南無煩悩大菩薩

今日是好日也

海へ

2020-02-29 | つれづれの風景。
(illustration/source)

えーと、できれば、ですけど、おもってみたら、どうでしょう、成層圏よりもずっと大きい、海のこと。とかですけど。

Keep Calm and Wash Your Hands Often

Mecano - Hijo de la Luna (Videoclip)
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感性は借りられない

2020-02-28 | 意匠芸術美術音楽
(painting/Kandinsky Portrait Bauhaus Movement Modern Art Russian © Santiago Crescimone)

前衛とかモダンとかもしくは、クラシックとかコンテンポラリー、ヒストリーとかサイエンスとか。もしくは何らかの重力もしくは引力的なものもそこに働くのだろうか。

私は識ってみたいけれど出来ないであろうことを慕っている、つまり借り物でない感性を発揮したとき、今まで大事にしてきたものが破綻するのに耐えうる何かが産れるのかどうかということについて。

CYMATICS: Science Vs. Music - Nigel Stanford
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忙中閑

2020-02-27 | 世界の写窓から
(photo/source)

お、そんなとこで何しとるん?

てか、勝負をかけているときほど、もちたいのが、余裕である。
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走るよまだ。Beyond the Knowing

2020-02-26 | 有屋無屋の遍路。
(picture/source)

汝、その肉体と精神は、何をどう信じ,生きて来たかと言う事のアーカイブである、としかいいようがない。これからもそれからも。

出来んなんて言わんでくれ。


quote/Juan José Méndez)

Buckethead - Beyond the Knowing (Electric Sea)
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The Thinker

2020-02-23 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(picture/source)

みるところ花にあらずということなし。おもうところ月にあらずということなし。

Gary Girouard - The Thinker


紫式部も、マルセル・プルーストも、芭蕉も、利休も、ディオゲネスも陶淵明も、白隠も盤珪も、いわんや、あなたやわたしまで。

The Thinker ではないということがあろうはずもない。


(photo/source)

音「ね」はあげるものではなく、効かすものでありたい。

思考(かんがえかた)は、外壁を造るものではなく、内壁を壊すものでありたい。
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Paint It, Black

2020-02-21 | 意匠芸術美術音楽
(painting/Attila Szűcs)

ー考えたことがある 私を落ち着かせるものは何か 緊急救命室に行って何かを飲まされた はきそうだった

ロラゼパムという薬だ テレビを観てて思ったんだ 落ち着かせるのは煙草だと

そのとき絶望感があって煙草を試そうと思った 私の喫煙は 体に影響を及ぼすようなものじゃない

煙草を進めるシーンを観て たぶんこれがいいと思ったんだ 煙草は習慣じゃないんだ

コレをすてるアレがない もう吸ってしまった クラクラする 空腹で吸ったからか 座らなきゃ

私はどうしたんだ なぜこんなに緊張するんだ 何がいけないんだ SF番組のように バルカン星人に なってしまえば みんなもっと楽になる

番組の話じゃない 現実の話だ 感情を失くすという意味だ そうすればイライラしない でも人類がそこに至るまで 100万年はかかるだろう

自分の才能がどうであれ 人は皆 役に立つ人間でありたいと思う だから人は各々違うけど同じともいえる 

世の中には無数の物語がある これは一例だ これが私に出来る最大限の事だ 

(映画/「美術館を手玉にとった男」より)

Klaus Nomi - The Cold Song


わたしは私以外の人をおかしいと思うかもしれない。でもおかしいをきずかないわたしをだれがおかしいといえるのだろうか。
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新しいアイディアが難しいのではなく、古いアイディアを捨てることが難しい。

2020-02-21 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

‘‘歴史とはこれでいいのであろうか?’’

文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。

アシュル・バニ・アパル大王は巨眼縮髪の老博士ナブ・アヘ・エリバを召めして、この未知の精霊についての研究を命じた。

文字に霊ありや無しやを、彼は自力で解決せねばならぬ。博士は書物を離れ、ただ一つの文字を前に、終日それと睨めっこをして過した。凝視と静観とによって真実を見出そうとしたのである。そのうちに、おかしな事が起った。一つの文字を長く見つめているうちに、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とをもつことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。

ナブ・アヘ・エリバは、生れて初めてこの不思議な事実を発見して、おどろいた。今まで七十年の間当然と思って看過していたことが、けっして当然でも必然でもない。彼は眼から鱗の落ちた思がした。単なるバラバラの線に、一定の音と一定の意味とを持たせるものは、何か? ここまで思い至った時、老博士は躊躇なく、文字の霊の存在を認めた。一つの霊がこれを統べるのでなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味とを持つことが出来ようか。

この発見を手始めに、今まで知られなかった文字の霊の性質が次第に少しずつ判って来た。文字の精霊の数は、地上の事物の数ほど多い、文字の精は野鼠のように仔を産んで殖える。

ナブ・アヘ・エリバはニネヴェの街中を歩き廻まわって、最近に文字を覚えた人々をつかまえては、根気よく一々尋ねた。文字を知る以前に比べて、何か変ったようなところはないかと。これによって文字の霊の人間に対する作用を明らかにしようというのである。

さて、こうして、おかしな統計が出来上った。それによれば、文字を覚えてから急にシラミを捕るのが下手になった者、眼に埃が余計はいるようになった者、今まで良く見えた空の鷲の姿が見えなくなった者、空の色が以前ほど青くなくなったという者などが、圧倒的に多い。

「文字の精が人間の眼を食い荒らすこと、それ、ウジムシがクルミの固き殻をウガチて、中の実をタクミに食い尽くすが如し」と、ナブ・アヘ・エリバは、新しい粘土の備忘録に記した。

文字を覚えて以来、咳が出始めたという者、くしゃみが出るようになって困るという者、しゃっくりが度々出るようになった者、下痢するようになった者なども、かなりの数に上る。「文字の精は人間の鼻・咽喉・腹等をも犯すものの如し」と、老博士はまた記した。文字を覚えてから、にわかに頭髪の薄くなった者もいる。脚の弱くなった者、手足のふるえるようになった者、顎がはずれ易くなった者もいる。しかし、ナブ・アヘ・エリバは最後にこう書かねばならなかった。「文字の害たる、人間の頭脳を犯し、精神を麻痺させるに至って、即ち極まる」

文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなった。これは統計の明らかに示す所である。文字に親しむようになってから、女を抱いても一向楽しゅうなくなったという訴えもあった。もっとも、こう言出したのは、七十歳を越こした老人であるから、これは文字のせいではないかも知れぬ。ナブ・アヘ・エリバはこう考えた。エジプト人は、ある物の影を、その物の魂の一部とみなしているようだが、文字は、その影のようなものではないのか。

獅子という字は、本物の獅子の影ではないのか。それで、獅子という字を覚えた猟師は、本物の獅子の代りに獅子の影を狙い、女という字を覚えた男は、本物の女の代りに女の影を抱くようになるのではないか。

文字の無かった昔、歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字のヴェールをかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。近頃人々は物覚えが悪くなった。これも文字の精の悪戯である。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜くなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。

ナブ・アヘ・エリバは、ある書物狂の老人を知っている。その老人は、博学なナブ・アヘ・エリバよりも更に博学である。彼は、スメリヤ語やアラメヤ語ばかりでなく、パピルスや羊皮紙に書かれたエジプト文字まですらすらと読む。およそ文字になった古代のことで、彼の知らぬことはない。彼はツクルチ・ニニブ一世王の治世第何年目の何月何日の天候まで知っている。しかし、今日の天気は晴か曇か気が付かない。

彼は、少女サビツがギルガメッシュを慰めた言葉をもそらんじている。しかし、息子をなくした隣人を何と言って慰めてよいか、知らない。彼は、アダッド・ニラリ王の后、サンムラマットがどんな衣装を好んだかも知っている。しかし、彼自身が今どんな衣服を着ているか、まるで気が付いていない。何と彼は文字と書物とを愛したであろう!読み、そらんじ、愛撫するだけではあきたらず、それを愛するの余りに、彼は、ギルガメッシュ伝説の最古版の粘土板を噛砕き、水に溶かして飲んでしまったことがある。

文字の精は彼の眼を容赦なく喰い荒し、彼は、ひどい近眼である。また、彼の背骨をも蝕み、彼は、臍に顎のくっつきそうなセムシである。しかし、彼は、おそらく自分がセムシであることを知らないであろう。セムシという字なら、彼は、五つの異った国の字で書くことが出来るのだが。

ナブ・アヘ・エリバ博士は、この男を、文字の精霊の犠牲者の第一に数えた。ただ、こうした外観の惨めさにもかかわらず、この老人は、実に――全く羨ましいほど――いつも幸福そうに見える。これが不審といえば、不審だったが、ナブ・アヘ・エリバは、それも文字の霊の媚薬のごとき狡猾な魔力のせいと見做した。

ある日若い歴史家のイシュデイ・ナブが訪ねて来て老博士に言った。歴史とは何ぞや? と。

若い歴史家は説明を加えた。先頃のバビロン王シャマシュ・シュム・ウキンの最期について色々な説がある。自ら火に投じたことだけは確かだが、最後のひと月ほどの間、絶望の余り、言語に絶した淫蕩の生活を送ったというものもあれば、毎日ひたすら潔斎してシャマシュ神に祈り続けたというものもある。第一の妃ただ一人と共に火に入ったという説もあれば、数百の婢妾を薪の火に投じてから自分も火に入ったという説もある。何しろ文字通り煙になったこととて、どれが正しいのか一向見当がつかない。近々、大王はそれらの中の一つを選んで、自分にそれを記録するよう命じるであろう。これはほんの一例だが、歴史とはこれでいいのであろうか。

賢明な老博士が賢明な沈黙を守っているのを見て、若い歴史家は、次のような形に問を変えた。歴史とは、昔、在った事柄をいうのであろうか? それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?

獅子狩りと、獅子狩の浮彫とを混同しているような所がこの問の中にある。博士はそれを感じたが、はっきり口で言えないので、次のように答えた。歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板に記されたものである。この二つは同じことではないか。

書漏らしは? と歴史家が聞く。

書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。
若い歴史家は情けない顔をして、指し示された瓦を見た。それはこの国最大の歴史家ナブ・シャリム・シュヌ記す所のサルゴン王ハルディア征討の一枚である。

ボルシッパなる明智の神ナブウの召使い賜う文字の精霊共のおそろしい力を、イシュディ・ナブよ、君はまだ知らぬとみえるな。文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手に触れなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ。

太古以来のアヌ・エンリルの書に書上げられていない星は、なにゆえに存在せぬか? それは、彼等がアヌ・エンリルの書に文字として載せられなかったからじゃ。大マルズック星(木星)が天界の牧羊者(オリオン)の境を犯せば神々の怒りが降るのも、月輪の上部に蝕が現れればフモオル人が禍を被るのも、みな、古書に文字として記されてあればこそじゃ。

古代スメリヤ人が馬という獣を知らなんだのも、彼等の間に馬という字が無かったからじゃ。この文字の精霊の力ほど恐ろしいものは無い。君やわしらが、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしらこそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕(しもべ)じゃ。しかし、また、彼等精霊のもたらす害も随分ひどい。わしは今それについて研究中だが、君が今、歴史を記した文字に疑いを感じるようになったのも、つまりは、君が文字に親しみ過ぎて、その霊の毒気にあたったためであろう。

若い歴史家は妙な顔をして帰って行った。老博士はなおしばらく、文字の霊の害毒があの有為な青年をも損おうとしていることを悲しんだ。文字に親しみ過ぎてかえって文字に疑いを抱くことは、決して矛盾ではない。先日博士は生来の健啖に任せて羊の炙肉をほとんど一頭分も平らげたが、その後当分、生きた羊の顔を見るのも厭になったことがある。

青年歴史家が帰ってからしばらくして、ふと、ナブ・アヘ・エリバは、薄くなったちぢれっ毛の頭を抑えて考え込こんだ。今日は、どうやら、わしは、あの青年に向って、文字の霊の威力を讃美しはせなんだか? いまいましいことだ、と彼は舌打をした。わしまでが文字の霊にたぶらかされておるわ。

実際、もう大分前から、文字の霊がある恐しい病を老博士の上にもたらしていたのである。それは彼が文字の霊の存在を確かめるために、一つの字を幾日もじっと睨み暮した時以来のことである。その時、今まで一定の意味と音とを持っていたはずの字が、忽然と分解して、単なる直線どもの集りになってしまったことは前に言った通りだが、それ以来、それと同じような現象が、文字以外のあらゆるものについても起るようになった。

彼が一軒の家をじっと見ている中に、その家は、彼の眼と頭の中で、木材と石と煉瓦と漆喰との意味もない集合に化けてしまう。これがどうして人間の住む所でなければならぬか、判らなくなる。人間の身体を見ても、その通り。みんな意味の無い奇怪な形をした部分部分に分析されてしまう。どうして、こんな恰好をしたものが、人間として通っているのか、まるで理解できなくなる。

眼に見えるものばかりではない。人間の日常の営み、すべての習慣が、同じ奇体な分析病のために、全然今までの意味を失ってしまった。もはや、人間生活のすべての根柢が疑わしいものに見える。

ナブ・アヘ・エリバ博士は気が違いそうになって来た。文字の霊の研究をこれ以上続けては、しまいにその霊のために生命をとられてしまうぞと思った。彼は怖こわくなって、早々に研究報告をまとめ上げ、これをアシュル・バニ・アパル大王に献じた。

(切抜抜粋/中島敦「文字禍」より)
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影を慕いて

2020-02-19 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/original unknown)

池水に夜な夜な影は映れども
     水も濁らず月も汚れず

Archie Shepp & Abdullah Ibrahim (Dollar Brand)- LEFT ALONE -


出会いと別れの、極意である。
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R.I.P.

2020-02-17 | 世界の写窓から
(quote/ Kirk Douglasー1916年12月9日 - 2020年2月5日 )

ある著名な音楽家もこんなことを言っていた。

「最近、音楽の質が低くなった、昔の音楽は良かった、という人がいますが、それは違います。昔も質の低い音楽はたくさんあった。低質の方が多かった。でもそれらは時と共に忘れ去られ良いものだけが残ってる今だから昔の音楽は良質のものばかりという印象を受けるのです」。

カーク・ダグラスさんは、顎が割れていた。それを僕らガキは「○ン○顎」と囃していた。享年102歳、名優、暫時消滅である。

そして、今はまた昔になる。

*RIPとは:欧米の墓に刻まれる文字。ラテン語 Requiescat in Pace の頭文字で、「安らかに眠れ」という意味。英語バクロニムで Rest in Peace と書かれることもある。転じて英語圏で故人を悼む際使われるインターネットスラング。(wikipedia)

Jimmy Sax - No Man No Cry (live)
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劣等児

2020-02-15 | 古今北東西南の切抜
painting/Sadik Kwaish Alfraji)

ある小学校に於ける工作の時間に、Fという教師の経験した話。

その日Fは生徒一同に同じ分量の粘土を与えて、各自勝手な物を作らせて見ようと企てた。生徒は皆大いに喜んで各自思い思いに、馬だの牛だの人形だの茄子だの胡瓜だのを作った。

ところが、中にただ一人時間が過ぎても、ぼんやり何か考え込んでいて何も作らない生徒があった。彼はもともとそのクラス第一の劣等児であった。算数や国語は言うまでもなく、学科という学科はことごとくゼロに近い点数をとっていた。

ただ不思議に彼は自然の風物を愛する点に於て他の児童に見ることが出来ない豊かさを持っていた。空だの、草だの、木だのに対する彼の愛着は極めて深かった。時には授業中に窓の外の鳥の声に誘われて、ふらふらと教室を出て行こうとするような事さえあった。

教師Fはそうした彼の性情をよく理解していたので、なるべくそれを傷つけないように注意していたが、時々は他の生徒への手前叱らずに居られぬような事もないではなかった。
その粘土細工の時間にもFはあまりの事に彼のそばに行って、やや語調を荒くして尋ねた。

「おい、お前は何をしてるんだ。一時間たっても何もしないじゃないか。なぜ、そうぼんやりしてるんだ」

教師のそうした詰問に、彼はまるで夢からさめでもしたように、きょとんとした顔を上げた。そしていかにも困ったという風に訴えた。

「先生、私は幽霊を作りたいんです。作ろうと思う幽霊はハッキリ目に見えているんです。けれども、いつかうちのお母さんは幽霊というものは足のないものだといって聞かせました。でも、足がなくては立てません。私はそれを考えていたんです。先生! どうしたら足がなくても立たせることが出来るでしょうか。それさえわかれば今すぐ私は幽霊をこしらえます」
 
それには教師もまいってしまった。むしろ一種の驚異さえも感じさせられた。そしてただこう答えるよりほかなかった。

「よし、よし。それでは今日はそれでやめにして置くがいい。その代りいつでもいいからお前がその工夫の出来た時に作って持って来るがいい」

しかし、その生徒は卒業するまでついにそれを作り得ずにおわった。或は一生涯彼はそれを考え続けるのかも知れない。教師は時々その教え子を想い出しては涙ぐまされるのであつた。

ー相馬御風「幽霊の足」より

New Age Music Nº24: Mario Millo and Jon English - Against the wind
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気品の所在

2020-02-14 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/source)

梅花の感じは、気品の感じである。

それはまた、梅花の香である、薄すらと霧こめた未明の微光に、或は淋しい冬日の明るみに、或は佗びしい夕の靄に、或は冷々とした夜気に、仄かに織り込まれて、捉え難く触れ難く、ただ脈々と漂ってる、一種独特の梅花の香は、俗塵を絶した気品の香である。その香を感じてその花を求むるは、俗であり愚である。花の在処を求めずに、漂い来る芳香に心を澄す時、人は気品の本体を識るであろう。

気品はまた、一の凛乎たる気魄である。衆に媚びず、孤独を恐れず、自己の力によって自ら立ち、驕らず卑下せず、霜雪の寒にも自若として、己自身に微笑みかくる、揺ぎなき気魄である。肥大ならず、矮小ならず、膨張せず、萎縮せず、賑かからず、淋しからず、ただあるがままに満ち足って、空疎を知らず、漲溢を知らず、恐るることなく、蔑むことなき、清爽たる気魄である。

それはまた、梅花の気魄である。霜雪の寒さを凌ぎ、自らの力で花を開き、春に魁けして微笑み、而も驕ることなく、卑下することなく、爛漫たる賑かさもなく、荒凉たる淋しさもなく、ただ静に己の分を守って、寒空に芳香を漂わしてる姿は、まさに気品そのものの気魄である。しみじみと梅花に見入る時、恐怖や蔑視や悲哀や歓喜など、凡て心を乱すが如き情は静まって、ただ気高き気品の気魄に、人は自ら打たるるであろう。

ー豊島与志雄[梅花の気品」より

"Jej Portret" by Włodzimierz Nahorny and Krzysztof Woliński

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動的平衡

2020-02-13 | 古今北東西南の切抜
(gif/source)

私たちが棲むこの宇宙において、輝けるものはいつかは錆び、水はやがて渇き、熱あるものは徐々に冷えていく。時間の経過の中で、この流れに抗することはできない。

科学はこれまで人間に可能な様々なことをもたらしたが、同時に人間にとって不可能なことも教えてくれた。それは時間を戻すこと、つまり自然界の事物の流れを逆転することは決してできない、という事実である。これが「エントロピー増大の法則」である。エントロピーとは「乱雑さ」の尺度で、錆びる、乾く、壊れる、失われる、散らばることと同義語と考えてよい。

秩序あるものはすべて乱雑さが増大する方向に不可避的に進み、その秩序はやがて失われていく。ここで私が言う「秩序」は「美」あるいは「システム」と言い換えてもよい。

すべては摩耗し、酸化し、ミスが蓄積し、やがて障害がおこる。つまりエントロピーは常に増大するのである。生命はそのことをあらかじめ織り込み、一つの準備をした。エントロピー増大の法則に先回りして、自らを壊し、そして再構築するという自転車操業的なあり方、つまりそれが「動的平衡」である。

しかし、長い間、「エントロピー増大の法則」と追いかけっこしているうちに少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し、やがてエントロピーの増大に追い抜かれてしまう。つまり秩序が保てない時が必ず来る。それが個体の死である。

ただ、その時にはすでに自転車操業は次の世代にバトンタッチされ、全体としては生命活動が続く。現に生命はこうして地球上に38億年にわたって連綿と維持され続けてきた。だから個体がいつか必ず死ぬというのは本質的には利他的なあり方なのである。

生命は自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生命が必ず死ぬというのは、実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に、秩序は別の個体に移行し、リセットされる。

したがって「生きている」とは「動的平衡」によって「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけているということである。換言すれば、時間の流れにいたずらに抗するのではなく、それを受け入れながら、共存する方法を採用している。

間断なく流れながら、精妙なバランスを保つもの。絶え間なく壊すこと以外に、そして常に作り直すこと以外に、損なわれないようにする方法はない。生命は、そのようなありかたとふるまいかたを選びとった。それが動的平衡である。

-切抜/福岡伸一「動的平衡」より
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良酒は誘う大海原へ

2020-02-12 | 酔唄抄。
(gif/original unknown)

羨君有酒能便酔  羨君無銭能不憂

うらやむきみがさけありてよくすなわちようことを
うらやむきみがせんなくしてよくうれいざることを

「これはまずもっての美酒である。」
「味わって貰いたい。」

「何という名前の酒?」

「メイコン、迷へる魂、迷魂。」

「どうして君はそのような銘酒を手に入れたの?」

「私はメイコンと称ばれる良酒を服用して、適度に酔うて来ました。」

「次には何を味わって飲むの?」

「メイテイ・・・」
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ねがひ

2020-02-11 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
何処か知らない遠いところを思い ただそっと座っている
来るものは来る 形のあるものは無くなる 善も悪もない
何処か知らない遠いところを思い ただそっと座っている

手に粗末な器を一つ持ち 米を欲しいでもなく 欲しくないでもなく
ぼーっと広く そして優しく一つところを見て
この地の上に 黙って立っている

そんなふうにありたい。

遠く、遠く突き出た岬のはな、右も、左も、まん前もすべて浪、浪、
僅かに自分のしりへに陸が続く。
そんなところに、いつまでも、立っていたい。

咲き、散り、咲き、散る
とりどりの花のすがたを、まばたきもせずに見ていたい。
萌えては枯れ、枯れては落つる、
落葉樹の葉のすがたをも、また。

山と山とが相迫り、迫り迫って其処にかすかな水が生れる。
岩には苔、苔には花、
花から花の下を、伝い、滴り、
やがては相寄って 岩のはなから落つる
ひとすじの糸のような まっしろな瀧を、ひねもす見て暮したい。

いつでも、ほほえみを、眼に、こころに、やどしていたい。

自分のうしろ姿が、いつでも見えてるように 生きたい。

日本国中にある 樹のすがたと、その名を、知りたい。

おもう時に、おもうものが、飲みたい。

欲しい時に、燐寸(まっち)よ、あってくれ。

煙草の味が、いつでも うまくてくれ。

麦酒が いつも、冷えてると、いい。

(参照抜粋 / 草野天平「ひとつの道」、若山牧水「空想と願望」より)
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Time Doesn't Exist

2020-02-09 | 意匠芸術美術音楽
(quote/source)

ごめん、おそくなって。

なんともないよ、もう過去のことじゃないか。

Vincent van Gogh art ALIVE - Atelier des Lumières (Paris, France) STARRY NIGHT


感受と解釈を出現させるのは今、早いも遅いもない今、わたしは出現した時に応対するしか生きようがない。
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