南無煩悩大菩薩

今日是好日也

「ぜひ」や「べき」というものについて。

2020-06-27 | 有屋無屋の遍路。
(picture/PIERRE DUBREUIL)

私がその若者に出会ったのは精神病院の庭の中だった。彼は青白く、愛らしく、驚きに満ちた顔をしていた。

私は彼の隣のベンチに腰掛け、こう言った。「なぜ、あなたはここにいるのですか?」

彼は驚いて私を見つめ、こう答えた。
「それはここではふさわしからぬ質問ですが、お答えしましょう。私の父は私を自分の複製品にしたいと思っていました。叔父も同じように考えていました。母は私に彼女の高名な父親の生き写しであることを望みました。姉は船乗りの夫を私が手本とすべき完全な規範として挙げました。兄は私が彼のように、立派な運動選手になるべきだと思っていました。

私の先生方もそうでした。哲学教授や音楽の先生、倫理学者は、そろいもそろって皆私を鏡の中の自分の顔の像に仕立て上げようと堅く決心していたのです。そういうわけで、私はこの場所に来ました。ここの方がよっぽど正気だということも分かりました。少なくとも私は私自身でいられます」。

そして突然、彼は私の方に振り向いてこう言った。「あなたはどうなのです?あなたも教育とよき指導のせいでここに追い込まれたのですか?」

私は答えた。「いや、私は訪問者なのです」

すると彼は言った。「ああ、あなたはあの壁の向こうの精神病院に住む人々の一人なのですね」

ーカリール・ジブラン「漂泊者」より

誠(まこと)について。

2020-06-24 | 古今北東西南の切抜
(画像/映画「切腹」より)

武士的気風は、日を遂(お)うて頽(くず)れてくる。

これはもとより困ったことには相違ないが、しかしおれは今更のようには驚かない。それは封建制度が破れれば、こうなるということは、ちゃんと前から分かっていたのだ。

今でもおれが非常な大金持ちであったら、4,5年のうちにはきっとこの風を挽回してみせる。

それはほかでもない。全体封建制度の武士というものは、田を耕すことも要らねば、物を売買することも要らず、そんなことは百姓や町人にさせておいて、自分らはお上から禄を貰って、朝から晩まで遊んでいても、決して喰うことに困るなどという心配はないのだ。

それゆえに厭でも応でも是非に書物でも読んで、忠義とか廉恥とか騒がなければ仕方がなかっのだ。それだから封建制度が破れて、武士の常禄というものがなくなれば、したがって武士気質もだんだん衰えるのは当たり前のことさ。

その証拠には、今もし彼らに金をくれてやって、昔のごとく気楽なことばかり言われるようにしてさえやれば、きっと武士道も挽回することができるに相違ない。


世間の人はややもすると、芳を千載に遺すとか、臭を万世に流すとかいって、それを出処進退の標準にするが、そんなけちな了見で何が出来るものか。

男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ。あてにもならない後世の歴史が、狂と言おうが、賊と言おうが、そんなことは構うものか。

要するに、処世の秘訣は誠の一字だ。

(切抜/勝海舟「氷川清話」より)


鶴田浩二 傷だらけの人生

ちょっと、 Square

2020-06-23 | 世界の写窓から
(photo/source)

スクエアーとは、広場、多くの人々が顕著する場、または英語圏の俗語で、堅物、わからず屋、保守的な人物、エスタブリッシュメント、上流階級の人間などの意。ヒップと対置される。といった概念らしい。

どちらにしても、人が集まり注目度の高いところの露出は底知れぬ価値があり、多大なる影響を与えうる。

お金があれば、もしくはお金と言う価値の詐欺を働こうとするときの手段としてそれを行使しようとすれば、手っ取り早いのが宣伝であった。

歴代の場で展開された宣伝の興亡変遷の歴史を我々は多く見て来た。物言わせしめたものたちの歪めるプロパガンタの場末に向かう最後のあがき、もしくは墓場、と捉えようとすれば今までも今もその経緯は面白い体積として重みを持っている。

すべてではないが、ネット社会でも未だ後ろめたいマイナーを晴れやかなメジャーに変える辻として利用できるところはいたるところで高い価値を持って存在する。

いやなに、別に他意のある話をしているわけではございません。

顔無の系譜。

2020-06-22 | 酔唄抄。
(Netsuke of a Woman/source)

酒飲みの話によると、一番うまい酒はコップから受け皿にあふれた「こぼれ酒」だそうだ。

今の私の人生はその「こぼれ酒」のようなものである。

ー小野田寛郎 当時77歳

Kashiwa Daisuke - travel around stars

手段と目的

2020-06-20 | つれづれの風景。
painting/Beryl Cook OBE)

ある立派な人が、政治の世界で自分の目的を成し遂げるために金を配るという「手段」をしたのと、どうしようもない人が、政治家という地位を手に入れるのを「目的」として金を配ったのと、表面上はわかりません。

でも本人にしかわからないながら、手段が目的となった時点で、本来の面目はもう捨て去っているということに我々は注意する必要があります。

たとえば、明治維新のころ1人一票、多数決の民主主義が行われていたらどうでしょう。鎖国下で生きてきた人民は国の行く末などの目的なく、ただ手段を行使しただけに終わったかもしれません。

行われなかったのは、行われない理由があったとみるべきでしょう。

ただ、目的のない手段として酒を呑むのは、人知はいいすぎにしても我見を超えた目的かも知れないのであります。

Technopolis YMO / Dance Perfume  YMO テクノポリス / パフューム

解釈を学ぶ。

2020-06-15 | 世界の写窓から
(illustration/source)

たとえば、赤ずきんちゃんの無明はオオカミをおばあさんと間違えるような大チョンボより、おかあさんの言いつけを勝手に解釈してしまったところにある。

打って変わってたとえば、梅毒。

梅毒を意味する "syphilis" という単語は、当時はイタリア、マルタ、ポーランド、ドイツでは「フランス病」と呼ばれており、フランスでは「イタリア病」と呼ばれていた。さらに、オランダ人は「スペイン病」、ロシア人は「ポーランド病」、トルコ人は「キリスト教徒の病」「フランク人 (西欧人) の病」と呼んでいのだそうだ。

あるいはたとえば、七面鳥。

英語では『Turkey』、これは『トルコの鳥』って意味だが、トルコ語では『hindi』つまり『インドの鳥』って意味になるんだそうだ。そのうえインドのヒンディー語だと『peru』で『ペルーの鳥』になるらしい。ようは知らんけど。

いたるところそれぞれにこころもとない解釈がゴロゴロと転がっているというのが、世の中の解釈である。

知っていようがいまいが、ただいずれにせよ、なんにせよ、自分が生まれて死ぬるまでの現実をどう感じ行うのかは、じつのところこの解釈というもの次第でもある。

しかあれど、無明を積み重ねたとしても、運がよければ、腹を割って助けてくれる人に出会わないとも限らない。

Now, Run

「だけ」の神髄

2020-06-12 | 世界の写窓から
(picture/source)

ラリー・バードがNBAで抜群の成績を残した一因は、確実に決められるシュート「だけ」を放ったことにある。

優れた選手でも、「自己顕示欲や一時的な熱い気持ち」に駆られてシュートの判断を誤るものだが、バードはその点が違ったようだ。

あくなき研鑽と練習のおかげで、試合の最中に、ボールが手から離れる前にボールの行方を正確に判断できるようになった。

その神髄といえば、「自分の限界を知り、その中で確実に決める」ということの術を飽くまで探求し身に着けたからだと言われる。

時の記念日

2020-06-10 | 日日是好日。
(illustration/original unknown)

今日は時の記念日である。

幼少の砌、自分の影がいつものように長く寄り添ってくれなかったことに、不安らしきものを覚えたことがある。

真昼間に乗ったブランコの影は自分にくっついていた。時によって太陽の高さが違うことに、時には影が寄り添うと言う関係を僕は知らなかった。

遠い昔の事はそのらしきものももはや正体は茫洋と夢の如く。

光格子時計というものがある。100億年に一秒ずれるかどうかの正確な時を刻むという。

これを使って東大の科学者が高さ450メートルと地上の時間の進み具合に違いがあるかを測ってみたという。

すると一日当たり10億分の4秒、高所では時が早く流れていたらしい。

実証されたのは重力の大小で時間が変わると唱えたアインシュタイン博士の相対性理論である。

なにごとも一定の速さで進むとは限らない。いつもと違うのならいつもと違う風景と時間がある。

Idir - A vava Inouva - paroles kabyle et français

六識(六根)清浄

2020-06-08 | 有屋無屋の遍路。
(picture/source)

ある日眼が言った。「谷をいくつも越えたところに。青い霧に覆われた山が見える。美しいと思わないか?」

耳はそれを聞き、しばらく熱心に聞き耳を立て、しかる後にこう言った。「でも山なんかどこにあるんだい?僕には聞こえないよ」

すると手が語って言った。「君の言う山を触れたり感じたりできるか試したが、だめだった。僕には山が感じられないよ」

そして鼻が言った。「山なんてないよ、そんな匂いはしないもの」

それから眼はそっぽを向いてしまった。他のものはみんな、眼のおかしな惑乱について議論し始めた。彼らは言った。

「眼はどうかしてしまったに違いない」 -カリール・ジブラン「漂泊者」より


六識(眼耳鼻舌身意)には、それぞれ相手があるものです。

眼には色、耳には声、鼻には臭、舌には味、身には触、意には法(ああはならぬ、こうはならぬという類)、これを六塵という。

目は視るが役、耳は聴くが役、しかも視れども何の色と知らず唯視るのみ、聴けども何の音と知らず唯聴くのみ、これを分別するものは意識でございます。

しかれども、得て悪いほうへ傾き易い意識なれば、俺が俺がが主になって、身贔屓身勝手に使われますと、分別も正しく働かぬのみかかえって固有の明徳を覆い隠して、さまざまの悪しきこと思いつくようになりまする。

いいえ、ちがう。

2020-06-04 | 世界の写窓から
(photo/source)

「長い旅をしていた鴉は喉がカラカラカラスであった。

そんな時、一つの水差しを見つけ、水が飲めると喜んで飛んで行った。その水差しには、ほんの少ししか水が入っておらず、どうしても嘴が水面には届かなかった。

カラスは途方に暮れたものの、あらゆる手段を講じて水を飲もうとしたが、その努力もみな徒労に終わった。

まだ諦めきれないカラスは、集められるだけの石を集めると、一つ一つ嘴で水差しの中へ落としていく。すると中の水はどんどん嵩を増して、ついに嘴のところまで届いた。

こうしてカラスは喉を潤し、また旅に出るのだった」。

-イソップ物語

カラスは流体力学を理解していると言える。

にも関わらず、人間は、ヒト以外の知能に偏見を持っている。だから自分の枠を超えた知能を理解できない。

蛸の神経細胞はおよそ半分が八本の腕にある。神経細胞が腕に分散しているのだから、知能が分散している。「あなたの腕は、ちぎれてから、光を感じ、数時間は這いずり回り、何かを掴んだりできますか?」

カナダホシガラスは、木の実5,000粒の隠し場所を9か月間忘れない空間記憶という知能を持っている。

生後すぐの段階で一番頭のいい動物は鶏かもしれない。ニワトリは認知や行動を調べる幾つものテストで、犬より、さらに人間の幼児よりも成績がいいことが分かっている。ヒヨコはと言うと、卵からかえって数日で、数の違いだけでなく、足し算や引き算までやってのけることがわかってきた。

理論物理学者のヴぇルナー・ハイゼンベルクは、かってこう言った。

「私たちが観察しているのは自然そのものではない。私たちが問いかける方法に合わせて自然を見ているのだ」。

人間の偏見を考慮するにつれて、私たちはもっと創意に満ちた質問をするようになった。そうすることで、色々な種類の、想像もつかないような、すばらしい知能が明らかになっている。

そしてついに、「人間は唯一の知的生命体なのか?」という問いに応えようとしている。答えは、これまでになく明らかだ。

「いいえ、ちがう」。

-引用/ベリンダ・レシオ「INSIDE ANIMAL HEARTS AND MINDS」

蹌踉のこと。

2020-06-02 | 世界の写窓から
(picture/source)

これは、後姿しか見たことのない人が正面から見た人との会話が成立するかどうかの噺である。

「人種」なんていうものは存在しない。これは生物分類学上は当たり前のことであるようだ。

「種」と謂う分類のつまりは生殖行為によって子孫を残せるかどうかの間柄を指すのであるからにして人に種というものはない。

白でも黒でも黄色でも体液の交換をすれば子が出来る。

しかしながらさもしいことに人は子が出来る間柄にもかかわらず差別の胎盤から臍の緒をきれないので、人種という区別用語を普通に何事もなく受け入れ使うバカモノ的なままである。

ところで、処女懐胎というのは神という種を超えている交わりなので処女であっても種を残せる、しかしこれは種ではなく主というものである。

もとい、で、話は飛ぶが、蹌踉(そうろう)とはよろけのことである。

‘見よ、処女みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと称えられん’

Immanuel

君が世

2020-06-01 | 世界の写窓から
(photo/source)

私が何かを見ている、その私を見る視点があれば、見えているものと見ているものの違い、大小善悪出処進退の塩梅がわかるというものである。

そういうふうにものことをおもっている間(ま)に待てば、いつしかそれが言行一致への余裕なるかもしれない。

つまりある対象、たとえば君と言うものに対処している自分を観ることのできる自分というものを鳥瞰視することができたら、もうちょい身の施しようが上手くなるかもしれない。

ところが、ただ、それが正解というのは、まったくもって見当違いなのである。

坂本冬美 - また君に恋してる