南無煩悩大菩薩

今日是好日也

嬉しい物質。

2008-07-31 | つれづれの風景。

ハエは、足の先に味覚器官があるというようなことをユクスキュルの本に書いてあったような覚えがある。

食えるモンかどうかと、瞬時にわかるようである。

彼等は、思考器官は持っていないので、条件反射で生きておるわけで、我々のように「食える!」と思った瞬間に「ニヤリ」と笑うことはないのである。

反射で生きると反応はスコブル早い。

思考停止のほうが、反応は早いのである。

ただし。反射器官がちゃんと作動すればのこと。

しかし、「ニヤリ」と笑う喜びを得ようとするならば、うれしい物質を脳内に分泌しなければならない。



ほんに浮世は とげある花よ みればやさしき寄れば刺す。



条件反射で動くと、いくら食指を動かしても簡単にはいかない。

それと知らず冷たいものを急にさわって、「熱っ!」と反応する間違いもある。

まぁしかし。そこんところが「ニヤリ」とする学習能力を育んでくれる。

うれしい物質はどこからやってくるかもわからない。


なんにでもたかってみるのは、ハエのレベルでありますが。

食わず嫌いはお母さんに怒られるのであります。


露と浮草。

2008-07-28 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

露は日に去り 浮草は風に去る。

一時の逢瀬ここに今生の夢を見るか。



儚きことの代名詞でもある露と浮草。

ほとんど関係ないが、


朝顔に つるべとられず 間男に 女房とられて わしゃもらい乳(ちち)


という雑句がある。


浮気草 そんなこととは つゆしらず さっさと消えて わしゃ根無し草。



元に戻るが、

昨日は今日の古(いにしえ)、今日は明日の過去となる。


所詮この世は、日が照るか、風が吹くかの袴(はかま)換え。

はかなき哉はかなき哉。

-無山人-



お多福坂。

2008-07-26 | つれづれの風景。

夏の走りの 石清水 八幡宮の参道表

岩に染み入る蝉の声

みーんみーんみーんみん ひとっこひとり みーんと鳴く。

軒端に揺れるは甘酒の 坂の途中の力水

耐えて乾きし喉こらえ 

お多福背負うて もうしばし 

しばししばしと 帆をあげて

のぼるは 萬願坂の上 

ひとおしされよし あとおしされよし いざいかん

お多福坂を後にして。


-無山人-


ふるもの。

2008-07-23 | つれづれの風景。

ウォッシャブルジーンズがかっこええんなら、ウォッシャブルアイアンがはやってもええんちゃうか?

長い間雨に洗われてまっせ。

わしが左官職なら、こんなんで仕事したいおもいますのやけど。

買い物にもこんなんでいったらそりゃ目立ちます。

ファションリーダーをきどるんやったら、それぐらいアバンギャルドにいかなあきまへん。

わしは、それじたいふるものよってに、あたらしいものがよろしいなぁ。

だれか新しい人が、じょうずにわし使うてくれまへんやろか。

今の世の中、何が流行るかわかりません。

こんなふるもんでも、捨てたモンじゃない。

新時代の至宝ここに現る。

てなぐあいになると、わしゃ野ざらしに耐えてきたことも浮かばれるっちゅうことですわ。




みょうなものに喋りかけられたような。

焼け付く太陽したたる昼下がり。



探求心。

2008-07-22 | つれづれの風景。

知りたいという気持ちが起きるとしよう。

いわゆる好奇心が芽生える。

それを知ってもっと知りたいと思ったならば。

好奇心から探究心に変わる。

探求することが、楽しくて仕方なくなったら、それが天職。


知るは、好くにしかず。好くは、楽しむにしかず。

それを知っている人も、それを好きな人には勝てない。
それを好きな人でも、それを楽しんでいる人には勝てない。

好きこそものの上手なれ。ともいうが、楽しめなければ、ある水準を超えて喜ぶことはできないのかもしれない。

人は「知る」を知るほどに、好奇心を失うようだ。

好奇心は、喜びの探求心を育むゆりかごでもあろう。それを手放すのはもったいない。

子供等を先生にしなさい。とこのブロンズ像は諭してくれているように思えた。

探求する必要は無いだろう。思い出すだけでいいのだ。



ご無体な味噌汁。

2008-07-19 | つれづれの風景。

お代官さま、そんなご無体な。

というような無理難題をけしかける輩や、頭おかしいんちゃうかとおもえるような論理を振りかざすモンスター人間と世の中珠に遭遇する。

体をなさない、ねじまがった価値観の怪物にかかずらわらってしまうということは災難以外の何者でもない。

怪物に育ってしまった以上、当事者が退治してやろうなどと義務感を出してはいけない。

無体をはたらく。横文字にすればノーウェイといったところ。さしずめ道が無い。

閻魔様に委ねるしかない。いわゆる世間というものの客観的な評価評判である。

煮えくり返る具の無い味噌汁のような心持になったとしてもだ。まとも率直で相手にしないことが一番。


異見聞くときゃ頭(つむり)を下げな 下げりゃ異見が上をこす。

はいーはい。


正義感や武勇をもって、相手とけっして槍働きをしようなどともおもってはいけない。やり過ごすに限るのであります。

無体には無体であります。いわゆる放置プレイで蒸発待ち。



しかしあれでんなぁ。

よのなか難儀な人もほぼきじるしもたまに見かけますけど、めがなれてくると、これはこれで刺激があってよろしいのかもしれまへんなぁ。

愚も無い味噌汁は、ふぬけともいいますわな。


秋色夏彩。

2008-07-18 | つれづれの風景。

夏の彩の中で秋色に遊ぶ。おつなもの。

ちょいと気分を変えなんして、この暑さを楽しむもまた一興。


春にもかえて 夏にもかえて あきもせぬうち いろかえで。

おつで風流を気取ってみれば すこしはすずむしなくかいな。



おあつうございます。

どちらさまも。暑中お見舞い申し上げ候。



社会の窓。

2008-07-17 | つれづれの風景。

用を足そうと思えば、社会の窓はしっかりと開けとくものだ。

可愛い息子には旅をさせよ、とばかり引っ張り出すことだ。

たとい小さくとも、ちぢこまっていようとも。社会の窓さえ開けることを忘れなければ、用はちゃんと成せるのだ。



井の中蛙が空うち眺め 四角なものだと議論する。


都々逸じゃあないが。

狭い了見にとどまっていてはいけない。

オープンセサミ。


その用を成すためには、用を足す必要がある。


もういちどいおう。

用を足そうとおもうなら、社会への窓をしっかりと開けておくことだ。


怯むことなく。おもいっきり自分なりに用を成そうじゃないか。



Mr.T

2008-07-14 | つれづれの風景。

うわべの陽気さ。そいつがくせもの。ミスターティー。


ついに捉えた。

素顔が見えた。

移動するミスター田螺。


と。ここで考える。田螺にオスメスの区別があるのかと。

見分けられない。

ミスだったらどないしょ。


みかけの判断。そいつがくせもの。ミスターティー。


たにしそうに、歩いてる。



水の流れのように。

2008-07-12 | つれづれの風景。

源をみなもとに全ての水は低い方低い方に流れやがては全て大海に注ぐ。

全てを引き受けた海の水は、南海上で温められ、再び全ての水の源となり北に帰る。

確か、地球の全水量のうち陸地に留まっているのは2パーセント程度だという。

どれくらいの頻度で「この」水が再び戻ってくるのかはわからない。

今、私の体内の7割方を占める水が、億年前にステゴサウルスの糞を形成していた水でないとは言い切れない。

わしは糞か?という問もまんざら嘘ではない。


脚光を浴びた「この」水は、次の瞬間にはもう「この」水ではない。

永遠に同じものが永遠に違うものを形作る。

ああ。みずのながれのように。とめどなく。


何処の水の分子かわからないものに。可愛い娘はやらない。

などとは誰もいえない。

大好きなあの人とも、大嫌いなあの人とも、清涼な富士の湧き水とも、おぞましい身の毛もよだつ何者かとも、同じ水を共有する。



ああ。水の流れのように。生きていけたら素晴らしい。


積層茸の志。

2008-07-10 | つれづれの風景。

積み重なるように茸が生えている。

積み重なる雲が大雨を降らすように、重なるものは強い。

そして通常の場合それは、美しい。


独立した強さを持ったもの達が重なることで、より一層の強さと美しさを持つ。

ふにゃふにゃは、寄り集まりすぎると自重で崩壊するのが常でもある。

独立不羈ながら適度に重なり緩やかな連携を保つ。

ある志に貫かれ、結ばれる関係性が、強く美しい何かを醸し出すのだろう。

機械的に積み重なるのではなく、有機的な積み重なりは、面白く且つ興味的でもある。

生育というものは、全ては積み重なりによって、成長の姿を現す。


自然(じねん)のものは自然にその姿を為す。人間は本来の意味で自然に姿をなすことは困難だろう。

自然の不都合を過観できないからこそ、志というものが人には必要でもある。

自然に生育するものの美しさと強さにかなわないことはわかりながらも。


なしがある。

2008-07-08 | つれづれの風景。

成り始めのなしが、五つ連なっている。

インドネシアにいくとこれは、ナシゴレンという料理になる。

嘘です。


なしがある。ということはなしの木であるということである。

林檎の木になしは成らない。

林檎が成るとすれば、それは林檎の木でしかなし。

単純なことだけれども。だ。

実をつけるのはその実をつける木でなくては成らない。

できもしないことを、執拗に叱咤激励しても成らないものは成らない。

球根を植えてもいないのに、チューリップの咲くのを待つようなこと。

そんな単純なことさえ、我々はつい間違う。

ちゃんと木を見れば、なしもある。のだ。


ストーリーテイラー。

2008-07-07 | つれづれの風景。

起因があって、原因に展開し、因縁を結びながら、結末に至り、その先を暗示する。

切り抜かれたその中の一部分の現象でさえ、人は物語を夢想する。

そういう生き物だ。


人は誰でも、ストーリーテイラー。

そして人は誰でも、自分の生身のストーリーを書ききれる人もいない。


もっと光を。

2008-07-05 | 有屋無屋の遍路。

ギヨオテとは、俺のことかとゲーテ言い。


鴎外はんの、「ギヨオテ伝」によると、「窓を一つ開けてくれ。明かりがもっと入るように。」といったのが、臨終の折の最後の言葉であったという。

もっと光を。という有名な台詞はこれに基づいているらしい。

72歳になって、17歳のウルリーケに真剣な恋をしたというゲーテだが、83歳の生涯の最後は末期の水ではなく、末期の明かりを求めた。

ゲーテが亡くなったとされるのは、午後11時30分である。

功なし名なりえ長寿をも全うしたゲーテを持ってしてである。

なんと申してよいか私にはわからない。


もっと光を。


私もつぶやいてみる。

公衆便所の中、電灯煌々、天光差込み、黒光る禿頭。

もっとかみを。