南無煩悩大菩薩

今日是好日也

顔で笑って心で泣いて

2018-01-31 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(gif/source)

遊んでいるよな 小鳥でさえも 生きるためには 苦労する    -春風亭柳昇



そういや誰や言うてました。「たとえ顔が笑ぅとってもな、そこには抗議があると同時に受容(諦め)もあるやしれんで」って。
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"My motto is: more good times."

2018-01-30 | 世界の写窓から
(picture & quote/Jack Nicholson)

グラントと言へば、南北戦争の将軍として、また十八代目の米国大統領として名高い人だが、この人が大統領に就任してから当分の間、田舎の自宅からワシントンへ汽車で通っていたことがあった。

ある日のこと、グラントはいつものように借切列車に腰を下しながら、ポケツトから葉巻を一本取出して静にそれに火をつけた。そして香の高い紫色の煙に、犬のように鼻をくんくんさせながら、いい気持になっていた。

汽車が途中の或る小さな駅に停ると、着飾った一人の貴婦人がちょっとした手荷物を抱えながら慌しく入つて来た。

婦人はグラントの前に席を占めた。それまで南北戦争当時の追懐か何かに思ひ耽っていた大統領は、眠そうな眼をちょっとあけて、自分の前に坐った婦人の様子をちらと見たらしいが、性来婦人というものにあまり趣味を持っていなかったこの軍人大統領は、そのまま又眼を細めてじっと葉巻をふかしていた。

すると、だしぬけに癇走った女の声が聞えた。グラントは昼寝をしていた鴨のように、大儀そうに片眼を明けた。見ると、件の婦人が目くじら立ててこちらを睨んでいた。

「あなたどうぞ煙草をお止め下さい。あたし煙っぽくて堪りませんから。」

グラントはそれを聞くと、のみさしの葉巻をそのまま窓の外に投げ棄てた。そしてあけていた片眼をもとのように静に閉じた。無口な大統領は何一つものを言わなかった。

件の婦人客が、不作法な紳士をやりこめた嬉しさに胸をわくわくさせていると、汽車はまた次の停車場に着いた。

すると、駅長が静かに扉をあけて入って来た。そしてその婦人客を見ると声を尖らして言つた。

「あなた。すぐに此処を出て行って下さい。こちらは大統領閣下の借切列車なんですから。」

大統領の借切と聞くと、婦人は顔を真赤にした。そして手荷物を抱へて逃げるように姿を隠した。

(文/薄田泣菫 茶話「喫煙禁止」より)
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ビジネスの目的とは何か?

2018-01-24 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

“Law is to justice, as medicine is to health, as business is to ________.”

法は正義のために、医学は健康のために、そしてビジネスは________のために。

上記の空欄に言葉を埋めてもらおうとビジネススクールの学生にこの問いを投げかけると、決まって最初に訪れるのは「奇妙な沈黙」である。

そして教室は「我々は答えを知っているべきだ。なのに、我々はその答えを持っていない」という空気に包まれるのである。

それでもやがて、彼らは少しずつ自らの答えを語りだす。ある者は「ビジネスは利益、金銭、そして富のためにある」

別の者はより広範に「価値の創造や繁栄のため」などと主張する。

さらに他の者は「調整、交換、生産、そしてイノベーションのため」と述べ、

別の者はよりマクロ視点から「商業、経済、集合的な幸福、そして社会のため」と述べる。

そしてついには「自分の欲、権力、支配力のため」というものさえ出てくるのだ。

そもそも、現代社会におけるビジネスの目的は何だろうか。

驚くべきことに、この根源的な問いに、我々は世界共通のコンセンサスを持っていないのだ。

一人一人は固有の目的を持っていても、それを深く考えたことも、他者と議論したこともない。

そして、目指すべき共有の目的がなければ、規範的な理論は描けない。したがってビジネスには(少なくとも規範的な)理論はないのである。

-切抜/Harvard business review February 2018-

「これはビジネスですから」

と言われて安易に納得してばかりもいられないのである。
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A Rain of Tears

2018-01-23 | 意匠芸術美術音楽
(gif/source)

VIVALDI - A Rain of Tears - ANDERSON & ROE
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天知る地知る吾知る

2018-01-22 | 意匠芸術美術音楽
(calligraphy/source)

君子慎其独也。

慎み深い人は、たとえ犬猫の前においても恥ずかしさを識(し)るという。

人前と変わらず生きていけるというようなことでもある。

思い当たるは「虚心坦懐」という言葉である。

人に当たりて虚心坦懐、人に当たらずして慎独。というようなことをわたしは考えてみている。

易(やす)きに流れないような、しょうもないものに阿(おもね)ることのないような。

なにということではないが前提というもののありかたを静かに考えている。

人ぞ知れず。
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Give Me Love

2018-01-20 | 意匠芸術美術音楽
(photo/source)

Dojo - Give Me Love
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客の心になりて亭主せよ亭主の心になりて客いたせ

2018-01-18 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

山科の丿観(へちかん)は、利休と同じ頃の茶人だった。

あるとき、丿観が茶会を開いて、利休を招いたことがあった。案内にはわざと時刻を間違えておいた。

その時刻になって、利休は丿観の草庵を訪れた。ところが、折角客を招こうというのに、門の扉はぴったりと閉っていた。

「はてな」

利休は潜り戸を開けて、なかに入った。見ると、すぐ脚もとに新しく掘ったばかしの抗があり、簀子(すのこ)をその上に横たえて、ちょっと見に分らぬように土が被せかけてあった。

「これだな、主人の趣向は」

客はその瞬間、すぐに主人の悪戯(いたずら)を見てとった。

平素から客としての第一の心得は、主人の志を無駄にしないことだと、人に教えもし、自分にも信じている彼は、何の躊躇もなく脚をその上に運んだ。

すると、簀子はめりめりとへし折れる音がして、客はころころと坑のなかに転げ込んだ。
 
異様なもの音を聞いた主人の丿観は、わざと慌てふためいて外へ飛び出して来た。坑のなかには利休が馬鈴薯のように土だらけになって、尻餅をついていた。

「これは、これは。宗匠でいらっしゃいましたか。とんだ粗相をいたして、まことに相済みません」

「丿観どの。老人(としより)はとかく脚もとが危うてな……」

客としての心得は、主人の志を無駄にしないことだと思っていた利休も、案外その志と坑とが両(ふた)つともあまりに深く、落込んだままどうすることも出来ないで、困りきっていた場合なので、丿観が上から出した手に縋(すが)って、やっとこなと起き上って坑の外へ這い出して来た。

二人は顔を見合せて、からからと声をあげて笑った。
 
客は早速湯殿に案内せられた。湯槽には新しい湯が溢れるばかりに沸いていた。茶の湯の大宗匠はそのなかに浸り、のんびりした気持になって頭のてっぺんや、頸窩(ぼんのくぼ)にへばりついた土を洗い落した。

浴みが済むと、新しい卸し立ての衣裳が客を待っていた。利休は勧めらるるがままにそれを着けて、茶席に入った。

「すっかり生れかわったような気持だて」

利休は全くいい気持だった。こんな気持を味うことが出来るのも、自分が落し坑だと知って、わざとそれに陥(はま)り込んだからだと思った。これから後も落し坑には精々落ちた方がいいと思って、にやりとした。
 
丿観は、客が上機嫌らしいのを見て、すっかり自分の計画が当ったのだと考えて、いい心持になっていた。

それを見るにつけて利休は、主人の折角の志を無駄にしなかったことを信じて、一層満足に思った。

-切抜/薄田泣菫「利休と丿観(艸木虫魚)」より-
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Everybody Wants To Be A Cat

2018-01-17 | 意匠芸術美術音楽
(phot/original unknown)

Dimie Cat - Everybody Wants To Be A Cat
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無理と我慢。

2018-01-16 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(gif/original unknown)

棒っきれで星を取ろうとしてもそれは無理。-棹棒打星(とうぼうだせい)-

湖に映った月を捕ろうとしてもそれも無理。-猿猴取月(えんこうしゅげつ)-

靴を履いたまま痒いところを掻いたらどうなる。-隔靴掻痒(かっかそうよう)-

痒みが取れぬばかりか、輪をかけて痒くなる上にイライラまで発症する。

横着せずに紐を解いて靴を脱ぎなさい。

いらんことはせず、無理なことは我慢を捨てなければろくなことにならない。

ちなみにここでいう我慢とは、「我への執着による慢心」のことを言うておる。


*「若し婆羅門に在りては婆羅門中の尊として其の我慢を除く(バラモンの中にあってはバラモン中の尊者としてその我執慢心を除く)」-「維摩経・方便品」より-
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準備期間

2018-01-15 | つれづれの風景。
(gif/source)

「枯れている」ようにみえても「枯れた」とみるのは間違いだ。

冬が終わると春が突然来るのではない。春は冬の間に刻々と訥々と春を装填している。

内では芽生えに向けての準備はすでに始まっているのだが、単に外から窺えないだけである。

すべからく夏は春から、秋は夏から、冬は秋から、それぞれの準備期間に入っている。

「準備中」とは「閉店」ではなく「仕込み」の最中なのである。

「開店」だけを愛でるのではなく、内なる準備に気付き慮る感性をもっと持ちたいと思う。
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ああしんど

2018-01-11 | 古今北東西南の切抜
(/池田蕉園)

よっぽど古いお話なんで御座(ござ)いますよ。私の祖父(じじい)の子供の時分に居りました、「三(さん)」という猫なんで御座います。三毛だったんで御座いますって。
 
何でも、あの、その祖父(じじい)の話に、おばあさんがお嫁に来る時に――祖父(じじい)のお母さんなんで御座いましょうねえ――泉州堺から連れて来た猫なんで御座いますって。

随分永く――家に十八年も居たんで御座いますよ。大きくなっておりましたそうです。もう、耳なんか、厚ぼったく、五分ぐらいになっていたそうで御座いますよ。もう年を老とってしまっておりましたから、まるで御隠居様のようになっていたんで御座いましょうね。
 
冬、炬燵の上にまあるくなって、寐ねていたんで御座いますって。

そして、伸びをしまして、にゅっと高くなって、

「ああしんど」と言ったんだそうで御座いますよ。

きっと、曾祖母(おおばあ)さんは、炬燵へあたって、眼鏡を懸けて、本でも見ていたんで御座いましょうね。

で、びつくり致しまして、この猫はきっと化けると思ったんです。それから、捨てようと思いましたけれども、幾ら捨てても帰って来るんで御座いますって。でもおとなしくて、なんにも悪い事はあるんじゃありませんけれども、私の祖父(じじい)は、「口を利くから、怖くって怖くって、仕方がなかった。」って言っておりましたよ。

祖父(じじい)は私共の知っておりました時分でも、猫は大嫌いなんで御座います。私共がすきで飼っておりましても、「猫は化けるからな」と言ってるんで御座います。

で、祖父(じじい)は、猫をあんまり可愛いがっちゃ、いけないいけないって言っておりましたけれど、その後の猫は化けるまで居た事は御座いません。

-文/池田蕉園-
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泣くに泣けない

2018-01-09 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

京都の亀岡にも出雲がある。出雲大社の分霊を祀った立派な神社だ。志田の何とかという人の領土で、秋になると、「出雲にお参り下さい。そばがきをご馳走します」と言って、聖海上人の他、大勢を連れ出して、めいめい拝み、その信仰心は相当なものだった。

神前にある魔除けの獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、聖海上人は非常に感動した。

「何と素晴らしいお姿か。この獅子の立ち方は尋常ではない。何か深い由縁があるのでしょう」と、ボロボロ泣き出した。

「皆さん、この恍惚たるお姿を見て鳥肌が立ちませんか。何も感じないのは非道いです」と言うので、一同も不審に思い、「本当に不思議な獅子狛犬だ」とか、「都に帰って土産話にしよう」などと言い出した。

上人は、この獅子狛犬についてもっと詳しく知りたくなった。そこで、年配のいかにも詳しく知っていそうな神主を呼んで、「この神社の獅子の立ち方は、私などには計り知れない由縁があるとお見受けしました。是非教えて下さい」と質問した。

神主は、「あの獅子狛犬ですか。近所の悪ガキが悪戯したのですよ。困ったガキどもだ」と言いながら、もとの向きに戻して立ち去った。

果たして、聖海上人の涙は蒸発したのだった。

-切抜/徒然草 第二百三十六段(吉田兼好著・吾妻利秋訳)より-
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さやけき月ありし 光陰は百代の過客にて

2018-01-08 | 意匠芸術美術音楽
/「卒塔婆の月」(月岡芳年『月百姿』)年老いた小野小町)

小野小町の生涯は、極めて謎である。

没落した姿は『玉造小町壮衰書』という文献に見られる。

この文献は三善清行の手によるという説もあるが、弘法大師の著作リストにも記されている。

大師は西暦八百三十五年に他界した。小町が男どもを夢中にさせたのは、その後の時代の出来事だ。

謎は深まるばかりである。

-切抜/徒然草 第百七十三段(吉田兼好著・吾妻利秋訳)より-

Andre rieu Kojo No Tsuki
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ふりだしに立ち返る

2018-01-07 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

原文:
「ばくちの、負極りて、残りなく打ち入れんとせんにあひては、打つべからず。立ち返へり、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふなり」と、或者申しき。

現代語訳:
「ギャンブルで負け続け、すっかり仕上がって、全財産をぶち込もうとする相手を挑発してはならない。振り出しに戻って、連勝するチャンスが相手にやってきたと察知すべきだ。この瞬間を感じ取るのが伝説のギャンブラーというものである」と、ある人が言っていた。

-切抜/徒然草 第百二十六段(吉田兼好著・吾妻利秋訳)より-

経営者にもある種ばくち打ちのような側面があって、肝が座ってなければどうしようもないときがあるように感じている。

「ばくち打ちの秘訣」は、物事には機会と汐時を見るべきだと教えてくれているようだ。
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総べてはチリの集積からハジマッタ。そしてまたチリにナル。

2018-01-05 | 世界の写窓から
(gif/source)

塵は無形の偶像だ。

「金銀も宝石も皆塵となる」

「喜びも悲しみも皆塵となる」

と昔から言い伝えられている位だから……。

なるほど宗教も道徳も塵となった。

唯心も唯物も現在、塵となりつつ在る。

すべては、吾々の生命と共に、古ぼけた、むせっぽい、時代の塵の上に消え込みつつ在る。ことによると塵こそ造物主の正体なのかも知れない。
 
塵よ。塵よ。

お前は一体何をしているのか。

喜劇をやっているのか、それとも悲劇をやっているのか。デタラメなのか、本気なのか。拍手しているのか、嘲罵しているのか。
 
ナントまあ、渦巻き狂う塵だろう。

-夢野久作「塵」より-
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