春一献。 2009-03-30 | 酔唄抄。 さくら伐る馬鹿 うめ伐らぬ馬鹿 桜は枝打ちをしては大輪は咲かないが、梅は枝打ちをしなければ、よい実をつけない。 手当ての仕方も多々。褒めて咲かせて、苦節かこって実を結ぶ。 挿し木で拡がった一種のクローン木だというソメイヨシノも、手入れを怠らなければ、樹齢は原生木のように延びるという。 さてもよ。花見の時節。 曰くのある花木を目安に、互いに齢の重ね方を想って、一献傾けるのもおつなものですぞ。
あ。 2009-03-28 | つれづれの風景。 あ。ゆうてますけどな。 わし困ってる訳ちゃいますよ。 割合おとろしい顔してるらしいんですが、眼鏡で癒されてるらしいですわ。 あんた、そんなおとろしい顔して、なにごちゃごちゃゆうてんの。 ゆうて、飲み屋で隣のおばちゃんに無理やりイナゴの佃煮食わされました。 味はまぁそれなりですけど、あの羽やら足やら触覚やらの目見と食感はなんともはや。もう堪忍です。 あ。僕いなごこわい。
オリーブ。 2009-03-27 | 酔唄抄。 春の嵐風にあおられるオリーブの木々。 幾重数多の枝葉の重なりは、風を含みうっちゃり偏光数珠なり変化自在の生物とみまがう。 さわさわざわざわと一群の茂み全体がうねる。 そんな中に一人いると、えもいわれぬ。 この木々たちの産み出すメグミは、冷えたドライマティーニに浮かぶものだ。 なんと表現してよいか。 独特の樹感に、折部もしなる。
はとかっぷる。 2009-03-24 | つれづれの風景。 なぁ。わしの卵産んでくれへんか? なんて口説いているのだろうか。 おまえとわたしは卵の仲よ わたしゃシロミでキミを抱く。 胸膨らます季節ですなぁ。
ねかきか。 2009-03-21 | つれづれの風景。 ねかきかねかきかまわりみち。きがねだきがねだおちばたき。 あ撮ろうか、あ。撮ろうよ。 バオバブも面白い木やけどねかきかも、どうよう。 地中にも同じように根を張っているはずだ。 このきなんのききになるきになるである。 空にのびるもよし。地に広げるもよし。 支えるもりっぱ。支えられるもりっぱ。 地の広がりは空の広がりと同夢異床。 葉隠れの前の、自然(じねん)の垣根。
春興。 2009-03-18 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。 花下美景に帰因を忘れ 樽前酔いを勧む春風。 -白楽天- 花の下から帰ることを忘るるは、その美景に故あり。 酒樽ありて、酔いを勧るは、これ春の風の故あり。 春風の酌で盃をかさねる。これまことにもって、興である。
ヒヨドリ。 2009-03-17 | つれづれの風景。 紅桜にヒヨドリの図。 そういえば、鳥と名のつく鳥と、つかない鳥がある。 ヒヨという名の鳥ではなくヒヨドリという名の鳥。 ヒバリは、ヒバリでヒバリドリではない。 ヒヨコはヒヨという名の子ではなく雛がヒヨコだが、ひょこひょこ歩くからかもしれない。 人間の作る固有名詞というものには、何らかのわけがあるから面白い。 私の知人に昭和5年産まれやから、昭伍という人がいてはる。 私の祖母や祖父は、熊に猪兎亀に馬と名がつく、動物園家族であった。 ひばりちゃんや、さくらちゃんは、よく聞くが、ひよちゃんは聞いたことないなぁ。 なんや思ってたら、むねがほわぁっとなった。 ま。ええか。春やし。
さんぽ。 2009-03-16 | つれづれの風景。 一寸お伺いしますが。 はい。 この花はなんと言う花でしょうか。 いや。わたしも知らんのです。ウメモモサクラとはちと違いますよねぇ。 いや。そうでしたか。わたしもなんだろうなぁ思いまして。この時期アンズかなとも思いましたが。いや失礼しました。 いや。こちらこそ。よい一日を。 通りすがりのおじさん二人が花を見上げて。 それら2キロばかり歩いた先に、木名盤を見つけた。 寒緋桜。 ほほう。名は知れども姿は知らず。か。 たまたまの会話で、一つ知っている花の名が増えた。 さんぽの功名。 ご同輩は、知っただろうか。
忝い。 2009-03-13 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。 どこにおわすか知らねども 忝(かたじけな)さに涙こぼるる。 西行さん、内宮参拝の折の言葉だそうでございます。 割合長く人間やっておりますと、こうして今を迎えていることの背景となる出来事が色々と思い浮かぶ瞬間(とき)がございます。 なにやら大事を思わざるを得ぬときに、それは多いようでございます。 佳きときも悪しきときも、悩める日も健やかなる日も、ございますが、それらの血肉が今にある儘の、応を、わたくしに思わすのでございます。 何処の何某というのではなく、過去の一体全体の、其処此処で恵んで頂いた出来事の、忝さを思うとき、不思議に今の大事に立ち向かう意志決定の発端が、垣間見えるのでございます。 いかなる世間か知らねども、忝さで花も咲く。
朝帰りと巣作りの関係。 2009-03-11 | 酔唄抄。 烏の巣作りを見つけた。 巣とは、性質的には、子育て場所というか揺り篭とかいうべきかも知れない。家族みんなでゆっくり眠るスペースとしてはやけに小さい。 蜘蛛の巣や蜂の巣蟻の巣などと、鳥の巣はちょいと趣は異なるだろう。 そう考えれば、家というものと巣というものも、確かに趣が違う。 宵越しの酔っ払いはよく、家に帰るとはいわず、「巣に帰る」という言い回しをするが、なるほど理である。 巣は、ある目的の為の便宜上の、簡易的で、一時的にしか主には居場所のないものかもしれない。 住むためではなく、育む為にいそしむ役目のものに、だらだらする居場所は必要ないということは、至極当然合理的な、巣作りになるのである。 巣のような家しかない。となげくご同輩よ。 嘆くことなかれ、我々は徘徊狩猟の雄雄しい血を色濃く残している。 家で安らぐよりも、巣の中身の為のミッションを優先しているのだ。 巣にはえさを、巣からはゴミを、供給と排除という大事な役目。 いない方が快適だといわれる前に、自覚するこの素晴らしさよ。 雌のカラスが、時にやさしく時にけたたましく雄を呼ぶのは、逢いたいからではなく、巣作りをせかす為であり、それに答えるべく今日も呑んであけがらす。 などと、勝手な言い訳を想いついた。からすの巣。
福寿草。 2009-03-09 | 有屋無屋の遍路。 長年運に恵まれず、生活はカツカツながらもコツコツと愚直に勤勉に生きてきた男がおりました。 教育ローンを使い、やっとのことで子供を育て上げ、社会に出した後でその男は、自分の人生に挑戦すべく、ゼロから、自分で商売をしてみることにしました。 半世紀を越える、その男の人生は、その真面目さと誠実と努力によって、彼を知っている人々に、まがいのない信用と信頼を貯金しておりました。 その貯金と利子は、決して多くはないけれども、今の人生のささやかな欲求には充分なものが与えられました。 しかし、その男は一抹の不条理と寂しさを今抱えています。 そうではなかったときには感じられなかった、幸せや裕福につながる成功というものへのやっかみというものです。それは圧力のようなものです。 その男は、「牛の角」「馬の角」になぞらえてこういいます。 世間には、どんなに大きな牛の角があっても、それを不自然とは誰も思わない。しかし、どんなに小さな角であっても、それが馬に生えていると見れば、ああだこうだと言い始める。と。 春先に希望の黄色を可憐に咲かせる福寿草。 注意しなければ、すぐにでも踏み潰してしまいそうだ。 たくさんの福寿草が自由に芽吹き育つ環境が、この国にはどれだけあるのだろうか。
梅と梅。 2009-03-07 | つれづれの風景。 かわいいお嬢ちゃんの忘れ物だろうか。 誰かの落し物や忘れ物を、探しやすいように、目に付くところに置き直して去る。 そういうちょっとした心使いは奥ゆかしくも佳き香がする。 今年も東風(こち)が吹く。 東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなきとて春をわすれそ。 道真公の歌はこんな風景にも似合うような気もする。 この梅もやがては、小さなあるじのもとへと帰っていくだろう。
紅い梅。 2009-03-05 | つれづれの風景。 こういう梅の花をみると、一輪挿しを買い求めてみたい気になる。 他の花は似合わない、紅梅一枝一輪だけ挿すに値するようなもの。 侘び造りのサクラの古木の床柱、その床の間の藁漆喰の壁に、白隠和尚の円相図に梅の賛。 などと夢見ごちをする。 そんな風情での生活はやはりあこがれる。 人間が多分に変わるだろうともおもえる。 現(とき)の間をおもえば、笑える夢想ではあるが。 いかんいかん。 夢想ではなく、ちさきも今は理想を語らねばいかん。 理屈に合った想いと夢に見る想いの区別まどわす、紅い梅。