南無煩悩大菩薩

今日是好日也

重要なのは動的な行為にあるのであって静的な状態の結果では説明できないということについて

2019-06-30 | 古今北東西南の切抜
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「なにもしない」というのも一つの行為です。最初の状態から「なにもしない」という行為を行うと、最初の状態とおなじ状態になる。

「結果としての状態」自体には、それほどの重要性はありません。「行為」や「運動」「操作」といったものに、注目します。

重要なのは「行為」という「動きそのもの」であって、その結果としての「状態」ではないというわけです。

「なにもしない」「右を向く」「後ろを向く」「左を向く」を考えてみましょう、「状態」でなく、「行為」を考えることのご利益は、次のことにあります。

-「右を向く」という行為を最初の状態から二回続けて行うと、「後ろを向く」という行為を最初の状態から一回行ったときと、状態は同じになる- 。

つまり「右を向く」を二回するという行為は、「後ろを向く」という行為と同じなのだということです。

例えば最初の状態から、「左を向き」ます。そして、もう一度「左を向き」ましょう。これは、「後ろを向く」ことと同じでした。では、後ろを向いてから、右を向いてみます。これは「左を向く」ことと同じです。その状態から、もう一度右を向いてください。こうすると、最初の状態に戻ります。

つまり、「左を向く」ことと「右を向く」ことを続けると、「なにもしない」という行為と同じだというわけです。当然と言えば当然です。

-切抜/加藤文元「宇宙と宇宙をつなぐ数学」より
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粋な絵と文と音

2019-06-29 | 意匠芸術美術音楽
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笹野顧六という牧師がいる 笹野氏は篤心なる牧師です 僕の学生時代の知り合いです
そのころ師は神学校の生徒でしたが 学校を怠けて戯曲の習作に耽っていた
書き上げた原稿を古新聞に包み 僕のところに持ってきて読んでいた

笹野君は「本読み」と称してそれを読んだ
今から40年ちかく前のことである 僕はたいていその内容を忘れたが たった一つ覚えている 「水車と加藤清正公」という脚本だ

-舞台右手に水車小屋がある 大きな水車が音もなく廻っている これは天地の悠久を暗示する-

そこへ物の具つけた加藤清正公が現れる
紺色の垂衣に紺糸縅の鎧を着け 銀色に光る烏帽子型の兜をかぶり 黄金づくりの太刀を佩き 音に聞こえた片鎌槍を携えている
そのいでたちは実に剛毅である アッパレ大将軍の貫録だが 舞台正面に出てくると

「ああ脱糞したい」と独白する
次に「もういけねぇ」と泣き声をだし
瞑目して「ビチビチビチ・・・・・」と独白する 
それで静かに幕である

笹野君は朗読後に傑作だと自賛した 表現派の戯曲だと云った 
僕は何のことだと思ったが 未だにこの脚本だけは覚えている
先夜もふとこの筋書きを思い出し 夢うつつに現在の師に思いを馳せた 師よ せいぜい神に祈り給へ

-井伏鱒二「水車は廻る」-

Nothing Is Sin - The Tiger Lillies
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Pyrocat

2019-06-27 | 世界の写窓から
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わたしは主体的である。

そう思えるのは、わたしが何かに期待するときというのはお門違いで、何かに期待されていることに気づいてしまったりしたときに見いだせるようなことである。

受動があって能動を誘うばあいもあれば、能動があって受動を余儀なくされることもしばしばだということだ。

Lyra - David Orlowsky Trio


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セルフ・ポートレイト

2019-06-24 | 意匠芸術美術音楽
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好きに描いてよろしい。

いやむしろ好きに留まらずもっと奔放に描かれることを推奨する。

思うように描きだせなくても構うことはない。ただ、一つのルールがある。好きに描いたそのときの出来上がりを他の自分以外のものと比べたりしないこと。

たぶんきっとだんだん上手になっていく。

今までもこれからも自分というものといつまでも踊ることになる、それをためらってはいけない。この世で味方になるのは須らくそのようなものごとの積み重ねのようであるからにして。

The Tiger Lillies - Danced all night
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それは役に立つのか?

2019-06-21 | 世界の写窓から
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たとえば、

誰もまだ罹ったことのない病気の治療法

「それは役に立つのか?」

どんどん価値が多様化し、ものごとの「使われ方」も複雑化していっている今時にあっては、もはやどんな「それ」でも、それが「役に立つ」のは当たり前だとしか言いようがないし、そんなことで疑うのはもはや無意味になってきているのかもしれません。

それまでとても応用からは縁遠いと思われてきた対象や手法が、ある日突然「役に立つ」ものとして日の目を見る、という事は昔からありました。

人々の中には、じぶんの「それ」が役に立つか立たないかという事とは関係なく、自分の興味と使命感のままに「それ」を続けているという人はたくさんいます。

そういう多くの人々にとって、「それ」をするモティベーションは個人的なものですし、人それぞれ千差万別です。

考える事が無意味である。ということと、無意味なことを考える。ということの背反成立に思いを致す。

そのあたりが、別の次元との一つのインター(際)として役立つかもしれないではないかと思えるのです。

つまり役立つかどうかに蓋然性をみることはあんましいらんお世話のことかもしれんのです。
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その存在を忘れているとき

2019-06-19 | 古今北東西南の切抜
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その人はジャガイモが大量に詰め込まれた袋を背負っていた。

あなたにとって幸せとはなんですか?そう聞くと、彼女は不思議そうな顔をした。

質問の意味が分からない、という感じだった。

通訳の方が一生懸命説明してくれて、彼女も長く考えて、やっと「家族がいること」とか、「ご飯を食べられること」などと答えてくれたのだけど、きっとそれはこちらのためになんとか考え出してくれた答えなんだと思う。

本当は彼女は、「幸せとは何か」なんて考えもしないのだ。

「幸福ってなんだろう?」って考えるときって、人はもう、少しだけ不幸なのではないだろうか。

「祈りとはなんだろう?」と考えているときに祈ることが出来ないのと同じように。

幸福を求める前に、生活を大切にしよう。そう思った。幸福はその存在を忘れているときに一番輝くのだと。

ブータンの村の、名前もしらないその女性が教えてくれた。

(切抜/西加奈子「幸せってなんだろう」より)

例えば胃痛がするときには胃になにか不具合が起きているのだとわかる。だが胃の存在を忘れているとき、胃は健全だと安心して喜ぶことはほとんどしない。
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繊細が故への恥の処方

2019-06-17 | 世界の写窓から
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恥を強く感じれば感じるほど、体験や感情を他者から隠そう、さらには自分自身からも隠そうという意識が働く。

したがって、恥に対処する一つ目の方法は、恥を表に出すことである。なぜ恥を感じているかがわかれば、自分の気持ちと折り合いをつけることができ、うまくコントロールできるようになるだろう。

二つ目の方法は、もしこれが自分ではなく友達だったら、どんな言葉をかけるだろう、と自問するとよい。きっと励ましたり助けたりして、前に向かうためのアドバイスをするのではないだろうか。

この問いは、ネガティブ思考に囚われている自分に気付かせてくれるし、恥の感情に打ち勝つ助けになる。

心理学的にも認められていることだが、このように感情を立て直そうと努めることは、健全な自尊心を育て、自分は価値ある存在だという意識や適切な帰属意識を培い、自己受容を強めてくれる。

また、恥を感じた時に、逃避や反撃などの不健全な反応をしなくなるのにも役立つ。

-マンフレッド・F.R.ケッツ・ド・ブリース

(切抜/参照

銃爪 坂本冬美
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老人の迫力と破壊力と切実な願いとめくるめく世界と

2019-06-16 | 古今北東西南の切抜
(photo/Kazuo Ohno)

街を歩いていたら、商店街のお祭りに出くわし、向こうから、おばちゃんの集団が現れた。みんなそろいの浴衣を着て、花笠を被り、ゆったりと踊り歩いてくる。5,60人はいらしたか。水前寺清子さんの群れかと見まごうほどの迫力である。

しかも曲は人気アイドルグループの「365日の紙飛行機」だ。この歌に特別関心を寄せたことは今まで一度もなかったが、胸が熱くなった。お年寄りが踊ると、えも言い難い説得力があるのだ。

「朝の空を見上げて 今日という一日が 笑顔でいられるように そっとお願いした 」という歌詞の冒頭からして、若い女性が歌うのとでは、見える景色が異なる。

仏壇の阿弥陀さまに、だろうか? それとも先立ったご主人にだろうか? いずれにせよ、切実な生への願いが感じられる。

過去にも一度、同じような体験をしたことがある。町内会の敬老演芸会を観ていたときのことだ。過疎の村の敬老会は、8,90代の老人会を、6,70代の婦人会が祝うという、めくるめく世界なのだが、公民館の壇上では、やはり揃いの浴衣で、輪になって五月みどりさんの「おひまなら来てね」に合わせて踊っている。それだけで結構破壊力のある絵だった。

「おひまなら来てよネ 私さびしいの」という艶っぽい歌詞が、「お迎えに来てよネ」に聞こえてくる。 「本当に1人よ 1人で待ってんの」に至っては、もう独居老人のテーマソング以外の何物でもない。

決して茶化して言うのではない。私はとても感動したのだ。「生の輝き」があふれていたし、なにより、単調な振り、婦人会の皆さんの真剣なまなざしには、霊界と交歓するような清廉さすら感じられた。

思えば、これが、「老いの身体の尊さ」を感じた最初かもしれない。日本の古典芸能は、「老いの身体を楽しむことだ」としばしば言われる。歌舞伎であれば、10代の娘役を80歳の女形が演じるということも珍しくない。はじめは面食らうかもしれないが、次第に、若い役者にはない色香と説得力があることがわかってくる。身体の自由は利かなくなってくるかわりに、熟練の技と、年月が積み重なっていく。

これは芸の世界に限らず、世の中、すべてのお年寄りにいえることだろう。年々頑固になったり、固定概念から抜け出せなくなるのも事実だが、それもいつか味わいに変わる。長年、風雪に耐えて、角が取れたり、磨かれたり、苔のむしたりした古石のように、尊い身体に変化していく。

「いままで生きてきた」という揺らぎようのない事実を纏った身体は、ただもうそれだけで、物語を孕み、感動的なのだ。

(切抜/木下祐一「老いの説得力」日経夕刊より)
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なにがおこっている?

2019-06-14 | つれづれの風景。
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私たちが見て、聞いて、嗅いで、触っているものは、素朴に「存在する」ものだと考えてしまいますが、それは飽くまで、私たちの感覚器官や脳が作り出したイメージです。

水晶体や網膜の調子がおかしければ、像は歪むし、微細な匂いが異常に拡大される人もいる。人によって見ているもの、聞いているものは異なり、世界は違うものとして立ち上がっているものです。

こうした、私たちの知覚した結果を、「存在」ではなく、「現象」と呼ぶことにします。観察する「わたし」がいて、わたしが感覚器官を働かせる時、そこに現象が立ち上がる。私たちは、存在するものを直接捉えることができず、現象を通して理解するのです。

つまり、直接知覚できませんが、現象に対応するようなもの、現象として「わたし」に知覚を成立させるものが、実在として想定されることになります。-郡司ペギオ幸夫「天然知能」より

基本原則はそうひどく複雑なわけではないし、事実にしても特別に曖昧なわけではない。そういうものでも複雑になってしまうのは、かなり単純な話を偏見や感情が絡んだ俗説と混同してしまうから。

そんなきがします。

目が曇っているのか、曇っているなかにいるからなのか、それが果たして一緒の現象の話でしかない、からなのかもしれませんね。

Evgeny Grinko - Dusty Room
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N°1はN°5であった。

2019-06-11 | 世界の写窓から
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“第一印象をつくるチャンスは二度とないわ”

Train de Nuit - CHANEL N°5
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初心

2019-06-10 | 意匠芸術美術音楽
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世阿弥が残した「初心忘れるべからず」は「始めた時の初々しい気持ちを忘れないように」という意味で理解されています。

ただ、世阿弥は「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」という意味で「初心」を用いました。

「初心忘れるべからず」とは「恐れず変化し続けなさい」ということです。でも自ら進んで過去の自分を断ち切るなんて、なかなかできることではありません。だからこそ、世阿弥は能楽師が初心と向き合う仕組みを作った。それが「披(ひら)き」です。披きとは、師匠が弟子に、それまでのやり方であれば絶対にできないであろう演目を「やってみろ」と命じることです。

実際に公演日が設定されているので逃げるわけにはいかない。でも、今の自分ではできそうもない。そういう演目を課されるのです。新しい演目を演じるには動きから考え方まですべてを変える必要があります。朝から晩まで一人で稽古して、疲労のあまり吐いたこともありました。今から振り返れば、そこまで自分を追い込めたからこそ、次のステージにうつれたのだと思います。

世阿弥は「初心忘れるべからず」の後に、こう続けています。

「安心して切りなさい。大事なものはちゃんと残っているから」と。

-安田登(能楽師)

Yamabushi (Noh music set to Shugendo imagery)
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collage

2019-06-08 | 世界の写窓から
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本物との違いがわからなくてたとえ偽物に感動したとしても感動まで偽物とは言えない。

(quote/source)
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ログイン

2019-06-07 | 意匠芸術美術音楽
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logは、日本語になっている「ログハウス」の「丸太」を意味する。

パソコンにパスワードなどを入力して利用を始める「ログイン」という言葉は日常的に使用されています。

「丸太」からコンピュータ用語まで表すlogですが、「記録する」という意味でも使われます。一見すると関係がありませんが語源をたどると実は一本の線で結ばれているようです。

その昔、船の速度を測るのに、先端に丸太を付けたロープを走行中の船の先頭から投げ下ろし(log in)、丸太が船尾に来るまでの時間を計測していました。船が進んだ距離(つまり船の長さ)を時間で割って速度を計算したのです。16世紀になると、抵抗板を付けたロープに等間隔で結び目(knot=ノット)を作り、船からロープを一定時間繰り出して、結び目の数で船の速さを測るようになりました。船の速度を表す単位「ノット」はここからきています。

「丸太を投げる」という意味の‘log in' は航行速度を記録することを表すようになり、語源辞典によると1963年からコンピューターの認識行為に使われるようになったようです。

-切抜/木村恭子「Quick Lesson」日経夕刊より

ちなみにわたしも、1963年この世にログインした。。

それ以来この世界を愛している。

The skatalites - When I fall in love.wmv
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あれはなんやったんやろ

2019-06-05 | 世界の写窓から
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D-DAY から75年、兵士の死者より市民の死者が2倍に上ったというこの作戦の是非は未だに意見の収束は着地しない。

WW2 - D-Day. Invasion of Normandy [Real Footage in Colour]


天安门事件 から30年、その後のすさまじい経済発展と人権のありかた、つまり所謂得たのか失ったのかの行方は沈黙させられている。

Tank Man: what happened at Tiananmen Square?


日本にもHIROSHIMA,NAGASAKIはあったし、安保闘争もあった。

社会的な出来事は無論の事として、この歳にして自分の人生、今までのトピックスを思い返しても、そこに確かな意味を見いだせることは殆ど無い。

あれはなんやったんやろ?
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Lady Sings The Blues

2019-06-02 | 意匠芸術美術音楽
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Diana Ross - Lady Sings The Blues
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