ペダルに伝わった力は、チェーンを経て、基軸を動かし、後輪の回転を産む。
制御された出力レベルが、推進力と安定性を司りながら、絶妙の駆動状況に転化される。
その成果は、業務・生活・レクレーション・健康の分野にまで及ぶ。
自然界に車輪の付いた生物は居ない。
車輪という人類のオリジナリティーあふれる発明の傑作。足漕車。
聡明なメカニズムに、一体化する使用感。
足で漕ぐ。手で捏ねる。身体で操る。
自らの意志を寸分紛わず具現化するレスポンシビリティ。
責務も自由も意のまま・ありのまま。
蟻のママではありません。
ママアリ。ママチャリ。・・・もとい・・。
特殊技能はいらない。
ほんの少しの勇気と努力と経験。
さ。行こう!
漕ぎ続ければ、いつかはどこかでファンタジスタ。
・・・。
自転車は漕ぎ続けなければ倒れます。
鮫は泳ぎ続けなければ呼吸ができません。
人が求め続けるのも同じようなことではございませんか。
本物には、金剛界と胎蔵界の曼陀羅がある。
真言密教の芸術作品である。
その教えが何を意味するのか、不明の部分も数多いと聞く。
のうまくさんまんだらにやううん・・・・・。
確かこのようなでだしで真言は始る。
幼少の頃訳もなにもわからないまま、追従していた覚えがある。
確かにあの頃頭の中には、まんだらが出没していたような幻想を持っている。
複製の曼荼羅が家の仏壇におわしゃったせいかも知れない。
やがて成長を重ねるにつれ、現実思想が生活を取り巻き、いつのまにか霊的であるはずの純真なる原初の体験が忘れ去られた。
しかしだ。
全てが消滅してはいなかったようだ。
不惑の年齢を過ぎた頃からしばしば、このルーツのかけらが姿を見せ始めた。
それは、奇しくも人の助けを借りないと生きていけない状況を感知し始めた頃と前後する。
また、近きものとの死別や自らの不調といった「胎蔵界」といえなくもない出来事と、生きる為に行うことの意味や、競争に打ち勝つ為の知恵といった「金剛界」といえなくもない環境に対して、その折り合いをつける作業が発生した頃からであろうと思う。
まんだら。の感性は多分に小生に影を落としているのだろう。
想うに。
描かれた曼陀羅というより、描くというその行為そのものに「まんだら」が現出するのではないかという思いはこの頃一層強い。
それは筆を取る、砂を撒くという作画的な営みに限らず、時空間に環境や人の存在が配置されるのは何故か?小生が抱えている「今」とはなにゆえか?という問に至りし折に、まんだら模様が頭をよぎる。
存在と思想と行為が、まんだら組成への磁場となっているようについ考えてしまう。
その時。自己は曼陀羅の源泉。いわゆる画で言う「如来」の位置に否応無く座っている。若しくはそこに居ざるを得ない。
ひとそれぞれにまんだら。
互いに円運動を繰り返しながら作用反作用を起こす。
その生成・形成のメカニズムはカオスながらも、求心への意志を持つ渦のように見えるのである。
この存在と思想と行為は。
クラインの壷や、メビウスの輪のように、胎蔵界と金剛界を行き来している自己の軌跡の、残像まんだらと思えてならないのである。
曼陀羅の原風景が小生に与えた影響は、あるいは最も色濃く残る源思想なのかもしれない。。
逆光に堪える。
逆境に耐える。
似ているようでもあります。
墨を刷いたような薄明かりに。
色の無い影だけの柳は。
天気任せ。風任せ。
柳に聞く。
何の理由があって任せ切れるのかと。
笑って答えず。
聞いた愚問を。
さらりと受け流した。
すぅーっと引かれた一本の線。
微かに揺れた。・・・風が通り過ぎる。
逆境対処促進法。
ふりをしたのは。
色を見せない柳でありましょうや。
柳を隠した薄明でありましょうや。
観得ない風でありましょうや。
つわもの達であります。
心おのずから閑なり。
梅沢さんの歌詞が浮かんだ。
その一節。
「恋のからくり 夢芝居。 稽古不足を幕は待たない 恋はいつでも初舞台」
恋に酔う。
その恋とは何ぞや?
恋焦がれる。
なにが焦げるのであろうか?
お口にとっての恋人が、ガムであるらしいことはわかっているが。
八代さんは歌う。
「憎い。恋しい。憎い。恋しい。想い想って。今は切ない」
藤原の鎌足さんは50も過ぎて、10代のやすみこに恋をした。と確か万葉集にある。
伊藤素子元被告は、恋人の為に銀行で多額の横領をやってのけた。
ロシュフコーさんは言う。恋愛はしばしば、最も利口な人間を馬鹿者にし、最も馬鹿な人間をしばしば利口にする。
なんのこっちゃ?
・・・。
屋根瓦職人の伝七が、呉服屋の一人娘おみよと恋仲になった。
しかし回船問屋の一人息子、新衛門から横恋慕が入ってしまう。
おみよは伝七に心惹かれつつも、親同士が新衛門との縁談に乗り気になる。
しがない瓦職人と大店(おおだな)の回船問屋では甲斐性が違いすぎる。
伝七:「おいらなんかでおみよちゃんが幸せになるとも限らねぇ。断ちがたい想いにゃちげぇねえが、男伝七涙をのんで、この際きっぱりとおみよちゃんに下駄をあずけることにしやした。」
・・おみよは、伝七と添い遂げたいと願ってはみるものの、何せ封建時代のことである、個人自由恋愛などもってのほかの世相であった。特に気立ての優しいおみよにとって、お父っつあんに迷惑もかけられないと心は揺れる。
・・・。
こんな話。貴方ならどうする?
舞台に。役者に。ストーリー。
からくり次第。
男と女。あやつりつられ。
めぐるアゲハの。誘い誘われ。
めぐるからくり。酔一春。
この思いを我が同志にささげる。
亀はスキンヘッドだ。
だからという訳では全く無いが、禿頭は寒暖の差が著しい。
毛のある諸君には全くもって未開の地の如く激しい。
考えてみてほしい。おびただしい毛根の表面積が丸裸で温度を感知するのですぞ。
さえぎるもの無し。
初心者は間違いなく風邪をひく。
この夏場もまた強い直射日光と冷房のおかげで、禿族の生息環境は、体感温度の急激高低差、酷暑酷寒の壮絶なる条件下におかれる。
設定温度25度の冷房下であったとしても、冷風にさらされる禿頭の表面温度は瞬間10度を下回る。戸外気温30度であったとしても、照りつける日差しが常体温度との相乗効果を飛躍的に一気に高めその温度は瞬間値45度を大きく超える。
あの生育不毛の地カラハリ砂漠の環境に似たものとなるのだ。
冬場はこの超常現象の逆バージョンが待ち構える。
料理に例えるなら、〆るために熱く焼かれて氷水に放り込まれるアレや、アイスクリームが高温の油で揚げられるアレが、日常繰り返されるという非業さ。
試しに強冷房下に3時間以上生息する禿族の「その部分」を触ってみたまえ。
ひんやりアイスノン、を彷彿とするはずだ。
炎天下で3時間以上徘徊した禿族のそれは、朦朧と立ち上がる蜃気楼の如く、熱が憤懣やるかたなく立ち上っているはずだ。
・・・触る勇気があればの話しだが。
亀は変温動物だ。
寒さ暑さのこれほどの変化に適応するには、ある種の変温動物的変態性が欠かせない。
変温動物の行動は、恒常的・持続的活動を自らは産み出せない。
又、その時のチャンスを逃せば何時又やってくるかもわからない。
為に、チャンスと行動の効率化を最大限化しようとする。
変わってる。日和見。すけべ。鈍感。稼ぎがのろい。酔っ払い。
私を責めないで。
禿を責めないで。
亀を責めないで。
と言いたい。
過酷な生存環境に適合しようとしているいじらしい姿なのだ。
通常の毛生え族の諸君は、これを現実と捉えるだろうか?
はたまた、訳の判らない禿の言い訳の独りよがりと捉えるだろうか?
私は亀がいとおしい。そのステップがいとおしい。そののろさがいとおしい。
禿にして。始めて判る禿のいとおしさもあるのだ。
だから私は思う。見かけや行動だけで人を笑わないでと。
なんといわれようとも、私は。亀が。禿が。好きだ。その耐えてる姿が好きだ。
そんな亀にも物語がある。
そんな禿にも物語がある。
こんな私にも物語がある。
その一歩はのろいけれども着実な一歩となるのだ。
亀はスキンヘッドだ。
だからという訳では全く無いが、禿頭は寒暖の差が著しい。
毛のある諸君には全くもって未開の地の如く激しい。
考えてみてほしい。おびただしい毛根の表面積が丸裸で温度を感知するのですぞ。
さえぎるもの無し。
初心者は間違いなく風邪をひく。
この夏場もまた強い直射日光と冷房のおかげで、禿族の生息環境は、体感温度の急激高低差、酷暑酷寒の壮絶なる条件下におかれる。
設定温度25度の冷房下であったとしても、冷風にさらされる禿頭の表面温度は瞬間10度を下回る。戸外気温30度であったとしても、照りつける日差しが常体温度との相乗効果を飛躍的に一気に高めその温度は瞬間値45度を大きく超える。
あの生育不毛の地カラハリ砂漠の環境に似たものとなるのだ。
冬場はこの超常現象の逆バージョンが待ち構える。
料理に例えるなら、〆るために熱く焼かれて氷水に放り込まれるアレや、アイスクリームが高温の油で揚げられるアレが、日常繰り返されるという非業さ。
試しに強冷房下に3時間以上生息する禿族の「その部分」を触ってみたまえ。
ひんやりアイスノン、を彷彿とするはずだ。
炎天下で3時間以上徘徊した禿族のそれは、朦朧と立ち上がる蜃気楼の如く、熱が憤懣やるかたなく立ち上っているはずだ。
・・・触る勇気があればの話しだが。
亀は変温動物だ。
寒さ暑さのこれほどの変化に適応するには、ある種の変温動物的変態性が欠かせない。
変温動物の行動は、恒常的・持続的活動を自らは産み出せない。
又、その時のチャンスを逃せば何時又やってくるかもわからない。
為に、チャンスと行動の効率化を最大限化しようとする。
変わってる。日和見。すけべ。鈍感。稼ぎがのろい。酔っ払い。
私を責めないで。
禿を責めないで。
亀を責めないで。
と言いたい。
過酷な生存環境に適合しようとしているいじらしい姿なのだ。
通常の毛生え族の諸君は、これを現実と捉えるだろうか?
はたまた、訳の判らない禿の言い訳の独りよがりと捉えるだろうか?
私は亀がいとおしい。そのステップがいとおしい。そののろさがいとおしい。
禿にして。始めて判る禿のいとおしさもあるのだ。
だから私は思う。見かけや行動だけで人を笑わないでと。
なんといわれようとも、私は。亀が。禿が。好きだ。その耐えてる姿が好きだ。
そんな亀にも物語がある。
そんな禿にも物語がある。
こんな私にも物語がある。
その一歩はのろいけれども着実な一歩となるのだ。
お大師様はいつも見ておられるぞよ。
見えないところでこそ努力をせにゃならん。
どないな意味でっしゃろ?
例えばやな。
地道な努力が世間に知れると。恥ずかしいがな。
やってなさそうで案外やるやないか。
ちゅうのが、かっこええんや。
見えへんところでの努力や。
せやけど。隠れてこそこそしたらあかん。
見られてる世間もある思うたら、妙なことはせんやろ。
そう思わんと世間が狭うなりまっせ。ちゅうこっちゃ。
なるほど。壁に耳有。障子に目有。
せや。見えんところでする努力が見えたら捕まる人もおるわな。
詐欺や横領や虐めやらの犯罪をしてしまう人はやね。
人の目さえ盗めたらいってまう人達や。
やっぱりあれですわ。世間をなめてますわな。
せや。世間ちゅうのは、己の世界観。つまり心の問題や。
見えへんでも世間は見とる。と思わなあかん。
おのれの了見だけで身勝手になめたらあかんのや。
せやからな。心の箍が割合簡単に緩んだり外れたりしよるんや。
地道な努力も、隠れてする悪さも。基本は同じでもや。
心に箍があるとないでは大違いちゅうことでっしゃろな。
あんたはん。今日は何時に無くご立腹でっか?
せや。小耳にはさむことがな。どうも姑息で無責任な輩(やから)の話が多いんちゃうか思うてな。
恥ずかしい話やで。そらま。我が振りもなおさなあかんけどや。
躾の問題なんでっしゃろか?
ええ歳こいてやな。躾でもおまへんやろけど、なんや緩んでるのちゃいまっか?
ふんどしでっか?
あほ。
・・・・・。
写真は弘法大師空海さん。
空海さんのみならず、世に聖人は数多い。
人はその歴史上多くの信仰の対象を生み出してきた。
小生は想う。
信仰とは、心の箍を維持するのに貴重な大目付なのではと。
つまり。
緩み外れそうな自己を躾、律しようとするならば。
世間を構成している見えない律儀さ。というようなものを信仰する必要がある。
その精神性の維持に、空海さんを始め神仏の果たしている役割は大きい。
と。斯様(かよう)に思うのであります。火曜に。
・・・。
1970年の傑作。
偉大なアーティストの快作。
二度と忘れられない顔。
誰のものにも似ていない表現性。
類稀なるスピリッツ。
人間をモニュメントにまで高められる稀有な創造性。
その人。ミスターOKAMOTO。
西欧列強に対し、近代社会での後塵を、甘んじて受け入れざるを得なかったアジア及び有色人国家が、初めて世界に対して、「こんにちは。こんにちは。」と高らかに歌い上げた時代の遺産。精神的支柱。
存続の危機にも立ったという。
愚かな日本人と言われないでよかった。
愚かな人間と、愚かさを寸前で回避できる人間。
太郎さんは、そんなことを心魂込めて表現するつもりだったのではなかとでしょうか?
表に光り輝く金色と。裏には大きく燃える深遠。
太陽の塔。
この年月。いかなる年月か。
物語を象徴しつつ。
今も大阪は万博記念公園に聳え立つ。
モニュメント。太陽の顔。
毎年。花見は必ずここで。決めておるのでございます。
雲がのぼり始めたな。雨が降る。
のぼるとは、北に向かっていることを指すらしい。
晴れ間は失せ、曇天が低く垂れ込める。
どんどんのぼる。
もうじきやって来る。
フレスコの中でくぐもった空気の昇華が天上で冷やされ凝固する。
対流にもてあそばれ離合集散を繰り返しつつぶつかり拡散する。
ある時点、其の刹那、姿をあらわす。
感知に値する集団。
雨。
御伽噺の。物語の。経歴の。
季節の。地形の。風向きの。
其の亦偶環の数が雨の数。
やって来た。
おまえ。どこから来たのかい?
返事は無い。
暑くるしいでんなぁ。
あのブー。失礼ちゃうん?
ようこの暑さで寝れますなぁ。
ほっといてんか。ブー。
写真。撮らしてもろうてもよろしいか?
かってにしよし。ブブブ。
名前あるんでっか?
そんなもんあるかい。あんたら人間が勝手に豚なんて呼んでるだけや。ブ。
えらいすんません。ところで屁はやっぱりブー!っとしますんやろな。
知らんっちゅうねん。鼻がチョイ悪いよってにな。
猪八戒は、字面から言うと、豚じゃなく猪やったんでっか?
そんなこと。わし知るかい。
しかし。体の割りに足首細いでんなぁ。
何処見てるん。
黒毛和牛ではなく、黒毛和豚さんでっか?
しつこいなぁ。知らん言うてるやろ。
口んとこか鼻んとこ。汚れてまっせ。
ほっといて。言うてるやん。
ええ体してますけど、バスト・ウエスト・ヒップは見分けつきませんなぁ。
だから。何やの?
何考えてますの毎日。
飯のこと。
ほー。食う為に生きてますのか?
いや。食われる為や。
さすが達観してはりますなぁ。道理で貫禄あるわ。
そのあんさんの帝観。いただきます。
はいはい。もうええから。あっちいき。ごちそうさま。
・・・・。
先日私は芋ほりをしました。とても疲れました。
自分で苦労して得た食べ物は残せなくなりました。
そして毎日の食事には、感謝の気持ちが生まれてきました。
おかずは黒豚の角煮と芋の煮っ転がしでした。
ご飯を食べるときには手をあわせましょう。
いただきます。と ごちそうさまでした。
あなどられないためにも、節操が必要である。
金を侮れば。金に侮られる。
人を侮れば。人に侮られる。
状況を侮れば。落とし穴が待っているのだ。
悔いを残さない唯一最善の方法とは、節操にあり。
・・・とは言うものの。
なかなかどうして。こうして。
節操の醸成は難しい。
それぞれ人は。
情熱のパトスと。
論理のロゴスと。
信頼のエトスと。
を持っている。
パトスとロゴスとエトスが戦い、醸成を歪める。
ガメラとゴジラとモスラが戦い、情勢を歪めるのではない。
・・もとい。
侮らない。侮られることのない。節操。
年齢やステイタスに関係のないところでの節操。
自己に由来し自己に帰来するものでありましょう。
ために。
ひとつ。
ええ歳こいてなんではありますが。
自分の人格がはっきりするまでは、脱皮を繰り返してみよう。
と思うのであります。
晴れた。
咲いた。
真っ赤っか。
ヒカリとミドリとザクロの赤。
はらわたにしみわたる赤。
真紅でもない。朱でもない。
妙になまめかしくも霊的なのであります。
玄人赤。
柘榴の実のつぶつぶと表面と中身と酸っぱさの前触れ。
気が触れそうになる色の花。
うわぁ。
そんな事。できるんですか?
妄想を引き出す花。ザクロ。