南無煩悩大菩薩

今日是好日也

時節柄。

2008-03-31 | つれづれの風景。

北の国では、冬将軍が舞い戻っておるようでございます。

時節柄寒暖の入れ替わりも激しく、何でも変わり目というものには、多少なりとも乱目を伴うようで。

それもそれぞれの要。


冬の彩りの山茶花が朽ち落ち始めると、落葉の木々の新芽の緑がそれに取って代わる。

時節柄そういう対比の折には気温も乱高下の競演。読み難く体に変調をきたすこともしばしば。


潮目の変わり目の時節柄を見逃さなければ、目測を誤らずに乗り越えられることも多いのかも知れません。


しっかと、自己の本分を忘れずに生きようとするものたちの交代の風景。

花木や風物の時節柄の様相というものは、人にもあまねくあるようにも感じられるのであります。

そんなことをおもう今日この頃の時節柄。


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南海先生。

2008-03-29 | 酔唄抄。

南海先生は生まれつき酒が大好き。

また政事を論ずることが大好きである。

酒をのむとなると、わずか1,2本のときは、気持ちよく酔っ払い、気分もふうわりと、宇宙を飛びまわるようで、見るもの聞くもの楽しくて、この世に憂いなどというものがあろうとは、つゆ思われない。

さらに2,3本のむと、精神がにわかに高まり、思想がしきりに沸き起こり、身は小部屋におりながら、眼は全世界を見通し、一瞬間に千年前にさかのぼり、千年後にまたがり、世界の進路を示し、社会の方針を教え、思うのは、「世間の政事的近眼者どもが、やみくもに羅針盤をにぎって船を操縦し、暗礁につきあたったり、浅瀬にのりあげたり、わが身にも他人にも禍をまねくのは、何ともお気の毒の至りである。」・・・。

さらにもう2,3本のむと、耳は鳴り、目は眩み、腕をふりまわし、足を踏み鳴らし、昂奮また昂奮、挙句の果てはひっくり返って前後不覚。2,3時間眠ったあと、酔いが覚めて正気にかえってみると、酔っ払って言ったこと、したことは、ケロリと忘れて、まるで狐つきが落ちたような具合である。・・・。

-中江兆民「三酔人経綸問答」より-





酔人のかたわれとして、してやったりの、しだし名文だとおもわれるのでございます。

酒のみに、本物もくそもないのではありますが、あれば本物。

南海先生。

酒のみの真骨頂、ここに至れり。

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野に咲く花。

2008-03-26 | つれづれの風景。

雁之助はんのはまり役の山下画伯のドラマの主題曲として、野に咲く花が歌われておりました。

野に咲く花のように、風に吹かれて。

野に咲く花のように、雨に打たれて。

野に咲く花のように、人を幸せにして。

時には暗い人生も、トンネル抜ければ夏の海。のようだと。


山下画伯のあっけらかんとした画遊人生と、雁之助はんの俳優人徳と、歌詞とメロディーの広がりが、野に咲く花を強烈なメタファーとして浮かび上がらせたのでございましょう。


不安なことも、腹に据えかねることもございますが、「そんな風に僕達も生きて行けたら素晴らしい。」と歌にもあります通り。


よろしいなぁ。

野に咲く花。

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菜と蝿。

2008-03-25 | つれづれの風景。

早く生まれすぎたことを怨んではいない。

啓蟄を過ぎたばかりの季節では、彼らの主食とする動物性たんぱく質を含んだ恵の品は、自然界には少なすぎる。

人家付近での誕生であったなら、彼のこの不幸も訪れなかったに違いない。

彼は天啓により、休息の地を、この菜に取り決めたのだろう。

一輪の開闢と、一匹の終焉。

粋姿そのままで、花に抱かれてこときれたのだ。


もとより、この菜と蝿が、彼なのか彼女なのかも知る由は無い。



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仕舞梅。

2008-03-24 | つれづれの風景。

うめもそろそろ仕舞でんなぁ。


あかくさいたらおうめのしまい。酔客の如し。


桜はまだかいな。

と。
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きんかん頭。

2008-03-22 | つれづれの風景。

私がまだ、紅顔の美少年だった頃。

あるきんかんあたまに、こういわれたことがあります。

「君のは青臭い書生論です。」


社会のなんたるかの実際を知らず、ろくな経験も無いにもかかわらず、えらそうに酒の力を借りながら理想を語ったのでありました。

ぐうの音もでない。とはまさにこのことかと思った次第。


この、きんかんあたま!と負け犬は遠吠えをしたわけです。


金柑の形は、すこし楕円にのびており、このような頭の持ち主は案外侮れない。
というような思いが、そのころからなんとなくあるのでございます。


金柑は、春先の風邪などにもよく効くと申します。


芽吹く頃の青臭さにも効くのでございましょうや。




未だその観拭えずの我が身であればこそ。


きんかんを見るにつけその効能に感謝するのでございます。



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東風梅。

2008-03-21 | つれづれの風景。

弥生3月、東風(こち)吹かば、匂い起こせよ梅の花。

春を忘れそ。と詠んだ道真候が、天満宮で待つだけのことはある。

梅の咲くころには、ぴったりの風情でもある。

大宰府も春であろう。

京の都をどりの舞する枝も、平安の古には、梅枝でもあったのではないだろうか。

東風に揺れる、梅はいい。


なにはなくとて、咲くを忘れそ。

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白梅縁起。

2008-03-19 | つれづれの風景。

卒業式は梅。入学式は桜。

うちんとこあたりじゃあ、だいたいこういあんばいになっております。

ちょいと大人になって、うめぇこと卒業した連中が、一番下っ端で、はなさくらしゅう、入学するってぇことでございます。

どだい縁起物なんてものにゃめもくれねぇ普段とは違って、しおらしい姿をみせるのもこの季節ならでは。

白梅であります。

やっぱり験(げん)かつぎにゃ、白いものがよござんす。


なんでこんなもの言いかと申しますと、なんやきっぱりとした節目の変わりようの縁起をかついでみようじゃねえかと、思いましてね。

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紅梅蕾。

2008-03-18 | つれづれの風景。

梅干が生っているのではないのである。


春は曙。ふうにいうと、梅は蕾。がよろしい。

ようよう咲き行く御前のたゆまぬ希望をおもわせる。


梅干が生っているのではないのである。

梅干に生る梅のまえの花のまえの夢の梅の蕾なのである。


うまくいきそうな蕾なのである。

すっぱいはないのである。

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花粉。

2008-03-17 | つれづれの風景。

病的症例に悩まされている人には、見るだけでも発症するほどの忌まわしいものではあろう。

が、私には一向に差し支えない為、失礼して写真を載せさせて頂く。


ここには、花粉を身に纏いに来る蜂や蟻も見受けられない。

花粉の飛散に動物を介する戦略はなく、、労力に値するゲインも得られない花粉なのであろう。

風を媒体とした拡散戦略を取る花粉は、絨毯爆撃機だ。

罪の無い人間にまで、損害を与えている。



しかし小生、わけいってもわけいっても、なんともない。

こんなときに、私は真実を知る。

どんなに、おもんぱかろうと、人事は間違いなく人事なのだ。

と。


花粉それそのものに罪は無いのだが。


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階調。

2008-03-15 | 酔唄抄。

世界はリズムに溢れている。

心地よいグラデーション、軽やかなレイヤード、不規則なレペティッション。

ひとそれぞれにも、生活のリズムというものがある。

乗る事の出来るリズムに溢れている。

光を影を、透過させるガラスのプリズムを見てそう思う。



話はまったく飛ぶが、

全ての人間には、非常に高い振動数と低電圧の電磁場があることが分かっているらしい。

この電磁場を検出する事は非常に難しいが確かに存在するという。

そして、人間がネガティブに感じればネガティブな電磁場が生まれ、ポジティブに感じればポジティブな電磁場が生まれるともいう。

人々が集まって酒を飲む理由はここにあるのかもしれないということだ。

つまり、ポジティブな「親交のための電磁場」を相互に発生させる為に酒飲み場は機能しているらしい。

この極超短波現象については現在もほとんどわかっていないそうだが、我々が波長が合う、つまり、同じリズムの人に協調することと、何か関係もあるのではないだろうか。

人が集うところ、ある深遠な階調が存在するということではないか。


よし。

科学的進歩の為にも、答えは探さなければなるまい。

その人を名実共に身近に感じて、波長を確かめ合うべし。

おおいに、酒は酌み交わすべし。


そんなことを考えながらも、つい忘れ去るほど呑んで探求の術を忘れた音痴になってしまうのである。



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信を問う。

2008-03-13 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

瞳を閉じれば、信ずるに即たるべきものが見えてくるか。

眼を奪われることもない、眼が曇ることも無く。

信用と信頼、コンフィデンス。




「そこに武勇もなく、智名もなし」-孫子-

兵法の専門家は、兵法にまつわるものを超えて、信というものを視よという。


「君子は交わり断つも悪声を出ださず」-史記-

処世の専門家は、その場限りの短絡的な信は信ならずと説いた。



信知らず、身の程知らずの、極楽知らず。-無山人-




汝、その諒目のありやなしや。

居並ぶ寡黙黙祷の地蔵が信を問う。


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自覚。

2008-03-11 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。


おのれ本来の面目を自覚することによって得られるものとは、

「内面のやすらぎと安定。落ち着き。調和。自己管理。動機付け。コミットメント(絶対的意思)。忠実。献身。および積極的な思考の育成。」

であるという。



思うことによって、自らを覚醒させることを説いた、貞観政要「十思」のひとつに、

「満ち溢れるような状態になりたいという願望が起これば、満ち溢れる海は、すべての川より低いことを思う。」

というものがある。



「人間の一生は、自動的なものでもなければ必然的なものでもない。その一歩一歩は、犠牲、苦しみ、苦闘、そして献身的な個人のたゆまぬ努力と情熱的な関心を必要とする。」

と、マーティン・ルーサー・キング牧師は言った。



苔むし蔦にからまれながらも、その地蔵は語りかける。

諸人よ、自覚せよ。

と。


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水ぬるむ。

2008-03-08 | つれづれの風景。

日本全国、本日は穏やかで、明るい日差しに包まれ、水ぬるむ一日、言い得て妙の様相であります。

ここ難波でも、葉っぱは喜び、行き交う人も重力の軽減を受けております。



山花似錦 澗水湛如藍。

の日々や近し。


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禿考。

2008-03-06 | つれづれの風景。

昨年ごろのタイム誌に載っていたデータに、薄毛の国際比較というしろものがあった。

その折にしたためたのであろう、私のシステムノートへの走り書きによると、

①チェコ43%、②ドイツ42%、③フランス39%、④英国36%、⑤米国34%、⑥ロシア33%、⑦日本26%、⑧中国25%、⑨タイ24%、⑩マレーシア23%、⑪韓国22% ・・・。

おおむねこのようなものであるらしい。

日本人とチェコ人が結婚すると、どれくらいの薄毛率が発生するのだろう。

遺伝や食生活などとの関連や、進化論的な問題と薄毛率に関連する方程式は成り立つのであろうか。薄毛の解明から、人類のルーツを導けるヒントが隠れていないだろうか。

莫大な予算をかけて国際競争規模で解明を急ぐ必要は、まぁあるまいが。

興味は尽きない。



ちょいと話は飛ぶが、我々の肉体を生成する基礎となっている、約30億のゲノムの内、人とチンパンジーの違いは、1.23%でしかないという。

些細な違いでも、いちにのさん!っと大きく違うものだとも思う。



しのごの考えている場合ではないか。仕事しましょ。

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