南無煩悩大菩薩

今日是好日也

おばさん、ケリをいれる。

2017-09-21 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

記者: 馬雲が「無人スーパー」を出店したけどどう思う?

おばさん: スーパーに誰もいないのかい。なんで閉店しないのかね?

記者: おばさん、無人スーパーは「客がいない」っていう意味じゃないんだ。スーパーのレジ打ちなどの従業員がいないってことなんだよ。

おばさん: それなら、「従業員のいないスーパー」って呼ぶべきだね。あんたたち、そんな言語水準でよく記者が務まるよ。

記者: そうだね、おばさんの言うとおりさ。で、こういう新型のスーパーはどう思う?

おばさん: 人件費がかからくなったんだから商品は安いんでしょ?

記者: それは、僕にもまだ分からない。

おばさん: そんなんじゃ記者なんかできないよ。あんたたちは1日中ずっと馬雲ばかり追いかけているけど、庶民の最大の関心を分かってないね。私たちの関心は、店にニセモノが置いてないか、安いかどうか、なんだよ。スーパーの中に従業員がいるかいないかなんて関係ないんだ。

記者: 無人スーパーが我々の買い物のあり方を変えるとは思わないんですね?

おばさん: 変えるって何をよ。買い物にお金がいらなくなるとでもいうの? アリペイ使ったって、お金を払っていることに変わりないでしょ。

記者: おばさん、あなたはまだ時代の潮流ってものが分かってないんですね。

おばさん: 人を置かないスーパーが時代の潮流だっていうの? 毎日、リストラされている従業員はどうするのよ。能力があるって言うなら「経営者がいないスーパー」を作れば? それか、公務員のいない政府をつくることじゃないの?

記者: おばさん、もしかして馬雲に文句があるのでは?

おばさん: 馬雲は確かに生活を変えたかもしれないけど、変えただけじゃダメなんだよ。変化は幸福が伴わないとね。いまどきの変化は、幸福をもたらさないどころか、心配事を増やすばっかりだよ。それこそが、あんたたち記者が追うべき問題なんじゃないの?

-切抜/参照-

ルート55(ゴーゴー)

2017-09-19 | 有屋無屋の遍路。

同じことを同じように情熱をもって繰り返していると、悟る可能性がある。

と、釈迦は言った。

修行にはなるほどそれを促進する要素が多く見受けられる。

努力しても成功するとは限らないが、成功するには努力が必要だ。

洞察するだけではただそれについての個人的な見解をいだくにすぎないので、実際に繰り返し繰り返す努力を自身に課す。

「求めよ、さらば、見つからん」

でもそれはただ、何かが見つかると言っているだけで、それが何なのかは教えてくれない。

脱構築

2017-09-16 | 古今北東西南の切抜

道元について、友人に教えてもらう。

鎌倉時代の禅僧で主著は「正法眼蔵」、曹洞宗の開祖。実は、とてつもない知の巨人だ。仏教から〈真の仏教〉を取り出すため、仏教を破壊してしまった。

禅宗はそもそも、仏教のミニマリズム。煩瑣な教学や大乗経典に背を向け、釈尊の直系として、仏性を頼りに成仏を目指す。根拠は「大般涅槃教」。初めて「一切衆生悉有仏性」を説いた経典だ。だから、「正法眼蔵」も、仏性を重点的に論じている。

本分を読むと、手強い。「すなわち悉有は仏性なり。悉有の一番を衆生という」。「悉(ことごとく)有る」と読むはずを「悉有(しつう)」と名詞に読む。道元は中国語が堪能過ぎて、文法をねじ曲げ、思わぬ理解を導き出す。

友人の読解はこうである。仏性とは、衆生の心の中の仏の種ではない。目に見える世界の〈外〉のことだ。それが個々人に現われ、その努力と結びつくことが仏なのだと。人間に限らず、山川草木も、仏性が個別のかたちに現われたもの。仏と言ってよい。

個物は仏性の援けで、成仏する。仏性は個物のはたらきで、作仏する。

目に見える世界と目に見える世界の〈外〉が、こうして交流しているのが、この世の真実の姿だ。

こう読解すると 「仏性かならず悉有なり、悉有は仏性なるがゆえに」 「しかあればこの山河大地みな仏性海なり」 みたいな難解箇所もすぱすぱ説けるよ。悉有=仏性=世界の〈外〉。山河大地も人間も氷山のように、仏性の海に浮いているだけだから。

と教えてくれた友人・齋藤嘉文氏の「跳訳道元」が、ついに出版された。デリダの脱構築を800年も前にやり遂げた道元の、偉業が現代によみがえった。

-切抜/橋爪大三朗「あすへの話題」日経新聞より-

昇ってきたサルか、堕ちた天使か

2017-09-08 | 古今北東西南の切抜
(photo source/Harbinger No. 22)

人間の倫理観の不完全さは、完璧で無垢な状態からさがってくる過程の堕落とも、そもそも不完全なネバネバの状態から暗い階段を這い上がってきた動物がひきずってきた傷とも見ることもできる。

人はいまでも夢を抱いている。
世界中の巨大な宮殿の廃墟のただなかで、人は自分たちが降り下ってきた道を夢見ている。ただ西のいのち若き者たちだけは、別の夢を見つけ出した。はるか昔に、深い森の枝枝の間から、明るい太陽が照りつける世界へと這い出したという夢を。

-切抜/Loren Eiseley(ローレン・アイズリー)「THE STAR THROWER(星投げびと)」より-

どうせ自然の成り行き通りにしかならないと、ひとりよがりに決めつけることによって、いったい私たちは、どれほど多くのことを見過ごしてきたのだろう。

structure

2017-09-04 | 世界の写窓から
(gif/source)

どうしてそれが「成り立っている」のかを理解しようとすれば、どのようにそれが「生い立って」来たのかを知っておく必要はあるだろう。

「結果」という表面をなぞるだけでも知ることはできる。だが理解にまで至るにはたぶん程遠い処にいる。

そしてそれを造ろうとしても無理筋である。失敗の本質はそんなところにあるのかも知れない。