南無煩悩大菩薩

今日是好日也

存続の条件。

2009-11-30 | つれづれの風景。

赤銅色の木肌に、凛然さを湛えながら、まっすぐに延びる古代杉。

その樹下には、多様な低木を育み、若い杉林のような排他性は見られない。

長年の歳月をかけ、包容力を増しつつ生き延びてきたその木々は、数多の挑戦者達の中より選ばれし者達だ。

その刻々の選択は如何様なものであったろうか等と思ってしまう。


時の試練に耐えて生き残ったやり方に敬意をはらう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

季のうた。

2009-11-28 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

鹿。ときたらもみじ。

その流れで行くと、猪にはぼたん、馬にさくら。

春にさくら、夏にぼたん、秋もみじ。

冬に鍋。牛豚鶏鮟鱇にてっちり、すきにかも。

鍋物が美味い季節になりました。

母さんが夜なべをして手袋あんでくれた、木枯らし吹いちゃ冷たかろうて、せっせと編んだだよ、ふるさとの便りは届く、囲炉裏のにおいがした。-母さんのうた-

そんなフレーズを頭の中で繰り返しながら、熱燗をキュっとひっかけると、その向こで鍋がグツグツ。よろしいなぁ。

人は美を愛でるのにも、腹が減っては戦が出来ない。


なんだか、蟹鍋が食いたくなったが、路銀が足りない。


もみじ食む鹿の様見て、我泣きながら蟹とたわむる。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

宮にて。

2009-11-27 | つれづれの風景。

みやびなるみやのやしろをみやぐれば

あかきみやよりよみのきいでて 

やちよのみやびと おもはばおもゆる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

紅と黄。

2009-11-26 | つれづれの風景。

私達の眼を楽しませる落葉樹が、紅く染まるか、黄に染まるかでは、違うメカニズムが働いているという。


摂氏8度を下回るようになると、葉の付け根に層ができ、光合成によって葉でつくられる炭水化物の移動が妨げられ、葉には糖分が蓄積される。

この糖分が、紅色色素のアントシアンに変化する事で紅の葉が生まれるようだ。

一方、黄色の葉は、同様に葉の機能が衰えるとともに、葉緑素のクロロフィルが分解され、その中にある黄色の色素のクロチノイドが表立ってくる為といわれている。

寒暖の差が激しいと余計に鮮明になるというのは、葉で作った物質がより多く残留するから。

厳しい環境を潜り抜けるほど、自然は美しくかつ鮮鋭なものを創るようにできているらしい。


クロウチノイドでアトアンシヤン か。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

寺にて。

2009-11-25 | つれづれの風景。

山寺ののきばのいろは散りぬるを

浅き夢みし まつも一興。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

思いがけないこと。

2009-11-24 | 有屋無屋の遍路。

山の天気は変わりやすい。

一見恒常性を持つように見えることでも、変化という時限装置は内蔵されている。


一連の想定が首尾よくいっている間に快く引き受けた義務が、状況の大きな変化によって予期せぬ負担をなし会社を破滅させかねないこともある。

それぞれの立場での臨機応変は大事な采配スキルでもある。
ただしこれに「無責任」が加われば、その損失は濃霧となる。

自分で取れる責任の範疇をよく知っておくことは難しいが、せめて時限爆弾の存在を思い、前例の踏襲を少しは躊躇う知性は持ちたいとおもう。

山をなめての遭難しかり、多大な年金の約束しかり、「無責任の臨機応変」を積み重ねるのは、その行為の責任の所在が当事者においてさえ不明瞭な為だ。

予測のつかない変化に、我々は無力だが、可能性を思い、「考えてみた」対策で、思いがけず救われることもある。

思いがけていても思いがけないことが起こったのと、思いがけてもなかったのに思いがけないことが起こるとでは、天と地ほどの差がある。



晴れの予報にもかかわらず、思いがけず濃霧と驟雨にあい、

思いがけずの幻想的な内に身をおけることとなった。

思いがけないことは、いいことも同じようにあるものだ。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

破礼。

2009-11-21 | 有屋無屋の遍路。

古典落語の中にはバレバナシと呼ばれるものがある。

ちょいと艶のある噺で、近頃は放送倫理というやつのおかげで、電波には乗らないものだ。

落語は高座に行くのが一番。

今日は天気もいいし、あさっては勤労感謝の日だし、紅葉もええ感じになったし、礼を破って、小生のお気に入りのさわりをひとつ。




徒然草の中にこんな詠があります。

 ふたつ文字 牛の角文字 すぐな文字 ゆがみ文字とぞ 君は覚ゆる

ふたつの文字で「こ」、牛の角のような文字で「い」、直な文字で「し」、歪んだ文字で「く」。「こいしく君を想う」つまり恋文でございます。

昔はこのように風流なやりとりで、奥ゆかしくお付き合いをしたんでしょう。

先日なくなった大御所の役者さんは、女と見れば「一晩どう?」と声をかけてたようですが、若さの秘訣はエロスでもあるようですなぁ。


さて、噺にもどって、

好きあった二人が逢引の約束をします。

何処で会うかは掛け詠みで交わすことになります。

女性の方が、

 君がため 春の野に出て若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ -百人一首-

と送れば、男の方は、「花野で会おう」と理解して返歌を送ります。

 花さそう 嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり -藤原今経-

女は、じっと考えて、

「あーら。フリチンで来るのかしら。」


ふりゆくものはわが身なりけり、降りと振りがかかっております。 

あ。失礼ついでに歌詠みのバレバナシにこんな落ちもあります。


初夜の二人。

娘「今宵ぞ千代のはじめでございます。わたくしが上の句をいたしますから、あなたは下の句をお告げ下さいまし。」

婿「心得ました。さぁ。どうぞ・・・」

娘「では参ります。マミムメモ今宵はじめてサシスセソ」

婿「・・・ラリルレロこそタチツテトかな」

-参照文献「艶笑小噺傑作選」ちくま文庫-




今宵はゆっくり呑って、柔らか頭で、もみじがりにでもいこうとおもうのですが、

雨は堪忍で。

ハレバナシ。

佳い休日を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

旬時。

2009-11-20 | つれづれの風景。

溶けた氷は、もう一度凍らせることはできる。

しかし、目玉焼きをもう一度卵に還すことはできない。


どんな目玉焼きを見ても、卵を思い浮かべることはできる。

しかし、氷の溶けた後の水溜りをみて、その氷がどんな形だったかはわからない。



還ったり帰らなかったりのときがある。わかったりわからなかったりのときがある。

それぞれの旬を眺め見つつ。


おいしくおいしく いただく野辺の 旬楓。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

深呼吸。

2009-11-19 | つれづれの風景。

自然は時にオモシロイ風景をみせてくれる。

僕達が頭の中で思いも寄らないことは、オモシロイ。

オモシロガッテル内はいいが、思いも寄らない災害などであれば、僕達は頭を、カカエル。

「オモイモヨラナイ」と言うこと事態は同じ事態なのに、オモシロガッタリ、アタマヲカカエタリする。


ソウサイロイロアルサ。

それは、オモシロガッタリ、アタマヲカカエタリすることで、僕達は生きていることを実感する。

ナンダカ深呼吸してみる。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

なんぽ想。

2009-11-18 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

遠望は紅染半岐を没す

時勢尽くる処これ臙脂

自らに問う来るは過ぐるにあらざるを

いたずらに光陰を費やして更に誰かを待つ

-無山人-


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

もっとも。

2009-11-17 | 有屋無屋の遍路。

より激しくより長時間働くことなしに、生産性を上げ実入りを増やそうとしたいならば、する事は一つしかない。

より賢く働く しかない。

生産性の向上とはそれしかない。

-P.ドラッカー-




ただ、注意が必要だ。

頭がよく、よく働き、粘り強い人がみんな成功しているからといって、

成功している人がみんな、頭がよく、よく働き、粘り強い人だとは限らない。


「賢い人」ではなく、賢さを何らかの形で「発揮できた人」だ。

賢さは、それぞれにそれぞれの多様性を含んでイニシアティブを発動する。

もっともらしいものではなく、もっともなものを個人個人で探求しながら働くことが大事になる。

もっともなものは、もっともらしいものに隠されることも多い。

そこにあるものに注意してみることだろう。



もっとも、その気があればの話ですけど。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

落葉のフラクタル。

2009-11-16 | 有屋無屋の遍路。

一瞬、奇妙な感覚に捉われた。

人体を形成する細胞も、ミクロになって、下から眺めたらこんな感じではないか。

毛細血管のその先に細胞は形成され、落葉宜しくメタボリズムを繰り返す。

葉っぱの葉脈は枝のように見え、枝は木の連なりに見え、森全体は葉っぱの様でもある。

木々の並びは、神経系の用でもあり、循環器系の様でもある。

空から木が生えてきた。


異なるパターンが尺度を変えて繰り返し現れる。

マクロからミクロまで地球上の生成物は、同じパターンの繰り返しになっている。

幾何学的に同じパターンが様々に異なる尺度のレベルで繰り返し現れる。

小さな一部分が、ある程度全体に似た形になっている。

ちゃんとしたことは知らないが、そのようなものを、フラクタル理論というそうだ。


デジャブ(既視感)や、なんとなくの不安や、希望の高まりといったことも、もしかしたらだが、自分の経験が、尺度を変えて同じパターンを読み取っているのではないだろうか。


天高く落葉燃ゆる風景に、なんとなく物寂しさを覚えるのも、自分の老化とのいわゆるフラクタル性のパターンを読み取ってしまうからかも知れない。

だから、気持ちよく空を見上げていながら私は、一瞬、奇妙な感覚に捉われたのだ。

そしてこうも思った。

この木々は、綺麗さっぱり葉を落として、再生する。

きっと春には、今度は新規性の奇妙な感覚に捉われるのだろうと。


久しぶりにロックミュージックを聞きたくなった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ぎんなん。

2009-11-14 | つれづれの風景。

はれ。

渡る空に、銀杏の葉がひとひらひとひら眩く映える。



少しはましだということがある。

でも、そんなにましなわけではない。

それに、いつもましだというわけでもない。



上等とはいえないいけれどもだ。まあまあましな人生を歩いている。


銀杏がかさかさと落ちている。

なめちゃいけない、ぎんなんを。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

みのなごり。

2009-11-13 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

沢立つ鴫かあきの夕暮れ。

においはすれど、すがたはみえぬ、ほんにおまえは屁のような。

みはなきものと、おもいこそすれ。

美醜たがわず、このよのなごり、みのなごり。

-無山人-


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

山、川、粧う。

2009-11-12 | つれづれの風景。

自然の色は、シーズン毎に同系色でシンクロする。

じっと紅葉を見ていたら、鮭の色もこんなんじゃなかったかと思う。

サーモンピンクや紅鮭などと紅葉の、晩愁の色の重なりが、群れでシンクロしてくるのだ。

重なりつつ色づきつつ再生への自己犠牲に乱舞する、川と山の営み。


鮭は、サケと呼ぶのかシャケと呼ぶのかどちらかで種類も違うのだろうかと考えていたら、急に鮭チャーハンが食いたくなった。

あの紅の身が目の前をちらつく。

あかん。いこ。

この衝動は、シャケて通ることはできない。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加