南無煩悩大菩薩

今日是好日也

風見。

2010-08-31 | 有屋無屋の遍路。

風がやんだ。

風向風量ともにゼロ。

わかることは、その前までは南南東の風が吹いていただろうということ。

北北西に進めば、もしかして追い風になるかもしれない可能性が高いということ。

でもそううまく吹いてくれるかどうかはわからない。

だから当初の予定通り南西のルートに進もう。

風見で、妙な色気を出して翻弄されるより、初心を貫くほうが後悔は少ない。

南西から台風がもし来たとしても、僕は多分自分を納得させられるし、北東の風なら運は我にある。

風と共に旅はしていても、風に行き先を聞くわけには行かない。

はるかなるかな。

2010-08-30 | 有屋無屋の遍路。

いいものを持っていても、使われなければ持っていないも一緒。

何も持っていなくても、時宜に応じて取り入れられれば、持っていたことと一緒。

持っていたとしても持っていなかったとしても、持っていたことと持っていなかったことにはならなかったりする。


笛は息を吹き込むものがいなければ、鳴らない。

笛そのものがあっても、息そのものがあっても、音色を持っているわけではない。

屁も匂いが無ければ、ただの風。


私は、笛のときもあれば、息のときもあるようだ。

私は、思いしつらえ出会い共鳴しながら、私も知らなかった私が私になってきたようだ。

ほんでもってこれからも多分そのようだ。


音色を目指せば、笛は息を欲し、息は笛を欲する、それが自然(じねん)。

くさくも無ければ屁と認められず。

私の考えの超えたところの、はるかなるものはそのような爽快さがありえる地平だ。


感を抱いて。

2010-08-28 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

羊腸の路は入る鳥声の間

車上の身は閑なれども心閑ならず

訪ねんと欲す 勤皇豪傑の跡

白雲埋め尽くす幾重の山



酒と旅をこよなく愛した、文豪大町桂月先生、幕末の志士脱藩の道にて詠んだ漢詩であります。

しかしこの風景は年々歳々同じにして歳々年々違った心持を私に与える。

歳々年々、身は閑なれども、心閑ならず

今年も再々、その感を抱くのであります。

負けじと。

2010-08-27 | つれづれの風景。

つるはふたつのあさがおなれど ひとつにからんで花咲かす


いくら残暑が厳しくても、露に濡れてもいようかと涼しげな風情を見せてくれる朝顔、昼顔、夕顔の君たち。

夏に朝顔、冬の雪割り草の風情はなんとなく似ている。

打ち方。

2010-08-26 | 有屋無屋の遍路。

お遍路には順打ち逆打ちというのがあって、一番札所から順番に回るのと88番札所から逆に回ることをいいます。

歩きや自転車だと、地形や距離間隔などにおいて、逆打ちは順打ちよりかなりきつい行程だといわれています。

つまり全体像は同じでも、その選択するプロセスによって、実感としては大きな違いがうまれるという事です。

行為行動において、同じ結果を残しながら、それをえらかったとおもうかそうでもなかったとおもうか、早く終わらせるか時間をかけてしまうか、といったこともこの選択するプロセスに負うところが大きいのです。

急峻な山道を登って急峻な山を降りるよりも、少し距離はあってもなだらかな道を迂回するほうが体力も時間も使わないですむ場合があります。

山の頂上に目指す場所があるなら、なだらかな側から登る順打ちが、ずっと楽です。

僕の場合は時間の許せる限り闇雲に回る、いわゆる乱れ打ちですから、なんでもないところも難所にしてしまうような、大変効率の悪いことになったりもします。

ただ、体力の使い方、気の持ちよう、地形と天候、心得と選択、そんなことを自分の冒した失敗の中で身を持って知らされることは、大変勉強になります。


なんにしても、打ち方、選択するプロセスは本人の責任において自由です。

それぞれにそれぞれの、人生遍路があります。


アートオブばあさん。

2010-08-25 | つれづれの風景。

作者、82歳女性。

案山子、年齢不詳たぶんばあさん。

それにしてもこのアイラインと表情はなんだ。

この夏は猿が出て来て何もかにもわやにするきに。とは作者の弁。

なかなかの芸術性だと私にはおもえる。フォークロアなのである。

面白いなぁおふくろ、となんだかわが母ながら歓心と尊敬を覚えたのでありました。


御厨人窟(みくろど)。

2010-08-24 | 有屋無屋の遍路。

ずっとこの景色を写真に収めたいと思っていた。

1200年以上もの昔、弘法大師空海の修行した窟からの眺め

度一切苦厄の風景

今は目の前を国道が走っているが、その当時は多分そのまま海岸へと続いていたはずだ。

寂冷たる岩肌を静かに滴る露の響きと、黒潮しぶく波頭の向こうはどこまでも空

空海たる由縁の地

御厨人窟(みくろど)。

観自在なり。

2010-08-23 | 有屋無屋の遍路。

Ohh おーじゃないか。

遍路の途中の宿坊の座布団は、おおおお。

独り、疲れと眠気でぼーーっと見ていたらおーーっと何かがひらめいた。

座布団は3枚ある。ふむふむ。





おーマイゴッド

そんなこともある。

それなら、



おースマイル

なんや元気、でてきたやないか。

やっぱり、寺には教えがいたるところにある。

観自在菩薩。

さぁ、明日もがんばろ。


先人たるもの。

2010-08-20 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

あなたの子供は、あなたの子供ではない。

彼らは、人生の希望そのものの息子であり娘である。

彼らはあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。

彼らはあなたとともにいるが、あなたには属しない。

あなたは彼らに愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない、なんとなれば、彼らは彼ら自身の考えを持っているからだ。

あなたは彼らのからだを家に入れてもいいが、彼らの心をあなたの家に入れてはいけない、なぜなら、彼らの心は、あなたが訪ねてみることもできない、夢の中でさえ訪ねてみることもできないあしたの家にすんでいるからだ。

あなたは彼らのようになろうとしてもいいが、彼らをあなたのようにしようとしてはいけない。なぜなら、  

人生はあともどりしなければ、昨日とともにためらいもしないからだ。

-カリール・ギブラン-


先人たるもの、そして隣人たるもの。

避暑友。

2010-08-17 | つれづれの風景。

くっきりと引かれた境界線のこちら側で、雀が羽を広げて涼をとる。

ここには僕がいるから、ぎりぎりのラインで留まっている。


雀君よ。そこはまだ暑いし、もうじきそこも熱にやられるぞ。

おい、遠慮は無用、もっとこっちにきて、すずめ。


旅に出よう。

2010-08-07 | つれづれの風景。
I see trees of green

緑の木々



red roses, too

赤い薔薇



I see them bloom
for me and you

私たちのために、まわりの全てが語りかける



And I think to myself

つくずくおもう

"What a wonderful world !"

なんとも素敵な世界だ




I see skies of blue

ひろがるそら



and clouds of white

ながれるくも



On the bright sunny day,

輝ける日々や



or in the dark sacred night

意味深な夜も



And I think to myself

私はつくづく思うんだ

"What a wonderful world !"

この世界は素晴らしいじゃないか

(*原文「What a wonderful world 」-ルイ・アームストロング-)


I think to myself

旅に出よう。

持って見て知って。

2010-08-06 | つれづれの風景。

トンカチしか持ってない人には、全ての問題がクギにみえてしまう。-マズロー-


ドンキホーテは、風車に向かって突進しました。

マズローさんの語に従えば、
騎士道に頭が一杯の人間は、全ての問題が戦うことにみえてしまう。
のかもしれません。

しゃもじしかもっていない人間は、全ての問題がご飯にみえてしまう。

そろばんしかもっていない人間は、全ての問題が計算にみえてしまう。

甘えしかもっていない人間は、全ての問題が自分以外にあるようにみえてしまう。

持つもの抱くものを増やすことです。
それはまた全く違った問題としての見え方を与えてくれるでしょう。


ドンキホーテの名誉のためにいっておくと、勇敢さと懸命さとひたむきさには十分敬意を払える人物です。

こんな風車を見て知ったら、突進したくなる気持ちを持つのもわからないではない気持ちになります。

でも私は、コリコリの騎士道の精神は持っていないので、知って見て楽しむだけですが。

地球は本当に丸いのか。

2010-08-05 | 有屋無屋の遍路。

お金と健康とはよく似ているらしい。
それが無ければ悲惨だが、それがあったからといって幸福になれるとは限らない。

地球が丸いのとSMのカップルとはよく似てる。
そうじゃないと丸くおさまらないが、そうだからといって僕には実感できそうも無い。

お金と健康と幸せの関係も、地球が丸いのもSMのカップルの実態も僕にはよくわからないが、それは僕がそれを概念でしかわからないことだからかも知れない。

お金も健康も幸福も地球も縛ったり縛られたりすることも、僕の概念上でしかないということかもしれないから。


ふと、ある超有名な零細企業の社長さんの話を思い出した。
会社を大きくするチャンスはいくらでもあったのに、零細のままでいることについて質問すると、その人はこう答えていた。
「会社を大きくすることに興味はありません。いくら大企業の社長でも昼飯に茶碗10杯は食えんでしょう?」と。


地球は本当に丸いのか?と考えたらこのごろ寝つきがよくなりました。