南無煩悩大菩薩

今日是好日也

黎明。

2008-11-29 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

髪の乱れは気にしても、心のみだれは直さない。

服の破れは繕うても、心の穴はつくろわず。

顔に鼻糞つけば、取り去るが、心の汚れはぬぐわない。


わるいとは しりつつわたるままの川 流れて淵に身を沈めけり。


誰にでもそんなことがあるのでございます。


かたちこそ 深山かくれの枯れ木なれ 心は花になさばなりなん。


気がついたのであれば、それが黎明。



朝焼けの雲は流れ ようよう明け射す光の眩しさよ。

雨は上がり鳥は歌い草木はそよぐ聡風に。


黎明とは、何事につけそのようなものであろうとおもうのでございます。


気がつけば。

人は誰でも変わることが出来る。それもよいほうへと。

そうおもえるのでございます。


いくつかの黎明を重ねつつ。

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もうひとつの経済。

2008-11-28 | 有屋無屋の遍路。

お遍路さんの休憩所には、山清水が滾々と湧き出ている。

誰かが発案する。

水車をつくろう。

山持ちのじっちゃん、わしは木を切ってくるよ。

田持ちのばっちゃんは、樋で水を引く。

大工の棟梁は製材して組み立てる。

石工の大将は刻む、南無大師遍照金剛。と。

左官の兄ちゃんが、それを基礎から練りこむ。

そうしてみんなで、お遍路さんへの、オアシスとモニュメントを完成させる。

巡礼者にとりそれは、疲労困憊を癒し、新たなエネルギーを与えてくれるだろう。



そんなふうにして造られたのではなかろうかと思う。

四国の遍路道には、いたるところ休憩所はつくられているが、行政が、予算組みして作ったものとは、明らかに趣が違うのである。

規格化されて、流通に乗った、経済社会の取引の上にうまれた構造物ではないような気がするのである。

そうであれば、

富の移転、兌換、貸借、取引、消費という表の経済には決してでないもうひとつの、経済活動がここにある。

経済的な生業を立てるものを生かしながら、無償の提供をおこなう。

つまりそれは、また個人たちにとっても、満足、および達成と感謝という無償ながらも有意義な報酬を受け取ることになっている。


例えば、親が子に行う教育やしつけにおいても、表には出ないその労力や時間消費はもう一つの経済行為だ。

家庭内教育という表に出ない経済活動は、社会的能力という形に変換され、経済社会においてその子供のその国の経済価値を高める。

逆にそういったもう一つの経済活動が停滞すると、そのつけは、子供が社会に出て就職し、経済社会の一員になった時、表の実体経済にまわされるのである。いわゆる、一般常識の再教育という形で実質的な社会負担がうまれる。

金を払って得られる知識のみでは、生きることの勘所は得られないだろう。

子への教育や、無料休憩所の提供のみならず、子の親への介護や、先輩の後輩への指導や、趣味を生かしたものづくりなど、売上の計上されない労力や時間の提供はすべて、もう一つの経済活動といえる。

それらはすべて、経済社会に見えない形で貢献する。



縁の下の力持ちとはこういう人たちのことを言う。


水車のように循環によりエネルギーをうみ出すことも経済活動であれば、水車のうみ出す表に見えるエネルギーは、水車そのものを無償でうみだした人々のもう一つの活動が原点だ。

もう一つの経済活動の脆弱性は、表の経済のみならず社会の脆弱性にも繋がるだろうと思われる。




南無大師遍照金剛と、遍路道を進みながら、表ともう一つのもの、「同行二人」の意味をもう一度思い直してみるのである。

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禿山のすすめ。

2008-11-27 | つれづれの風景。

高木や低木や地衣類がそれぞれに寄り集まって林をつくり森を作る。

それは、それぞれにおいて、勝ち残ったものたちの独断場である。

幹を枝を伸ばし、葉を至る所に巡らし、あまねく光を我が物とし、土に根を張り、そこにある全てのエネルギーを独占するが如く、新参者を寄せ付けない。

こういうものも権力である。

かってはどの山も禿山であったろう。
そこに数多の種子が根付く。それらは、幾多の激しい生存のせめぎあい、競争淘汰の末に、その林の権力者となったのだ。

一旦出来上がった森林は、時の裁判によって、朽ち果て、光を呼び込み、場所を開け、競争参入の栄養を提供するものが出てくるまでは、変革者たる新参者は、権力に抗う余地はない。

自然の生業も、権力闘争にちかいものがある。


山火事や、山枯れによって、禿山が出現したときこそが、新しい権力構造に変革されるための公平かつ創造的なスタートとなるだろう。



山や林の話だけではない。

多かれ少なかれ、人間ある程度生きていると、私の中にも林があり森と呼べるような内なる権力の木々があり、それが、新しい考えの芽吹きを妨げているようだ。

これではいかん。と思うとき。

先入観、偏見や盲目、恐れといった変革の邪魔をする考え、そのはびこった旧来の内なる観念の自縛を感じ取ることも多いのである。


とってつけたようなことや、継ぎ足し継ぎ足しをしても、健全な森林も考えも産まれまい。


すっからかん、や、つるつるてん、にしてしまうことで、新しい気分になることだけは、間違いない。

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若藤と藤棚。

2008-11-25 | つれづれの風景。

老竹も 藤に抱かれ 花咲かす。


来年の早苗の頃には、ひとはなさかすであろう藤のつるが、真新しい藤棚の竹を這っている。

この仕込が、やがては、絢爛連朗の花のある憩いの屋根を普請する。

藤棚は藤棚として、藤は藤として。


普請は、その建ちゆくさまがおもしろい。

つるがのび行く限り、屋根の成長は止まらない。

やがて天井を形作れば、たとい老竹朽ち果てても、立派に自立を果す。


昨日今日明日あさってしあさって

さしあたっての楽しみは のびゆく風景。

まるまりながらもからまりながらも、止まることはない。

刻々逡巡と、その姿を整えていくであろう。


楽しみは、その望月の皐月のころ。

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労働と生産。

2008-11-22 | 有屋無屋の遍路。

当たり前すぎることは、その当たり前においてその肝要を見逃すことは多い。

肉体的精神的な労働というものを通じて生産を行う。

全ての生産物は、労働という前提なしにはあり得ない。

至極当然。

落とし穴は、労働をすれば、生産されるかということであろう。

しかし事実上、労働だけでは何も生み出さない。

石積大工は、石を積むという労働だけで、家という生産物は産まれない。

コメディアンは、冗談を発案しなければならない。

デザイナーは、サイン(記号)の変換を行わなければ成らない。

農夫は、土の声を聞かなければいけない。


労働をおこない、生産する。

その間に横たわる、形容しがたきなにものかが、それはどういうことかを決定する。

得心という生産が行われて初めて、労働はいきいきとした汗の光輝を放つだろう。



当たり前に思う自分自身であれ、権威や権力からであれ、

得心のない、強制された労働から生まれるものは、硬直した画一的な生産物だ。

前提に労働を置くという生産物は、値崩れするのも当然であろう。


よい労働はよい生産を呼び、社会に受け入れられるはずだ。

労働さえすれば、生産されるという単純なことではない時代に僕達は生きている。

労働は誰かに提供するようなしろものではない。提供するのは生産物なのだ。

当たり前で単純なことへの洞察を強めようと思う。

21世紀型の労働と生産の雛形を探そうと思う。


人は一生労働から解放されることは無いだろう。

人は一生生産し続ける。


では、すくなくとも、よりましにしたいではないか。と思うのである。


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はれるや。

2008-11-19 | つれづれの風景。

サロンパス おまえもはるかい 女郎蜘蛛。


寒さと共に肩がこる。頭痛には、細かく切ったサロンパスをこめかみに張るとよい。風邪等の喉の痛みにも、サロンパスを局部に張れば効くようだ。

格好を気にする人は、ムロンパス してもよいのではございますが。

お寒うございます。

張れば得る張らねば得られぬ何事も。女郎蜘蛛。


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よのなごり。

2008-11-17 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

あれ数ふれば暁の 

七つの時が六つなりて 残る一つが今生の

鐘の響きの聞き納め

寂滅為楽と響くなり。

-近松門左衛門「曽根崎心中」より-



一つの名文名調子のおかげで、小生たった一人の道行の、そのよの風景を又違ったものにしてくれる。

鐘が鳴るなり法隆寺 もまたよろしいが、行い見るその風景において去来する情念に、偏狭と確執を持ちこまないためにも、鐘のなり方は、いろんなほうがいい。と思うのでございます。


まだまだ続く、よのなごり。

まだまだ知らぬ、このよのなごり。

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狐の和尚。

2008-11-15 | 有屋無屋の遍路。

まいど。

商売繁盛してはりまっか。

手すりすりしながらあんさんのご利益なりにきましたで。


いつきたかって?

けさきた狐ですわ。はは。


狸坊主がおるなら、狐坊主がおってもよろしおす。


ひとつええこと教えましょか。

楽に儲かるはなし。耳貸して頂戴。

ちょいと借りまっせ。


よろしいか。ここだけのはなしですけどな、


そんな はなしはなしよ。 はは。


耳でも何でも安易に貸しても借りてもあきまへん。


まじめにきばんなはれや。





おお。さすがは狐の和尚。なかなかの説教である。


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裸の貝。

2008-11-14 | つれづれの風景。

いわゆるヌードなのである。

何もかも脱ぎ捨てて、あなたの海に飛び込んだのである。

なるほど、私は貝になりたい。とは安易な詮索を許さないので気をつけよう。

しらなかった。

妖艶とも取れる姿態は、ヌードの由縁であろうか。


貝殻を失った貝。

それでも貝は貝。

クリオネとは、ラテン語ではナメクジであるらしい。

それでも貝は貝。


肉食性で、触手をのばし、じわりじわりと、養分を吸い取るという。

ほほー。

かわいい泳ぎして、なかなかやりおる。


案外、一番怖いのは、こういう手合いかもしれませんなぁ。
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情にあり。

2008-11-13 | つれづれの風景。

鮎は瀬になじみ、鳥は木に止まり、人は情に安らぐ。


子育てにおいて、その子を一番不幸にするのは、なんでも欲しがるものを与えてしまうことだという。

情(じょう)には棹差す気概も大事だと思われる。人はパンのみで生くるにあらず。


掛け値なしに発露する情というものもあろう。

憩う。という一時にしても、通じ合う情があってのこそ。


過分はよろしくないが、情の一分にかたじけのない勇気をもらうことは多い。


無骨に成り行く風景に、打ち振るうが如く、忽然と実りをむすんだ赤い果ひとつ。


幾ら取り繕うとしようが、理屈で無いものがある。

いわんや。

情にあり。


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きみゃく。

2008-11-11 | 有屋無屋の遍路。

むかし景気のよかったものは、復古を主張し、いま景気のよいものは、現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは、革新を主張する。
-魯迅-


総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。
ちょんまげ頭をたたいてみれば、因循姑息の音がする。
ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする。

とうことでありましょう。

それぞれに、あるポリティカルかつファッショナブルな気脈が通じていたはずでございます。


それぞれの、尊い人命の数々を人柱としながらも、それぞれのガス抜きが上手くいき日本は世界でも最も少ない代償で、近代革命を成就したといわれる。


雲助みたいなやりかたの因循姑息なシステムのせいで、えらいことになってる彼方の国では、世界グループや世界の車屋などといったお偉いさんたちが、国と一緒になってケツの拭き合いをしておる。

ツケでずっと飲み続けられるほど、世の中甘くは無いのじゃ。

こなたの国では、火事場泥棒のような王政復古組みが、同じような多額の銭を弄んで、隠れた魂胆、大きなお世話をしようというらしい。

これをなんというたかのう。

お。そうじゃ。こういうのを、醜女(しこめ)の恋。

発展途上国じゃあございませんでしょうに。辞退自体がおちょくっておる。


その昔の、幕府側や雄藩の間で、また朝廷との脈絡の中でどのように事が運んだか、そのメカニズムは定かではござらぬが、気脈を通じる何か、つまりは、王政復古組と公武合体組と、尊皇攘夷組との間で、何らかの通じ合う気脈が、文明開化へと繋がったのでございましょう。


本筋の幹があって、枝を生やす。しかしその枝は、絶対に幹に取って代わることは無い。枝はあくまでも枝で、デッドエンドは必ず訪れるものでございます。

保守だろうが革新だろうが、枝葉は枝場だと、その時代の偉人は気脈を通じたのではないかともうのであります。

それは本筋の幹の育成の為には、それぞれの利害にも眼を瞑ろうという、大人の判断でございましょう。

きれいにケツを拭けるかどうかが、大人か子供かの違いでございます。


世界規模で、三位一体のせめぎあいを余儀なくされる現代。

協調という言葉が、頻繁に出るようになった今こそ、我田引水のみを秘めたるポリシーにしている輩に退場願うチャンスとも思ってしまうのでございます。

幹において、気脈の通じ合う、信用信頼し合える相手と手を組んで乗り切ろうと励んでいただきたいのであります。


何処がその先の幹であるかにしても、それぞれに、自らのポピュリズムに対するヘアースタイルをチェンジしてみる時代に本格的に突入したのではないかと思う次第でございます。


頭にきたのでたたいてみれば、チェンジチェンジの音がする。

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美しきもの。

2008-11-10 | つれづれの風景。

海洋の真っ只中で、難破したとしよう。

とりつくしまもなく、ただひとり。波にもまれただようのみの、心細るに陥ったとき。

何かを思う。

秘めたる心身の強弱を露呈するのはこういうときだろう。


難破するような事態に関わった自分の行動を悔やむかもしれない。

身の不幸を嘆くかもしれない。

途方に暮れるかもしれない。

改悛の情に浸るかもしれない。

郷愁の数々に涙するかもしれない。

つらつらと去来してはくすぶる想念に悩みは尽きないだろう。


騙しは効かず、泣き言も効かず、叱咤も効かず。聞くのは己の内なる声のみ。


そんな夢を見た。


知識と、感情と、志と、夢と。

大地は美しく、僚船美しく、トビウオ美しき。放屁さえもが美しい。

心強きも助くるは、美しきもの。


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夢は枯野を駆け巡る。

2008-11-08 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

あだしのに すすきゆらして からっかぜ。


冬モンをほじくりだして、はおるようになると、もう一気に忘年会シーズンですなぁ。

「やばいは気から」とも申しますように、どうのこうのの風当たりの強い時分は、唐詩でものたまいながら一杯やるとしましょうや。


生年は百に満たず、
常に千載の憂いを抱く。
昼は短く夜の長きに苦しむ、
何ぞ燭をとって遊ばざる。


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小春の口上。

2008-11-05 | 有屋無屋の遍路。

けっこうけだらけ ねこはいだらけ しりのまわりはくそだらけ。

みあげたもんだよ かえるのしょんべん。

寅さんじゃありませんがね、口上のひとつも唸ってみたくなるのが、小春日和の日没のそのまえ。

影を長く落としましてね、あの世とこの世を透き通らせた老婦人の夏になっちまった蓮の草がね、それこそコロラドあたりの荒涼とした現地の岩みたいな色んなった、水草の枯れてひしめくインデアン・サマーってなぐあいなありサマーで、ニッポンの小春が暮れるんでございますよ。

一度が二度、二度が三度、という具合にお寒くなってくる。

がまの油じゃ治らない。馬鹿は死んでも治らない。

あっしがね。よろしゅうござんすか?とたずねますとね。

ああ。いいとも。と答えてくれるような気がするってぇもんだ。


この小春。まとめて買っていきなよ。おばちゃん。


おい。そこの青年。

くそばばぁ。はいけねえよ。そりゃいけねぇ。まがりなりとも自分を生んだ親だ。

せめて、くそかばばぁかのどっちかにしねぇとバチがあたらぁ。


この小春、そんじょそこらの小春とはものが違う。そうだろう?おっちゃん。


どうだい。もう店じまい前だ。やけのやんぱち海のかんぱちってもんだ。

まとめてのしつけて折り詰めにしてもっていくかい?お嬢ちゃん。


なやむこたぁないよ、そこのじいさん。

入れ歯みたいなもんだ。はずれたらまたはめりゃいいさのすててこおむすびよ。


今かわなきゃ損するよ。小春はあっという間だ。


お。そこの兄さんいきだねぇ。どうだい?

なんだ。かえりか。

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秋津洲。

2008-11-04 | つれづれの風景。

名の野辺に はねやすめたり あきつしま。


そのへんのくさっぱにとまりまっしゃろ。

そうすると、ぐっ ぐぐっ と はねをさげていきますんや。

あかねのからだとはねのせんさいなもように秋の陽があたたこうはんしゃしましてな。

なつかしいようなまぶしいようなええもんですわ。

いよいよ秋も仕舞でんなぁ。


飛ぶときはぱぱっと、飛び立ちます。

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