南無煩悩大菩薩

今日是好日也

独立不羈。

2011-12-27 | 世界の写窓から
(写真/岡田紅陽)

崇高さ、と言うものの具体として富士に勝るものはない。

と私は思う。

静かに、清く、優雅であり、教養さえ感じさせる。


教養とは、「自分と言う人間をきちんと造り上げること」だという。

おぼつかない足取りでもかまわないから、自分らしい見方をもって前進すること。

富士は見るものの「しんねん」を鼓舞する。
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虚実の視座。

2011-12-26 | 世界の写窓から
(source)

自分の眼にはどのように映ったのだろうか。

この一年。

陰陽たがわず、そこにも反転の余地はある。
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得るところあり。

2011-12-22 | 世界の写窓から
(photo/Arthur Leipzig)

どこにいても座禅はできる。

楽な姿勢で、息を整え、心を落ち着かす。

身の回りを流れていくあらゆるものから、一歩高みに登ってみる。

独座大雄峰。
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現象に遊ぶ。

2011-12-21 | 意匠芸術美術音楽
(Photo/Jacques Henri Lartigue)

既存の現実をいったん閑却し、あらためて、虚心坦懐にありのままの直感を働かせる。

そういった一連のことを、現象学ではエポケーと呼ぶらしい。


エポケーとはつまり、遊びということではなかろうか。

しかしそれは、成熟した遊びである。大人には脳を駆使した遊びがいる。
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ジャンプの効用。

2011-12-20 | 世界の写窓から
(original unknown)

楽しんでいるのだと思う。

飛んだら 落ちる 飛んだら落ちる ということ。だから飽きずにジャンプしてみる。


りんごが木から落ちるのを見てニュートンさんは万有引力を見つけた。

おちることを、ただの現象として済ますことなく、互いに引き合っているのではないかと考えた。


いわゆる意識のジャンプ。


哲学的なアプローチとは、その事象を純粋にそれは何かと問いかけ、そしてそれは何を意味するのかと、問いかけることだという。

仕事でも、そういうアプローチをする人は伸びるように思う。


何度も繰り返すジャンプ。

私たちは誰でも子供の頃は、求道者だったはずだ。
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感じるという自分らしさ。

2011-12-19 | つれづれの風景。

時を経て

だんだんよくなっていくように思えるものがあります。

なにを以ってそう思うのかは人それぞれでしょうが、そこに感じる、

それには、だんだんよくなっていくというのはどういうことなのか?という問に対して、自分らしく努力することへのヒントが隠されているようです。
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鈍くはなりたくないことがある。

2011-12-17 | 世界の写窓から
(photo/LIFE)


重要なことほど安易に人に尋ねてはいけない。

もしそうなら、そんな大事なことはとっくに言っているはずだ。

もしそうでなかったら聞かれて傷つくかもしれない。

そういう趣味の悪さは、感度が鈍いと思われる。


この写真の撮られた1年半後、

アーネスト・へミングウエイは、

ショット・ガンで自らの頭を打ち抜き、

61歳の生涯を閉じることになる。
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もしかしたら間違っている?

2011-12-16 | 古今北東西南の切抜
(source)

ブッシュ前大統領時代に始められたイラク戦争はオバマ現大統領によって終結の宣言が行われました。

目的の達成、つまり成功なのか、未達成、つまり失敗なのか、今後専門家の検証が始るでしょうが、人は過去の失敗から学びながらもそれを活かしきれないところがまだまだあるようです。

「同じ失敗を繰り返さない」ということと「同じ成功を繰り返そうとする」ことは失敗の要因として似ているところもあるようです。

つまり、失敗の経験が痛みとなって、そこから逃げる為にもっと重大な間違いを犯す恐れを安易に選択してしまったり、成功例を美化するあまり盲目的にその方法に固執して犯す失敗などです。

失敗から学ぶ事はとても大事な事ですが、最も大事な事は、その事象から「正しく」学ぶかどうかです。

過去の事例検証を紐解いても、「間違って」学んでいるケースが多く、失敗の事例から「正しく」学ぶことがいかに難しいかを物語っているようです。


先の世界大戦における日本の悲惨な敗因をレポートした、コンプトン・レポートではこう報告を締めくくっています。

「日本の軍事指導者が疑いもなく独善的で自信過剰な態度を取り続けたことにある。」
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去来するもの

2011-12-15 | 意匠芸術美術音楽
(“Bent Objects.” by Terry Border)

「おかっ おかあはん!」

「あなたも早く大人になって、チキンとしなさいね。」

・・・そんな感じだろうか?

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やられてたまるか。

2011-12-14 | 世界の写窓から
(original unknown)

「医者には掛っていない。掛っても無駄なのだ」そうも言われた。

前にもいつか病気の話が出た時、先生は薬には病気を直す力は無い。病気を直すものは人間のヴァイタル・フォースだと言われたことがあった。

薬は多少その補助をする程度に過ぎない。しかも、薬には副作用がある。だから、先生はかって薬を服用したことがないと言われた。

「風邪など、じっとしていれば直る。アスピリンなんか飲む必要は無い」・・-小島政二郎「森鴎外先生」より-


自身も医者として軍医総監まで務めた人の話。

私はこのヴァイタル・フォースと言う言葉が好きだ。

気持ちがくじけない限り、生き物は強靭な生存本能、ネバーギブアップの遺伝子を備えている。
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今日という日。

2011-12-13 | つれづれの風景。

昼食のついでに少し散歩しました。

今日は、公園のイチョウがとても綺麗でした。

僕は昨日呑みすぎて、少し具合が悪いのです。

イチョウの。
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ターン・アラウンド。

2011-12-10 | 古今北東西南の切抜
(切抜/Los Angels Times)

私たちがあてども意志をも知る術もない、宇宙を航行する地球号、その影が月を隠す皆既月食。

ワールドワイドスペースカメラと、インターネットの発達のおかげで私も今ここで見ることが出来る。→(source/SLOOHSpaceCamera)

黒くなるのではなく赤くなる月、埃を含んだ大気のある地球上からの確認は難しい。

隠し隠されたのではなく、反応しているようだ。

本質的なものに触れたような、一つの真実の片鱗に接したようなそんな気になった。

ターン・アラウンド。

次は2014年まではないらしい。

それぞれが自由に振舞っていても、どこかで軌を同じくし、何かを起こすべき、何かが起こる機は、必ずやって来る。

そんな思いを新たにする。
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忘れてはいけない人。

2011-12-09 | 古今北東西南の切抜
(Photo/LIFE)

古来「戦場において最も失われやすいものは、真実である」という箴言に見るように、第一次史料の収集こそは、調査研究の基盤なのである。
日本では、軍事に限らず組織の失敗において、真実の解明が難しい。
東日本大震災後の政府や東京電力の組織的対応を見る限り、
不透明な意思決定、
不明瞭な情報公開、
非常時とは思えない対応の遅さ、
また、中央と現場との葛藤など、
「不都合な真実」を、
組織ぐるみで隠蔽する体質が透けて見える。(切抜/Harvard Business Review/Yoshio Suginoo)


何か大きなものが蠢く時には、人は忘れやすくなる。

忘れられた人は誰か?

清廉な静かな徳のある家庭的な人間だ。

そして、

「不都合な真実」に対し抗う術を持ちえない人達だ。
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冷静さの肝要。

2011-12-08 | 古今北東西南の切抜
(切抜/The Presidential Timeline)

今日は冷たい雨が降っています。

70年前の今日、パールハーバーは7日の早朝のことです。

Z旗を掲げた帝國海軍は奇襲を仕掛けます。

そして、大本営発表。

海軍は短期決戦で早期の終結に持ち込みたかったようでもありますが、緒戦における世界海戦史上でも最大の戦果と、国威発揚に邁進する大本営メディアとにおいて、民意世論は熱狂興奮しそれを許さない状況が生まれたようです。


寺田寅彦先生の「柿の種」という本にこんな話が出てくる。

「犬吠埼の茶店主人の話だそうである。三十年来の経験で、自殺者心中者はたいてい様子でわかる。思案に暮れて懊悩しているようなのはかえって死なない。写真でも撮らせたり、ひどく元気よくはしゃいでいるのが怪しいということである。いったい死ぬほどに意気消沈したものなら首くくりの縄を懸けるさえ大儀な気がしそうである。それをわざわざ遠くへ出かけて、しかも三原や浅間に山登りする元気があるのは不思議なような気がする。こういう種類の自殺者は、悲観のためではなくてみんな興奮のために死ぬるのだろうと思われる。」


酒でも仕事でも、なんでもそうだろうが、有頂天に浮かれて熱狂して興奮状態になっているときほど、色々な事が危ない。

今日は反省に丁度良い。

冷たい雨が降っている。
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きまりのないもの。

2011-12-07 | つれづれの風景。

僕がいいなぁとおもうこと、僕が美しいと思うことは、だれがなんといおうと僕がそう思うのだからそうなのだ。

そんな風にこの頃は考えるようになった。

つまりは、より有名な、より綺麗な、より高価な、というような世間の評判を気にしないで楽しめるようになったのかもしれない。

ふっと一瞬感じる喜びの何かを与えてくれるものが、美しくかつ良いものだ。
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