南無煩悩大菩薩

今日是好日也

ところで、私は、

2014-03-31 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

私は生物である。名前もあるが大きく分けると「真核生物」という部類の者である。

生物は「自分でタンパク質をつくる」という要件が必要とされ、単体では生存不可能なインフルエンザなどの「ウィルス」は生物とはみなされてこなかったようだが、最近「細菌」に近いほどの大きさのウィルスが見つかりこれまでの考えが見直されるかもしれない、というような話がうろおぼえだが新聞に載っておった。

ちなみに現在の部類は、「古細菌」「真正細菌」と私らのような細胞の中に「核」をもった生物の三分類だ。

詳しいことはまったく理解できないし、信用しないで欲しいが、細菌と私は似ているのである。核を持った細菌の大雑把な集合体が私になっているようだ。今後はウィルスとも兄弟になるのかもしれない。

ウィルスや細菌にやられることもあれば、手を結び強くなることもある世の中だ。

進化生物学者でもあるリチャード・ドーキンス博士は、
「淘汰の利を受けるのは、他の遺伝子のいるところで繁栄する遺伝子のいるところで繁栄する遺伝子である」と言っているようだ。

つまり何を言いたいかというと、ちょいと視座をズラシテみると、新たな無知がいっぱい転がっていたということである。
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ところで君の名は

2014-03-30 | 世界の写窓から
(photo/unknown)

それはそうと・・・

もうじき四月か・・・年度替わりか・・・・・・

消費税があがるなぁ・・・ベアは見送りだろうなぁ・・・
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物理的ではない「とき」

2014-03-29 | 意匠芸術美術音楽
(橋本平八/作「或日の少女」1934)

或る日の少女はおもむろに顔の前で手をあわせた

ちょっと肩をいからせて

しかしその容貌から察するに 本心をみてとられることを拒否している

拝んでいるのでも頼んでいるのでも祈っている顔でもない

或る日の少女は しいていえば しいることをよせつけない。




少女という存在の、真正な、かつ神聖な「瞬時」を彫りだした像である。
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春一番。

2014-03-27 | 閑話休題
(photo/source)

春風のいたずら、

軍人さんにも、春が来た。
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社会人になる君へ。

2014-03-22 | つれづれの風景。

前略、

平成三年生まれの君も、順調に歳を重ね、

いよいよ社会人となることをうれしく思います。

たいしたはなむけにもなりませんが、徒然に今思うことを述べておきます。

まずの大事は、社会に出て働くということの定義を早急に自分なりに創り上げてください。

今までの学業ように同年代の中だけのような甘えは通用しません。十代だろうが三十代、四十代、五十代、それ以上だろうが、職業では全員がライバルでありかつ友人になり得るのが社会の広さと面白さです。

自分を言い訳しない人間に育て上げてください。

そのために必要なことはどうもこういうことではないかと次のように考えています。
「依頼」の心根を捨てるよう努力する。つまり何かや誰かに依りかかったり頼り切ったりしないことです。
その依頼心は対象となる人物や事象を「恐れる」心に繋がります、何かをおそれる心は、「諂(へつら)い」の心を必ず生じさせるようになります。

つまり、依頼、恐れ、諂いは、自分を見失いやすく、責任を他者に転嫁し、自らの価値を貶める負の要因になると思うのです。

しかし、最も恐れるべきは、この三つは、かなり聡明な人でもなかなか気づかない心の隙間に潜んでしまうところにあります。

君が自分をどういう存在にしようと思うか、それが出発点だと思います。仮説を立て定義し実験を繰り返してください。

在るが儘に自信と自負を持って、これからの乾坤を楽しくかつ有意義な地平とできるよう、祈っています。

これを書いていて今気付いたのですが、私も君というライバルが社会に進出してきたことで、「尻に火が付いた」ようです。

ありがとう。

尚、返事はいりません、身体と精神を健康に過ごしてもらうことが、なによりの便りです。

早々。
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生きる。

2014-03-19 | 世界の写窓から
(画像/黒澤明監督「生きる」より)

「生きるということを人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差し支えないでしょう。しかし美しいものや気高いものを一義に置いて人間を評価すれば、問題が違ってくるかも知れません」
(文/夏目漱石「硝子戸の中」より)

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当たる。

2014-03-18 | 世界の写窓から
(photo/unknown)

「当たる」とは「箭鋒相拄不須避」-箭鋒(せんぶ)相拄(あいささ)えて避くるを須(もち)いず-、の端的である。

また「当たる」は、今まで直線的に連続的に進んでいったものが、急に前面でその運動が止まって、新たな動きに転ずるの義である。

百尺竿頭に一歩を進めたとき、突如として予期しないもの、分別計較しないものに出くわすの義である。

「当たる」は非連続性・突発性・偶然性・直覚性などという性格を持つ言葉である。

「まぐれ当たり」は悪い意味の当たるであるが、まぐれは畢竟ずるに、予科を許さない意味で、分別智の境地を超越したところをいうのである。

・・・

「当たる」について鈴木大拙先生はこのように定義しています。

「当たる」、とはイノベーションのもとなのである。つまり金である。私はそう思っている。
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かもよ。

2014-03-17 | 世界の写窓から
(source)

見て見なさい、オバマ大統領の演説中にメモを取るプーチン大統領の手元を。

これを、「そうなんや」と採るか、「そりゃいかん」と採るか、「あり得るエリエール」と採るかで、今のクリミア情勢に対するその人なりの見方の違いがわかる、・・・かもよ。

なんちゃってではあるが、この風刺は案外的を得ているのかもしれない。
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ダンシング・ベイビー。

2014-03-15 | 世界の写窓から
(GIF/dancing baby)

・・・三つが一緒になって「ダンスを踊る」とき、何かに没頭するフローの状態が生まれる。

メモにはこう記されている、が肝心の三つはなにかを以前の僕は書いていない。

なんだったのだ?


(GIF/souece)

........,


(GIF/source)

........,

ただ、これを書く数分、ダンシング・ベイビーに誘発されて、道具を使う猿に刺激を受けて、踊るロボット画像の獲得まで、何かに没頭したことは否めない。
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よき歴史家であるために。

2014-03-14 | 世界の写窓から
(photo/source)

私たちは歴史をなるべく正確に学んでおく必要があります。憶測や短絡的かつ安易な帰結は禁物です。

なぜなら、歴史の文脈が途切れることでそれまでの知恵の宝庫が更地になってしまう恐れがあるからです。

例えば新しく住む家に邪魔な棚があったとします。しかしそこに至った経緯を正しく把握していないと、どうして棚を設けたのか知らないまま、それを取り壊すおそれがあります。歴史の知見で防備しておけば、その棚は本当に不要で取り除くべきだと認識できるかもしれないし、あるいは、そのままにしておく理由が見つかるかもしれません。

つまりは、所属する集団の歴史を知れば、様々な出来事や我々自身が今なお続く物語の一部であり、自分自身よりも大きなものの一部であることを理解するようになるということなのです。

我々がよき歴史家であるためには、知的な誠実さを持って事実に向き合う必要があるのです。驚くことがあっても広い心で事実を見つめることが大事だと思います。

ではなぜ、インドネシアのニューギニアのイリアンジャヤというところの男性は他とは異なるガードをペニスに施しているのか?邪魔ではないのか?そしてその大きさ長さの個人差は何を意味するのか。
「自分自身よりも大きなものの一部」であることの理解に向けて、広い心で事実を見つめることから始めてみたいと思います。
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人生は椅子取りゲーム。

2014-03-13 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(illustration/source)

人生は椅子取りゲーム。
満員電車に乗り込み、
あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら、
あるとき目の前の席が空いた。
 ――『人生の歩き方』より

やなせたかし さんの言葉です。

「アンパンマンの作者は私です」と言うと、たいていの人はびっくりする。

まさか90歳過ぎた作家が描いているとは、想像できないのだろう。作者はせいぜい50歳ぐらいと思っている人が多いのではないか。

50歳は、実はアンパンマンを描き始めた年齢だ。それはやがて1973年に、『あんぱんまん』という絵本になる。だが、評判はさんざんで、何十年も出し続けるシリーズになるとは、予想もできなかった。

漫画家として独立したあと、舞台演出、詩の雑誌の編集や絵本づくり、テレビ出演など、頼まれるままにいろんな仕事をしてきた。漫画の代表作がないままに、多くの先輩・後輩の活躍をさびしく目で追う日々が続いた。

それでも漫画家であることをやめず、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車のように才能がひしめく漫画界に、あきらめることなく立ち続けていた。すると、あるとき、目の前の席が空いた。70歳になる直前、アンパンマンのアニメ化の話が持ち込まれ、それから一気にブレイクしたのだ。

「継続は力なり」というが、あきらめないでひとつのことを思いを込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて、出番がやってくるものなのだ。
(切抜/記事
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わからないことが何か、わかってきた。

2014-03-12 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

写真は火星の地平線から見える地球。キュリオシティ(好奇心)という名の探査機からの贈り物である。

これ以前にこの姿を知っていた人は誰もいない。

・・・。

東京大学国際高等研究所カブリ数物理連携宇宙機構機構長の村山斉先生によれば、宇宙研究におけるここ10年の成果は「わからないことが何か、わかってきた」ことだという。そして「実はこれは大きな進歩だ。過去2世紀にわたって、私たちの宇宙像を支配してきたのは、万物は原子でできているという基本概念だった。しかし実際には、私たちが知っている物質と呼ばれるものは、宇宙の構成要素のわずか5パーセントにすぎず、宇宙の大半は暗黒物質と暗黒エネルギーで占められていたのだ」と述べている。

・・・まだ誰も知らない暗黒なる物質とエネルギーが95%も占めている・・・、見えないといえば、わが地球の空気も2割の酸素と8割の窒素であり、偉大なる何もしない窒素が酸素の暴走を食い止めているということと何か関係がありそうでなさそうでもある。

「わからないことが何か、わかってきた」ということはなるほどかなりの進歩である。

自分は何も知らない、ということさえ知っていれば、人は人間の本分である大いなる好奇心を発動させ、歩を進められるようにできているようだ。
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忘れてはいけない。

2014-03-11 | 意匠芸術美術音楽
(source/John Fielder)

よいどれ詩人、チャールズ・ブコウスキー

「おまえさん、さしずめインテリだな、インテリは簡単なことも難しくいっちまいやがる。

さしずめ難しいことを簡単にいえるってのが、芸術家よ」

・・・。

著作に、「勝手に生きろ」、「くそったれ、少年時代」、「指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け」、「死をポケットに入れて」といった題名のものがある。

「DON'T TRY(やめておけ)(突っ張るな!)」というのは彼の墓に刻まれているという言葉だ。


source)
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クロージングへの一考。

2014-03-10 | 古今北東西南の切抜
(graphic/source)

パリッとしないソーセージと、ラッシュでない時の電車の座席と、残念な素人将棋と、暇な店の予約表と、成績の上がらない営業マンとは似ているところがある。

ツメが甘い。

それは腸の膨縮率と、隣への遠慮と、読みの拙速と、過度の猶予と、落としどころの誤謬といったところに由来するように思える。

つらつらと考えてみるに、より良い結果にまとめ上げるという「判断」には、自分と他者との知識と経験のギャップを埋めるという発想がなくては難しいようだ。

心理学のアプ・ダイクステルホイス博士によれば、
「我々は通常、困難な精神的問題から注意をそらしているときに、よりよい判断を下すことができるもの」らしい。
そして、こう続ける「注意の中断によって、問題に取り組む時間が我々の無意識に与えられ、意識的に熟考していたときには使用できなかった情報、および認知プロセスを利用できるようになる」と。
しかし、「だが、我々がある問題をはっきりと意識的に定義してはじめて、無意識の思考プロセスはその問題に関与できる。特定の知的目標が無ければ無意識的思考は生じない」という。
つまり、よりよい「判断」には「無意識的思考」の力が必要だということだ。

ここから私は一つの考え、「ツメが甘い」のは、「問題への関与」が統合失調状態にあるからだ。という仮定を今抱いて、今日の日記を締めくくってみる。
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男のほまれ。

2014-03-08 | 世界の写窓から
(Lauren Bacall, Humphrey Bogart, Marilyn Monroe, /Photo by Darlene Hammond)

よろしいなぁ、ボギーは。

イングリッド・バーグマンと共演できて、ローレン・バコールと結婚できて、特にマリリン・モンローの谷間が見れて、

わし、摂津峡の谷間ぐらいしか見たことない。

ボギー、ボギー、あんたの時代はよかった、男がピカピカのキザでいられた。

(おまけ)

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