(image/source)
“Nothing is lost, nothing is created, all is transformed.” — Antoine Lavoisier
"Blade Runner" Soundtrack - End Titles by Vangelis
“Nothing is lost, nothing is created, all is transformed.” — Antoine Lavoisier
"Blade Runner" Soundtrack - End Titles by Vangelis
(photo/source)
ほんとうに知りたいことはなにか。
自分についてである。
人間臭い生き物というものの本性を包み隠さず知るには自分しかサンプルたりえないだろう。
嘘のない自分を探し出し向き合ってみるのはなかなか骨の折れる作業である。
それは、それが当たり前で忌憚のない本来の姿なのだというような、許すも許さずもない、そんな概念に抵抗する作業でもある。
アシカだとおもったらアザラシだった。そもそも覚束ないがそれもまた悪しからずかもしれない。
ほんとうに知りたいことはなにか。
自分についてである。
人間臭い生き物というものの本性を包み隠さず知るには自分しかサンプルたりえないだろう。
嘘のない自分を探し出し向き合ってみるのはなかなか骨の折れる作業である。
それは、それが当たり前で忌憚のない本来の姿なのだというような、許すも許さずもない、そんな概念に抵抗する作業でもある。
アシカだとおもったらアザラシだった。そもそも覚束ないがそれもまた悪しからずかもしれない。
(photo/Vintage Geisha)
ネットは「人と出会わなくても済む世界」である。だが、コミュニケーションの基本は「広場に行って、人の話を聞く」という原始的な手法である。
私も街を徘徊しながら、同じようなことをやっている。用もなく、意味もなく、ふらふらすることをペルシャ語では「チャランポラン」という。意味もなく、ほっつき歩きたい精神状態を表してもいる。
詩人や小説家の本来の仕事は「チャランポラン」で、詩や小説はその報告書に過ぎない。「チャランポラン」の楽しみは他人の脳と体を借りて、暇をつぶし、物思いにふけり、時に意識的に愚行をすることである。その成果が自分の作品の細部を埋めているのだから、やはり、日頃の「チャランポラン」が物書きの文運を支えていることになる。
平穏な日常が続いていれば、幸福や不幸を意識することはないが、いざ天災や戦争、身内や知人友人の死に直面すると、平穏無事であることの恩恵を改めて噛み締めることになる。非常時には「チャランポラン」もしていられないから、思う存分「チャランポラン」できる平穏無事のありがたみがなおさら身に沁みる。
学校の道徳の授業で何を学んだかは覚えていないが、「他人の痛みを理解せよ」とか「みっともない真似はするな」といわれたことはよく覚えている。世間に恥を晒すことを嫌うがゆえに人は礼節を守り、不正を働くまいとしたのだが、今はその世間自体が分断されてしまった。
仲間内では礼節をわきまえるが、自分と無関係の相手には冷淡になれる。その態度は自分だけでなく、世間全体を不幸にするだろう。
他人の愚行をどの程度、許容するか、それは市民の寛容の度合いを知る一つの目安になる。世間はある程度、自分の愚行に対して、理解と寛容を示してくれているのだから、愚行をする方もそれにふさわしい礼を尽くすのが大人である。
礼の目的は人間関係を円滑にすることにある。無礼者は自分から世界を狭めてしまう。
成功、発展、進歩などが幸福の条件とみなされた時代がかってあった。それなりの成果はあっただろうし、そのことによって幸福度は上がったかもしれない。しかし、成功よりも逃避、成熟よりも未熟、発展や進歩より堕落や愚行の方を好む者も、自分を含めて一定数いたはずである。
人類に偉大な貢献をする人は各界で十年に一人くらいは現れるが、案外、彼らの成功の背景には豊かな「チャランポラン」体験と愚行の蓄積があったことも確かである。
-切抜/島田雅彦「幸せってなんだろう」JAFMateより
photos/Masao Yamamoto : music/John Williams
ネットは「人と出会わなくても済む世界」である。だが、コミュニケーションの基本は「広場に行って、人の話を聞く」という原始的な手法である。
私も街を徘徊しながら、同じようなことをやっている。用もなく、意味もなく、ふらふらすることをペルシャ語では「チャランポラン」という。意味もなく、ほっつき歩きたい精神状態を表してもいる。
詩人や小説家の本来の仕事は「チャランポラン」で、詩や小説はその報告書に過ぎない。「チャランポラン」の楽しみは他人の脳と体を借りて、暇をつぶし、物思いにふけり、時に意識的に愚行をすることである。その成果が自分の作品の細部を埋めているのだから、やはり、日頃の「チャランポラン」が物書きの文運を支えていることになる。
平穏な日常が続いていれば、幸福や不幸を意識することはないが、いざ天災や戦争、身内や知人友人の死に直面すると、平穏無事であることの恩恵を改めて噛み締めることになる。非常時には「チャランポラン」もしていられないから、思う存分「チャランポラン」できる平穏無事のありがたみがなおさら身に沁みる。
学校の道徳の授業で何を学んだかは覚えていないが、「他人の痛みを理解せよ」とか「みっともない真似はするな」といわれたことはよく覚えている。世間に恥を晒すことを嫌うがゆえに人は礼節を守り、不正を働くまいとしたのだが、今はその世間自体が分断されてしまった。
仲間内では礼節をわきまえるが、自分と無関係の相手には冷淡になれる。その態度は自分だけでなく、世間全体を不幸にするだろう。
他人の愚行をどの程度、許容するか、それは市民の寛容の度合いを知る一つの目安になる。世間はある程度、自分の愚行に対して、理解と寛容を示してくれているのだから、愚行をする方もそれにふさわしい礼を尽くすのが大人である。
礼の目的は人間関係を円滑にすることにある。無礼者は自分から世界を狭めてしまう。
成功、発展、進歩などが幸福の条件とみなされた時代がかってあった。それなりの成果はあっただろうし、そのことによって幸福度は上がったかもしれない。しかし、成功よりも逃避、成熟よりも未熟、発展や進歩より堕落や愚行の方を好む者も、自分を含めて一定数いたはずである。
人類に偉大な貢献をする人は各界で十年に一人くらいは現れるが、案外、彼らの成功の背景には豊かな「チャランポラン」体験と愚行の蓄積があったことも確かである。
-切抜/島田雅彦「幸せってなんだろう」JAFMateより
photos/Masao Yamamoto : music/John Williams
(画/神中糸子《桃太郎》)
地方の首長は、中央の論理に流されず、自分たちが本当になすべき課題は何なのか、そのための方法は何なのかをゼロベースで真摯に考えなくてはいけないと実感しました。永田町を通した陳情をやめた背景にはこうした考えがあります。
今の日本の地方に必要なのは廃藩置県ならぬ「廃県置藩」だと思っています。かつての独立した地方の経済体を取り戻すということです。そうすれば、中央の論理で地方が左右されるようなことはなくなるのではないでしょうか。
一方で、中央の論理でできた施策は大きなゆがみを生みました。その典型が原発事故の賠償金です。強制避難者に一律月10万円を支払う精神的損害賠償などにより、南相馬だけでもおよそ2兆円という資金が投下されました。市の年間予算の約70倍です。生活の保証のために重要な役割もありましたが、対象者と非対象者の間のあつれきを生み、福島の自主的な再生に向けてのエネルギーをそいだ側面もあります。
また、賠償金を受け取り続けることで、東電を加害者、自身を被害者と捉える考えも強まった気がしています。ボランティアの除染活動に従事する東電社員に対し、「ここがまだ線量が高い」「いいかげんな作業をするな」とまるで召し使いのように指示を出す住民の姿を見たとき、そう感じました。思わず「まず、ちゃんと挨拶をしろ。ご苦労さまですと声をかけろ」と住民をしかりつけました。
どんなに東電に怒りを覚えようとも、そんな接し方をすれば、自分自身がダメになっていってしまう。残念ながら、そのことに気づいていない住民は少なからずいます。原発事故で人としての誇りまでも失ってしまっているのです。
-切抜/桜井勝延「戦う市長」日経ビジネスより
地方の首長は、中央の論理に流されず、自分たちが本当になすべき課題は何なのか、そのための方法は何なのかをゼロベースで真摯に考えなくてはいけないと実感しました。永田町を通した陳情をやめた背景にはこうした考えがあります。
今の日本の地方に必要なのは廃藩置県ならぬ「廃県置藩」だと思っています。かつての独立した地方の経済体を取り戻すということです。そうすれば、中央の論理で地方が左右されるようなことはなくなるのではないでしょうか。
一方で、中央の論理でできた施策は大きなゆがみを生みました。その典型が原発事故の賠償金です。強制避難者に一律月10万円を支払う精神的損害賠償などにより、南相馬だけでもおよそ2兆円という資金が投下されました。市の年間予算の約70倍です。生活の保証のために重要な役割もありましたが、対象者と非対象者の間のあつれきを生み、福島の自主的な再生に向けてのエネルギーをそいだ側面もあります。
また、賠償金を受け取り続けることで、東電を加害者、自身を被害者と捉える考えも強まった気がしています。ボランティアの除染活動に従事する東電社員に対し、「ここがまだ線量が高い」「いいかげんな作業をするな」とまるで召し使いのように指示を出す住民の姿を見たとき、そう感じました。思わず「まず、ちゃんと挨拶をしろ。ご苦労さまですと声をかけろ」と住民をしかりつけました。
どんなに東電に怒りを覚えようとも、そんな接し方をすれば、自分自身がダメになっていってしまう。残念ながら、そのことに気づいていない住民は少なからずいます。原発事故で人としての誇りまでも失ってしまっているのです。
-切抜/桜井勝延「戦う市長」日経ビジネスより
(photo/source)
大暑の候とはいうものの、いささか暑すぎるような日々です。私も今‘クラクラ’きております、預金通帳を見て・・。
なにはともあれ、皆様ご自愛ください。
Une Belle Histoire - Chill-Ish feat. Ingrid
大暑の候とはいうものの、いささか暑すぎるような日々です。私も今‘クラクラ’きております、預金通帳を見て・・。
なにはともあれ、皆様ご自愛ください。
Une Belle Histoire - Chill-Ish feat. Ingrid
(写真/棟方志功)
『我々は、怖れ、怒り、苦痛、悲しみといった強烈な感情には源泉があると考えています。そしてこの源泉は、喜びや幸福感をも生み出すものなのです。
人間の本性というのは、肯定的な面と否定的な面が表裏一体の関係で結びついているのだと思います。したがって、否定的な感情の源泉を突き止めることは、肯定面を引き出すうえで有効な方法なのです。
創造性を開放した人々に見られる最も典型的な変化は何かと言えば、瞬間瞬間を生きる力を身につけることです。』
-マイケル・レイ
『いま、ここに全面的に没頭し、完全にその場で見聞きするためには、強靭なパーソナリティをすべて備えていなければならない。過去も未来も忘れ現在だけを考えることだと言ってもいい。
つまり、現在の問題を過去に経験した問題の発展型としてとらえたり、過去の解決策の中から現状に最適な解決策を探したりしないということだ。また問題が生じている現在の状況を将来の為の学習期間と見なしたり、今後取るべき行動の下準備(リハーサル)に当てたりするようなこともない。完全に今、ここに没頭するのだ。
この姿勢はまた、彼がかなり勇敢な人物で、自分自身に信頼を寄せていること、そして、新たな問題を解決できるという静かな自信を秘めていることを示すものである。
これは、健康な自尊心、健康な自己信頼の表れであり、不安や怖れから解放されていることの証左でもある。さらに、彼が世界や現実、環境に信頼を寄せていること、それらを自分を圧倒する危険で強力な存在とみなしていないこともわかる。
つまり、自分は世界に対処できると感じており、決して怖れを抱いてはいないのだ。世界は怪物でも恐るべきものでもない。
自尊心とは、自分自身を原動力、責任ある自律的人間、自己の運命の決定者として見ることなのである。』
-アブラハム・マズロー「創造性に関する覚え書き」より
『我々は、怖れ、怒り、苦痛、悲しみといった強烈な感情には源泉があると考えています。そしてこの源泉は、喜びや幸福感をも生み出すものなのです。
人間の本性というのは、肯定的な面と否定的な面が表裏一体の関係で結びついているのだと思います。したがって、否定的な感情の源泉を突き止めることは、肯定面を引き出すうえで有効な方法なのです。
創造性を開放した人々に見られる最も典型的な変化は何かと言えば、瞬間瞬間を生きる力を身につけることです。』
-マイケル・レイ
『いま、ここに全面的に没頭し、完全にその場で見聞きするためには、強靭なパーソナリティをすべて備えていなければならない。過去も未来も忘れ現在だけを考えることだと言ってもいい。
つまり、現在の問題を過去に経験した問題の発展型としてとらえたり、過去の解決策の中から現状に最適な解決策を探したりしないということだ。また問題が生じている現在の状況を将来の為の学習期間と見なしたり、今後取るべき行動の下準備(リハーサル)に当てたりするようなこともない。完全に今、ここに没頭するのだ。
この姿勢はまた、彼がかなり勇敢な人物で、自分自身に信頼を寄せていること、そして、新たな問題を解決できるという静かな自信を秘めていることを示すものである。
これは、健康な自尊心、健康な自己信頼の表れであり、不安や怖れから解放されていることの証左でもある。さらに、彼が世界や現実、環境に信頼を寄せていること、それらを自分を圧倒する危険で強力な存在とみなしていないこともわかる。
つまり、自分は世界に対処できると感じており、決して怖れを抱いてはいないのだ。世界は怪物でも恐るべきものでもない。
自尊心とは、自分自身を原動力、責任ある自律的人間、自己の運命の決定者として見ることなのである。』
-アブラハム・マズロー「創造性に関する覚え書き」より
(cartoon/original unknown)
複雑なもののこちら側にある単純さは、手に入れるにまったく値しないが、複雑なものの向こう側にある単純さは、どんな犠牲を払ってでも手に入れたい。
-オリバー・ウェンディ・ホームズ・ジュニア
複雑なもののこちら側にある単純さは、手に入れるにまったく値しないが、複雑なものの向こう側にある単純さは、どんな犠牲を払ってでも手に入れたい。
-オリバー・ウェンディ・ホームズ・ジュニア
(photo/source)
生命の春・・・自己再生のシンボル。
苦しむうち、あるがままの自己に戻り、よみがえったような境地に達する。新天地が開かれ、新しい春が来るのである。
薬はいらない。
(おまけ/photo source)
生命の春・・・自己再生のシンボル。
苦しむうち、あるがままの自己に戻り、よみがえったような境地に達する。新天地が開かれ、新しい春が来るのである。
薬はいらない。
(おまけ/photo source)
(gif/source)
そうそう、どうして自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要な時に責めてくれるのだからそれでいいじゃないですか。
かえって自分で自分に拍手を贈ってやりましょうよ。
Parov Stelar - Clap Your Hands (Official Video)
そうそう、どうして自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要な時に責めてくれるのだからそれでいいじゃないですか。
かえって自分で自分に拍手を贈ってやりましょうよ。
Parov Stelar - Clap Your Hands (Official Video)
(picture/source)
例えばもし道路を舗装しようとすれば、人々が草地を踏みしだいて小道をつくるのを待ちましょう。
その後、使用頻度の高い道だけを舗装したほうが、ずっとよろこばれるはずですし、費用や労力もショートカットで安あがりでしょう。
例えばもし道路を舗装しようとすれば、人々が草地を踏みしだいて小道をつくるのを待ちましょう。
その後、使用頻度の高い道だけを舗装したほうが、ずっとよろこばれるはずですし、費用や労力もショートカットで安あがりでしょう。
(cartoon/Yoshihiro Tatsumi)
農民は連帯感に生きる。商人は孤独を生き甲斐にしなければならぬ。総ては競争者である。
農民は安定を求める。商人は不安定こそ利潤の源泉として喜ばねばならぬ。
農民は安全を欲する。商人は冒険を望まねばならぬ。絶えず危険な世界を求めそこに飛び込まぬ商人は利子生活者であり隠居であるにすぎぬ。
農民は土着を喜ぶ。大地に根を深くおろそうとする。商人は何処からでも養分を吸い上げられる浮草でなければならぬ。其の故郷は住むところすべてである。
自分の墓所はこの全世界である。先祖伝来の土地などという商人は一刻も早く算盤を捨てて鍬を取るべきである。
石橋をたたいて歩いてはならぬ。人の作った道を用心して通るのは女子供と老人の仕事である。我が進むところそのものが道である。他人の道は自分の道ではないと云う事が商人の道である。
-切抜/江上剛「二人のカリスマ」日経ビジネスより
農民は連帯感に生きる。商人は孤独を生き甲斐にしなければならぬ。総ては競争者である。
農民は安定を求める。商人は不安定こそ利潤の源泉として喜ばねばならぬ。
農民は安全を欲する。商人は冒険を望まねばならぬ。絶えず危険な世界を求めそこに飛び込まぬ商人は利子生活者であり隠居であるにすぎぬ。
農民は土着を喜ぶ。大地に根を深くおろそうとする。商人は何処からでも養分を吸い上げられる浮草でなければならぬ。其の故郷は住むところすべてである。
自分の墓所はこの全世界である。先祖伝来の土地などという商人は一刻も早く算盤を捨てて鍬を取るべきである。
石橋をたたいて歩いてはならぬ。人の作った道を用心して通るのは女子供と老人の仕事である。我が進むところそのものが道である。他人の道は自分の道ではないと云う事が商人の道である。
-切抜/江上剛「二人のカリスマ」日経ビジネスより