南無煩悩大菩薩

今日是好日也

朋輩と河岸にて。

2012-11-30 | 世界の写窓から
(photo/Seiryu Inoue)

なぁ源さんよ。おかしいと思わないか?

それよ。わしも常々どうも妙なことだと思っているのよ。

わしは多少体に障害はあるけれどもだ。人様に迷惑はかけまいと自力で生計をたてておる。
しかしだ、保護を受けようと思えば収入があっちゃならんらしい。
受けたければ自活をあきらめて、赤子のように行政に養ってもらうようになれという。

寝たきりの息子ならいざ知らず、わしらはまだ立っておるのにのう。

お。源さんはまだ自立するのかい?

あたりまえよ、おまえさん自立できんのなら、補助のいいのがあるようだが貰ってきてやろうか?

ばかやろう。そんな介入するない。それは相手を侮辱する行為であってだな、わしはそんなものには頼らん。

そりゃすまん。安易に補助してやるとかえって弱体化し、役に立つものも立たんなるわなぁ。
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滝。

2012-11-29 | つれづれの風景。

流水が滝となって落ちるためには、容易には浸食できない硬い岩盤がなければならない。

そう「なければならない」というのはそういうことである。

本当に謙虚な人は、他者が謙虚じゃないからといって憤慨したりはしない。そもそもそんなことで驕らないのが「謙虚」であるからだ。

善良勇気誠実努力協力などもそうだが、「なければならない」と他者に説きかつ求むるの不満は、自からが本当のそうでないことの謂いでもある。

滝は、そこに滝がなければならないからなったのではなく、なるべくして滝となり、観る者にとっての滝となるのである。
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使うほど増えるもの。

2012-11-26 | 意匠芸術美術音楽
source)

かってピカソは「いい芸術家は真似る、偉大な芸術家は盗む」といったというが、

この真意はしかしとても難しい。

ただ真似ることで、「いい」芸術家となることや、盗むだけで「偉大な」芸術家になることはないからである。

真似るも、盗むも、肥やしにして新しい「何か」を産み出さない限り、猿真似猿智慧や盗人猛々しいばかりである。

安易に他人の考えを真似したり、盗んだりするのは、ニワトリを盗もうとせず、卵ばかりを盗むようなものでもある。

だいたいにおいて、くだらない人間は、優れたアイディアを見落とし、どうでもよいアイディアだけを真似たり盗んでいく。

要するに、金も頭も創造力も使わなければ何にもならないということだ。

使えるもの、特に創造力は大いに使うべきであって、ためこんだり出し惜しみしてはならない。

また、いつか使い果たしてしまうのではないかなどと考えるのも誤りだろう。
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忘れたらいけない人々。

2012-11-24 | 世界の写窓から
(photo source)

善いということと、上手くいくということは別物なのだ。

為政者は、上手くやるための良い方法を優先する。

彼らを選ぶのは、選ぶ権利を持つ市民だ。

独善的とは、良くない行いでも、自分にとって上手くいけば、それを支持することである。

例え為政者が善い行いをしても、それは市民が正直にふるまうことが可能だとか、市民が道徳的だとかという好条件がそろわなければ、目端の利く利己主義の人々に、もっと多くの権益を与えるだけに終わってしまうこともあるだろう。

少女が「殺さないで!」と叫んでいる。

残念ながら彼女に選ぶ権利は与えられていない。


「忘れられた人は誰か。清廉な静かな徳のある家庭的な人間だ」-ウィリアム・サムナー-
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誰かがどこかで。

2012-11-22 | 世界の写窓から
(photo source/New Delhi, India.)

誰かが言った、デジタル化できるものは全て、より安いかより賢いものに取って変わられる。



誰かが言った、近い将来人々はクリエイター(価値創造者)かそれ以外のサーバー(奉仕者)に二分される。



誰かが言った、我々の生きている世紀は、スマートフォン(賢い電話)とスチューピッドピープル(馬鹿な人間)の世紀だと。


それは、誰でもどこでもチャンスがある世界を意味しているのかもしれない。
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果たしてそれでいいのか。

2012-11-21 | 有屋無屋の遍路。

七回転んで八回起きる。ということなのか、

七回転んで八回目に起きる。ということなのか。

私は後者を支持する。

起きなければ転ばないだろ、ということもあるが、起きるというころを「やっとものになる」というニュアンスで捉えるからだ。

転んでも起き続けよ、ということと転び続けてもあきらめるな、というニュアンスの違いである。

それでいけば、七転八倒というのも、七八回ぐらいは平気で転ぶぐらいの気構えでなければ成就するものもたかが知れてるぞということになる。
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晩秋弐景

2012-11-19 | つれづれの風景。

樫欅 桜栗柿 色落葉



蒲薄 蓬葦粟 枯草の露
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円錐の話。

2012-11-16 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

前進した、ひたすらに前進した。そしたらいつの間にかスタートへ戻っていた。

よく考えてみると、ああ円錐形の麓を一周しただけじゃないか。

そこで彼は方法を変えその円錐に一歩一歩足場を造って登りはじめた。

ようやく頂点を極めるとそこは腰掛ることも出来ぬ鋭い一点であった。
彼はまた失敗と思ったが諦めて頂上を少し削り、ようやく自分の座って居られるだけの面積を作った。

ホッと一安心して愛用のパイプに煙草をつめ一服したが、ふと見るとそんな円錐が沢山あって、
その各々が最早占領されたり、或いはまさに占領されようとしているではないか。

しかもそのうちのあるものは、彼の円錐よりもウンと高く、従って実に良い見晴しで御丁寧に旗までひるがえって居る。

彼は今度こそ本当に悲観した。
折角小さいながらも安住の地を得たのに、もっと高いところから見ている奴が居る!

だが仕方がないからそのままヂッとしていると、或る高い円錐にいる人がそろそろ降りて来る。
一体どうするつもりだろうと猶も眺めていると地面へ降りた男は土を掘りだした、そしてその土を担いでヨリ太くヨリ高く円錐を工事し始めた。

汗をかいて一生懸命だが一向にはかばかしくない。しかしその姿は全く楽しそうだ。
彼はそれを注視して居たがフト何か感付いたらしく、「そうだ」と独語しながら自分も円錐を降りて行った。

彼もどうやら工事を初めるつもりらしい。

-文:安井仲治-
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大きなミニカー。

2012-11-14 | 世界の写窓から
(photo/Takeyoshi Tanuma 1962)

大きくてのびのびひろびろとしたほうがいいときもあれば、

こじんまりとしたしいかろやかさのほうがいいときもある。

どっちもいいが両方一緒に手にするような機会は人生にそう多くはない。

ひろびろとしたしたしみ、こじんまりとしたのびやかさとでもいえそうな雰囲気の一枚である。
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おでかけ。

2012-11-13 | 閑話休題
(photo/william vanderson)

白鳥を後部座席に乗せている。

ちゃんとスワンなさいよ、とでも言っているのだろう。



いってらっしゃい。
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振り返ってみれば。

2012-11-12 | 意匠芸術美術音楽
(art source)

明日死ぬると思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。

確かマハトマ・ガンジーの箴言。

人は何が起こるか、どうなるかわからない、
いくら腹の立つ事があっても明日死ぬると思えば我慢もできよう。

昨日を振り返ってみれば、しまったこれを云い忘れたと、今思っている。
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今日の日記。

2012-11-10 | つれづれの風景。

今日は何もすることもなく、かといってしたいこともなく、ママチャリというのでしょうか、あれに乗ってリュックにカメラを入れて出歩きました。

コスモスに後は託したと、向日葵が笑っておりました。



「守破離」とでも言えそうな「青赤黄」がありました。



鳰(かいつぶり)がちょうど木の股の向こうに見えました。



鴉がカァというので、日の暮れないうちに帰ることにしました。







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モンローちゃん。

2012-11-09 | 世界の写窓から
(photo/unknown)

ハロウィンあるいはハロウィーンなるものをウィキペディアで調べてみた。

小生の幼少のみぎりにはかのような面妖なものはなかったし、誘ってくれるような若い友人もいないので知らないままであったが、なんでも東京ディズニーランドが取り上げたのも2000年からと書いてあるので、ほんの前から日本でも流行り出したらしい。もっとも、小生のような歳ではほんのこないだであっても若い世代にとっては昔からということになるのであろうが。

仮装コンテストなども催されるらしいが、小生ならばこの女性に一票を差し上げたい。
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心のまことかまぼろしか。

2012-11-08 | 意匠芸術美術音楽
(artist/Hans-Peter Feldmann)

子供には色々なものが見えるという。そして大人になるに随って見えなくなるものがあるという。

超現実的世界を全否定するつもりはないが、こんな話がある。

毎夜枕元に立つ幽霊に悩まされた男が和尚を訪ねる。和尚はその男に対し大豆を幾粒か手に握りしめさせてからこう告げる。決してこの手を開いて中を見てはならぬ。そのまま夜まですごし、幽霊が現れたらこう聞け「この手に握っているものはなにか?」すると幽霊は「大豆」と答えるだろう。そしたら「では何粒あるか?」と問え。幽霊はしばらく考えるじゃろうが、たぶんスッと消えていなくなるはずじゃ。

その夜やはり幽霊が現れたが、和尚の云われた通りのやりとりが起こり、幽霊は数を答えられずスゥ~と消えていなくなった。

次の日男は和尚にそのわけを聞くと、

「おまえさんは悩まされた挙句わしを信じて従った。その前は幽霊を信じる心がおまえさんを支配しておった。すべては自分の心が生み出すものじゃて。その証拠にの、おまえさんも知らない大豆の数は幽霊も知らんかったじゃろて」
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兄弟愛。

2012-11-07 | 世界の写窓から
(photo source)

に、にいちゃん・・。

ついてくなゆうてるやろ。かなわんなぁ。


迷惑を掛けたくなくて泣きそうな弟と、気にしながらも強く出る兄のはにかみ。そんなことを思い見ています。
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