南無煩悩大菩薩

今日是好日也

露ニテ。

2012-12-28 | 日日是好日。

キョウハ ツメタイアメガ フッテイル

ネンマツ ネンシガ マタキタ

ハヤイチネン 冥土ノ旅ノ一里塚 メデタクモアリ メデタクモナシ

センジンハ ウマイコトヲイウ

あたかも

2012-12-27 | つれづれの風景。
living optical illusions

どのように動いているだろうか。

どっちに向かって動いているだろうか。



動いていないものがあたかも動いているように見える。

あたかも という感情は、そうであるものがそのように見えない時や、そのように見えるものがそうでないときに用いられる。

そういう正確さを求められる言葉でもありそうだ。

あたかも動いているように働いている。あたかも働いているように動いている。

このような使い方は正確だが、

昨日の残り物が冷蔵庫にあたかもしれない。

これは日本人としては間違いである。

気持ちのいい入浴。

2012-12-21 | 世界の写窓から
(source/unknown)

にゅうよーくでの話、

満員の飛行機の中で、白人の客がキャビンアテンダントに席を変えてくれと詰め寄っている。聞くと黒人の隣に座るのが嫌なのだという。となりの黒人は下を向いて困惑しており、周りの人々も嫌な雰囲気を共有していた。

そして席を探しに行った乗務員が帰ってきた。
「あいにくこのクラスは満席ですが、ファーストクラスに一席だけ空きがありました。機長とも相談の上、お客様のお気持ちを汲み特別にそちらにご案内させて頂ます」

そういって、
黒人の客を誘ってファーストクラスに向かった。
もちろん一人の客を除いて、他の客みんなが心の中で「ブラボー」と称えた。


より多くの関係者に気持ちよく過ごしてもらう。これがサービス精神というものです。

メッセージ

2012-12-20 | 意匠芸術美術音楽
(poster/Environmental pollution/Shigeo Fukuda, 1973)

環境汚染についてのこのメッセージは重い。

饒舌に多くを語らなくても、腹に来る。

強いメッセージ性とは、それを解かれ、というより、それについて考えろ、と突きつけられるものだ。

私は言い様のない感情で、あるメッセージを受け取り、その言い様を考え探している。

フォーカス

2012-12-19 | 世界の写窓から
(source)

つくづく思う、焦点の合わせ方や絞込みのこと。

自分には何ができるのだろうか、としなければいけないのに、どうすべきか、としてしまう。

正しいのは何か、とするまえに、何を正しいと考えなければいけないのか、が抜けてしまう。

正しい問いが必要なのに、簡単な答えを見つけようとする。

わかってはいる。わかってはいるが、これがなかなか。

フレーム

2012-12-18 | 意匠芸術美術音楽
(artist/Gilbert Garcin)

フレームの中を見ている若い人をフレームを通してみている中年の人をより大きなフレーム越しに覗き込む老人。

見ている、若しくは見えている人はこれで最後だろうか。

いやそうではない、私があなたが今見ている。そしてその私をまた誰かが見ている。

ここにフレームとして切り取られ提示されたものがある、それを眺め私は自分なりのフレームとして切り取り選択する。そのフレームは大きいのか、小さいのか、豊かなのか、貧しいのか、美しいのか、醜いのか、・・ただいえることは、私はそのフレームの中に居るということだ。

充分条件と必要条件。

2012-12-17 | 意匠芸術美術音楽
(original unknown)

条件は充分だと思えるのに何故か越えられない。

それは

何かが深刻に間違っている。

そんな壁にぶちあたったら

現在のやり方を「改善」しても意味がありません。やり方をすっかり「変える」必要があります。


充分な長さの梯子でも、横に積んだのでは、はしにもごーにも掛からない。

鰯がいっぱい。

2012-12-14 | 意匠芸術美術音楽
(版画/畑中純)

私は寒いのは苦手だ。縮こまるから肩が凝る。血行が悪くなるのが苦手なのかもしれない。

そんなときにこういう作品は効く。

肩の力が抜け、ほっこりと血行が良くなるのだ。


選挙期間中の立候補者の事務所なんかにこんな絵がかかっていたら、その候補に迷わず一票を投ずるかも知れない。

猫はいっぱいの食えない鰯を眺めている。

雲をつかむような話に耳を傾けている。

もののことわり。

2012-12-13 | 世界の写窓から
(photo/Berenice Abbott)

動く物体は外力がかからない限り、その動きを止めない。

とか

太陽は東から昇って西へと沈む。

とか

世の中には真実として通っている事柄があります。

ただ

自然の摂理に反するようなことは、その真実らしきものを疑ってみる必要があります。

それはポピュリズムの幻想である。

とか

それは口先だけのまやかしである。

などといったことです。


動く物体は外力がかからない限り、その動きを止めない。

という前提があるからこそ、動きが止まるのならば、そこにはなんらかの外力の存在があるということが、解ってくるようなことだと思います。

こころ停めるとき。

2012-12-12 | 世界の写窓から
(photo/Hiroshi Watanabe)

そうそう、そこもう一押し。そしたら恋のキューピッドが矢を放つ。

グサッと刺さったら、フォーリンラブで一丁上がり。ということになっているらしい。

矢には惚れ薬が仕込んであり、刺す、ということは一種の注入であり注射である。しかし、薬やキューピッドを頻繁に使うと効果が無くなる。

そういうわけで、場面に駐車禁止を取り込んで、ちゅうしゃと掛けてみたのかもしれない。

などとしょーもないことを勝手に思うのも、作品を眺める楽しみの一つである。

馴染み。

2012-12-11 | つれづれの風景。

さっき一緒に蕎麦を隣で食べただけだけれども、もう馴染みだ。

昵懇の二人と馴染みになれたことで、寒さも和らぐ。

こういう人に出会えると、ありがたい。

人懐っこく世話好きで人生は如何にも楽しいものだ、と人を感化させるオーラの持ち主たち。

ありがとう、ご両人。お元気で。