南無煩悩大菩薩

今日是好日也

次元の錯誤

2019-02-27 | 世界の写窓から
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これまで見過ごしてきたことが、最も危険な問題だった場合の対処法を考え始めてみる。

どの組織も皆、失敗から学びたいと考えているが、間一髪の状況を幸運にも脱した経験から学ぼうとする機運を醸すことはなかなか難しい。

私たちは、システムが脆弱であるため間一髪の状況に陥った可能性があるにもかかわらず、辛くも難を逃れたのはシステムが強靭だからだと考えがちである

プロセスよりも結果を重視する「結果バイアス」、すぐに手に入る身近な情報を過大評価する「利用可能バイアス」、自説を支持する証拠ばかりに目を向ける「確証バイアス」。

あることが事後に自明であると思われるからといって、それが予測可能であったとは限らないことに気付くべきだ。それは「後知恵バイアス」と呼ばれる。

結果がよいために疑わしいやり方に固執するようになることもあれば、結果が悪いためにまだ価値があるかもしれないやり方を変更したり、捨て去ったりすることもある。

直感が優れた意思決定を下す要因になっているかは、直感を無視した(逆らった)ことがなければ判断できない。


「私たちは経験から学べると信じるのならば、経験から学べないこともまた、学習できるのだろうか」。-ヒレル・J・アインホーン-

酩酊神秘主義

2019-02-26 | 酔唄抄。
(gif/source)

‘人類に対するアルコールの支配力は、疑いなく、人間の神秘的能力を刺激する力からきている。その能力は、冷徹な事実としらふのときの乾いた批判によって通常砕かれてしまうものだ。

しらふであることは、縮小し、区別し、ノーと言う。酔いは拡大し、統合し、イエスと言う。これは実際、人間の中にある「イエス」機能を、極めて強く刺激するのだ。これはこれを信奉する者を、冷たい周縁から灼熱の核へと連れていく。

彼を一瞬、真理と合体させる。

人が酔いを求めるのは、単なる倒錯からではない。貧しい者、無学の者にとって、これは交響曲のコンサートや文学の位置を占めている。そして、素晴らしいものだと我々がただちに認識するものを、我々の多くが、ほろ酔い程度にたしなむことしか許されず、たっぷり飲んだら人を堕落させる毒になってしまうことは、人生の深層にある神秘と悲劇の一部である。

酩酊時の意識は神秘的意識の一片なのであり、酩酊時の意識についての我々の総合的見解は、より大きな全体についての我々の見解の中に位置づけられる必要がある。’ -ウィリアム・ジェイムス-

また、プラトンは極めて具体的に、酒を飲むのはジムに行くようなものだと言っている。

最初は上手くいかず、苦痛で終わる。だが練習すれば完璧になる。たくさん飲んでも自分を保てるなら、理想的人間である。人と一緒にいるときにそれをできれば、自分が理想的人間であることを世界に証明したことになる。酒の影響下にあるときでさえ、自制心という偉大な徳を披露しているわけだから。

自制心とは勇敢さのようなものだとプラトンは言う。人が勇敢さを披露できるのは、危機にあるときだけである。人が自制心を披露できるのは、酒をたらふく飲んだときだけである。勇敢さは学習可能だ。毎日を戦いに費やせば、勇敢になるよう自分を鍛えられる。毎晩を飲酒に費やせば、より高レベルの自制心が持てるよう自分を鍛えることができる。

‘第一には人格を試すこと、第二には人格を鍛えること。これらの目的に、ワインを盛大に用いる(もちろん注意を払って用いた場合であるが)こと以上に、適した方法がほかにあるだろうか。これ以上に安上がりで、悪意のない方法があるだろうか。’ -プラトン-

基本的にプラトンは、酔っている人物が信用できる人物だった場合、その人物はどんな局面でも信用できると考えた。さらに、飲酒と言うテストには実質マイナス面がない。商取引に入ってから相手が不誠実だと分かった場合、あなたは金銭的損失をこうむる。だが、一緒に飲んで相手の真の人柄を知ることには、何のリスクもない。

これらすべての論理的帰結として、禁酒主義者は信用できないということになる。だから古代ギリシャにおいて酩酊は、奇妙であり、かつ入り組んだ事柄だった。酒は飲まねばならない酔っぱらわねばならない。だが自分が何をやっているかがわかっていなければならない。

‘我々は、酩酊時においても徳を披露し、荒れ狂う酒の海に悠然と舟を走らせねばならない。’

-引用/マーク・フォーサイズ「酔っぱらいの歴史」より


解けないものがある。-例えば愛-

2019-02-25 | 意匠芸術美術音楽
(cartoon/source)


‘愛は理屈で語れませんね。冗談で妻に「愛とは(統計学の)残差だ」と話したことがあります。私が妻の事を好きだと思う理由をすべてリストアップしてみましょう。リストにできない理由、説明ができないなにかが愛。これが私の愛の定義です。’ -リチャード・セイラー

然るに、「理性で愛する者はいない。それゆえ自分を愛する者の言葉も理性で受け止めてはならない。同じ愛で受け止めねばならない」これが誠実ということになる。

いかなる「方法(手段)」も存在しない、ということもある。なぜなら、方法というものは因果律を土台にしているからだ。目的とする結果を生み出すための原因を作り出す技術、それが方法だからである。

つまり意図的に引き起こすことのできないもの、何らかの方法を駆使して、それを操作することなど到底できないものがあるということだ。

Billy Joel - Honesty (with lyrics)


*たしかビリージョエルさんは冷戦下当時アメリカからソビエト連邦に入ってこの詩を歌った。

たとえば盥の水のはなし。

2019-02-18 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(quote/source)

昔からのはなしに、

たらいの湯を自分の方にかき寄せたら、湯は手前に流れてくるように見えるが、実際は向こうに逃げていく。

反対に向こうに押し出せば押し出すほど、湯はこちらに戻ってくる。というものがあります。

人生も商いにしても、欲をかいて自分の利益や都合ばかりを考えていたらみんな逃げていく。まず与えることが肝要である。

と、気付いた途端に、したこともされたことも同じなりわいだと思えるようになります。

そういう信心があってもしかるべきだと思わされるのです。

‘欲深き人の心と降る雪は、積もるにつれて道を失う’ -高橋泥舟


(cartoon/original unknown)

Wings of desire

2019-02-16 | 意匠芸術美術音楽
(picture/source)

Be glad they forgot about you. You’re finally free.

U2 - Stay (Der Himmel über Berlin - Wings of desire)


‘愛されるにしても、嫌われるにしても、どちらもつまりは同じである。

愛されたなら私はその人のハートに生きることになる。嫌われたなら私はその人のマインドに生きることになる’

確か、シェイクスピアはそんなようなことを云った。

アルカイックサウンド

2019-02-10 | 意匠芸術美術音楽
(gif/original unknown)

ピカゴロドドーン。メカニズムとしての雷は天の放屁である、といっても差し支えはないらしい。

ところでこの屁の音に原初的ななにかとの邂逅とでもいうべき畏怖を感じるのは僕だけだろうか、においはともかく。

‘ころころと背筋つたいて首の辺に爆発したり風呂の湯の屁は’ -出口王仁三郎

The most beautiful Didgeridoo player in the world ! "Ticki Stamasuri"

ある医師のEmpathy

2019-02-08 | 古今北東西南の切抜
Empathy: The Human Connection to Patient Care


「私たちは敬意を持たれていたが、まちがいなく好意は持たれていなかった」

その医師はこう考え直した。

彼のデスクには、「想像できることは実現できる」ということを忘れないためのプレートが置かれている。

共感。人はどこまで他人の大丈夫に理解と貢献という寄与ができるのだろうか。



Hear what they hear. See what they see. Feel what they feel.

ほろ苦く甘い春立つ亦この春に

2019-02-06 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(/懐素「苦旬帖」)

苦筍及茗異常佳,乃可逕來。と書いてあるらしい。

「非常によい苦筍とお茶があるので、すぐにでも来られたし」と言う意味だそうだ。

苦筍(くじゅん)とは、苦竹(にがたけ、マダケの異称)の筍であり、色が白く、香り良くほろ苦いが、微かな甘味もある。

筆といい曰くといい、なんともよろしいではありませんか。

Quizas Quizas Quizas

2019-02-04 | 意匠芸術美術音楽
(photo/original unknown)

Quizas Quizas Quizas-Ibrahim Ferrer & Omara Portuondo


あのことはまぼろしであったか・・・

たとえば、ずいぶん前の高知の新庄川以来、日本カワウソの生体は見つかっていない。

もしや、おそらく、たぶん、もしかしたらってね。

どこかで・・・ってね。

Quizas Quizas Quizas ・・