南無煩悩大菩薩

今日是好日也

モノと記憶とグラフィティ。

2012-07-31 | 意匠芸術美術音楽
(graffiti by Ernest Zacharevic)

面白いのとちょっとしたスリル、無垢な興味が体中に満ち溢れている。

大人自転車はそんな子供のかっこうの標的だった。

危ないからなどという大人もいなかった。

そんなことを想い出す。

やんちゃな人と云うのも、あれは無鉄砲というより、ちょっとだけ背伸びの好きな人のことだろうと思われる。


「フェア」の難しさ。

2012-07-30 | 古今北東西南の切抜

あなた、自分で見たものと私の言う事とどっちを信じるんです。
-グルーチョ・マルクス-


昨日の五輪の柔道の試合で興味深い光景がありました。
判定にもつれ込み審判の判定結果に会場内はブーイングの嵐となり、ジャッジ側のしばしの混乱の後、再度の判定で勝敗が覆りました。今まででは考えられなかったとんでもないことだと解説者は語っていました。

電話が出来た時、テレビが出来た時、そして手紙が電子に移り変わったときと、情報化社会と共に、私達は少しづつ惑わされない力、つまりより「フェア」に物事を捉える力を身に付けてきたのかもしれません。

先のブーイングは、自分の見たものを信じ、権威に対してもの申す人々の意思の表明であり、自然発生的かつ無暴力の抗議です。
私の目には、ガンジーの塩の行進もさもありなんと映り、何か込み上げてくるものがありました。

抗議を無視したり力で押さえつけるのではなく、判定を覆した審判団にも、大変な勇気が必要だったはずです。

しかし、大会がもし第3国ではなく、どちらかの地元開催だったらどうなっていたのでしょう。


良性の洗脳。

2012-07-26 | 意匠芸術美術音楽
(painting/Mr.Brainwash)


若者は、ライフ イズ ビューティフル を謳歌する。

老年は、ライフ イズ ビューティフル を提示する。

それは、激情的反発で無頓着の自己発動。

それは、倦怠的諦念で無責任な離脱退却。

だからこそ、自らを洗脳する必要がある。

いつであれ、なににせよ、ライフ イズ ビューティフル。 

あるものに気付く。

2012-07-24 | 世界の写窓から
(original/unknown)

光が降り注ぎ光が溢れ光を実感する。

雲の隙間や森の中など、全面的に光に包まれていない環境に居るとき、光の存在はより強くなる。

自信、希望、喜悦、充実、快方、覚醒、得心、光が差すこんな心象風景を誰でも持ったことがあるのではないだろうか。

この世界の尊さを感じる瞬間でもある。


暗闇が無ければ、星は輝かない。

刻まれ刻み刻むべく

2012-07-21 | 有屋無屋の遍路。
(source)

無常迅速生死事大と謂われる。

春夏秋冬神祇釈教恋無常というのもある。

今日は人も無く、さびしきままに時の音を聞き遊ぶ。

芭蕉の「笈の小文」の中にこんなくだりがある

・・・・・四時を友とす。見るところ花にあらずという事なし。思うところ月にあらずという事なし。

せいかあるはずがないがしろ。

2012-07-20 | 世界の写窓から
(photo/Werner Bischof)

「お前は根性が曲がっているのだから、姿勢だけは良くしなさい。」

明治女の長生きしたばあさんに云われてたせいか、小学校の頃は剣道をやっていたせいか、せいかせいかの成果で、多少は姿勢がましなようです。

この頃歳を重ねたせいか実感するのは、なるほどなるほどと思うことが多くなったということです。

姿勢を意識して正していると、あんまり卑屈にならない、ちょっとだけ余裕が持てる、ような気がします。

幼少の時分に牛の糞にまみれて育った子はアトピー症になりづらい、なんていう話も聞きますがそのせいかでしょうか、小生の持病は痔病ぐらいで今まで来ています。

作法という言葉があります、これなどもなにかのせいかせいかで成果を得られる為の一連の訓練動作だと思われます。

ないがしろにしなければ大きな美徳を産むが、それが何のせいなのかが良くわからない事がたくさんありそうです。

ないがしろにすれば、いつか成るはずの美徳も永遠に失われるということでもあります。

無邪気にも程はある。

2012-07-19 | 世界の写窓から

月はこのように見える。



それを、このように見るところが、センスでありメルヘンでありポエジーでありファンタジーである。



(original unknown)


地震は大きなナマズが下で揺らしている。などもそうだがそれはお伽の世界に遊ぶ限りにおいてはむしろ喜ばしい。

そんなバナナ、と鼻で笑う子供も可愛くないが、その類のことをまさか本気で信じているのか、と思わせるような中高年は全く可愛くないし、害でさえある。

例えば、
「私には兎が見えていました。ただよくよく勉強し近づいてみると幻想でした。」
仕事、特に政治や経済に関る、この類のファンタジックな人々を見よ。

生の芸術。

2012-07-18 | 意匠芸術美術音楽
(source/TurtleKiss)

アカデミズムや既成の価値観や正規の技法等に囚われることなく、生のみ生のまま生でする芸術的表現が、アール・ブリット/生の芸術と謂われる。



どうだろうか、これなどは間違いなく生の芸術の一種だと思える。


画伯の名は、ミスター・タートル



好いと思ったものは、それがどんな産まれ育ちであろうが、やはり関係なく好いと判断したほうがいい。

タートルであることがネックだなどと考えてはいけない。

まちなかの仙人

2012-07-13 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/Martine Frank)

出すぎたことを気にかけ、くたびれてはいても態度は朗らか、、言葉は少ないながらも解り良く声を出し、若い者の喜びを真面目に見守りそれを楽しむ。

目は剥かず、剥く歯はなく、肩にも自我にも入れる力は忘れている。

なによりも、自分が人を傷つけ芽を摘むことを恐れている。

そして少しの茶気といくつかの魔法を持っている。

佳き事佳き人は、順番に巡り行きかつ往来することを信じて生きる。