南無煩悩大菩薩

今日是好日也

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2012-10-31 | 世界の写窓から
(photo source)

熊五郎:おい八っつあんよ、あそこの大川の杭にひっかかっているのは土左衛門じゃねぇか?

八五郎:いや見たことのない顔だよ。ところで熊さん知り合いかい?どこの土左衛門さんだい?

熊五郎:馬鹿かお前ぇは、水死体のことを土左衛門というんだよ。

・・・こんなやりとりの出てくる落語がある。

手配書の写真のインパクトが強すぎて、本人とすれ違ってもわからず捕まえ損なったというようなことや、本人が出頭しても追い返してしまったという笑えないこともある。
追われている側からすれば、馬鹿じゃない限り名も印象も変えようとするのが当たり前のことだから、写真よりもあいまいで特徴を重視する似顔絵の方がピンと来ることも多いのではないだろうか。似顔絵師の力量にもよるだろうが。

何がひっかかるかはわからないが、なんとなくひっかかるところが、伝えたいところになるのであって、タイトルに引っ張られすぎるとどうもうまく伝わらない、ということがある。
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迷彩。

2012-10-30 | 世界の写窓から
(photo source)

砂漠地帯と森林地帯での戦闘服の柄は違う迷彩を施しているが、服と場所を間違えるととんでもなく目立つ。

だから戦闘の時と、救助や救援の時とでは、その用途が変わる。

雉や鶏のあの赤い色は大変目立つが、求愛の時は目立つ方がよく、身を隠すときは溶け込む方がよい。ということはその折々に適合する場所や時期があるのであろう。

また、虎やライオンの柄も森林と平原に住むための迷彩になっているので、自分の生活圏を超えての猟はできない。


つらつらおもううちに、「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉が頭をよぎった。

そういえばこの前、最先端医療に関する捏造やら大新聞の誤報やらでとんでもなく目立った人がいた。

「記事にもならずば打たれまい」ということだろうが、あれなども、迷彩の間違った使用例だと思われる。
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一枚のスナップ。

2012-10-27 | つれづれの風景。
過日、といってもあれは土曜日のこと。

北摂からミナミに向かっていた僕は、時間を持て余していることに気付き、梅田から歩くことにした。

北の新地は、金曜のツワモノどもの夢の後。そこを抜け御堂筋に出る。

本町に入り、船場を横切ってどぶ池通りをゆっくり南下しつつ、休日のビジネス街の力の抜けた雰囲気を楽しむ。

歩幅は心持大きく取りながらも一歩一歩をゆっくり進めることで街の波長に合わせられるようだ。


ふと、灰色の背景に朱の存在が浮かび上がった。
「止まれ」。

僕は逆らう理由もないので、おあつらえ向きにあったカフェに入りコーヒーを持って外のチェアに腰かけた。

そして、もうひとつの朱のアクセントに気付く。
「消火栓」。

「消化せんなぁ」、少しばかり胃が張っていることを思わず自覚した。

誰にも知られず、嗤われもせず、責められもせず、独りコーヒーを啜っていたことを、想い出させてくれた一枚のスナップ。
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遺された伝言。

2012-10-26 | 意匠芸術美術音楽
(photo/ Kikuji Kawada)

ジェノサイド(大量殺戮)の恐ろしさは、一時に大量の人間が殺戮される事にあるのではない。
その中に、ひとりひとりの死がないということが、私には恐ろしいのだ。
人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。
死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。
人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。-石原吉郎-


その人たちは身を持って知っている。
私たちは何度でもその伝言に耳を傾け、忘れないようにしなければならない。軍国少年ではない、詩人たちの伝言を。
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才を輝かせる為に。

2012-10-25 | 意匠芸術美術音楽
(source/National Geographic)

・・私が思うに、人は世界に向けて何かを表現しようとする前に、個人としての自分を認識しなければいけない。
他者とは全く異なる、新しい自分を発見すべきなのだ。
ほとんどの人は、教え込まれるか、または生来の資質によって、最初のうちは自分のことを、「よくない」とか、「二級」とか、「ありきたり」だと考えがちである。
ところが、人は誰でも大きな神秘をもっている。
この世のどんな人間でも、自分らしさを世に示す根拠をもっており、その根拠を明らかにするために、もっている力のすべてを費やすのだ。-ロバート・ヘンライ「アート・スピリット」より-

なるべく若いうちに良い指導者や良書に巡り合うことはとても重要な意味を持つ。
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ふむ。

2012-10-24 | 閑話休題
(photo source)

ピーマンあなどりがたし。

チッチャイヨロコビミツケタ。

よし、今度の休日はピーマンをキザンジャオロース。
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こころ模様。

2012-10-23 | 意匠芸術美術音楽
(The Brain - 1965 poster for Life by Kazumasa Nagai.)

誰も見たことはない 誰もが持っているのに・・・心の話、との表題がついている。

深層に大本の息づく核があり幾層にも違う物質、密度、彩を持ちかつ呼吸のように盛衰変化の有機体、心はこの意匠そのような構造のものかもしれない。

コア(核)があり、流動域があり、地殻があり、海があり、大地があり、空がある地球はどこも地球ではあるが、そのすべてをひっくるめた全体の運航を定義できるほどの解明は未だ成されていない。在り様としての心と地球も似ているように思える。

だから流動域の心をとってそれが本当の心とみなしてはいけない。

神前にせよ、仏前にせよ、教会にせよ、新郎新婦は心よりの約束を交わすが、あれは不作であったとのたまう人のなんと多いことか。
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なぜに心安らぐのか。

2012-10-22 | 世界の写窓から
(photo source)

かくばかり偽りおおき世の中に 子をおもう親の気持ちぞ誠なり


たしか大岡裁きの中に、子の親権を主張する二人の親の話があった。

奉行大岡越前は、双方の親に互いに子供の手を引っ張らせた。つまり、バーゲンで同じものを取り合うようなアレである。

「おっかあ!痛いよう」

たまらず先に離した方を越前は、真の母親と認める。

誠の心情というものは、真に何を大事にするかで自ずとつまびらかになるものでもある。

誠の姿に接したとき、私たちの心は安らぐようにできているのかも知れない。
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魅力には従う。

2012-10-19 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/Hiroshi Watanabe)

昭和初期の修養全集という本の中にはこんな教えもある。

「白粉(おしろい)を塗りこくれば、大抵の女が男の眼には美人に見える。男は女の美に対する批評家ではなくて玩賞家であるからだ。酒を飲んで良い酒か悪い酒かを判断する者よりは、酒を飲んでただちに酔うのが利口者である。」

歌舞伎の女形は男だとわかっていても惚れ込んでしまう。白粉の威力斯くのごとしである。

メフィストは、「思索などする奴は、緑の野にあって枯れ草を食う動物の如し」と言ったというが、

あれこれ判じても考え込んでも致し方ないことには取り敢えず従っといた方が利口だということのようである。
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僕のオーセンティック。

2012-10-18 | 酔唄抄。
(photo/Tadahiko Hayashi)

1950年の東京大森駅前、スタンドバー・チェリオと看板に書いている。

できることならこの時代のバーの雰囲気に浸ってみたいと思うがそれはどだい無理というもの。

この頃はバルとかバールという酒を飲ませるところが増えているそうだ。

「それはなにかい?釘抜きの大きなやつかい?」と聞いたらそうでもないらしい。

流行りの歌はなく、人の声か時計の音か鈴虫の音色でも聞きながらニッポンのバーでやるのが、やっぱり性に合うと思っている。
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本来の人を活かす。

2012-10-17 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

たとえばボブ・ホールトという人によれば、偏執症的性格の持ち主は、正常人よりも優秀な探偵になるという。

また、警察官や探偵は、置かれた特殊な状況と職務上の義務感から、他の職業に従事する者に比べて偏執症になりやすいとも云われる。

つまり全くの偏執症状を持たない警察や探偵は出来の悪い役立たずだとも言えそうです。

「人はただその長所のみを取れば可なり その短所の如きは知るを要せず」
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窓。

2012-10-15 | 意匠芸術美術音楽
(source)

見せても構わない自分と、見られたくない自分と、自分に気付いていない自分と、誰にもわからない自分と、そういうような自分というものがあるらしい。

ジョセフさんとハリーさんという学者の提唱したもので、所謂ジョハリの四つの心の窓。

自分の胸の内をどのようにやり取りするかは、人付き合いでは最も悩ましい難儀なことかもしれない。


(source)

胸を開くという言葉があるが、習ったところによると心臓にも、四つの大事な窓(弁)がある。

血の円滑な流れのためには、ちゃんと開けたり閉じたり連動しなければえらいことになる。

精神的な構造と、肉体的な構造の間にもなんらかの相似相関関係があるように思えてならない。
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らくごはごも楽しみ。

2012-10-12 | 酔唄抄。

夫「印ならそこらにあるだろう。それそこに五合徳利があるから、そいつを持って行け」

妻「五合徳利などがどうして離縁状のかわりになります?」

夫「一升の別れでございます。逆さにしてもオットもございませんと断って歩け」

・・・柳家小さん「子は鎹(かすがい)」より。


秋が深まり空気もひんやりしてきました。
この季節は人情噺なぞよく似合います。
落語に行って、そのあと反省も込めてしんみり燗でもって一杯やらんといかん季節になりましたなぁ。

子は鎹、酒も鎹、

そういえば、鎹(かすがい)と、酒好きがあれこれ呑む理由をつけるのも似ておるようです。

とってつけのうってつけ。
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あなどるなかれ。

2012-10-11 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

世の人との付き合いで気を付けることは、人にはそれぞれ「事情」というものがあるということ。

あたしのあずかり知らぬところは鷹揚かつ中庸を旨としなければなるまい。


世の中は さようしからばごもっとも そうでござるか しかとぞんぜぬ
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ワッツワワンダフルワアルド。

2012-10-10 | 世界の写窓から

スフィンクスのいるギザの廣大な地平、そのなかでトランペットを吹いているルイ・アームストロングさん。聴衆は奥様独り。

グレイト! ワンダフル!


小生もこの人のジャズが大好きで、特に「この素晴らしき世界」という曲はカラオケで歌ったりもします。

でも、「ショパンのノクタン」が「しょくぱんの六段」と聞こえるような調子になっていけません。
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