よしんば、その指標を横に倒してみたとしても、進入禁止に変わりは無い。
巷にかいみられる様々な標識は、それをそれと認識できなければ危険極まりない。
そこにある標識を、自分勝手に解釈してみたり、意味もわからぬ無知な状態でほっておくことは、いろいろとした支障をきたすのである。
人の生き様というものにも、その人がそういう生き様をするに当たっての指標が存在するだろう。
考える葦である人間は、間違いを犯しやすい生きものでもある。
機関車の運転手がいちいちくどくど愚直に指差し確認をするのにも意味がある。
勘違いや自分勝手な判断に陥っていないかの再確認が、危険を避けるのに一番有効だからだ。
右ヨーシ、左ヨーシ、前ヨーシ、後ろヨーシで進んだとしても、上からタライが落ちてくる事だって、人生にはある。
しかし、珠には落着いて、愚直に、自らの持つ指標や定めた標識の指差し確認をしてみることは、進むべき方向へのドライビングにおいて、たいへん有意義なことだと思われる。