ。
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みそとくそ。

2011-03-04 | なんとなく落書。

身分に順があるなんてことは、明治のお役人が宣伝したのよ

だまされちゃいけねぇ、悪しき前例を破ったなんていう大儀がなけりゃ吾身の正当性がうしなわれちまうからさ

身分の順であれこれ争ってるのは、お侍の中だけのはなしだろ

庶民は、なんやそれってなもんよ

だいたい貴いの賎しいのなんてものはねぇんだ、それを強欲に自分の都合のいいようにしちまうから、暴動なんてものが起こるのさ

そうでなきゃお江戸は400年ももつかってんだ。
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爺の図。

2011-02-15 | なんとなく落書。

鶴は千年、亀は万年、私は天年、

と幾つまでこの身がもつかは天のみぞしるのですが、

どうせなら、息子の嫁の尻をなでても許されるような、そんな爺にわたしはなりたい。
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猫図。

2011-01-29 | なんとなく落書。

昨今、体も態度もいわゆるふてぶてしさを身につけたようだ。

おまえはいいねぇ。



昔は猫をかぶっていたというか幼かったというか。
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