南無煩悩大菩薩

今日是好日也

“yesterday”時のこと

2020-10-31 | 世界の写窓から

(gif/source)

yesterday,お腹が急に刺してきて公衆便所に駆け込んだ。

こと終わり得も言われぬ安堵と吐息の中ふと見るとその眼前に楷書でこんなことが書かれてあった。

“トイレにはトイレットペーパー以外のものは流さないでください”

このような不安はどこかで拭ってきたはずなのだが、ふとまた頭をもたげたのである。

有無もない、つまり「もちろん運子は流してもいいよ」ということが世においては暗黙の了解だと知らなかった昨日時の不安感である。

Yesterdays

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅速で括れない早さ

2020-10-29 | 古今北東西南の切抜

(picture/source)

米海軍特殊部隊SEALsは

「何事もゆっくりやれば順調に進み、順調に進めば速く終わる」

という言い回しで知られる。

彼らのように迅速な対応を求められる特殊作戦部隊は、逆説的なようだが、緊急を要するミッションの計画および実行の両方で、順序を踏んで入念に事に当たる。

60年にわたる危機的状況における活動から、ゆっくりと滞りなく仕事を進めれば、ミスややり直しが減り、結果的にミッションを早く遂行できることを学んできた。つまり彼らは、リーダーたるもの、

「オペレーションのスピード(速く動くこと)と戦略のスピード(価値提供までの所要時間を短縮すること)を混同してはいけない」

ことを学んだのだ。(source)

-切抜/「危機下のリーダーには忍耐力が求められている」より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯か酒か

2020-10-27 | 酔唄抄。

(photo/source)

「そりやそうや、そうや、旦那の言う通りや、誰が銭持ってたら、空き腹に酒なんかあおるもんか、米の飯(めし)がほんまに恋しゅうてならんわ

昨日も飯食うたんやあらしまへん、観照寺で接待あるゆうよってに、伊原つれて出かけたら、それが、うどんの接待だす、伊原にお前わいに半分残しとけゆうたのに、あの狸め、ちょっとも余さんと食うてしまいよる

なア旦那、大体伊原に、観照寺で接待あるよってに行こかゆうて誘うたのはわいだっせ、知らんといたらうどん一筋も口に入らんとこや、なア、そやのに、恩知らずめが、どうだす、礼儀の知らんこと、後輩の癖にわいより先にお汁をかけて、ちょっと残しといてと頼んどいたのに、どんぶり鉢のはしも噛る位綺麗に食うてしまいやがんね

それからとゆうものは、まる二日、仕事もないし!」


「わいは、何のはなししてたんやったかいな、――そやそや、旦那は酒飲む金で飯食えと説教してくれはったんやったな、どうも、おおきに」

「そやけど、ほんまのことをゆうとやな」と、語り出した。

――彼らはどんなに空き腹を抱えていても、人に飯を食わせてくれ、とは云えないのであった。何故ならば、誰も彼も自分だけが食うのが精一杯で余裕は更にないので、しかも頼まれたら、すぐに足りないものも半分は分けてやらねばならず、

だから、そんな人の予定を狂わし迷惑かけるような依頼心を起すのは道徳的ではないと、されている。そして、もしも誰かが景気よくて、すっかり気が大きくなり、おい、酒のませたろかと誘われた時にも「酒の代りに飯をおごってくれ」とは言えないものだ、とおっさんはしみじみ述懐した。

それは一つには、虚栄心もあったし、また折角相手が酒で愉快になっている気分をぶち壊すに忍びないからであった。だから、今夜のように酒だけで腹をこしらえている時もある!ーー


「兄貴、酒おごらんか、は言えます、そやけど、言えまっか、めし一杯頼むとは」と彼が云えば、夜更けの酔っ払いたちは口々に、

「そうは云えん、云えんもんじゃ」

ー 引用参照/武田麟太郎「釜ヶ崎」より

Le Phare - Yann Tiersen

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

簡単・目安スー

2020-10-25 | 古今北東西南の切抜

(picture/source)

ーにわかに、親近感を妙に覚える人たちが確かにいる。わからないがそれは否応を特定することの出来かねる、ひとつの在り方、として多数派ではないにしても確かに近いと感じるのである。ー

村上:昔から気になっているのは、確率です。気象情報で「何%」というと、いかにも科学的になったように見えるけれど、何%と言った時の100%から引いた方はわからないわけでしょう。そのわからないということをわからないとして正面から受け止める。何%とは何を意味しているのかということをきちんと理解して、よくわからんのだけれども、そのわからんところに対応しようという気持ちで、最後まで我々自身がいられるのか、それとも数字が「%」で出たから、その数字をよりどころにして行動しましょうとなるのか。

西垣:非常によいことをおっしゃっていただきました。最近のAI(artificial intelligence)というのは、統計処理をやっています。確率分布を仮定して、計算して答えを出す。ところが状況ががらりと変わってしまうと、分布そのものが変わるので、AIの計算結果は役に立たなくなる。そこが問題なのです。

カンタン・メイヤス―という現代哲学者はわからなさに二通りあると言っています。一つは英語で言えばポテンシャリティ(潜勢力)。これは確率的なわからなささで、繰り返しているうちにだんだん見当がついてくる。もう一つは。ヴァ―チャリティ(潜在性)です。こちらは、対象の挙動がなにをもたらすか全く予測が出来ない偶然性みたいなものなのです。わからなさにはこの二つがあるのに、我々はみんな大体ポテンシャリティでなんとかなると思っています。地震を例にすると、首都圏直下型地震が起きる確率は何%だとかいいますが、メイヤス―にいわせると「そんなことはヴァ―チャリティだからわからない」となるでしょう。

要するに世の中の事実の根本には、我々人間には偶然としか思えない根本的なわからなさがあるということです。サイコロを振って出る目を当てるようなポテンシャリティについては、確率計算で予測できるけれど、そればかりではないのです。

AIは過去のデータに引きずられる存在で、全く新しい環境条件のもとでは役に立ちません。ところが人間などの生物は、新たな環境の中でもなんとか生き抜こうとする。このなんとか生き抜こうとする直観力みたいなものが弱まると、死にます。生物種は滅びます。人間はそのことに気がつかないといけないんじゃありませんか。

中村:フランソワ・ジャコブと言う研究者がいます。彼は生物とは何かを説明しています。私は彼の考え方がとても好きです。彼は、生物を①予測不能性、②偶有性、③プリコラージュ(ありあわせの材料、道具でものを造ること)、と言っています。寄せ集めでできた予測不能なものが生物だと、分子生物学者として説明しているのです。私は直感的に、この説明はぴたりと当たっているなあと思っています。

西垣:当たっていますねえ。

村上:最近私が「わからないことについてどう対応したらいいか」ということで、大変感銘を受けたのは森山成彬さんという精神科医がおっしゃった言葉です。彼が、「ネガティブ・ケイパビリティ」と言う言葉を提案されたんですよ。ごく簡単に言ってしまうと、「ちょっと立ち止まって待つ」です。

我慢すること、それに耐える能力。要するに現代社会はできる限り懸命に正解を探し当てて、果断にそれを実行することが要求されている、その能力がポジティブ・ケイパビリティです。その能力ばかりで人間は行動し、判断するのが正しいと思われているけれど、ちょっと待って、決断し、行動するのを少し控えてみようという、その時間に耐えてみようよいう能力です。

ー切抜/中村桂子、村上陽一郎、西垣通、「ウィルスとは何か」より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

密やかな聚楽

2020-10-24 | 酔唄抄。

(photo/Alfred Eisenstaedt)

酔っ払いの翌朝はとなるといつもの反省と侮改の性根衰弱状態のなかで「なぜ早く切り上げなかったんだろう」と後悔するが常であるにしても、

その「無駄で」「さしたる意味もない」「記憶にも定かでない」呑んでいる時間のなかに、そのときだけは自分は自由だと、なににも縛られずに自分の好きなことをやってるんだと、そういう安心感を得ていることは決して否めないのである。

だとしたらそれは質的には無駄じゃないはずではありえる。ただ、そんなことを他者との遣り取りの中に言うべきことではないことも重々承知の上であるにしても。

Silence is Golden

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Keep Calm and Carry On

2020-10-21 | 意匠芸術美術音楽

( photo / Cecil Beaton)

Hope (Remastered)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

轟き届け

2020-10-19 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

(picture/original unknown)

轟き届け

制服のスカートの裾を鋏で切った次の日の朝みたいな気持ちをずっと 目に見えるところに埋めている 時間が経ったら消えるもの 時間が経っても消えないもの そんなものたちよりずっと 手の中にある心に惹かれている

轟き届け

自分の幅と誰かの幅 自殺志願者のガンジャ臭さに負けないようにしようね 生きている僕らが何より強い 鉛臭いミラーボール 血生臭いショーツ 匂い立つ未来はちょっとだけ欲を唆ってくる

轟き届け

肌と肌が触れ合う距離でも分かち合えない何かを 顔も知らない私と君で解り合う 往生際の悪い僕らの籠城 譲ったりなんかしない 育ったりなんかしない

轟き届け 轟き届け

叶う前の夢の尊さを測ろうとする大人に 轟き届け そのまま吹っ飛べ バ〜カ

切抜/「響き届け」より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隗より始めよ

2020-10-17 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

(quote/Bertrand Russell )

賢者を招きたければ、まず凡庸な自分を重く用いよ。

Leonard Cohen - Happens to the Heart (Official Video)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おお、アウレリウス、あなたはたぶん正しい。

2020-10-13 | 世界の写窓から

(quote/Marcus Aurelius)

テレビ業界は、その体質上必然的に、国民に、永遠と絵空事をばらまいている。娯楽という麻薬を与えているかのようだ。

そういう番組を観て人々は安心する。そして世界や自分に向き合う力を失っていくのだ。

理想の自分になるためには理想を自分に問うことなのに。ーsource/I Am Not Your Negro

誰だったか、こんな迷言を吐いていた。

「メディアというものから、信用して情報を取り入れられるのはスポーツ欄にかぎる、そこには人の間違いなく成し遂げられたことが書かれている、他のほとんどはしょうこりもなく人間がしでかしたことの残骸と、もっともらしい未来、もっとひどいのはそれらを偏見で糊塗するなんちゃってですらある」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Symbol of Self-Education

2020-10-10 | 世界の写窓から

(picture/source)

多分世の立志譚のほとんどに後付けの眉唾ものも多いのでありましょうが、以下の文章は、子の親として孫の爺として、もしや大事な自習を促されているような心持になるのであります。

ー以下

わたしは小学校の読本の中に二宮尊徳の少年時代の大書してあったのを覚えている。貧家に人となった尊徳は昼は農作の手伝いをしたり、夜は草鞋わらじを造ったり、大人のように働きながら、健気けなげにも独学をつづけて行ったらしい。これはあらゆる立志譚りっしたんのように――と云うのはあらゆる通俗小説のように、感激を与え易い物語である。実際又十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合せの一つにさえ考えていた。……

けれどもこの立志譚は尊徳に名誉を与える代りに、

当然尊徳の両親には不名誉を与える物語である。

彼等は尊徳の教育に寸毫すんごうの便宜をも与えなかった。いや、むしろ与えたものは障碍しょうがいばかりだった位である。これは両親たる責任上、明らかに恥辱と云わなければならぬ。

しかし我々の両親や教師は無邪気にもこの事実を忘れている。尊徳の両親は酒飲みでも或は又博奕ばくち打ちでも好い。問題は唯尊徳である。どう云う艱難辛苦かんなんしんくをしても独学を廃さなかった尊徳である。我我少年は尊徳のように勇猛の志を養わなければならぬ。

わたしは彼等の利己主義に驚嘆に近いものを感じている。成程彼等には尊徳のように下男をも兼ねる少年は都合の好い息子に違いない。のみならず後年声誉を博し、大いに父母の名をあらわしたりするのは好都合の上にも好都合である。しかし十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合せの一つにさえ考えていた。

丁度鎖につながれた奴隷のもっと太い鎖を欲しがるように.。

ー芥川龍之介「侏儒の言葉、二宮尊徳」より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あ、うん。

2020-10-09 | 世界の写窓から

(photo/Shoji Ueda. Untitled, 1983-1984.)

私の心を連れて行って。

Take my heart when you go.

いや、それはできない、俺の心を置いていく。

Take mine in its place.

J.S. Bach: Triple Concerto in A minor BWV 1044 [I Barocchisti]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こころもちのこと

2020-10-08 | 世界の写窓から

(photo/source)

蒙昧なるときを切り抜ける術、そこに必須の心持は、

気にしないで、気を付ける、ということだと、誰かが言っていた。

なるほどそのとおりかもしれぬ、然し、時と場に幸縁これなく穏やかならざる心持、時にはきたる。

折に肝要なるは序でいずれ黙過斯くの如し事前のこころざしであり、真剣にはなっても、深刻にはならざるの心持、時をうっちゃるの極意成る哉。

例えば、COVID-19,についてもスウェーデンの言うように日本でもすでに集団免疫を獲得しているとされる見解もある。

集団免疫とは、ある集団が弱者となった誰かを守っているという構図でもある。面白いではないか、免疫獲得者がもしかしたら私の大嫌いな人達であったとしても自分をウィルスから護ってくれる盾として奮闘してくれているのかもしれないと思えば、嫌いの心持も変わるというものだ。

人間は否も応もなく、繋がらずに生きていくことは出来ない。そんなこころもちをこのパンデミックは教えてくれている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

It's a Mistake

2020-10-05 | 閑話休題

(gif/source)

僕はあなたのような女性が好きで好きでしかたがないのです。

そう? あたしも、あなたみたいな男性が大好きなの……。

・・・へえぇ、それじゃあ、お互い入れ替わって生まれて来たらよかったなぁ。

 

Men At Work - It's a Mistake (Video)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古都での舞い方

2020-10-04 | 野暮と粋

(photo/source)

テンポの艶誉れあり、調べは淡々、然れど其の内裏、雛と鄙がと会い極まれるワルツが如し、哉。

ちなみにオダサクは京ことばについては次のように述べていたが、今でもいいよう変わらぬからにしてこそが京都の古都たるゆえんなのであろう。

《私はいつかあるお茶屋で、お内儀が芸者と次のような言葉をやりとりしているのを、耳にした時は、さすがに魅力を感じた。
「桃子はん、あんた、おいやすか、おいにやすか。オーさん、おいやすお言いやすのどっせ。あんたはん、どないおしやすか」「お母ちゃん、あて、かなわんのどっせ。かんにんどっせ」その会話は、オーさんという客が桃子という芸者と泊りたいとお内儀にたのんだので、お内儀が桃子を口説いている会話であって、あんたはここに泊るか、それとも帰るかというのを、「おいやすか、おいにやすか」といい、オーさんは泊りたいと言っているというのを、「オーさん、おいやすお言いやすのどっせ」という。その「アイ」の音の積み重ねと、露骨な表現を避けたいいまわしに、私は感心した、そして桃子という芸者がそれを断るのを、自分は泊ることは困る、勘弁してくれという意味で「あて、かなわんのどっせ。かんにんどっせ」と含みを持たせた簡単な表現で、しかも婉曲に片づけているのにも感心した。


それともう一つ私が感心したのは、祇園や先斗等の柳の巷の芸者や妓たちが、客から、おいどうだ、何か買ってやろうかとか、芝居へ連れて行てやろうかとか、こんどまた来るよ、などと言われた時に使う「どうぞ……」という言葉の言い方である。ちょっと肩を前へ動かせて、頭は下げたか下げないか判らぬぐらいに肩と一緒に前へ動かせ、そして「どうぞ……」という。「どう」という音を、肩や頭が動いている間ひっぱって、「ぞ」を軽く押える。この一種異色ある「どうぞ……」は「どう」の音のひっぱり方一つで、本当に連れて行ってほしいという気持やお愛想で言っている気持や、本当に連れて行ってくれると信じている気持や、客が嘘を言っているのが判っているという気持や、その他さまざまなニュアンスが出せるのである。ちょうど、彼女たちが客と道で別れる時に使う「さいなアら」という言葉の「な」の音のひっぱり方一つで、彼女たちが客に持っている好感の程度もしくは嫌悪の程度のニュアンスが出せるのと同様である。》 -切抜/織田作之助

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やあ、こんにちは。

2020-10-01 | 世界の写窓から

(photo/source)

真に自由と覚えるのは、疑いを抱いた瞬、自分の基本衝動に対して、それを疑い変えようとする力が残っている瞬。

記憶は貴重なものではあるものの、しばしば自分をも裏切る。

何であれ誰であれ、巡り知り、合った瞬、私はその互いにいいおくりものをする関係を望むにしても、それは今までの習慣を超えていく。

それは選択という言葉に代表され抽き出される、新しいフレッシュな香りのするなにものかである。

今日は。という言葉にはそんな響きがある。

Hello - Adele (Reggae Cover) - Conkarah and Rosie Delmah

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする