南無煩悩大菩薩

今日是好日也

暑気払い。

2009-07-30 | 酔唄抄。

こう暑いとお払いでもしたくなります。

なんやよろしい暑気払いはないかいな。


むちゃくちゃ辛いカレーでも食ってみるか。

あかん。咳払い や。


水使う台所でも立ってみるか。

あかん。食器洗い やないか。


せや。部下でもいじってみるか。

暑気ハラスメント。


いかんいかん。


いつもにこにこ現金払い。

わしが払えるのは酒代ぐらいしかない。

よっしゃ心に決めた。

今日は前金で飲もう。

これぞ、初期払い。


おじぞうさん達。

2009-07-29 | 有屋無屋の遍路。

「いかに強固な信念でも、それは根拠のないものだという他人の意見がなければ、確かな土台は築けない。」-ジョン・スチュアート・ミル-


人は自分にとって役に立つ、楽しく嬉しいようなことを選んで聞きたがる。

耳の痛い、自分に対して都合の悪い、否定されるようなことは聞いてても耳に入らない癖を持つようだ。


批判を聞きそれを活かそうとするには大切なことがある。

それを真実だといったん受け止めてみることである。

自己否定に繋がりそうでも落ち込む必要は全くない。

それらを、なるほど おもろいやないか と自分の信念を確かめ励ます根拠にしようとするスタンスでいることだろう。


人間社会で生きていこうとすれば、それは間違いなくその個人の信念を問われる場面がある。

たいがいその場面は、自己への批判と言う形で出てくる。

批判がなければ、様々な見解の比較や合意をいくら重ねても、真実に到達する事は出来ないのだ。


と。いうようなことを、ジョンは言いたかったのだろうと思うし、おじぞうさん達は、語りかけてくれているのではないかと思われる。

猫日記。

2009-07-28 | つれづれの風景。

自分の機嫌が悪いときに、ちゃちゃをいれるとひっかかれる。

退屈になったり、腹が減ったり、気が向くとふがふがと擦り寄ってくる。

お。今日はしおらしいやないかと、なでなでしてたら、急に噛み付いて逃げる。

こら。うっぷんをわしではらすのやめい。


散々甘えて、かまぼこまでせしめておいて、抱こうとしたらなんで逃げる。

そんな顔してわしをみてももうだまされんぞ。

いつももてあそばれているのは、こっちである。

ひとを小ばかにしておるのか、気性なのかよくわからんのである。

雄にしてこれである。

家長として主として、これではいかんと思う毎日。


ほめればつけあがる。おこれば泣く。殺せば化けてでる。と昔から扱いづらい代名詞はなんとかと猫だ。

なんとかせねば。と思いながらも、憎めずこうしてカメラを向けている。


起因と結因。

2009-07-25 | つれづれの風景。

しろつめ草に、たまたま蝶が止まっている。

蝶が止まったところは、たまたましろつめ草であった。

どちらも主客をどう見取るかは、本人の自由で誤ってはいない。


私が愛したのはたまたまこの人である。

と、この人が愛したのはたまたま私である。

の主客の転倒は、おいおいなる不和を起こす可能性があるものの、あながち間違いとも言い切れない。


しかし。

たまたまのことに、理由を見つけようとすれば、それは、狭い思い込みの罠にはまる。

しろつめぐさには蝶が止まるものだ。

蝶はしろつめぐさに止まるものだ。

私はこの人しか愛せない。

この人は私だけを愛す。

上手くいったのは、私の行いのよさだ。

まずいことになったのは、相手が悪いからだ。

と、人は自己防衛のために、重荷を背負うようなバイヤスを自らにかけやすい生き物だ。


そもそも、蝶はなんにでも止まる。

そもそも、人は常に愛を切望する。

必然をたまたまと捉え、たまたまを必然と捉えるトラップと私たちは常に対峙している。

たまたまとたまたまではないことの主客を捕らえるのは、かなりの度量を要すのだ。

度量がなければ、「たまたま」は少しの不安で、すぐに縮こまるものである。


暑中につき。

2009-07-23 | つれづれの風景。

昼夜問わずも夏。御身すこやかなるをお祈りし、ごあいさつ申し上げます。

南部のふうりん、古井戸冷水、岩清水。

刺すような日差しの中、いよいよ走りの油蝉もお出ましとなる時候、身も心も萎えそうな誘い惑らえず、涼しき風情を内に抱き颯爽然とお過ごしくださいますよう。


夏涼や はりしみずから はしりみず。

優先。

2009-07-22 | つれづれの風景。

お客さんお客さん。ここは優先座席です。

お体の具合の悪い人や、身重(みおも)の方、お年寄りの方などの席です。

根性の具合の悪いだけの方や、ただ重い身だけの方、若年寄なだけの方の席ではありません。

禿げにしているだけや頭の寒いだけの方も、普通座席の使用をお願いします。


ということだ。

ただ小生は思うに、通念上の社会福祉感覚からすると、基本的に公共スペースおよび機関の均一料金であるものにおいて、すべては優先されるべき人が優先されるのが当たり前だろう。

わざわざ、優先座席や優先されるべき対象を区切りアナウンスしなければいけない現状こそが、頭の寒い感じがする。


優先すべきは、適時適切適所適応の行き届きであります。

ふとどき者にならぬよう、小生肝に命じておるのであります。


舞う。

2009-07-21 | つれづれの風景。

鶴や白鳥、鷺のたぐいの、大型水鳥達は美しい舞を見せる。

写真は桂川の白鷺だが、昨日私は淀川の大小弐羽の白鷺を長いこと眺めていた。

自然の中で鶴や白鳥の舞いを眺めたことはないが、鷺と同じように、単独の場合のそれは採餌の為の漁法の一つだろう。

魚を羽の傘で囲い追いたて、狙い済ましてついばむ。

この方法は、体力を使うのだろう。大人になった首の長い方はもっぱら抜き足差し足漁法で舞をしなくても魚を採る、それでは採れなかった体も小さく首も短いほうが、舞の漁法を始めたのである。


舞いながら採るその華麗さに私は見とれていた。

すると、後ろから何かが倒れ掛かってきた。

スタンドをしっかり止めてなかった我が自転車である。


私はなんだか、餌の気持がわかったと共に、もし頭でも直撃されたら一人舞うところだったじゃないか。と洒落にもならない感想を抱いたのである。


昼酒。

2009-07-18 | 酔唄抄。

昼から一杯入るとどうしようもない。

よそ見して棒に当たったわけではなく、隠れているつもりなのである。

不意に棒に行き当たると、登りたくなったり、隠れたり、オシッコしたくなったりすることはないだろうか。

人目もはばからず、はばかりはためらわれるし、登れば落ちる危険があるから、隠れてみた。


どうでもいいことだが、酔うた儘(まま)はふわふわと心地よい。


見返り美人。

2009-07-15 | つれづれの風景。

何を美しいかと捉えるかは、個人の勝手である。

モンペの愛おしさと、麦藁帽で隠された神秘と、くっついた草をとる手つきの艶やかさを、美しくないものと切り捨てることは神への冒涜である。

日差しの強さと、夏の暑さを感じさせない、冷色系のコーディネートが清涼感と統一感を与え、首周りのスカーフと同素材で縁取られた帽子のアクセント使いは、只者ではないセンスの香りを漂わせる。

子供を大きくうみ育て、丈夫で長持ちを予見させるその体型も、母なる大地と新鮮かつ滋養溢れる作物のイコン足りうる気高さ。

なるほど素人ではない。まねのできない年輪の具象。

もう一度いおう。

何を美しいかと捉えるかは、私の勝手である。


正しさというもの。

2009-07-14 | 有屋無屋の遍路。

丸い穴が開いている。

まん丸お月様。

どちらも正しい。


月を撮った者としては、それは月にしか見えないが、穴を開けた者にとっては、穴にしか見えない。
互いにそれ以外のものとみる理由はない。


果たして私はこれをどうすればいいのだろう。という問に事実上他人は答えられない。

しないほうがよいことの理由は立てられても、するべきことの理由を見つけてあげるのは難しい。

しらんがな、そんなこと。というのが正直なところである。

しかしそれでは角が立つから、無責任ながら、正しいことをしなさい。という他ない。

思考において大事なのは、正しい答えを見つけようとしてはいけない。
正しい問を探すことだ。といったのは誰であったか。


丸い穴が開いている。

まん丸お月様。

どちらも正しい。

本当はどっちなんだ?という問いは、あんまり正しくないのかもしれない。


ただいえることは、どちらかが正確に間違っている可能性はあるということだ。



言葉の軽重。

2009-07-11 | つれづれの風景。

哲学者のハリー・フランク・ファートのベストセラーに「On Bullshit」というのがある。
日本語訳では「うんこな議論」。

特に意味はない。

イギリスで年配者の蔑称は「old fart」というらしい。
日本語訳では「くそじじい」。

何かをいいたいわけではない。

映画、風と共に去りヌのラストシーンで、スカーレットに「これから私はどうすればいの?」ときかれたレッドバトラーはこう答える。
「はっきりいって、俺の知ったことじゃない。」

別に裏はなにもない。


英国の紳士達は、よくこういう。
「マイワーズ イズ マイ ボンド」
私の言葉が、私の契約書だと。

武士に二言なし。ということでもある。


佳き煮付け、あ。まちがえた、よきにつけ、脚気につけ、あ。あしきにつけ、言葉というものは、重くもなれば、軽くもなる。


ゴッド ブレス ユー!
神のご加護を。


柳に鴉。

2009-07-10 | つれづれの風景。

形に影の添う如し。

佇まいに一念宿る。

初山(ういざん)に向かう。視線を遠く遠く鎮めて。



初めての事の前には、心構えが大事だろう。

仰ぎ見るもよし。うなだれるもよし。

ただ、自分以上のことは出来ない。自分以下のことはすべきではない。

その諦念、静かに含むべし。


柳の揺葉としなりをおさえた鴉は、初山に向かう。