俺は。なにをしに生まれてきたのだ?
俺は。何のために生まれてきたのだ?
市川海老蔵さんの。「信長」のプロローグとエピローグ。
全編を通して語られる「存在」というものの相克と葛藤。
敦盛。の幸若舞もうならされる絶品であります。
歴史は人が作る。演劇も人が作る。
我々はどこから来て。どこにいこうとしているのだ?
有名な哲学者の言葉。
人生の思春期。ものごとの黎明期。
事象の本質を語るときに必ずや頭をよぎるであろう「存在」というものへの渇望感。
フィクションに投影するノンフィクションの狼狽。
あったかどうかは定かではないが。さもありなんと感涙する心。
史跡の信憑に関らず、次代が時代に求めたものを表現し共感を得る。
そのシンパシーが、新たな解釈を生みスタンダードを形成する。
人生は自分を演ずる舞台だ。といった人もいた。
どのように演ずることができましょうか?
どのような役回りになりましょうか?
果たしてそれは、どのように次代に解釈されるのでありましょうや。
俺は。・・なにをしに生まれてきたのか・・・
・・・
本能寺の変。
・・信長様。敵に取り囲まれておりまする!
・・わかっておる。桔梗の紋所であろう。
・・・・・・。
納得。の妙。