10年1日の如く、シベリアあたりの永久凍土から、過去に葬られた遺体を掘り出し、当時の感染ウィルスの研究に人生を捧げている人々がいます。
第一次世界大戦当時のパンデミックにより世界に広がったウィルスの抗体は今の豚ウィルス型に近いとも言われているようで、この人たちがそれを行ってくれていたおかげです。
インフルエンザを初め、伝染病の過去の脅威を発掘研究する事が、どれほど今の私達の安全・予防に役立っているかはわからない。
牛の死体を調べ、鳥の死体を調べ、今又豚の死体を調べながら、人類への脅威を少しでも取り除こうとしている人たちがいます。
新たな脅威の最前線にいる人たちは、我が身に降りかかる未確認の危険にも敢然と立ち向かっているはずです。
私達は、実際に知ることも、思い至る術もない現場、そこで繰り広げられている人類の歴史の様々な献身的な活動に支えられて、存在させてもらっていることを痛感します。
好き嫌いをいってはいけません。
手を合わせなさい。
と世の母は子供に諭す。
牛でも鳥でも豚でも野菜でもギョーザだろうが、感謝して食べなさい。と。
その訳は、そういうことなのだ。
誰かの献身を無駄に利用してはいけないのだ。
全ての理由は、わからない人生だから、全ての恵は献身という土壌から出来ている。その献身に感謝しなさい。と。
安全や安心や進歩を享受できるのは、それを支える人たちがいるからであり、それを当たり前だと思っていたら、罰が当たるとの教えなのである。
誰かの献身を無駄に利用することほど、罪作りなものはないのかもしれない。
えてして子は親に甘えるものでもある。
親への甘えは程なくしても、献身的な誰かへの甘えは、我侭傲慢という罰となり身を危険にさらすだろう。
しかし。
わが子よ。君もやがては知るだろう。
いただきます。とごちそうさま。の本当の意味の所在を。
そして君になってほしい。
社会の異物ではなく、献身的な社会の一員に。