南無煩悩大菩薩

今日是好日也

指標。

2008-10-30 | つれづれの風景。

よしんば、その指標を横に倒してみたとしても、進入禁止に変わりは無い。

巷にかいみられる様々な標識は、それをそれと認識できなければ危険極まりない。


そこにある標識を、自分勝手に解釈してみたり、意味もわからぬ無知な状態でほっておくことは、いろいろとした支障をきたすのである。



人の生き様というものにも、その人がそういう生き様をするに当たっての指標が存在するだろう。

考える葦である人間は、間違いを犯しやすい生きものでもある。

機関車の運転手がいちいちくどくど愚直に指差し確認をするのにも意味がある。

勘違いや自分勝手な判断に陥っていないかの再確認が、危険を避けるのに一番有効だからだ。


右ヨーシ、左ヨーシ、前ヨーシ、後ろヨーシで進んだとしても、上からタライが落ちてくる事だって、人生にはある。

しかし、珠には落着いて、愚直に、自らの持つ指標や定めた標識の指差し確認をしてみることは、進むべき方向へのドライビングにおいて、たいへん有意義なことだと思われる。

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神妙なるもの。

2008-10-29 | 有屋無屋の遍路。


 - それから私は、心願成就悪難退散とかいて、ろうそくの炎を見つめました。

小さなそのろうそくの丸まった面に字を書くことの難しさを噛締めながら。

洞窟の中は一層肌寒く、なんて書いてあるかわからない字の躍る、そのろうそくは少しのあたたかさを私にくれました。

誰も無い暗闇で、呪文にも見える字の書かれたろうそくを、息を殺して眺めているわたし。

きっと他人には、奇異に映ることでしょう。

なぜなら、きっとそのろうそくは、私の禿頭にもその炎が映っていると、思われたからです。 

しかしかくして、神妙とはこういうことかもしれないと私は思えるようになりました。

なぜなら、その洞窟を辞して去ろうとするとき、腰の曲がった老婆とすれ違いました。

顔を上げ会釈をして、少し笑ったその老婆の、数本も無い内の、一つだけの金歯にも、そのろうそくの炎は宿り、キラリと輝きをみせたのでございました。 -


神妙なるもの。


 
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それにつけても。

2008-10-27 | つれづれの風景。

それにつけても、空の青さよ。


貧乏儲けなし。 それにつけても空の青さよ。

頭が年々薄くなる。 それにつけても空の青さよ。

世界経済がえらいこっちゃて。 それにつけても空の青さよ。

犬の糞踏みつけた。 それにつけても空の青さよ。

なんや体力の衰えを実感しますわ。 それにつけても空の青さよ。

わしもそのうち死ぬんやなぁ。 それにつけても空の青さよ。




人生闇鍋。

下駄の緒や藁草をつまんでしまう時もある。

それにつけても食えまへん。



それにつけても、空の青さよ。


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晩秋の野にて。

2008-10-25 | つれづれの風景。

澄み渡る晩秋の空 ここを先途と重なり充ちる黄色き花 舞い降りる女王の風格も蝶。

ロスエンジェルスとは、現地語で天使の舞い降りた地。

さしずめ、ロスバタフライ。


空気を清浄を風景を自然の営みを生きている実感をその喜びを、胸に大きく一息吸い込む。


センチメンタルというものかもしれない。

ほんの2~3 センチメンタル の大きさの蝶に出会った晩秋の野にて。

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泉。

2008-10-24 | つれづれの風景。

その昔、「押せば元気の泉湧く。」と触れ回った指圧師がいた。

泉は湧くのである。

ふつふつぽこぽこと水も精神も常に湧き出すものは強い。

井戸などとは違って、泉を困らせようとしていくら、塵や芥や糞などを投げ込もうと、泉は綺麗さっぱり流し去り、常に清新なる水を湛える。

精神もこうでなくてはならないだろう。

溜め込み固定したものは、侵されると非常に弱い。すぐに捨て去り湧き上がるものこそ誰も犯すことのできないシェルターとなろう。


いろんなものを放り込まれる世の中を嘆かず、意に介せず流し押しやる水のような志を持つことで、自らの信念を守ることも術である。

自分の大事なものを汚してはなるまい。


なるほど。押(おしだ)せば元気の泉湧く。か。

一理あるのでありますなぁ。


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くらげのはなし。

2008-10-23 | 有屋無屋の遍路。

未確認飛行物体は、その英表記の頭文字を取ってUFOと呼ばれる。ユーホーだ。

誰が見ても、クラゲであるが、その昔、北海に住む人々にとっては未知の生物であった。

何らかの事情で、寒流に生き延びた稀なクラゲがごく稀に流れ着くことがあったが、瞬時に死滅分解する為、その実体は、現地の彼等にとって、いかにも未確認のままである。

きっと海底人の乗り物か何かに違いない。

そこで彼等はこの物体を、未確認水泳物体と呼ぶようになり、一つのロマン溢れる伝説となった。

彼等はこう呼んだ。Unidentified(未確認) Swimming(水泳) Object (物体)。


通称USO。


すいません。嘘です。


USOをついてみたくなるほど、ユーソーに泳いでいるのである。

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寒山と捨得。

2008-10-22 | 有屋無屋の遍路。

読む事を知って文字なし。

箒を持って掃除せず。


かんざんとじゅっとく。僧でも俗でもなしといわれる非常に興味深い二人。

様々なキャラクターをもって今に伝えられている。仙崖和尚などの仏画や、蕭白画伯の作品などこの二人を題材にしたものは見ていて楽しい。

遠い唐の昔の人だというから、その実像は知る術もない。


いつもにこいちで登場する。

共通するのは、なにかしらお茶目で、とぼけながらも、はっとさせられる率直さをもった人達のように思えてならない。

そこにあるのに慣れすぎて、本当は不可欠な存在にも拘らず、ついつい甘えてないがしろにしていながら、おもうところありの心持のときには、かけがえのない存在になる。

そんな地球と月のような関係の人がいる。

そのペーソスに感じ入り、山椒のように小粒ながらピリリとくる人がいる。

寒山と捨得とは、誰にでもいるであろうそんな人へのオマージュを感じるのである。


眼を閉じて文字を読み、箒を抱きて立ちすくむ。


読むことを知って文字なし。

箒を持って掃除せず。


君ならどう読み、どう掃除をするだろうか。

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こい。

2008-10-18 | 有屋無屋の遍路。

わし、鯉でおます。

平目ちゃいまっせ。眼離れてますけどな。

魚は正面から見たらみんなこなもんですから。

れっきとした錦鯉です。

山古志村が、わしらの故郷。

色調と模様にも個性がありましてな。ひとつとして同じものはございません。

いろこいざたは、全部ちがうもんです。

今は米国でもわしらの仲間大人気らしいですわ。



あんさん。なんぞようでっか?

こい。ゆわれたよってに、近づいてみたんですけど。

え?餌くれませんの?

ほんならこいこいいいなさんな。

口パクパクさせてもうたやおまへんか。


え、なんですて?
食い気ばかりやのうて、餌持ってるかどうかちゃんとみなさいてか?

そりゃできませんわ。なんせこいは盲目やから。

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黒い石白い石。

2008-10-16 | つれづれの風景。

黒い石と白い石と綺麗に並べると、その境目には、くっきりとした線が浮かび上がる。

そこに線が引かれているわけではないが、私達は線を見る。

それぞれに、石は違いのある点として存在しているわけだが、大量に集まると、白い面、黒い面として、同化される。

白い石の多少のくすみや黒さ、黒い石の多少の薄さは、問題ではなくなる。


全体像とはそういうことだ。

線に見えてたものも、近づけばそうでないことがわかる。

面は、ある一面を覗かせただけでそこにはそれぞれの個性ある点でなっている。

部分を詳しく見ることで、いわゆる、ディテールを知ることとなる。


点の究極の研究が、先般のノーベル物理学賞の対象でもあった。


全体的俯瞰と、構成要素的ディテールの解明。


物事に白黒をつけるとは、なるほどこういうことかもしれない。


やはりお伊勢様には、みるべき風景がある。

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どんぐりのある風景。

2008-10-15 | つれづれの風景。

実りの秋である。


何者も急に実ることは無い。

秋にはぱっくりと出現するどんぐりも、徐々に徐々にのたゆまない内部での生育のたまもの。

卵から孵る雛も々。傍目には変化の無い卵の内部では、しっかりと日々の成長が刻まれている。

バックボーンのないものが、急に頭角を現すことは無いのである。



実りの秋とは、そういうことをももってして一層喜べるのである。



人生楽ありゃ苦もあるさ。

お池にはまってさぁ大変。

どじょうがでてきてこんにちは。

ぼっちゃん一緒に遊びましょ。


どんぐりころころどんぐりこ。

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松島や。

2008-10-14 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

松島や ああ松島や 松島や。


所用でいったついでに松島を歩いた。

湾内に広がる、幾多の風光明媚な島の上には、その全てに枝ぶりも麗しき松が立ち揃う。

テラコッタにも似た赤松の赤い幹の乾いた重なりが、島と海に溶け込んだその総景は、えもいわれぬ残像を生ず。

そのいでたちたたずまいは、歩けども歩けども尽き果てぬようにも覚える。

そこかしこどれもが、松島である。


松島や 嗚呼松島や 松島や。


芭蕉翁の気持ちがようやく腑に落ちたのであった。

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もののふ。

2008-10-11 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

小身者の悲しさは、人に勝(すぐ)れた心底を見せねば、数に入れられぬ。

-仮名手本忠臣蔵より-


室町以前だったと思うが、武士はもののふと呼ばれていた。

江戸期以降の官吏としての響きがある武士よりも、私はこのもののふという響きが好きだ。


よしんば大身者になろうとて、人に優れた心底を見せねば、数には入れないだろう。

最下級のもののふである足軽の頃より、その心持は問われる。

そんな響きをこの言葉は持っている。


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雫。

2008-10-10 | つれづれの風景。

つかのまの しずくに 反転した風景がやどっている。

ふくらんでは落ち、ふくらんでは落ちつつやどす反映。

矢も盾もたまらず映し切り取るも、無常。

ここにも、小さく無常が息づいている。


雨の雫より溢れる涙。

しずくにかしずくも、此処が聖地である由縁か。

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感受性。

2008-10-09 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

弥太郎こと、のちの小林一茶6歳の発句である。

われときてあそべやおやのないすずめ。


そもそも、感受性というものは、その境遇を自分なりに克服していく過程において、はぐくまれつつ行くものであろう。


やがて一茶翁は、かの有名な句を発する。

やせがえるまけるないっさここにあり。


地道に真摯に奢り悲観することなく、自らのうちに整合性を築き上げるその努力の賜物は、感受性という形で、また自らを励ますのだと小生には思える。

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唐獅子。

2008-10-08 | つれづれの風景。

わし、唐からきましたんや。

とうはとうでも陶器の唐獅子でっせ。

唐の焼モンの唐獅子ですわ。

ちょいとチャーミングな顔やなぁいわれます。


耳、片方だけ上げてますやろ。

なんでっか?ようきこえまへんなぁ。

ちゅうことですわ。


ま。なんちゅうか意味わからんことは、聞こえんようになっとります。

これ、そやかてつんぼちゃいまっせ。えてかてつんぼいいます。

唐爺よってに、ゆるしてもらえまっしゃろ。

えてかてつんぼも、処世ですわ。



この作者。そんなことを伝えたかったのではないだろうか。

有形文化財である。

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