南無煩悩大菩薩

今日是好日也

歯痒いのだ

2013-01-31 | 世界の写窓から
(photo/politics-war)

ここ、ここ、ここ、ここ。

心の傷は 炎の疼き

ぬいぐるみではだまされないぞ

歯痒いのだ

ここ、ここ、ここ、ここ。

こうしてやる。
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選ばれたカモ。

2013-01-30 | つれづれの風景。

「ニイさん、飲み屋ないですかぁ」

娘のような女性に戎橋で声を掛けられる。

「そりゃあんた、そのへんにぎょうさんありますがな」

キョトンとしている。

私はニイさんではなくオッサンなのだが、先の女性はつまり勧誘なわけで、寄って行きませんかということなのだ。

私はよく誘われるほうだと思える。

先日も連れと二人で並んで歩いていて3.4回勧誘を受けたのだが、それはすべて私の方で、連れに「あんさんもてますなぁ」と言われた。

しかしたぶん、このもてかたは非常にあぶないとにらんでいる。

これだけたくさんの人の中で、声をかけるオヤジを選ぶにはそれなりのあまりありがたくない理由があるに違いないからだ。
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踊る操作線

2013-01-29 | 意匠芸術美術音楽
(original unknown)

情報の役割は差異を示すことにある。「赤」という情報はそれだけで「黒」や「白」と自己を区別する。情報は区別力なのだ。-グレゴリー・ベイトソン-

大宅壮一氏は、「情報に貴賤はない」といった。

しかしそれは、素の純粋なありのままの情報であるという前提を要する。

情報は編集という操作を加えることも可能だから厄介なものでもある。

情報を「理に照らして」選択する能力が要求される。これを情報リテラシーという。

情報を上手く生かす人々は、情報に踊らされない人々だ。
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てすり

2013-01-28 | つれづれの風景。

その女性は階段を降りてきた。

中ほどの踊り場でもう一段階段があると思い込んだのか、急に踏み違えたように足をひねった。

スローモーションのように横に倒れながら、ずり落ちる体をわきを使ってなんとか手すりにつかまり踏みとどまった。

ちょうどリンボーダンスのもう限界のような格好で。


僕はホッとした。

そこにてすりがなければ、血を見るようなことになったかもしれない。

何かが起きてから対処することよりも、何かを未然に防ぐ。そのほうがずっと評価されるべき存在だし、経済的にも理にかなっている。

しかし、未然に防ぐだけになかなかその有難さは実感できないものでもある。
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軒に干す

2013-01-26 | つれづれの風景。

だいこんの あらいたてたる さむさかな
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しまった、の前に。

2013-01-25 | つれづれの風景。

夜更けホームに誰もいなかったせいもあって、何を思ったか足元を撮っていた。

商工会議所からのDMに書いてあったことが頭をよぎる。

「毎年2万社以上の会社が姿を消し、7割の会社が赤字であるという時代において、会社を長期的に存続させることが困難な時代になりました。その困難で難しい仕事を成し遂げるために、今すぐにできることをしなければなりません。」

肩にかけたバッグが重い。

酔っぱらいの不注意なら事故になるかも知れん・・・しかし、私は保険にも入っていないし・・・。

・・・いかんいかん何を考えているのだ。


しまった、しまって、しまった。


(ポスター/1977年)
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あいさつ

2013-01-24 | 世界の写窓から
(photo/original unknown)

昨夜あるところで、「今日は暖かいでんなぁ」と言われた。

「そうですか?私は寒いと感じたんですけど」と答えた。

そして、「もしかしたら、私がいつもより薄いものを着ているせいかもしれません」と付け加えた。

しばらく歓談しているうち、おもむろにその人が、「あんさんのおっしゃったとおりかもしれません、わしも今日は寒いように感じます」という。

私は少し混乱した。

私の体感が正しいのか間違っているのか、私が気を使ったのか、相手に気を使わせてしまったのか。そもそもはじめに、「そうですね。今日はちょっと暖かいようですね」と答えておけばよかったのか。

他の人に聞いて裏を取るようなことをしてもこの問題は解決しないと思い、わたしはその混乱を楽しむことにした。

あいさつは、機転と相対の問題でもありそうだ。
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才覚を活かす

2013-01-23 | つれづれの風景。

・・見越しの大松から、杉の梢にかけてその蜘蛛は糸を渡らせた。
これを渡ろうとしている内に風にあおられ糸は切れ、中ほどまでわたっていた蜘蛛は下に落ちた。
命も危ういことだろうに、また這い上がってきた蜘蛛は、再度糸をかけた。が、またも渡りの半ばで切れて落ちた。
そうすること三度も同じ難儀にあったが、遂に四度目にして渡ることができた。
間もなく蜘蛛は巣を張り、そして静かにいつ来るとも思わぬ獲物を楽しみに待つ。
それをずっと見ていて、あの蜘蛛でさえ心長く気長く巣を掛けて獲物を楽しみにするというのに、人間の気短に功をあせることいかがなものかと、これより思いつき・・・。

このようなはなしが、井原西鶴の「日本永代蔵」に出てきます。

大きな獲物をものにするための条件、蜘蛛に学ぶことも多いのであります。
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道の端を歩く。

2013-01-22 | つれづれの風景。

以前、風が吹いても痛いような足の状態になったとき、ゆっくり歩くということを否応なく体験しました。

杖を片手にゆっくりゆっくりと歩くことで、なんというか、「ゆとり」のようなものが感じられました。

それは時間を「惜しまない」ということではないかと思うようになりました。

つまりそれは、いくら時間を惜しんでもゆとりは生まれないということでもありそうでした。

時間もお金さえもそうかもしれません。惜しまず利他的な使い方をすれば、ゆとりというとても豊かで利己的なものを手に入れられる、そういう体験でした。


道を譲る、先を譲る、話を譲る、人に何かを譲ることは、利他的な行為です。これらにはゆとりを造る力がありそうです。

先を争う、席を奪う、話に割り込む、そんなことは利己的な行為です。これらは何かを惜しんでいそうです。
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夢を描けるひと。

2013-01-21 | 意匠芸術美術音楽
(画/つげ義春)

「駅_発射のベルがけたたましく鳴っている。自分の乗る列車が隣のホームから発車しようとしている。隣のホームへ行く順路がわからずあせる。
人混みを分け走り回る。ようやく連絡橋の階段を見つけるが、階段は五、六段で行き止まりになっていて、頭上に別の階段がおおいかぶさり前に進めない。
自分の登った階段は、頭上の階段を支えているだけのもので、そんな所で手間取ったため発車の時間に間に合わなくなり、
途方に暮れる」
-つげ義春「夢日記」より-
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誘う花。

2013-01-19 | 世界の写窓から
(source)

花の唇、ホットリップスプラント。

コロンビア、エクアドル、コスタリカ、パナマあたりに咲くという。

中米への旅情も誘う

アツイクチビル。
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大丈夫について。

2013-01-18 | 古今北東西南の切抜

「・・・大体、日本は反撃不能なほどのダメージをまだ受けてませんよ。国難だとか、何を大げさなこというとんのやと。
三度の飯が食えるどころか、医者から肉を食ったらいかん。酒を飲んだらいかん。白い飯もあんまり食うなといわれている。そんな時代やないですか。どこが不景気やねん。
最近ドッグフードとかキャットフードを作っている会社の業績がすこぶる良いと聞いた。ダイエットキャットフードとダイエットドックフードが、普通のドックフードの倍の値段で売れるんですと。
僕は常々、皆がダイエットとか言っている間は日本は大丈夫やと思うとりましたが、僕が今言うてるの犬の話ですからね。この間も、レインコートや長靴を履いた犬が近所を歩いとった。そんな国のどこが追い込まれてるんですか。
国家が本当に危機を迎える時は、どんな状況か知ってますか。街から犬がいなくなるんですよ。僕が21歳の時、この国は一度そうなった。
食べるものがなかったから、食べられたんでしょう。牛とか馬は物を運んだり、戦場に行っていましたから。
だから街に犬がいる間は大丈夫。自信を持って新しい年を迎えたらええんですよ。
(切抜/堀場雅夫氏88歳2013年新春日経ビジネスインタビューより)
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前提の格差

2013-01-17 | つれづれの風景。

コルネリュウス・カストリアディス -「意味を見失った時代」1999年より-

「市場の全体化の地球規模での勝利以外のなにものでもないグローバリゼーションと対峙する今日、我々が構想し求めなければならないのは、経済的価値を中心的な価値(あるいは唯一の価値)とはしない社会、つまり経済を究極の目的としてではなく人間生活の単なる手段として位置づける社会である。
消費を常に増大させることを前提とするようなこの狂気じみたシナリオを放棄しなければならない。
このことは現代に生きる人間の心理的かつ道徳的な貧困から脱出するためにも必要である」
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五重塔 法隆寺

2013-01-16 | つれづれの風景。

様式の美 技術の粋 古都の春
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どどいつひとつ

2013-01-15 | つれづれの風景。

嫌なお方の 優しさよりも 好いたお方の 無理がいい

-詠み人知らず-
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