南無煩悩大菩薩

今日是好日也

無覚。

2006-03-04 | なんとなく落書。
・・・・それから 彼女は

ろうそくの炎が 風に吹き消された時

ろうそくの炎が どんな様子か想像しようとしました

彼女はこれまで 一度もそんなものを見たことを

思い出せなかったからです。

-不思議の国のアリスより-




「この世のあらゆるものは集団的無意識を共有している。
それこそ古代人が‘万象の共感’と呼んだものの基礎である」
-カール・グスタフ・ユング-思い出、夢、思想より-




そうでアルか?

ここでアルか?

ここにアルか?


私たちは常に理解するものを好み、心で知るものを見る。それは快い安心をもたらし、教養を固める。

しかしだ。

ブレイクスルーの為の現状突破を試みようとするならばだ。

そこのところを「見る」よりも
そこのところを「物語として‘聞く’」姿勢の体現にだ。
ほんとう。といわれるものを感じ取れるのではアルまいか。だ。っちゅうの。
だ。だ。だ。。ったら?


どうなんだ。

無覚の思い。とも呼べるようなものを置き忘れ過ぎてはいないだろうか。


・・でアルか?
・・である。


外在的なものとお付き合いをしすぎるあまりに内在的なるものを眠らせてはいないか?

とどのつまり・・外の傷を癒す為の内的薬効が機能不全。

アルか?
ありえなさそうだがアル。

そうであらねば・・・

140億といわれる脳細胞の数パーセントしか我々は使っていない。ともいわれる。


この奇妙な現実は、どういうことでアルか?

必要でもないものが、使いもしないものが、何故にアルのだ?

確かに自身では、使っているのかいないのかさえも藪の中。


あたっ! 藪が刺さった。

・・・・。



まばゆいばかりの天気の中で、2度寝すると奇妙な夢をも見るものであります。

よだれをたらして寝ていたようであります。

確かに私は寝いていた。という証拠が「よだれ」。

ここにアル。のでありましょうか。光るものが。
コメント (2)
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