南無煩悩大菩薩

今日是好日也

街。

2007-11-30 | 有屋無屋の遍路。

ワトソン君。街とはどういうものか知っているかね。

私らの時代からは随分と街も様変わりしたものだ。

この状況をどう思うかね。ワトソン君。

聞いているのかね?ワトソン君。

私の推理はこうだ。ワトソン君。

君はワトソン君ではなく、もちろん私もここにはいない。

しかしたくさんの人々が集合するところがこの街というものだ。

だから。私は。


ホームズなのだよ。


眠ったのかね?ワトソン君。

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浮世傘。

2007-11-29 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

傘を召しませ。召しませ傘を。

お天道様がいやにまぶしと日除け傘。

そぼ降る雨なら蛇の目傘。

人目忍んであいあいの。

傘を召しませ。召しませ傘を。

浮世の天神おとすはそれよ。

ひとのさしたる傘見たさ。

さしてさされてそのひ傘。

傘に願掛け厄難除けて。

人の上にもかけてみよ。

浮き世あるきの傘の花。

ああ。よいよい。

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直線。

2007-11-28 | つれづれの風景。

次元を切り裂くような、直線。

基本合意としては、自然界において、直線は存在しない。

しかし何故か人は直線をつくりたがる。

真っ直ぐな道ほど交通事故は多いと言うに。

川も護岸工事などせずに蛇行と暴れるに任せておけば、伏流水が自然の浄化作用の役目を果す。

飛行機も直線距離で飛べば早いようだが、そうもいかない。遠回りに見えようが、気流に乗ることで燃料消費に大きな差も出る。

理にかなうことは、直線でないことが多いのにである。

しかしだ。直線には心惹かれる何かもある。

森の中の一本のステンレスの直線。

確かに人工物である。

直線なのである。

すくっと立っているのである。

捉えようによっては、調和していると言えるのである。

人と自然のようである。

基本合意としては、この星に人間が存在して以降、自然界に直線が生まれたのである。

意図する芸術家の仕業である。

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イマジネーション。

2007-11-26 | つれづれの風景。

イマジネーション(想像力)の語源は、image=似ていること。+nation異民族。だという。

異民族と言う理解の及ばない対象から、似ている何かを見出し想いを巡らせることといえようか。

似ている何かを探し出し理解に努めるか、理解をあきらめるかは、個人の任意だろう。

しかし、それが怖いものであるか、害のないものであるかの判断における、イマジネーションは重要だ。

似ている何かを探し出す為には、似ている何かのその記憶にフィードバックさせなくては探せない。

その事実上の積み重ねが、経験と呼ばれる。

事実上の何か似ているものが検索に引っかからないのならば、それははじめての事実なのだ。


なんだろう?この事実のようなものは。

イマジネーションは、刺激され活性化するのである。

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ポーズ。

2007-11-24 | つれづれの風景。

一時停止である。

はてさてなんのポーズでしょか。


忘年会のシーズンである。

ほぼ年中忘年会の小生も、その名を借りると呑みやすさ倍増。

今日は八本程のウコンの力の差し入れがございました。

少なくとも8日間はへべれけになれるのである。

いやいやまあまあ。いやもうあきません。あ。そうですか。それじゃあまぁちょっとだけ。

うれしながらも断ってみせるが本当は満面の笑みで受ける前のあの瞬間。

なんていうポーズに見えるのであった。

いわゆる、ボーズのポーズ。



フリーズにならないように気をつけよう。

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八方。

2007-11-21 | 有屋無屋の遍路。

蛸の足は確か八本でっしゃろ。


八方美人。八方ふさがり。と八方は全方位を表す数字でもありますな。

そういえば、ユニオンジャックもこんな模様でおます。

八方というのは、東西南北に、東北や近畿中四国九州関東北海道なんてものも含められた感じがしないこともありません。

八方を丸く治める。なんていうのは至難の業でしょうが、八方に目を配るような肌理細やかな気付きの人に合うと、惚れ惚れします。


話は変わりますけど、ヤツメウナギは八方を瞬時に把握できるんでしょうかねぇ。

それもまた難儀な気もしますけど。八方破れになって、財布の皮にされたりしてるんじゃあ可哀想ですわ。


しかし。蛸の足はなんで八本なんでっしゃろ?

なんや考えてたら、頭がショートしてきましたわ。

やっぱり、蛸足配線のせいでございましょうか。

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監視。

2007-11-20 | つれづれの風景。

監視しとかんとなにしだすかわからん。

というような背景がこのカメラにはある。

セキュリティという意味あいでは必要なことなんだろうけれども。

それが悪意で使用される危うさは論外として、善意で使用する場合にも、「裏をとる」という行為に変わりはないのが監視というものであろう。

居心地のいいものでないことは確かだ。

肉眼では見えない奥で光る鏡に、なんとはなくも、いやらしさは払拭できない。


私は助兵衛だけれどもいやらしくはなりたくないなぁ。


どれくらいの抑止力になるのかしらん。

こういうものも世の鏡なのだ。

壁に耳あり。障子に目あり。

善意の自己監視を教育された時代は夢であろうか。


立小便で捕まったらなさけないなぁ。気ぃつけとこ。

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交差点。

2007-11-19 | つれづれの風景。


渡ろうとする私が見ている信号機が青であるとき。

クロスする側の方向へ進む人たちにとっては赤を意味する。

交差するということは、そういうことである。

注意一秒。怪我一生。

交差点で事故が多いのはシグナルの変わり目の意味を軽く見る所為もあろう。


クロスポイントでは、シグナルを受けとめよう。

マイウェイのゴーイングにも交差点がある。


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私は誰だ。

2007-11-17 | つれづれの風景。

考えることの本当の目的は何だ。

思う。とうことは私に何を与えてくれるのだ。

私はなぜに学ぶ。

私はなぜに教育を受ける。

私はなぜに訓練をする。

わたしはなぜにそうのたまう。

ノウハウではない。ノウワッツなのだ。

誰も、私が誰であるかを教えてはくれない。


ところで。君は誰だ。

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待つ。

2007-11-16 | つれづれの風景。


河原の枯れススキ。

螺旋構造のDNAよろしく相似形にならんだススキの種子は痩せても枯れてもススキの希望。

とりあえずは西高東低の気圧配置による冬型の偏西風を待っているようだ。

寒い風が豊かな希望になる。


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組織。

2007-11-15 | 有屋無屋の遍路。

識別されうる一つの集団として、なんらかの統制の元に存在として組み上げられたものを組織という。

上手く組織化されている。という言い表し方があるが、それそのものにあまり意味は無い。

つまり組織は人間が作る以上非常に流動的な形態とならざるを得ないであろうから。

時の経過による、様々な思惑の変化の中で、実際にはかなり劇的な変化をしているはずである。

つまりその変化の中で、そのなんらかの統制装置も同じように変革を行えていなければ、組織は崩壊するという可能性を常に内包している。

単純な組織とは、多分仮想敵国を存在させる事によって纏まるものであろう。

訳のわからないままに、身を守るためだけに、若しくは上手いスープを飲むためだけの目的で出来上がる組織は幾ら大きくても脆い。

むしろ肥大化すればするほど、組織人的感覚疲労は、大きくなる。

少なければよい訳でもない。流動性と変革性への対応力はある程度の規模がなければ、脆弱極まりない。

組織ぐるみの・・・。という言い表し方にもあまり意味は無い。

ぐるになって何かをするのが組織である。

私はしていない。関係ない。というような人間はその組織にいることを、なんと思っているのだろう。

早くその組織を抜けることだ。

居続けるなら、ちゃんと一員であることを自覚しなければ、それはもう組織とは呼べない存在の団体である。

ご一行様。にしか過ぎない。

水戸のご老公ご一行様のほうが、ずっと社会的貢献度は高い。

つるむのではなく、組織として身を律する覚悟が組織人の第一対応であろう。

人の振り見て我が振りなおせ。

我々は、どのような組織に所属したいと切望し、自助努力を重ねていけばいいのだろうか?


どんな善神達でさえ、森羅万象の問題に対し、単独で出来ることは、高が知れているのである。

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パーソナリティ。

2007-11-14 | つれづれの風景。

それぞれにはそれぞれのパーソナリティというものがある。

内向的な人。外交的な人。

神経質な人。安定的な人。

非開放的な人。開放的な人。

調和的な人。敵対的な人。

きまじめな人。無頓着な人。

好ましいか好ましくないかといった判断は賢明ではない。

厳然と存在しうるのだから。それぞれに。

それぞれの中で生きていくためには無理はいけない。

和して同ぜず。同じて和せず。

いたしかたもしようが無いこともままある。

それぞれのパーソナリティが光るような集団には無理は存在しない。

しかし。人はつい無理を通そうとする生き物でもある。

我田引水。

思慮深く回避するように心がけたいものである。

互いが相乗的に学習する集団。

それぞれがそれぞれに認め合う五百人。羅漢さんのパーソナリティは、そこいらへんの示唆に富んでいる。

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マテリアル。

2007-11-13 | つれづれの風景。

素材。


土の素材の犬の置物が陽を浴びている。

土の犬は、プラスチックの犬とは決定的になにかは違う。

料理も、素材によってその使用方法が変わる。

素材の持つ特性は、出来上がりを別物にさえ変えうる力を持つ。

我々人にも、それそれぞれの素材的特性が予てから備えられている。

あたりまえのことだが、このあたりまえを素直に表現するには、かなりの力量がいるようだ。

普通の人とは、この普通のことを普通に出来ないから普通の人なのだろう。

素直に素材の良さを活かしきることが出来ればかけがいの無い調理方法となるはずだ。



で。この犬の素材はなんという種類だろうか。

・・・マテテリアデアル。

あたりまえのことをあたりまえには、なかなか出来ないのである。


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半透明。

2007-11-12 | つれづれの風景。

折り重なるガラスのオブジェの向うに、半透明の世界が拡がる。

透明とも不透明とも呼べない出来事がよくある。

だが、不思議なことに、遠めで亡羊と見るように心がけてみると、半透明の向うが見える気がするのである。

そうか。半透明は見よう見ようとするその心が映し出す心の皮膜だ。

なんてことを、思いついた。

なんてことがないかあるかは、やっぱり半透明のままなのである。

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赤禿参上。

2007-11-10 | つれづれの風景。

羞恥心と言うものをなくしたら人間おしまいだ。

ああ。誰か止めておせ。

これは恥ずかしいことではない。と言い聞かせる為には、何かの理由と根拠が必要になります。

そうだ。私は訓練をしていることにしよう。

仮面の下にいらんものを隠さないための訓練だ。

さらけ出すことでスッキリとする訓練だ。

まぎれもない正義の味方は、赤影だが、私は赤禿だ。

そうだ。白禿と青禿もそのうちやってみよう。

訓練は早く切り上げられるように急がなくてはなるまい。

仮面が外せなくならないうちに。



赤い仮面は謎の人。どんな顔だか知らないが。キラリと光る禿頭。

手裏剣シュッシュッシュッシュシュー 赤禿は行く。


・・・そろそろ幕でございます。

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