南無煩悩大菩薩

今日是好日也

卓越性へのコーチング

2021-08-27 | 古今北東西南の切抜

(picture/source)

卓越性は、それを発揮する人物と密接かつ見事に結びついている。

一人ひとりの卓越性は、唯一無二の形でその人の個性を表現する。つまり我々一人ひとりが卓越性を持つことは容易であり、そこには我々の一番すぐれた部分が自然に、柔軟に、知的な形で発現する。

卓越性を伸ばすことはできるが、強制することはできない。また、卓越の反対は失敗ではない。しかし人は実質的にすべての試みについて、卓越の反対は失敗だという前提に立ち、病理学的機能の仕組みを研究して失敗の反対を行えば、あるいは足りないとわかったものを補えば、最適な機能を生み出すことができると考えている。この前提には欠陥がある。

病気について研究すれば、その病気のことはわかるだろうが、健康についてはほとんど学べない。憂鬱を取り除いても、喜びには近づかない。幸せな結婚と言う話題について、離婚の話は意味がない。辞める社員に退職時面接をしても、他の社員が会社に残る理由はわからない。失敗を研究すれば、失敗についてはよくわかるだろうが、卓越性の実現方法については何もわからない。卓越性にはそれ自体のパターンがあるのだ。

失敗に注目することの問題点はそれだけではない。卓越性と失敗にはしばしば多くの共通点がある。そのため、たとえば無能なリーダーについて調査し、彼らの自我が強すぎることがわかったからといって、よいリーダーは自我が強すぎてはならないと主張すれば、人々を駄目にしてしまうだろう。なぜだろうか。それは、非常に有能なリーダー性格診断をしてみると、彼らもまた非常に強い自我を持つからだ。よいリーダーになるためには自我をなくせというのは、欠陥のあるアドバイスである。実際には、有能なリーダーは自我を自分の為ではなく相手へのサービスの為に発揮している。

ここで重要なのは、成果の出ないパフォーマンスをいくら調べても、こうした発見にはたどり着かないということだ。

求められることの大半はあらかじめ決められた手順に沿ったものではなく、ついでに言えば、他者の欠陥を暴く能力でもない。人々が唯一無二の才能を全体の利益のために役立てた時にこそ、全体の利益は発展し続ける。

我々人間は、意図のよくわからない相手から、自分の現状や、「真の」素晴らしさ、改善のためにしなければならないことを指摘されても、よい働きはできない。卓越性を伸ばせる唯一の機会は、自分の事をよく知り気にかけてくれる相手から、その人が体験したことや感じたことを教えてもらった時、特に我々の中で本当に有効な何かが発揮された瞬間を見つけて教えてもらった時なのである。

解決策は既に個人の中にある。あくまでも、相手がそれに気付くように手助けするだけである。その際、WHY(なぜ)に力点を置くべきではない。それはあなたと相手の両方を、憶測と概念の曖昧な世界に迷い込ませる原因になる。そうではなく、WHAT(なに)にフォーカスすることだ。

-切抜/d.h.b.r.2019.october より

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ものの妙

2021-08-21 | 意匠芸術美術音楽

picture/Mahmoud J.Alkurd - Hope(Espoir),2014)

すべてのものの「妙」とは何か。

それはこの文字のごとく、若き女の乱れ髪であるという。

つまり、「結うに結われず解くに解かれず」

ということらしい。

Ara Malikian. Tour 15. Misirlou (Pulp Fiction Theme). Circo Price Madrid.

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何はともあれ綽々

2021-08-19 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

(gif/source)

雲のかかるは月のため 

 風の散らすは花のため 

  雲と風との有りてこそ 月と花とは貴けれ

 憂きことのなおこの上にもつもれかし 限りあるみの心試さむ

ー蕃山熊沢了介

さくらさく吉野の山の花守と なりてこそ知れ花の心を

これもこの人の詠である。

桜は人が褒めた方と言って喜びもしなければ、人が惜しんだからといって悲しみもしない。与えて萬人の見るに任せて栄辱もとより関知せず。花を外に見るのではなくこれを心に見る、仏教ではこれを心華開発と云うそうだが、花は植物のもっとも精なるもの、これを心のもっとも精なるものに喩えてこの心の花を咲かせることで天道夢想苦行涅槃の世に綽々たることを担保する。の心持である。

自己の真価、自己知る、他の評価もとより与らず。

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らんらんらん

2021-08-16 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

(gif/source)

利発な小僧さんが庭掃除をしていて、主人が大事に育てている蘭(らん)の鉢を五つも落として割ってしまいました。

それを見た主人は腹立ちまぎれに小僧を睨みつけて叱り飛ばしました、が小僧さんは一向平気に、

 一らんでニらんで見れば三らんす 四らん顔して五らん遊ばせ

と歌うように洒落ましたとさ。

Nausicaä theme (lalala) | Requiem

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虚無僧

2021-08-01 | 世界の写窓から

(Bodisattva/original unknown)

尺八を吹く人は世間にたくさんあるが、真に尺八の妙趣を会得して吹く人は稀である。尺八寸の1管の笛は、単に人の心を慰める玩弄品の笛ではない。あの尺八の裡には実に甚深の禅理が寓せられている。

尺八の元祖は紀州由良の興国寺法燈国師の弟子虚竹禅師、その人であるが、故事来歴のことはしばらく置くとして、尺八を吹く人のために、尺八の極意を語ってみる、尺八には投機の偈と云うがある。これは虚無僧の経文とまでせられている偈頌で、実に大切なる二十八文字である、曰く、

一従裁断両頭後 尺八寸中古今通 吹起上那一曲 三千里外絶知音 

尺八の極意はこの一絶のなかに含蓄されている。此の偈頌は解ったようであっても、その奥義に徹底することは容易ではない。が、今ここに蛇足をつけてみると、笛はわずかに尺八寸の管であるが、これに唇を触れて一曲また一曲と吹き起こすときは、心中の雑念、いつしか雲と散り煙りと消えて、我もなく人もなく、笛の音もなく、いわんや恋い、富み、煩悶、名誉利達の念のあろうはずがない、三千里外何物も無くなって、唯天地間に一つの微妙なる笛声あるのみ、ここに至っては悪魔も覗うこと能わず、神仏も守ること能わず、天地独歩の境涯で、この境涯に体達しない以上、真に尺八の極意を会得したとはいえないのである。

すなわち虚竹禅師はこの尺八によって世尊伝来の的々相承の禅理を諸人に周知させるため、また一つには尺八によって人の荒い気性を和らげ、汚穢なる心情を洗い去るために、自ら虚無僧となって天下を周遊せられたのである。

今ここに一軒の家があって夫婦喧嘩をはじめ亭主は割り木を振り上げうぬ畜生!と怒鳴り、女房はなに糞!とすりこ木を持って喧嘩をしている真っ只中へ、飄然一人の虚無僧が天地も蕩けよと嚠喨たる尺八吹奏してきたならどうであろうか、微妙の笛声が耳朶に触れ心の琴線に響いたならば、鬼の如き夫婦も、我知らず魅せられて一種の霊気に触れたかのごとく、振り上げた手もいつしか垂れ下がって、心中なにものかを悟るがごとき思いがあるであろう。

すなわち虚無僧が人の門の前に立って尺八を吹くのは、もと一切衆生を強化する大慈悲心より出たものであるが、近ごろの虚無僧にこの心あるや否やは、予の知るところではない。

引用/村田無道「参禅実話」より

Tamuke (Offertoire)

 

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