南無煩悩大菩薩

今日是好日也

演劇。

2006-03-01 | なんとなく落書。

俺は。なにをしに生まれてきたのだ?

俺は。何のために生まれてきたのだ?


市川海老蔵さんの。「信長」のプロローグとエピローグ。

全編を通して語られる「存在」というものの相克と葛藤。

敦盛。の幸若舞もうならされる絶品であります。


歴史は人が作る。演劇も人が作る。


我々はどこから来て。どこにいこうとしているのだ?
有名な哲学者の言葉。

人生の思春期。ものごとの黎明期。
事象の本質を語るときに必ずや頭をよぎるであろう「存在」というものへの渇望感。


フィクションに投影するノンフィクションの狼狽。

あったかどうかは定かではないが。さもありなんと感涙する心。


史跡の信憑に関らず、次代が時代に求めたものを表現し共感を得る。
そのシンパシーが、新たな解釈を生みスタンダードを形成する。


人生は自分を演ずる舞台だ。といった人もいた。

どのように演ずることができましょうか?
どのような役回りになりましょうか?

果たしてそれは、どのように次代に解釈されるのでありましょうや。



俺は。・・なにをしに生まれてきたのか・・・

・・・

本能寺の変。
・・信長様。敵に取り囲まれておりまする!
・・わかっておる。桔梗の紋所であろう。

・・・・・・。

納得。の妙。
コメント (4)
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